第92話 苦い思い出
久しぶりに家族と過ごし、ジュリエッタとマイアはウェールズ君の相手をして遊んでいる。
オレはと言えば妹のげっぷのため縦抱っこ背中トントンと布製のオムツの交換係。少しでも兄らしいことでもしたいのだが、まだ泣くか寝るかしか出来ない3ヶ月に満たない妹にしてあげれるのはこの程度だ。
ふと思い立ち「転生者?」小声で言葉を掛けるが反応が無い。まあそうだよな。良かった。
(どうしたの?)
(いやね。転生した時に赤ちゃんだったんたよ、俺。その時から自我があったから妹も転生者なら返事するかと思ってね)
赤ん坊の俺が記憶を持ったままだった転生した訳で、意思はあるのに疎通ができずもどかしい毎日だった。あれはキツい。
泣かなければオムツの交換をしてもらえないし、暑い日はムレてかぶれるし何も良い思い出は無い。紙おむつって本当に便利なんだなとちょっと地球が恋しかった。スタートからこれよ。
ちなみに、オムツに使われている高分子吸水材の作り方は知らないから再現は断念した。まあどうでもいいんだけど。
(私もウェールズと最初に会った時に同じ事を思ったわ。ひょっとして神様がイタズラしていないかって)
(あの神様はそんなイタズラはしないだろう。でも、ジュリエッタも記憶を持ってたんだもんな。いや、ここで共有できるとは思わなかったよ)
(ふたりだけの話題なんてちょっと置いてけぼりで寂しいです。って言いたいところですが、この事に限って言えば、正直羨ましいとは思いませんね)
まあ、オレも出来たら3歳ぐらいから自我が芽生えて欲しかったな。とにかくあの頃は毎日が長かった。
オムツの事を考えていたせいかちょっと尿意を催してトイレに行くと、漠然と浄化スライムのことを思い出す。同じゲル状だし。
そういえば浄化スライムって、排泄物を綺麗にする役割があるんだっけ。あれっておむつに使えるんじゃないか?でも生き物をオムツの吸収剤に使うのもな…使い捨てにするにはかわいそうだし。うん、無いわ。
俺が竹炭加工した便蓋を閉じ部屋に戻る。それからエリザベートさんの仕事にとりかかり、丁度終わる頃昼飯に呼ばれた。
昼食を食べていると、明日行く予定だった子爵のじいさんがやってきた。
絵的にマイアをわざわざ呼びつけて挨拶するのはよろしくない…と気を回してくれたみたいだ。グッジョブじいさん。おかげで遠回りする必要が無くなって助かるわ。
と言うわけで、まるまる二日間、実家でのんびりする。
その間にオレは厚紙でJ、Q、K、ジョーカーは絵の無い簡易的なトランプを作ってみた。
うん。再現したかったけど思い出そうとすると意外に絵柄が難しく、はっきり覚えてないことに気付く。ホントはJはシャロンさん、Qは王妃様、Kは陛下、ジョーカーはオレ。みたいな絵を描きたかったけど、残念ながら絵心にも自信が無いんだよな…
あきらめて手を止めると、マイアがシャロンさんとレリクさんの婚約についていろいろ聞いたらしい。ガツガツいくところと、せっかちなのは親譲りだな。あれって立派な耳年増じゃないか?
ちなみに、俺達に正式な報告が無いのは、まだシャロンさんの両親に許可を貰っていないからだとの事だった。
その流れでマイアにシャロンさんから旅の途中で実家に寄ってもらえないだろうか?と相談があったようだ。公私混同を気にしてるらしい。
(いいも悪いも断る理由がないし、俺が決めることでもないんだけど?)
(何言ってんだか。護衛を含めヴェルを中心に集められたパーティーなんだから、ヴェルの意思が優先されるのはわかるでしょう?)
(中身は一番大人ですしね)
こんな時だけ大人扱いか……てか、思ったより責任あるわけ?
(大人だって言うなら、シャロンさんかレリクさんでいいじゃないか?)
(中身はヴェルの方が上でしょ)
ほう?そういうこと?この場合、シャロンさんとレリクさんのことはハッキリ決まるまでは最優先されるべきだと思ってるので異論は無いけどね。じゃ、寄りましょう。
と話をしながら(ショボい)トランプは完成し、二人は二人で読み書きが出来る程度に英数字をマスターしたようだ。
「それにしてもヴェル。この訳が訳が分からないぐらいい多い計算式のことだけど、一部の面積を求める式は分かるけど、こっちに書いてある複雑な式なんか見た事ないんだけど」
ジュリエッタの指さす方向を見ると、表面積、三角関数、微分積分、物理学である力、ねじれ、慣性、といった色々なモーメントの公式や解き方の表だった。
見た事は無いだろう。結構上級数学だと思うんだ。こっちの世界でこれでさらっと理解されたら、俺は世の10歳を信じられなくなってもいいと思う。
この公式や計算方法がどんな時に役に立つのかを教えると、二人はやっぱり微妙な顔をした。ちょっと安心するね。日常で必要な知識と言うわけじゃないからね。
備忘録はそこで回収し、全てアイテムボックスに詰めた。このあとエリザベートさんや弟君、ウチの家族と再び分かれて次の経由地に出立する。
「次の目的地はクロエ様のご実家であらせられるセイリヤ侯爵領か。くれぐれも粗相が無いよう気を付けろ。まあヴェルなら大丈夫だと思うが」
「いやいや、その言い方は本当に勘弁してください。伯爵位と言っても歴史的に裏打ちがあるわけじゃなくて、タイミングでうっかりいただいただけですから。気をつけるに決まってるじゃありませんか」
本心から言った言葉だったけどみんな微妙な表情だ。
第一、10歳の俺が調子に乗った言動を想像して欲しい。立派な悪役キャラじゃないか。それこそ妬み嫉みを買う可能性だってある。それは避けたいところだ。
竜車に乗り込み家族たちに笑顔で見送られ屋敷を離れて行く。ハンカチを振り見送るのはこの世界でもデフォなんだな。
折角故郷に帰って来たのに、二泊三日の強行軍だったのは正直ちょっと寂しさを覚えるね。
魔王を倒したらゆっくり実家で過ごさせてもらうから、その時はよろしく。




