第二十五話 強運の持ち主
「黎仙様!」
北斗が慌ててすそを掴む、けれど黎仙はもう夢中だった。
「関霞。」
「黎仙様!落ちます。」
遜頌が慌てて寄ってきたが、彼女の瞳が遜頌に向くことはなかった。
「関霞、頑張って。」
そんな声は歓声にかき消された。
けれど黎仙は、自分の声が届いて欲しかった。
ここにいることに気がついた関霞と目を合わせたかった。
「関霞!頑張って!」
今まで出したことのない声だった。
それが届いたのか黎仙には分からなかった。
ただ関霞はいつものように白い歯を見せると体をうんと低くして相手の足を払い、相手の体勢を崩し、体当たりをして転がすと剣を突きつけた。
同時に至る所から歓声が起こった。
「勝った・・・。」
黎仙はその場で放心状態になっていた。
「黎仙様・・・落ちます。」
後ろで一生懸命ひっぱる幼い北斗には限界が来ていた。
「お、落ちる!」
黎仙はその時やっと、自分がどれほど危険なことをしていたのか気がついた。
そして今更ながら迫る地上に恐れ、瞳を閉じた。
瞳を閉じると落ちているのか、それとももう止まったのか分からない。
ただいつまで経っても痛みはこなかった。
「何だ?戦利品は未来の教皇様か?」
その声とともに何かが自分の体を抱えた。
黎仙は恐る恐る目を開いた。
白い歯と以前よりほんの少しだけ伸びた黒い髪をした男が自分の顔のそばに顔を持ってきていた。
「か、関霞!」
「優勝した!見ただろ?」
それは幼子のような笑顔だった。
「う、うん。」
「優勝したんだぞ!俺が!この国で一番強い男だ!」
「うん。」
すると関霞は子供のように口を膨らました。
「そういう時はなんて言うんだ?」
「え?」
すると関霞は黎仙の額に額をくっつけた。
「おめでとう・・・は?」
「あ、うん。おめでとう!」
満足そうに笑った関霞は黎仙を自分の胸板にくっつけて無邪気に笑った。
黎仙はその顔を見ることはなかったが、ただ汗の匂いとともに彼の心臓がまるで破裂するのではないのかと思うくらい高鳴っていることを知った。
「お前に一番に言って欲しかったんだ。」
「本当に?」
「ああ、俺は強運の持ち主かな。」
関霞の高温とも言うべき体の熱が黎仙に伝わり黎仙の体までもが熱くなってゆく。
それは頑なになってしまった黎仙の心を溶かすような熱さだった。
「おめでとうございます。」
聖加が寄ってくると、関霞は黎仙を腕からおろし、握手でお互いの健闘をたたえあった。
「しかし、あんたも強いな。」
「鍛錬が趣味ですので。」
すぐに関霞の周りは人だかりになった。
その中には数馬もいた。
彼は関霞を抱きしめ泣いていた。
「黎仙様!」
遜頌が黎仙の腕を引いた。
「私というものがありながらなんと不道徳な。」
このときになってやっと黎仙はこの男の存在を思い出した。
やはり自分にとって憧れは関霞であり、胸を動かすのは関霞だった。
けれど彼が正式な婚約者である以上、自分が今不道徳とののしられても仕方ないかも知れない。
ただ黎仙に後悔はなかった。
今、一瞬でも彼にまた会って、話すことができたのだ。
「とてもよい試合でしたので、私も興奮してしまったのです。父上の下へもどりましょうか。」
黎仙は去るときにもう一度振り返った。
彼は幸せそうに囲まれて笑っていた。
「残念だったな。」
魔宗は戻ってきた聖加に水を渡した。
「残念ではないさ。心の通じた相手が優勝したのだから。」
「それほど、お前が打ち溶け合っているとは。」
「打ち解けあってなどいない。」
暗想は腰をあげると聖加の前に立った。
「それより・・・。」
聖加の言葉に魔宗は背を向けた。
「分かっている。」
「・・・私はこのような手段、教皇様に申し訳ない。」
渋い顔をする暗想だったが、それでも顔を上げて歩いていった。
「頼んだ。二人とも。」
聖加はそういうと二人の背を見送った。