第03話 解放と魔剣
ここから第02章です。
十話くらいを予定。
今回も長いです。
新しい女の子が登場します。
ズシン、ズシン、と地鳴りが響いていた。
不規則に大地が揺れていた。
地鳴りはだんだんと激しくなり、その物音で俺は目を覚ます。
俺は、ふう、とため息をついた。
長いながい果てしない夢を見た気がしたからだ。
いや、気のせいではないな。
あれは夢などではなく、現実だったのだ。
とてつもない話だが、それ以外に思い出せる記憶がないからだ。
だから受け入れるしかない。
今までのことは、実際に起きたことだったのだ。
さて、そんなことより、腹が減った。
今にもお腹が鳴りそうだ。
色々考えるよりも、どうにかしてこの空腹を満たす方が先決だな。
何か食べるものがほしい。
あたりを見回してみる。
草木はほとんど見当たらず、茶色い地面がむき出しとなっている。
人の背丈よりも低い木、いわゆる潅木が、かろうじてまばらに生えている。
大小の岩があちこちに転がり、苔むしていたり、樹木に侵食されたりしている。
一言で表すならば、荒地である。
岩石の上の方が植生が濃いのは、酸性度の違いとか、そういうことが原因だろうか。
いや、そんな分析はどうでもいいな。
少なくとも、食べられそうなフルーツや野草などは周辺になさそうだ。
俺はもう一度、周囲をぐるりと見回す。
人の気配はない。
しかし幸いにして、俺が寝ていた場所は、果てしなく続く道の上にあるようだ。
この道をどちらかに進めば、おそらく人のいるところへとたどり着けるだろう。
街か村にでも行けたら、何か食べさせてもらえるかもしれない。
だが遠いな。
道は小さな丘を回りこむようにして、いずこかへと続いている。
あの丘まで歩くにしても、おそらく一時間以上かかるであろう。
もちろん、そのすぐ先に町や村があるという保証はない。
反対側の道も、同様だ。
ほぼ平坦な荒地が続く中を、道がまっすぐ地平線まで伸びている。
進む先に何も見当たらないのがちと不安だが、いくらか下り坂になっている。
歩くのは少しばかり楽かもしれない。
空腹のあまり、とうとうお腹が鳴った。
このままではそのうち動けなくなりそうだ。
どちらに進むか決めて、さっさと歩き始めた方がよさそうだな。
では、どちらに進むべきか。
だけど正直な所、どっちに進んでも苦労しそうだな……。
地平線を見つめながら心を決めかねていると、再びズシンズシンと大きく地面が揺れた。
地鳴りはテンポが速まり、その震源が近づいてきているようにも思える。
そういえば、この音はいったいなんだ?
不意に、何かの影が背後から押し迫るように広がり、あたりが暗くなった。
その原因を確かめようと、俺は振り返り、空を仰ぎ見る。
すると高さ十メートルはあろうかという巨大なトカゲが目に入る。
朝日か夕日かどちらか分からないが、そのトカゲが低い位置の太陽をすっぽりと覆い隠している。
この大きさでは、トカゲというよりも、肉食恐竜と表現した方が近いだろうか。
ただ、よくある恐竜のイメージからはだいぶ印象が異なる。
色が違うのだ。
体全体が真っ黒な鱗で覆われている。
逆光だからそう見えるのかと思ったが、光のあたっている部分が真っ黒だから間違いないだろう。
さて、よく見れば竜だけではない。
小さな女の子がいる。幼女と呼んだほうが正しいだろうか。
呼び方はさておき、竜が幼女を追いかけているようだ。
だがどういうわけか、漆黒の竜は幼女を捕まえられないようだ。
竜の牙がもう少しで届く、というところで幼女が紙一重で身をかわしている。
それは傍目に喜劇のようにも思えた。
ひょっとして、漆黒の竜はわざとやっているのだろうか。
ああやっておおげさに追いかけることで、獲物の仲間をおびき出そうとしているとか?
それとも単にもてあそんでいるとか?
いや、違うな。幼女がすばしっこいのだ。
竜の方は、本気で追いかけているのだ。
大人顔負けのスピードで疾走しつつ、神技のようなタイミングで竜の攻撃を避けている。
おっと、そんな分析も後回しだ。
幼女はこちらに向けて走ってくる。
当然、自然に目と目が合う。
すると幼女は何かの思いを呑み込むような表情をしてから、大声で叫ぶ。
「に……、逃げてー!」
ほー。『助けて』ではなく『逃げて』か。
こんな状況で、自分の命よりも赤の他人の俺の身を案じるのか。
このわきおこる感情はなんと表現したらよいのか……。
とにかくあの幼女、気に入った。
いや、興味がわいた、という方が近いか。
さて、幼女の後を追いかけてくる黒竜も、当然ながら俺の存在を認識したようだ。
そしてどうやら俺のことも『エサ』として認識したらしい。
よだれをたらしている黒竜の顔が、醜悪にゆがむ。
あまり時間的余裕はないな。
でもこういう時はあわてず騒がず、落ち着いて対処すべきだ。
今までの記憶が本当にあったことなら、この状況は何も問題ないはずである。
ところであの竜、倒したら食えるかな?
黒豚とかいうのは聞いたことがあるような気もするけれど、黒竜ってどうなんだろう。
うまいのかな?
……ダメだダメだ、脱線するな。
そんなことを考えているような状況ではないのだ。
腹が減っているからか、どうしても食事方面に思考が揺らいでしまう。
自重せねば。
どうすべきか。どうすれば良かったか。えーと……。
そうそう、思い出した。
解放だ。封印解放だ。
俺はそれを意識する。
すると視界の隅に、半透明の文字情報が現れる。
【封印解放要請受諾:
現在、第二段階までの解放が可能です。
第一段階解放:人間百人分程度に相当、制限時間 177秒
第二段階解放:第一段階の百倍に相当、制限時間 7秒】
ふーむ、制限時間があるのか。
それならばおそらく解放後、今現在の姿に戻れるということだ。
変身したままで戻れない、なんてことにはならないだろう。
これが段階的封印とかいうものの恩恵らしい。
いや、制限時間の短さから推測すると、人間の姿のまま戦闘力だけが上がる感じだろうか。
まあ推測はここまで。
封印解放にデメリットがある可能性も考えられるけれど、ものは試しだ。
俺は黒竜を見つめながら、封印の解放を強く念じる。
──────第一段階解放!
とたんに、身体から白い光があふれ出した。
解放は成功のようだ。
ならば、次にやることは決まっている。
制限時間があるのだから、ただ粛々と処理すべきことするべきだ。
俺は瞬時に、黒竜めがけて駆け出す。
素晴らしい加速だ。さすが人間の百倍。
あっという間に幼女とすれ違い、俺は竜の腹の下にもぐりこむ。
武器は何もない。だから拳を突き上げる。
ドン、という鈍い音ともに、黒竜の身体が数メートル浮き上がる。
手ごたえはあった。
だが、決定打ではない。
黒竜の皮膚は厚く硬くしなやかで、傷ついている様子はまったくない。
人間百人分といえど、武器のない百人分の力では、この竜を打ち倒すのに少々足りない。
そう判断した俺は、即座に次の段階の解放を念じる。
──────第二段階解放!
身体からあふれでていた光が、赤黒く色を変える。
制限時間は、7秒間。
だが解放制限時間は第一段階と連動する、と考えるのが妥当だろう。
すでに第一段階解放の状態で数秒間戦ってしまっている。
ならば、第二段階で戦える時間はもっと少ないはずだ。
いずれにしろ、時間は非常に短い。
どうすれば迅速かつ効率的に黒竜を倒せるか。
先ほどの一撃で黒竜の巨体を浮かせたので、逆の方角からはさみこむように打ち込みたい。
逆の方角、つまり、上からだ。
それが一番効果的だろう。
だがどうやって上にまわる?
いや、そう考えたなら、実行すればよい。
すると目の前に黒竜の巨大な背中があった。
おそらく勝手に身体が動いたのだろう。
朝ベッドを抜け出てから洗面台に向かうまでの動作、それを半自動的にやれるように、いつの間にか俺はそこにいた。
俺がやったのは、多分、それと同レベルのことだったのだ。
拳を振り下ろす。
拳と黒竜が衝突する。火花が舞い散る。衝突音が鳴り響く。
今度こそ手ごたえがあった。
上下逆方向からの時間差攻撃で、内部組織はボロボロになったはずだ。
内臓はおろか、おそらく背骨を粉砕している。
背骨は身体運動の基点となり、また神経を保護する重要な部位でもある。
並の生き物ならば、これで行動不能となったはずだ。
だが、轟音の中、俺は舌打ちする。
まずいな。このまま竜の巨体が大地に衝突したら、クレーターを作ってしまいそうだ。
道の途中に大穴をあけてしまっては、他人に迷惑をかけることになる。
できればそんな事態は回避したい。
それに何より、クレーターができるほどの衝突ってのは、要するに大爆発が起きるということだ。
こんなところで大爆発を起こしたら、あの幼女も巻き込んでしまう。
運が良くても、飛翔物にぶつかって大怪我、というところか。
それじゃダメだ。助けるつもりが傷つけたのでは、本末転倒だ。
では、どうすればいいか。
簡単だ。
もう一度同じことをすればいい。
そうして勢いを相殺すればいい。
その結論に至ると、俺はいつの間にか大地に先回りしていた。
黒竜の巨体が信じられないスピードで迫り来る。
俺はその重心めがけて、再度拳を突き上げる。
再び火花が飛び出し、黒竜と大地の間を何度も往復する。
まるでシャワーをあびているかのように、火花が俺を襲う。
俺は一瞬、火傷をおそれた。
だが、解放第二段階、常人の一万倍に匹敵するこの身体には、まったく影響がないようだ。
一方黒竜の身体は、その衝撃に耐え切れなかったようだ。
火花がおさまると、目の前の黒い視界に巨大な穴が開き、大空が見えた。
よし、さすがにこれで黒竜を倒すことができたはずだ。
俺はそう判断すると、幼女のそばまで退き、封印解放状態を解除する。
制限時間にはまだ余裕があるはずだが、使い切ってしまわない方がいいだろう。
【封印解放時間、第二段階換算で、計約5秒間。
脅威の殲滅を確認、再封印中……】
身体から出ていた赤黒いオーラが静まっていく。
さて、この状態で封印解放を連発できるのだろうか。
能力の使い勝手を知るために、俺は『封印解放』と念じてみる。
【現在、第一段階までの解放が可能です。
第一段階解放:人間百人分程度に相当、制限時間 1秒
警告:制限時間が非常に短いため、危機的状況に備えて、解放機能をロックします】
……ん?
解放能力がロックされ、使えなくなってしまった。
記憶が正しければ、第二段階での解放可能時間は7秒間。
発動時間は約5秒間であるから、差し引きで第二段階開放時間が2秒間分残るはず。
そして第一段階は、おそらく第二段階の二十五倍の長さ。
つまり第一段階解放制限時間が、50秒間分ほど残っていないとおかしい。
計算が合わない。
……まあ言わば今は慣らし運転中。多少の誤差はしょうがないか。
それにしても、第一段階でのこり一秒か。
だったら制限時間限界まで解放しておくべきだったか。
使い切ったらどうなるのか知りたかったな。
不意に、ダン、と衝突音が響く。
宙に浮かんでいた黒竜の巨体が、地面に落ちた音だ。
さっきの攻撃で倒せたはずだが、念のため確認しておくべきかな。
何せ相手は竜だ。
再生か何か、特殊な能力を持っている可能性がある。
復活されたら困る。
と思って近寄ろうとすると、黒い竜の体が光り始めた。
おっと、本当に再生能力でも持っているのか!?
そう身構えていると、黒竜の体がひときわまぶしく輝きだす。
念のために、『封印解放』と念じる。
表示された内容は、先ほどと同じである。
つまり『危機的状況に備えて、解放機能をロック』されたままである。
言い換えるならば、この状況は『危機的状況』ではない、ということだ。
やや楽観的な推測だが、いつでも解放できる状態を維持しつつ、見守ることにした。
黒竜の身体は、発光しながら蒸発するように消えていく。
やがてその奇妙な現象がおさまると、あれほどの巨体がきれいさっぱりなくなっていた。
いったい何だったのだ?
そう思って改めて見回す。
すると、黒竜の巨体があった場所に、長剣のようなものが落ちていた。
いったい、これはどういうことだろう。
あの黒竜は、剣に宿った魔物とかだったのだろうか?
いや、竜を倒したドロップアイテムがあの剣とか?
あるいは俺自身の能力で竜を剣に変えたのかも?
推測は憶測の域を出ない、という状態だ。
情報が少なすぎる。
ある種の罠、という可能性も否定できないな。
近づいたとたんに生命力を吸われ、あの竜が復活するとか……。
……そこまで警戒する必要はないか。
慎重になりすぎかな。
少し様子を見て、無害そうなら近づいてみるか。
そんな無難な結論に至り、長剣をながめる。
すると、横から幼女がてててててと走っていくのが見えた。
幼女はまっすぐに長剣のところへと向っていく。
おい待て、あぶないぞ、と声をかけようとしたが思いとどまる。
幼女はこの世界の住人、おそらく長剣が現れた理由と意味を知っているのだ。
剣を持ち逃げされる展開も考えられなくはないが、幼女はそこまで馬鹿ではないだろう。
あれだけの運動能力をみせた俺から、重い長剣を担いで逃げられると思うわけがないはずだ。
幼女は長剣を拾い上げると、こちらに向って近づいてくる。
うん、俺の代わりに剣を取ってきてくれたようだ。
幼女は剣を俺に差し出す。
「あ、あの……。助けていただき、ありがとうございました」
おー。こうして落ち着いてよくみてみると、とてもかわいい幼女である。
この子が成長すれば、間違いなく美人になる。そう断定できるくらい素材がいい。
しかも単に綺麗なだけではなく、どことなく親しみやすさがある。愛くるしさがある。
きっとこれから、日々の成長とともにどんどん美しくかわいくなっていくのだろう。
その移ろいゆく過程を、一緒に過ごせたらどんなに楽しいことか。
「あの……?」幼女が小首をかしげた。いかんいかん、見とれすぎた。
「あー……、ボーっとしてすまない。
えーと……、こちらこそ、拾ってきてくれてありがとう」
俺は剣を受け取る。
かなり細身のようだ。
刀かもしれない。
「いえ、命を救っていただいた恩に比べれば、たいしたことではありません」
幼女は俺をまっすぐに見上げた。
その瞳には、あこがれの感情が宿っているようにも見える。
「恩なんて、そんな大げさなことじゃないから。気にしないで。
こうやって剣を拾ってくれたことで、充分に返してもらったよ」
「そんなわけにはまいりません!
たったこれしきのことで、恩を返せたとは思っておりません!
ご要望がありましたら、なんでもおっしゃってください!
わたしにできることでしたら、なんだっていたします!」
幼女は俺の手を握り、どうにかしてお礼をしたいとアピールしてくる。
そのいたいけな手はやわらかく、まるで子猫の肉球にふれているかのようだ。
それにしても、恩返しかー。
困ったな。
本当になんでもいいのなら、この幼女を養子に欲しい。
うちの子にしたい。
だが、それは世間が許さないだろう。
よくよく考えればこの子にだって親がいるはずだ。
養子になってほしいなんて言ったら、多分たくさんの人を悲しませることになる。
「ひょっとして、わたしを娘にされたいのですか?」
「えっ?」
勘のいい子だ。まるで心が読まれたかのようだ。
「いや、いくら命を助けたからといって、そういうわけにはいかないさ」
「ふふっ」と幼女は笑った。
俺は話を切り替えようと、渡された剣をわざとらしく見つめる。
おそらくこれは、ドロップアイテムってやつなのだろうな。
「魔剣ですね」と幼女がつぶやく。
「分かるのかい?」
「はい、魔剣で間違いないはずです」
「なるほど、ありがとう」
分かるのは魔剣だというところまでで、性能は不明ということかな。
「価値はとても高そうです。
その魔剣を何かと交換するなら、街、いえ、都市をまるごと一つ手に入れられますよ」
「……へー。それはすごいね」
「嬉しくないんですか?」
「うーん、そうだね。
嬉しいといえば嬉しいが、正直今は食べ物の方が良かった。ハラペコなんだ」
そう言ってから俺は、しまった、と気づく。
幼女はどう見ても手ぶらだ。
食べ物をねだっても、出てくるわけがない。
それに幼女は恩を返そうと、がんばっているのだ。
だからせめて、何か簡単にできる要望を出すべきだった。
「って、そういえばさっき飯を食べたんだった。いかんな、勘違いだ。
もうすぐ消化されて、腹が満たされるはずだ」
そんな無理やりな言い訳でごまかすと、突然、力が抜けた。
俺は座り込む。
力が入らない。
虚脱症状である。
空腹が限界に達したという可能性もある。
それとも、封印解放の副作用と考えるのが妥当だろうか。
「だっ、大丈夫ですか?」
「あ、ああ、眠気がひどくて……。昨日よく眠れなかったからかな。
それよりお嬢ちゃん、足が速いね。何か秘密でもあるの?」と、俺は話を切り替える。
「秘密というほどのことではないですが、実はわたし、シン能力者なんです」
「シン能力者? それって何?」
「えーと……。オーラ、つまり生命エネルギーを操って、いろいろなことができる人をシン能力者と呼びます」
「いろいろなことって、たとえば?」
「基本は、運動能力の強化や、五感の鋭敏化、治癒力の向上などですね。
応用として、武器にオーラをまとわせたり、奇跡のようなことを起こせたりできます。
あ、もちろんシン能力者なら何でもできるってわけではありませんよ。
もてる能力の数にも限りがありますからね」
「へー、そうなのか。知らなかったよ。説明ありがとう。
なるほど、それで足が早かったんだね。シン能力者って、すごいんだね」
腕が震えている。全身の筋肉が悲鳴をあげているようだ。
ついでに本当に眠い。たまらなく眠い。
「シン能力に、ご興味がおありですか? 能力者になってみたいとお望みですか?」
「ああ、うん。できればそうなりたいかもね」
限界だ。俺は横たわり、目を閉じた。
少女が何かをつぶやいている。
しかしその声は俺の耳にとどかない。
……俺の意識は急速に遠のいていった。