第十六話 婚約者
引き止めたものの何を言うこともできなかった。
好きだというには自分の気持ちの整理はつかなかったし、嫌いだというには彼は黎仙にとって魅力的すぎた。
ただ目だけは必死に関霞へとその気持ちを伝えようとしていた。
「ほんと、嬢ちゃんはかわいいなあ。」
関霞は目じりを下げると黎仙の顎に触れ、力を入れて顔を上げさせた。
そして次の瞬間唇を奪った。
黎仙は唇に触れた相手の唇の温かさを感じると、すぐに突き飛ばした。
「な、何を!」
「やべえ、俺、犯罪か。これ。」
黎仙は余韻に浸るまもなく、突然聞こえてきた扉を叩く音に反応し振りかえると後ろで窓が閉まり、慌てて小さく視線を送るともう姿はなかった。
「失礼いたします。」
入ってきたのは父と遜頌だった。
黎仙は平静を装うとしたが、掌と足の裏に多量の汗をかき、顔も赤らんでいた。
ただ二人はそんな黎仙の異変に気がつくことはなかった。
「ど、どうなさったの?二人で。」
「今日はお前に大切な話があってな。」
父は険しい顔をしていたが、後ろに控える遜頌は今まで見たこともないくらいの笑みを浮かべていた。
その笑みが気持ち悪かった。
「な・・・何か?」
「座りなさい。」
言われるがまま椅子に腰をかけると、父は黎仙の手を握った。
「何ですか?」
よくないことがくる。
それだけは伝わってきた。
「遜頌との結婚が決まった。」
「え?」
どうして遜頌なのか。
貴族でもない。
大司教といえども、ただの自分の家庭教師ではないか。
納得がいかなかった。
「けれど遜頌は身分が。」
「黎仙様、この異常事態、正直身分など関係ありませぬ。」
「な、何が異常事態だと!」
すると遜頌はわざとらしくため息をついた。
「お分かりになられませんか?・・・兄君、お二人が相次いで亡くなられ教会騎士団長までが、国王の息がかかっていた。このようなこと民が知れば教会の権威は地に落ちます。」
「国王の息が?」
「ええ、あなたと国王の子息の結婚へとこぎつけようとしていたのです。」
「・・・そんな。」
今まで、皇位継承権のない者たちが政略結婚のように結びつくことがあっても、お互い皇位継承順位一位同士が結びつくなど考えたこともなかった。
跡継ぎ問題など弊害が起こるに決まっている。
そんなことをあの人は、あの騎士団長は本当に言ったのか。
「黎仙よ、分かったな。悠長に選んでおれんのだ。不幸かな、今おまえの相手になる貴族もおらぬ。だからこそお前の婚約者は今まで空白だったのだ。よき伴侶が現れたときのため。そしてこの逼迫した状態でお前の前にいる適齢期の男は誰だ?」
あえて黎仙は遜頌を見ることはなかった。
「戸惑われる気持ちは分かります。けれど、二人で国を盛り立てていこうではありませんか。私は黎仙様をこの身に変えてもお守りいたします。」
この男はいつも自分の耳に心地よいことばかりを言う。
けれどどうしてかどこかでこの男を信じ切れなかった。
何故かは分からないそれは直感だった。
それでも国王の子息との結婚よりもまだ建設的な意見に違いなかった。
自分に愛などなくても教皇として地位は保てるのだから。
考える余地など自分に与えられてないことぐらい分かっていた。
ただ黎仙はその場に座っていた。
窓の外には耳があった。
男はたいした労とも思わず窓の縁に手をかけ、中の話に耳を傾けていたのだ。
「へえ。こりゃあ、面白くなりそうだ。」
「おい、関霞。怪しい人間だぞ。捕まっても知らないぞ!」
下で数馬が降りるように両手を動かしていた。
関霞は飛び降りるとニタリと笑った。
「何だ?」
「面白い話をこの耳で聞いた。麓珠に相談だ。」
「おお。」
数馬はわけが分からぬまま走り出した。