第四話:背負った鎖
「タール、病院がどこにあるかは分かるか?」
「あ、ああ。一応居留区中心に医療センターがあるが……」
タールは車の荷台の方に目をやる。そこには先程まで地面に突っ伏して倒れていた少女が載せられている。適当な布を被せてあるため、検問では特に止められることはなかった。
「こんなことしていいのか? まるで誘拐犯の気持ちだぜ」
「かといって、目の前で倒れてるのをほっとけないだろ。俺は長官に相談してくる。君はその子を病院まで連れて行ってくれ」
「はいよ」
車から降りると目の前に現れた建物――居留区行政庁を見上げた。
受付に面会をお願いするも「予定にない」と困惑した様子で一度は断られた。だが、人命に関わる問題だとしつこく説得したところ、受付は連絡をとってくれた。ありがたいことだが、アポを取らずに一日で二回面談出来る彼は暇なのかもしれない。
執務室に入ると白髪の男――レーシュネ長官がこちらを気だるげに見つめていた。
「一日に二回も呼び出されるとはな。こちらも忙しいのだがね」
「少し訊きたいことがあるんです」
「手短に頼む、アレレ・ヴィラーデャ君」
「アレンです、それで話というのはですね……」
レーシュネの気が変わらないうちに難民キャンプであったことを説明してゆく。そして、連れ出した少女のことも全部話してしまう。レーシュネの表情は苦虫でも噛んだようなものになっていった。
「……というわけで彼女の部屋と面倒を見る人員を割り振ってほしいのです」
「何故、キャンプに戻さない」
「共同体から暴行を受けている可能性があるからです。自力で立ち上がれないほどに体力も消耗していました」
彼らは自分たち連邦人に明確な反感を抱いていた。自力で立ち上がれないような少女をこちらに差し出す時点で、あのラッビヤ人たちは彼女に好意を持っていないと考えられる。彼女をキャンプに戻しても放置されて最悪死亡するだけだろう。
だが、長官の答えは冷たいものだった。
「残念だが、そんな暇のある人間は居ない」
彼は最初から決まっていたとでも言いたげに断言する。
「選択肢は2つだ。君の責任で彼女を扱うか、それともキャンプに戻すか」
「そんな……死ぬかもしれないんですよ?」
「じゃあ、君の部屋で養え。その少女とやらにナニさせるなり好きにすればいい」
「そ、そんなことするわけないじゃないですか!」
「冗談だ、真に受けるな。だが、こちらから公的な支援を出せないのは事実だ」
「なぜですか」
一枚の書類が目の前に出される。題名は「デュイン先住民の取り扱いについて」、左上には枝に止まる青懸巣のロゴマークが付いている。確かこれは連邦法務省のものだ。恐らく本土からの通達なのだろう。
「連邦政府は先住民を一貫してキャンプで同等に取り扱うように通達している。いかなる事情であれ、元々キャンプに居た誰かを特別な待遇にすることは私には許可できない」
「適切な医療を受けさせることすらもですか」
「それは良い。だが、キャンプに戻してもらわなければ、公式な許可は出せない」
レーシュネはまるで何か書類を読み上げているかのように話していた。自分の意思など介在していないように見える。今の彼には交渉は通じないだろう。彼女を守ることが出来るのはキャンプでも連邦政府でもない。俺だけということになる。
俺は長官の顔をキッと睨みつけた。
「分かりました。じゃあ、彼女は俺の責任で取り扱わせてもらいます」
「勝手にしてくれ」
彼の変わらない姿勢を聞くと苛立ちが収まらない。だが、これ以上の話し合いも無用だろう。そう思って、踵を返そうとしたがその前に一つだけ訊きたいことがあった。
「最後に一つだけ訊いてもいいですか?」
「なんだね」
「人ひとり救えない法律と人命、どっちのほうが大切なんですか」
白髪を掻きながら、レーシュネは大きくため息を付いた。
「私は連邦政府の命令に従っているだけだ。私がそれに違反したとして、同じことを言う別の人間が来るだけの話だ。その質問に意味は無い」
「……そうですか」
彼が座る席に背を向け、出ようとした瞬間レーシュネの小さくか細い声が聞こえた。
「青臭いな……君は」
行政庁を出るとタールの車は止まったままで、車内ではタールが腕を組んで待っているようだった。彼はこちらに気づくと手招きしてきた。
「おい病院に行けって――」
「しっ、起きちゃうだろ……」
タールは小声で警告するように言った。彼の横、助手席には少女が毛布を掛けられて眠っているのが見える。小康状態に見えるのには安心した。タールは車のドアをそっと開け閉めして、俺を車から少し離れたところへと連れてゆく。
「今、行って帰ってきたところだ。酷い栄養失調だとさ、少しづつ栄養のあるものを食べさせてしっかりと休ませろって言ってた」
「そうか……」
「そっちは? 長官から何か手配してもらったか」
「いや、法務省通達のせいで公的な援助は出来ないってさ。人員も部屋も無理、行政庁を頼るならキャンプに戻せ、だと」
「通達だか、何だか知らねえが酷え話だ。それで、これからどうするつもりだ」
俺は行政庁の柱に寄っかかった。
「行政庁は助けてくれない。キャンプに戻せば、彼女は死ぬかもしれない。となれば、面倒を見れるのは俺くらいしか居ない」
「なるほどな」
「言語調査にもインフォーマントが居るわけだし、丁度いいと……思う」
トーンダウンした俺の言葉に何か感じ取ったのか、タールは心配そうな顔で肩を掴んできた。
「一人で抱え込むんじゃないぞ。助けが要る時は呼んでくれ」
「あぁ、そうだな……ありがとう」
「よし、宿舎まで送ってやるから荷台に乗れ」
これからの起こることに不安を抱きながらも俺はタールに宿舎までの道を伝え、車の荷台に乗り込んだ。