血鏡~願うなら~第5話
「あの、すみません」
「はい?」
入口のロビーでお客様の対応をしていると、1人の男性に声をかけられた。
年齢は多分上、何か困っていると言うより何かを聞いてもいいのかと悩んでる顔に見える。
「なつみっ…、その…豊岡夏生さんは出勤してますか?」
「貴方は?」
段々怪しい人に見えてきて、私は警戒した。それに気付いたのか、男性は私の警戒に「誤解です」と言って、持っていた鞄から何かを探し始めた。
「ちょっと待ってください」
男性は鞄から1枚のカードを出すと、私に渡した。それが名刺だと分かり受けとる。
「南雲浩と申します。その…元旦那の」
「あぁ、口喧嘩で子供を連れて出ていったかと思えば、離婚届をポストに入れて帰ってこない旦那さん」
以前、夏生さんから旦那さんの話を聞いていた。まるで子供みたいな人だと聞いていたけど、この人が…オドオドしているから夏生さんのストーカーかと思った。
「もしかして、同僚の皆さんは知ってるんですか?口喧嘩の理由」
「いえ、私しか知りません。口喧嘩の理由も詳しくは聞いてませんし、夏生さんからは喧嘩をして引き下がれなくなって出ていった旦那としか」
「そうですか」
初めて会った南雲さんは聞いていたよりヘタレ感満載で、出ていきそうな人には見えない。何が原因で南雲さんは出ていったんだろ?
「聞いていたイメージとは違いますね」
私の言葉に今にも泣きそうな表情になった、泣かせたいわけじゃ無いんだけど。
「俺が悪いんです。今は後悔ばかりで、何故 離婚届なんて送ったんだろ。…それより、夏生を見ませんでしたか?今日は息子に会わせたくて約束をしていたんですが」
「その夏生さんは……」
私達は連絡先を知らないのだから、南雲さんが知らないのは無理もないだろう。でも夏生さんの両親には話してあるのだから、連絡しているものだと思っていた私は驚くしかない。
夏生さんが入院したことを話すと、南雲さんは驚き入院先を聞いて紙にメモをした。
「あの…、孝を頼んで良いですか?」
「たかし?」
「息子です。今日は園児の体験学習で来ていて、そこにいる男の子がそうです」
指をさした方を見ると、縄文土器模様体験で来ていた幼稚園児達が見えた。そこにと言われても、誰が孝君か分からない。
南雲さんは先生らしき人に説明すると、そのまま走って博物館を出ていってしまった。
「館内を走るなんて、まるで子供みたい。あっ、確かに夏生さんが言った通り、子供みたいな人だ。それにしても、まだOKもしてないに孝君を預けるなんて意外と行動力はあるってことだよね。アレが離婚のキッカケだったりして」
私は仕方ないと、園児のいる体験ルームに向かった。その孝君が どの子なのかを確認するために。
体験学習の園児たちは現地解散だったらしく、外に出てみると親御さん達が待っているのが見えた。
「それでは、南雲孝くんをお願いします」
孝君は先生から聞いていたのか、そんなには嫌がらなかった。でも涙目で見られると辛い。
「はい、お預かりします。初めまして、孝君。私の名前は平井千波と言います。君のお母さんの友達だよ」
「ママ?」
孝君は笑顔になると、キョロキョロ首を横に振り夏生さんの姿を探す。しかし 居ないと分かると暗い表情になり、泣くのを我慢するように裾を握り下を向いてしまった。
「ごめんね。お母さん忙しい御用があって、今日は孝君に会えなくなったんだって。お父さんが戻ってくるまで私と居ようね」
「パパは何処に行ったの?」
「急な用事だって。待てる?」
たかし君は、小さく頷いた。
南雲さんが入院している夏生さんの病院に行ったことは、黙っていた方が良いだろう。これ以上 孝君を泣かせたくない。
最近 私の周りは泣きそうな人ばかりだな。
「手前にあるのは昔に作られた埴輪を真似て作られたのだから触れるんだよ。その奥のガラス張りの中のが本物の埴輪」
「僕知ってる。レプリカって言うんだよね」
「そうだよ。よく勉強していて、孝君は偉いね」
館長の計らいで、私は孝君に館内を案内することになった。
夏生さんが教えていたのか、いろんなことを孝君は知っていて、笑顔を私にも見せてくれた。
「アレは何?」
コレクションギャラリーに置かれていた明治の化粧箱に興味を持ったのか、孝君は近付いていった。
「孝君、館内は走っては駄目だよ」
孝君が立ち止まったので、注意が聞こえたんだと思った。しかし それは違っていて、私の方に走って戻って来たと思ったらスカートにしがみついたのだ。
どこか怯えている様で、何かをジーっと見ている。
「お姉ちゃん、アレ 怖い」
「どれ?」
子供が怖がる展示物は無いはず、だけど 孝君の視線は一定の方向を向いている。
「あのカガミだよ。誰かが覗いてた」
鏡と聞いて、私が怖いと感じた あの鏡だと気付く。
「孝君が写り込んだんじゃなく?」
たかし君は首を横に振って「知らない女の人」と言った。
本当なら近付きたくない、でも孝君を怖がらせたままにする気にもなれなくて、見てみようと近づいてみると少し違和感を感じた。
それはすぐに気付く程で、私は驚くしかない。
「鏡が少し、綺麗になってる」
初めて見た日より鏡の曇りは消え、まわりの装飾が磨かれた様に綺麗になっていた。