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手加減だけはうまくできない  作者: ニャンコ先生
第01章 神へと至る道
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第01話 復讐を誓った経緯

 第01章は物語全体のオープニングです。


 第01話では、異世界跳躍するまでの経緯が語られます。

 同時に主人公は、生涯忘れることができないほどの目標、動機を得ることとなります。


 能力やバトルなどの要素は薄く、登場人物同士のからみがメインの回です。

 多少のスキンシップがあります。エロが苦手な方はご注意ください。


 よろしくお願いします。


 外を歩いていた。


 目的は特にない。いわゆる散歩である。

 近所の猫と出会えたらラッキーだな、くらいの軽い心持ちである。



 さてその散歩の途中。

 ウォーカーズハイとまではいかないけれど、気分がよくなってきた頃のことだ。



 とつぜん景色がにじみ、軽いめまいを覚えた。

 じわりと、涙があふれてきたようにも思えた。



 ……目にゴミでも入ったか?



 目を閉じ、まぶたの裏に違和感がないか確認する。



 ……問題はない。気のせいだったか。



 念のため、慎重にまぶたを上げる。

 視界がゆっくりと広がってゆく。



 すると小さな女の子と目があった。

 目の前で、俺を見上げていた。


 文字通り目の前だ。

 その距離、わずか十センチ。


 近い。

 近すぎる。


 不用意に身体を動かしたら、さわっちゃいけないところにタッチしてしまいそうだ。


 たまらず一歩距離をとる。



『うわ、いつの間に!? 誰だよ?

 どうやって近づいてきたんだ?

 そんなに長く目を閉じていなかったのに、気配すら感じなかったぞ!』



 そう叫びたくなるのをこらえながら、俺は少女を再確認する。

 少女の顔と全身を、二秒間ほど眺めて目をそらす。



 感想。


 とてもかわいい。

 中学生くらいだろうか。好感のもてる少女だ。


 見覚えがある気もするけれど、名前は思い出せない。

 おそらく最近、街中でみかけたことがあったのだろう。


 かわいい子というのは、目に付くものだ。

 知らず知らずのうちに、記憶に残るものだ。


 俺と少女の関係は、多分それくらいの縁だ。




 もう一度、少女の顔を覗く。

 するとどういうわけか、少女はまっすぐに俺を見つめてくる。


 あまり親しくない人と長時間見つめあうのは気恥ずかしい。


 俺はふたたび視線をそらす。

 横目でちらちらと少女を観察する。


 ……それにしても、見れば見るほどかわいい子だな。

 好みのタイプのど真ん中だ。


 しかもかわいいだけじゃなく、いい匂いまでただよってくる。


 紅茶のような、わたがしのような、ミカンのような匂いだ。

 甘くて、清々しくて、それでいてどことなく切なくなるような、そんな香りだ。


 思い切り吸い込んだら、一週間くらいハッピーになれそうな気がする。

 それくらいいい香りだ。

 ひょっとしたら、フェロモンとかそういうものが関係しているのかもしれない。



 だから俺は、『ぜひともこの少女と友達になりたい』と思ってしまった。

 心の底からそう願ってしまったのだ。



 だがちょっと待て、落ち着け俺。

 こういうときは、つとめて紳士的にふるまっておくべきだ。



 俺はゆるみかけた表情を引きしめる。

 できるだけさわやかに笑ってみせる。

 すると少女もエヘヘとほほえんでくれる。



 よし、好感触。

 第一印象は悪くないはずだ。


 では次のステップ。

 声をかけてみるか。



 だが、どう話しかけるか。それが問題だ。


 俺はナンパの手口とやらに、全くもってなじみがない。

 だから言葉が出てこないのだ。



 しかし、こうやって沈黙を続ける方がマイナスだよな。




 ……ええい、なるようになれ!




 と、口を開きかけた瞬間、少女がゆっくりと歩み寄ってきているのに気がついた。



 一メートルほど離れていた二人の距離が、秒速二十五ミリメートルほどの勢いでせばまってくる。

 ただよってくるいい香りが、どんどん濃くなってくる。



 心臓の鼓動が、少女との距離に反比例してゴロゴロニャーンと高まっていく。



 その距離が半分になったとき、俺はたまらず、思っていたことを口に出した。



「えーと……。俺に、何か用事でもあるのかな?」



 嬉しさの余り、口調がうわずっていたことを認めねばなるまい。


 少女は俺の問いかけに答えず、ニコニコと笑顔をみせる。

 つられて笑い返すと、少女は俺を指差した。



 いや、指でつついてきた、と表現したほうが正しいか。



 俺の心臓のあたりにつき当てられた少女の指先は、正中線にそってつつつとすべりおろされていく。


 少女の意図が読めずに、俺はその行為をされるがままに受け入れる。

 そんな俺の反応を楽しむように、少女が笑顔で見上げてくる。



 なぜ少女は、こんなにも積極的に接触してくるのだろう。

 ひょっとして、俺に気があるのかな?



 そして少女の指は、俺のおへその位置に到達する。


 この子、これから何をする気なのか。


 そんなことを考えた瞬間、少女はとつぜん大声で叫んだ。



「ふしんじんぶつ! 不審人物に遭遇しました!

 この人です! わたしの指差すこの人が、不審人物です!」



 不意をつかれた。俺は気が動転した。


 後ずさりながら、どうやって少女をなだめればいいかと考える。


 いや、悠長に考えているヒマはない。

 俺はすぐさま、少女の言葉を否定する。



「違うよ? 全然不審じゃないよ?! 落ち着いて!」



 しかし少女は俺を指差したまま、さらに歩み寄ってくる。



「不審者はみんなそう言うんです!

 違うというなら、不審人物じゃないなら、今すぐ腹ばいに寝てください!」



 少女の指が俺のヘソをふたたびつついた後、地面へと振り下ろされる。


 その指先に誘導されるようにして、俺は視線を落とす。



 綺麗な床だ。

 ここならネコろがっても汚れまい。



『えっ、でもさ、なんでネコろがらなきゃならないの?』



 俺はそう問いかけようとしたが、ネコのあたりで言いよどむ。


 何故、ネコろがらなければならないのか。



 理由を推測してみる。


 俺が横になると、どうなるか。


 ……一瞬だが、俺は少女を見失う。

 つまり、隙ができる。

 少女はその隙に逃げられる──とでも思ったのだろうか。

 そう考えれば、理解できなくもない要求だ。




 うん、理由はだいたい推測できた。


 だけど、言いなりになるのは気が進まないなあ。

 だって落ち着いて考えてみると、無茶くちゃな要求だもんな。



「早くしてください! それとも本当に不審人物なんですか?!」



 迷っている俺を、少女がせかす。



 さて、少女の要求をのまなかったら、どうなるだろうか。



 その場合、おそらく通報されるだろう。

 こんな突拍子もない要求をしてくる子だから、あることないこと言われてしまうだろう。


 俺の顔は既に覚えられてしまっている。

 何せ、あれだけじっくりと見つめあってしまっているのだ。

 原稿用紙二十五枚でも書ききれないほどに、俺の特徴を記憶されてしまったはずだ。


 最悪の場合、事件や事案として処理される。

 俺の特徴を詳しく記した注意書きが、あちこちに貼られまくる。



 ……状況を整理してみると、いわゆる詰みの状態であることが判明した。


 この事態を穏便にすませるには、指示に従うしかない。



 判断を誤ったか。

 見知らぬ子に近寄られた時点で、走って逃げ出すべきだった。




 しかたない。観念するしかない。

 俺は眉間にしわを寄せながらも、床にはいつくばった。



「そのまま動かないでください! 何もしゃべらないでください!」



 言われたとおりにしていると、少女は俺の足先にぐるりと回りこんだ。


 少女の気配が消える。


 色々と理不尽だが、これでひとまず事件にも事案にもならないはずだ。

 平穏な日々は守られた。




 そう安堵しかけた瞬間、背中の上に子猫を乗せられたような衝撃を感じた。




 どうして背中に子猫が?




 俺は全神経を背中に集中させる。


 それで分かった。

 この感触は子猫ではない。


 少女が俺の背中に飛び乗ってきたのだ。



「お、おい! 何する気だ?!」と、俺は沈黙の禁を破って少女に問う。


「えー、ゴホン。それでは今から、身体検査をします。

 危険物の持ち込みがないか、調べさせてもらいます」


「危険物……? そんなの持ち歩いてるわけないだろ!

 っていうか、俺がネコろがってる間に逃げるんじゃなかったのか!?」


「逃げる? なんでですか?」


「俺のことを不審者あつかいしてたじゃないか!」


「へー、不審者だったんですか。

 だったらなおさら詳しく調べないといけませんね」


「だから違うと言っているだろうが!」



 少女は聞く耳を持たずに、俺のわき腹を探ってくる。

 わきポケットがあるわけでもないのに、どういうつもりだろうか。



「おい! おい!! 本当に何のつもりなんだ?!

 そんなところを調べたって、何もでてこないぞ!」


「ふっふっふー。

 ルールは簡単! 笑ったら負けですよ!

 二十五数える間、我慢してください!」


「負け……? ルール……? いったい何の話をしているんだ!?」


「いーち、降参するなら……。にーい、今のうちですよー」



 少女はわさわさと俺のわき腹をまさぐっている。


 全くもって支離滅裂な言動だ。


 俺は混乱した。



「さーん、……あれー? ガマンは身体によくないですよ?

 さっさと負けを認めてくださいねー」



 少女はぎこちない手つきで、俺のわき腹をまさぐり続けている。


 どうやら危険物を探しているのではなく、くすぐっているつもりらしい。

 そしてその目的は、『俺を笑わせる』というただそれだけのことのようだ。



 ……なるほど。ようやく分かってきた。

 この少女は、俺をからかっているのだ!


 俺をだまして無理やりネコろがせ、くすぐって反応を楽しんでいるのだ!


 そうかー、そういうことかー!



 からかわれていると分かり、俺の機嫌は多少悪くなった。




 けれども、かわいい女の子と仲良くなれるチャンスと考えれば、怒りもおさまってくる。


 だって俺は男の子だからだ!




 それに、少女の太ももやら胸やらおしりやら何やらが、たびたび俺に接触してくる。

 当然その都度、マイナスの感情はどこかへと吹き飛んでしまう。


 だってそうなるのが男の子だからだ!




 ほんのりと伝わってくる体温とか、子猫のような肉感とかいうものは、正義なのだ!

 何をしても許される、とまではいかないけれど、たいていのことは許されてしまうのだ!




 ……さて、混乱や怒りがおさまれば、俺の頭も回転してくる。

 この不可解な状況を理解しようと、推理力を働かせる。



 推論開始──────。


 この少女は、多分よっぽどまでに退屈していたのだ。ヒマだったのだ。

 誰かに遊んでほしかったのだ。


 そこへタイミングよく、ヒマそうにしている俺をみつけた。


 どうにかして俺にかまってほしかった。

 だけど俺とは初対面だ。

 正攻法で頼んでも、遊んでくれるとは限らない。


 そこで少女なりに頭を働かせ、俺を不審人物呼ばわりして無理やり足を止めさせた。


 ──────と、おそらくこういうわけだ。



 この仮説で間違いはないだろう。



 ふむ、なるほど。


 だったら、少し相手をしてやってもいいか。

 急ぎの用事はなかったはずだ。




 ……よし、考えはまとまった。

 ひとまず会話で盛り上げてみよう!




「えーとね、降参も何も全然平気だよ。

 なんだったら、二百五十まで数えてもいいよ」


「へー。言いましたねー。さーん、にーい……」


「あれれー? 減ってる、減ってるよね?」


「あ、間違えた。えーと、いーち、にーい……」


「ん? 最初から数えなおしなのかな。

 まあ、全然くすぐったくないからいいけどね。

 っていうかさ、くすぐられるどころかマッサージをされてる気分だよ。

 どうぞ続けて。むしろ、気持ちいいくらいだ」


「うぐぐぐぅ……、言いましたね! それじゃ、本気でいきますよ!」



 挑発は、こうかてきめんだった。


 少女は俺の服をたくしあげ、直に素肌をくすぐってきた。


 直接攻撃である。

 ダイレクトアタックである。



 ほのかにひんやりとした少女の指先が、俺のわき腹をうっすらと撫でる。

 わき腹を力任せにもむのではなく、触れるか触れないかのきわめて精緻な感触。


 知らない刺激だ。

 慣れない感覚だ。


 わき腹がくすぐったいのなんて、俺は既に卒業したものだと思っていた。




 だが、違っていた……!




 こそばゆい! 非常にこそばゆい!

 思わず背骨をおぞ気が走る!


 一瞬でアウトだと理解できる!

 これはまずい!



「くすっ。効いてるみたいですね」と、少女がようやく手を止める。


「ま、待ってくれ。俺が悪かった。調子に乗りすぎた。

 降参だ。これ以上は許してくれ!」


「だめです。『平気だ』なんて見栄を張った責任を果たしてください」


「ちょっと! 本当におねが……、うにゃにゃにゃにゃにゃ……にゃ……にゃ……」



 少女の情け容赦ないくすぐり攻撃を受けて、俺は言葉にならないうめき声を上げてしまった。


 俺の反応を面白がっているのか、少女は執拗にくすぐりつづける。



「ふふふ、そんなにくすぐったいですか?」


「や……、やめて。本当に。やめてく……だ……さ……」


「だめなのです! 笑ったから、罰ゲームなのです!」



 さっきからかなり本気で抵抗しているのだが、どういうわけか脱出できない。


 笑いながらでは、力が出せないからなのだろうか。


 いや、おかしい。

 少女一人から脱出できないなんて、そんな馬鹿なことがあってたまるものか。


 俺はあきらめず、ひたすらもがいた。


 だが、だめだった。


 身体を反転させようとしても、無理やり立ち上がろうとしても、たくみにそれを阻まれる。

 膝をはらいのけられたり、肩をおさえつけられたりして、どうにもうまくいかないのだ。


 なぜか先を読まれて、つぶされてしまう。

 この少女、合気道か何かの達人なのじゃないだろうか……。

 テコの原理とネコの原理を、知り尽くしているかのようだ。





 そんな考察はともかく、少女は楽しげに俺をくすぐり続ける。

 その苦しみは、体感時間で二十五分ほど続いた。




「ふう、悪はほろびた」



 ゼーゼーと息を切らす俺の背中の上で、少女は馬乗りのまま勝ちほこるようにそうつぶやいた。



 ……何故だ。

 何故、俺はこんなひどい目にあわねばならないのだ。


 俺がこの少女に何か悪いことでもしたというのか?

 いや、全く記憶にないぞ。


 だったら何故、俺はこんなことをされねばならないのだ。




「じゃあ、このくらいで許してあげますね」



 許す……? 何をだ?!

 俺が何をした!? 俺は無実だ! 清廉潔白だぞ!



「し、仕返しとか考えちゃダメですよ?」



 いまだに呼吸の整わない俺は、大きくうなずくという動作で答える。


 仕返しだって? そんなことは考えちゃいないさ。

 そんなことより全然別のことを、考えていたよ。



「良かった。話せば分かる人だと信じてました」



 俺はもう一度、ゆっくりとうなずく。



 俺が考えていたことは、仕返しではない。


 ──────教育。


 その二文字が、頭から離れなかったのだ。



 そうだ。教育せねばなるまい。


 俺は少女より年長の者だ。

 だから、教えてやらねばならない。


 やったらやり返される、という単純な社会のルール。

 特に悪質な場合は、倍返しをされて痛い目にあうという教訓。


 俺はその二つを、少女の心に刻みこまなくてはいけない。

 少女のこれからの人生が実り豊かなものになるよう、俺は心を鬼にしなければならない。


 そう、これは教育だ。

 単純な仕返しや復讐などではなく、教育という年長者の義務なのだ。






「よいしょっと」



 少女が無防備に立ち上がった。


 今だ!

 今が千載一遇のチャンスだ!


 俺は呼吸を無理やり整え、起き上がって少女のわき腹をつかむ。



「えっ……?」



 そのまま地面に引きずり倒し、わき腹をもむ。



「ふひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!!!!!!」



 服の上からでも、少女にはこうかてきめんのようだ。



「ほほう。効いているようだな。

 だが、俺の受けた苦しみはこんなもんじゃないぞ」


「や、や、や、やめ、やめ……」



 俺は少女の服に手をかける。

 素肌に直接攻撃を叩き込んでやるためだ。


 白い柔らかな生地の肌着が目に入った。

 肌着はスカートの中に収められている。


 多少気はとがめるが、情け無用。


 征服感と背徳感につつまれながら、俺はその肌着をつつつと引っ張る。

 肌着はとてもやわらかで、ほんのりと温かく、さわり心地は最高だ。



「そ、それは……だめーっ!!!」



 当然ながら、少女は抵抗する。

 きゃしゃな身体をやみくもに動かして、逃亡を試みている。


 背徳感がさらに高まり、俺はゴクリと唾をのんだ。


 俺は脚をからめ、身体全体を密着させ、あごで肩をおさえつけ、その逃亡を阻止する。



「あきらめろ」



 俺は少女の耳もとでそうつぶやきながら、さらに肌着を引っ張りあげる。


 やわらかな桃の皮が、つるりとむけたような感触。



「ひっ!」



 少女の白い柔肌があらわになった。

 同時に、甘いにおいが湯気のように立ち込める。

 洗剤の香りだろうか、それとも少女の汗のにおいだろうか。


 どちらでもいい。これは勝利の美酒のようなものだ。


 俺は大きく息を吸ってその香りを味わいながら、露出した隙間に両手をつっこむ。



「ふぎゃあああああ、ふにゃっ、ふえっ、ふえっ、ふっ……」


「人を殴ってもいいのは、殴り返される覚悟のあるやつだけだ!

 人をくすぐってもいいのは、くすぐり返される覚悟のあるやつだけだ!

 お前のおかした罪の罰を、その身をもって受けるが良い。

 食らえ! ひっさつ! ハンムラビ法典!」


「ふひっ……、ふひっ……、ふひっ……」



 少女の身体がひくひくと震えている。


 俺はさらに両腕をのばし、少女のあばら骨をなぞる。

 その一本一本を数えるように、全体の形を確かめるように、指をすべらせていく。



「いい機会だ。あばらが何本あるか、下から順番に数えていってやろうじゃないか。

 普通あばら骨は左右十二本ずつあるそうだが、違っている人も意外に多いらしいぞ。

 お前はどうかな? さて、いーち……、にーい……」


「ふぇひほはへりほふはあああー!!!」


「違う! 『フェヒホハー』じゃない! ハンムラビ法典だ!」


「ふぇふぃっ! ふぇーふぃっ!!」



 少女の身体がじんわりと汗ばみ、上体をのけぞらせる。

 甘い香りの濃度がさらに高まり、俺はゴクリとツバを飲む。



「おっと。あんまり暴れるから、どこまで数えたか分からなくなったじゃないか。

 最初から数えなおしだな、いーち………………」


「ふぇひっほうー!!!!!」






 夢のように楽しい時間が過ぎていった。






 だが何度もなんども数えなおしているうちに、少女が動かなくなってしまった。


 ……さすがにやりすぎたか。


 結局下から八本目くらいまでしかチェックしきれなかった。

 あばら骨から鎖骨まで、全部数えてやる予定だったのだが、このくらいで許してやろう。

 反応がないのは、つまらないからな。



「真の悪はほろびた。

 勝利はいつもむなしいものだな……」



 俺は少女を仰向けにネコろがせ、解放する。


 少女はフッフッと短くあえぎながら、手足をビクビクとふるえさせている。


 疲労困ぱいという感じだ。

 この分ならしばらく回復しまい。



 俺は立ち上がり、少女のすがたかたちを観察する。




 少女は綺麗な長い黒髪を、ツインテールにしている。


 服装はやや奇抜だが、全体的にまとまっている。

 魔法少女か何かのコスプレだろうか。


 身長は低めで、体はあまり成長していないようだ。

 中学生かと思っていたが、小学生かもしれない。


 ぱっと見は、従順な妹タイプだ。


 だが従順な妹は、初対面の男性の身体をくすぐったりしない。

 ましてや『止めてください』と懇願したのに、くすぐり続けたりなどするはずがない。



 顔やら声やら姿やらは非常に好みなのに、残念だ。



 俺は少女から離れ、近くに座り込み空を見上げる。




 ピンク色の花びらが、風に乗って舞っている。



 桜かな。

 もうそんな季節だったか。



 振り返ると、果てしなく巨大な桜の木が見えた。

 樹高は百メートル以上ありそうだ。



 ……あれ?


 桜って、あんなに大きくなるのか?

 そして今さらだけど、ここはどこだ?


 桜の大樹のほかには、何も見当たらない。

 ほぼ三百六十度、地平線しか見えない。



 ここは俺と少女だけの世界のようだ。



 うーん……。ひょっとして、これは夢か?

 いや、でも、あのくすぐったさはあまりにもリアルな……。


 俺はそんな疑問をいだきながら、花びらの舞う光景に見とれていた。


 巨大な桜の木から花びらが散るさまというのは、とても魅惑的な光景なのだ。




 だが、それが間違いだった。

 突然、俺は羽交い絞めにされた。



「え?」



 そして膝をつかれて体勢を崩され、流れるように再び地面にネコろがされる。



「仕返しにしては、やりすぎです」



 ぞっとするような低い声で、少女がそうつぶやく。


 思っていたよりも、少女は復活が早かったようだ。


 そして俺は、脱出が不可能なことを一瞬でさとる。



「わ、わるかった……。やっているうちに楽しくなって、つい……。

 許してくれ、いや、許してください」


「だめでーす!」



 明るく楽しげな少女の声が、俺の耳をくすぐる。

 いや、実際にそのくちびるが、俺の耳をくすぐっている。



「で、ですよねー……。せめておてやわらかにお願いできますか?」


「だめでーす!」



 先ほどと同じ明るい声の調子で、少女が繰り返す。

 フーッと吹きかけられる吐息が、俺の耳を湿らせる。



 それはまるで恋人同士のような甘いやりとりにも思えた。


 だがやはり、俺たちの関係は、そんなやさしいものではなかったようだ。


 少女の声は再び冷たく低いものに変わり、俺を心底おびえさせたのだ。



「わたしは今、あなたにされたことを一つひとつ思い出しています。

 あのときはただただつらいだけでしたが、今となっては楽しいものですね。

 だってそうじゃないですか。

 何かを思い出すたび、それを十倍返しできるんですから!」



 十倍返しだと!?


 俺の全身が冷や汗をかきはじめる。

 顔は見えないが、俺の背後で少女が悪魔のような形相を浮かべているのが分かる。




 そして俺は、肉食獣にいたぶられる小動物の気持ちというものを、初めて理解した。






(この括弧内を、『猫の肉球マーク』に脳内変換していただけると助かります。

 しばらく時間が過ぎたのです)






 復讐は新たな復讐をうむ。その復讐がさらにまた復讐をうみだす。

 いわゆるループである。憎しみの連鎖である。


 そのループを断ち切ることは、非常に難しい。


 では、どうすれば良かったのか。


 単純だ。心を折れば良かったのだ。

 二度と反抗したくなくなるくらい、徹底的にやるべきだった。


 やるか、やられるか。もう、それしかない。

 俺たちは、行き着くところまで来てしまったのだ。




 何故こんな話をするのかって?


 簡単だ。


 少女は詰めを誤ったのだ。

 俺の心を完全に屈服させることができなかったのだ。






「ふう、さすがに五回も失神させられて、懲りましたよね?」


「イエス、マム! おっしゃる通りでございます!」



 ああ、勘違いしないでほしい。

 俺がこんなセリフを吐いているのは、少女に心を折られたからではない。


 屈服したとみせかけて、少女を油断させるためなのだ!

 そうなのだ! 俺はまだ、懲りてなどいない!



「もう復讐なんて、これっぽっちも考えてませんよね?

 きれいさっぱり、あきらめましたよね?」


「イエス、マム! おっしゃる通りでございます!」



 さきほどと同じようなことの繰り返しになるが、俺は復讐をあきらめてはいない!



「まあ、復讐しようと思ったところで、実現は不可能なんですけどね。

 それは分かってますよね? この件は、お互い水に流しましょうね」


「イエス、マム! おっしゃる通りでございます!」



 大事なことなのでさらにもう一度、強調しておく。


 俺の心は折られてなどいない!

 だから今日のことを、水に流したりなどしない!



「そうですか。良いお返事です。

 ではこれで、わたしたちが争う理由はなくなりましたね?」


「イエス、マム! おっしゃる通りでございます!」


「うんうん! 良かった、安心しました! みんな幸せ、ハッピーエンド!」



 クックックッ。そうやって油断していろよ。

 俺は絶対にあきらめないぞ。


 お前の顔は、既に俺の心に刻んであるのだ。

 お前の声も、体重も、香りも、全て記憶した。

 俺は絶対に忘れない。絶対に許さない。



 たとえこの場から逃げられてしまっても、俺はお前を探し出す!

 たとえ世界の果てに逃げ去ろうとも、必ずお前を見つけ出し、復讐してやる!




「さて、そろそろ時間です。

 異世界跳躍の時間です。準備はいいですね?」


「イエス、マム! おっしゃる通りでございま……、えっ……?!

 異世界……、跳躍………………?」



 世界の果てまでなら見つけ出す自信はあるが、異世界ときたか……。


 いや、そんなことで俺は心折れたりなどしない。


 たとえ異世界の果てまで逃げ去ろうとも、俺はお前を……。

 っていうか、何だよ、異世界って?



 そう疑問を抱いて首をかしげると、少女がためいきまじりに話を続ける。



「その様子だと、やはり何も覚えていないんですね。

 説明しても、多分また忘れてしまうと思います。

 何せあなたは、記憶そのものをエネルギーとして……」






 ここで唐突に、俺の記憶は途切れる。




 少女が何を語ってくれたのか、ほとんど思い出せないのだ。

 なぜ思い出せないのかというと、記憶をエネルギーに変えられてしまったからだ。

 記憶が片っ端からすさまじい熱量に変わり、黒い壁のようなものに吸い込まれていったからだ。


 俺が何者だったのか、何をしていたのか、何と呼ばれていたのか。

 記憶や思い出と呼ばれるもののほとんど全てが、怒涛の勢いで失われていくのを感じていた。



「……ですから、さいふういんですよ、再封印。

 ほかのことは全部忘れてもいいですが、それだけは覚えていてくださいね」



 おだやかに散っていた桜の花びらが、鋭利な刃物と化して大地に突き刺さり始めた。

 花びらは大地に刺さるたびに金属音をひびかせ、まるで豪雨の中にいるような錯覚を覚えさせる。

 それがひとしきり鳴り止むと、今度は花びらが天高く舞い上がり、何かを放出しながら色を変えていく。



「もう一回言います! 再封印!」



 少女が最後に語ったそのセリフだけが、繰り返し頭の中で響いていた。




 今回登場した少女の再登場は、しばらく後になります。


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