番外編[拷問姫の憂鬱3]
お父様が去って、数十分後。
朝、無言で出て行ったメイドに連れられた私が向かったのは、食休み中の聖女の部屋。
聞かされていたのか、何も驚く事なく、私は招き入れられ。
汚れても良いよう、メイド達と似たような服を着せられた私は、今。
悪魔と肩を並べて食器を洗っていた。
「なってませんわね。泡立ってれば良いと思ってますの?」
「……っで、でも。」
「言い訳無用!まったく、食器一つ洗えないとは何事です!五歳でも出来ますわ!」
「……だって、だって、私には必要なかったから!」
大きめの桶に、洗剤を溶かした水を入れ、泡立った所に食器を投入。あとは魔法で水を操り洗っていくだけなのに……。
洗剤が薄いのか、魔法の扱いが下手なのか。
シャリティア様が確認の為に取り出した一枚のお皿は、卵黄がこびり付いたまま。
「言い訳無用と言いましたでしょう!洗剤もスポンジも用意してありますのに、魔法で横着なさって……いえ。それ以前に、魔法を使っていても、汚れ一つ綺麗に取れていない事の方が問題です!貴女様は城の中で、何をしていたのです!三歳児のままその脳みそは止まっていたのですか!!?」
「う、うぅ。」
「泣いても唸っても食器は減りません!まずは手とスポンジで、洗う基礎を覚えなさい!魔法の応用などその後ですわ!!!」
私は手を叩かれ、魔法を強制的に解除。
スポンジを無理矢理持たされ手で洗う事に。
「うっ…うっ…ぐすっ。」
私は泣きながらも、その手を止める事なく動かし続ける。
だって背中の向こうで、恐ろしいプレッシャーが迫ってくるもの。自然と、恐怖からの涙も流れてくる。
シャリティア様の発する言葉、表情が、心に刺さる。無能と罵ってくる美しい顔が、もう悪魔にしか見えない。
確かに、とても厳しく、キツイ性格とは聞いていたけど、王族の私相手でもこんななの!?
あんなに眉を釣り上げて、怒鳴る事ないじゃない!
素が美しいだけに、怖すぎるわ!!!
聖女の部屋のキッチンは、お兄様の計らいで取り付けられたもの。
元々キッチンの無い客室だったのに、料理好きの聖女の為に急ぎ後付けされたので、目隠しの仕切りもなく、食事を取るダイニングテーブルから何をしているのか丸見え。
だから私が後ろに振り返れば、こちらの様子を伺う聖女と、その頭の上の妖精、……クルーレ様が、窓辺の黒いソファ(元々無かったけどクルーレが買った)に並んで座りながら談笑しているのも、丸見えだった。
「…………お姉様が荒ぶってるね、お母ちゃん。」
「…………シャリちゃん怒らすのやめような、美津。」
「「私らは良い子でいよう。」」
「……姉上が二人を怒ることは無いと思いますが……まあ、用心に越したことはありません。ご自愛下さい。」
「「へい!」」
「っ、そんなに怯えなくても、二人とも……顔が……ははっ!」
クルーレ様の笑い声に思わず振り返った私が見たのは……美しく、精巧に作られた人形のような完璧な微笑みではなく、大きく口を開けての満面の笑みだった。
「……………………顔が、違う。」
笑い方一つで、美しく麗しいあの顔がこんなにも変わるの?
私の記憶にある表情よりもずっと明るく、活き活きとしていて、………とても、素敵に見える。
「あれが本当のクルーレです。貴女様が見ていたのは、外面だけが良いだけの紛い物。………彼女のおかげで、あの子はやっと人間になったんです。」
手を止めた私を怒る事なく、そう口にするシャリティア様。
「私は……そんなに、聖女と違うのですか?」
クルーレ様の信頼と、愛を勝ち取った聖女。
……そんなにも、私の性根は、心は違うの?
私の心は、家族に見放される程の醜さだと言うの?
「………全然違いますわね。」
「ぐすっ、え?」
その言葉と同時にパタパタと足音が近付き、私の醸し出す鬱々とした空気が急に………明るく、賑やかにされた。
「シャリちゃんどう?」
「お皿割ってない?」
「美津も初めはよう割りそうになってなー。教えるなら割れないやつから始めた方がええで。」
「……こっちってプラスチックとかシリコンの食器あるんかな?シャリティアさんある?」
「………さあ。聞き覚えがありませんわね。それに心配せずとも、ここにある食器は全て強化して割れにくくしてますわ。」
「おお〜!魔法って凄い!」
「……それにしてもあんた、ぶきっちょやなぁ。スポンジ持ち方おかしいし。んなちっちゃい子みたいに握り締めたら洗うの無理やん。汚れ塗り広げるだけやん。」
「………えっ、あの、」
「お皿もちゃんと持たな落とすで。素手やとどうしても滑るからな。」
「それに素手でしたら、皮膚痛んでガッサガサなるよ。私は手の皮薄いんかすぐガッサガサなってなー。水仕事の時はホンマ大変で。ゴム手袋してたって薬塗っても塗っても隙間から入って洗い流されるから効果の薄いこと……冬の水仕事、嫌い。」
「!美津、それなら私が洗い物します!」
「クルーレさん……気持ちは嬉しいけど、食器砕くやつは黙らっしゃい。」
「アウトやん。」
「い、今は力加減を覚えましたよ!?」
「……それ以前に、強化した食器を破壊できる貴方の腕力を恐れましょうか。美津様がお怪我しないか私は毎日気が気じゃないのよ、クルーレ?」
怒涛のような聖女と妖精の語りに、ついていけない。
というか、聖女は私の近くに来て良いの?クルーレ様から許可は出ているの?
……私、もしかして、本当に殺されたりする?
お腹がきゅっと冷えて、涙の代わりに冷や汗の止まらなくなった私に、クルーレ様の叫び声が届いて。
「大丈夫です!美津を洗う時を思い出せば!」
「「「「…………え。」」」」
右手で握り拳を作ったクルーレ様の叫びに、その場にいた、女性陣の心が一つになったのが分かりましたわ。
というか、クルーレ様?
「……今の言い方は、ちょっと。」
「何やろ、やっぱクルちゃん変態くさい。」
「…………勘弁して。」
「クルーレ………貴方って子は……。」
上から私、妖精、真っ赤になった聖女、そしてシャリティア様。
特に妖精とシャリティア様の表情の冷たさと言ったら。
……こわい、ですわ(超振動してる)
「い、今のは例えです!私も美津を手伝いたくて練習してたんです!……まあ何個か、カップの取っ手をもいだり、皿を粉砕したりは、」
「アウトやん。」
「……私、遠回しに骨砕かれそうなん?いつか実践されるん?なにそれ怖い。」
「……ぅう、頑張ります。美津と一回でいいから、一緒に料理したいんです。」
「あらあら。先が長いですわね?」
大げさなため息を吐き出すシャリティア様。
聖女も羞恥から復活したのか、妖精と共にクルーレ様をからかうのに参加している。
「ならまず、まな板を食材と思わない所から始めましょうね!クルーレさん。」
「野菜ごと真っ二つやからなー。まな板。」
「……姉上も美津もお母様も、酷いです。私の粗探しがそんなに楽しいのですか?」
「これが結構、なあ?」
「最強の騎士様の意外な真実!一人暮らし歴長いのに生活力が皆無!ってタイトルで本作れるね。既にネタは豊富ですよ?」
「うふふふふ。」
「勘弁して下さい……。」
「…………ぷふ。」
何かしら、これ。
さっきまで胸の中がムカムカして、グルグルして、気持ち悪かったのに。苦しかったのに。気が抜けちゃった。
スポンジの持ち方を変えて、おそらく目玉焼きが乗っていた皿を撫でてみる。
伸びて広がってた卵黄が、つるりと取れた。
「………。」
背中のすぐ向こうできゃーきゃーと笑う聖女と妖精と、………クルーレ様。
私を見向きもしないけど、拒絶もしない。
私を無視するけれど、攻撃もしてこない。
聖女と妖精は、また私の手元を覗き込みながら、雑談を続けている。
「お、いけてるいけてる。」
「うーん。でもやっぱ、手袋した方がよくない?お姫様の手、荒れてまうよ?ゴム手袋無いん?」
「……ちゃうな、これもアレや。なぁシャリちゃんや。」
「ええ。姫は日常で使う魔法が全く使えない様なので、私が代わりに。魔法で保護してるので荒れることはありませんわ。」
「「お姉様/シャリちゃんって凄い!」」
「む。………姉上が二人に尊敬されてる。狡いです。」
「うふふ。日頃の行いの差ですわ。」
「…………。」
………変な女。
私の事、色々とクルーレ様から聞いてるのでしょう?
王女である私が食器洗いの練習なんて、馬鹿だと思ってないとおかしいのに。
私にも……何となくだけど、分かるわ。
クルーレ様達は兎も角、聖女と妖精の二人は、当たり前の様に、私を気にかける。
食器を割って怪我しないか、様子を見て。
こうした方がやり易い、とアドバイスして。
これからも続けるなら、と手荒れの心配までして。
まるで娘や、年の離れた小さな妹に教えるみたいに。
全てが初めてで、何も分からなくて困っている私を、貴女達は気遣うのね。
……クルーレ様に酷い事をして、嫌われている私に対しても。
「……ぐすっ。」
……ふん!お優しい聖女サマと妖精だこと!
何も出来ない、知らない私を小さな子供扱いなんかして!
貴女の方が体重が重くても、貴女は背が小さいのよ!幼児体型なのよ!私の方が、ずっと美人なのよ!
………でも。
………今、この城の中で私を気にしてくれるのは、同情してくれるのは、……優しくしてくれるのは、貴女達だけなのね。
王女である私が、他人に同情されるなんて………屈辱だわ。
それでも、家族であるはずのお兄様とお父様は、私に同情するどころか、私に冷たく当たる。冷たく睨む。
お前が間違っているから、……殺されたって、文句も言えないって……。
そんな事言われたのは始めてで、とても悲しくて、辛くて、
……とても心細く、さみしいですわ。
私はノルマとして与えられた食器を何とか洗い終わり、後ろで聖女達と楽しそうに笑うクルーレ様を振り返る。
私の側を離れたシャリティア様が聖女達と話し始めて、クルーレ様は飲み物を取りに来たのだろう、カップを乗せたトレーを持ってキッチンに近付いてきた。
「クルーレ様。」
「……何でしょう?」
食器の擦れるカチャカチャとした音が小さく聞こえる。
……良かった。返事をしてくれた。
「私は、貴方を愛していました。……中身の無い、空っぽの貴方でしたけれど。」
聖女と共に笑う貴方が真実なら。
私が見て、好んだ姿はただのお人形。
偽りだらけの、綺麗なだけのお人形。
それでも私は、私なりに貴方を想っていたけれど。
「私の想いは貴方には歪で、醜く見えたんですよね?……不快な思いをさせてしまい、本当に、申し訳ありません!」
「……………。」
私はこれでもかと腰を曲げて、必死に頭を下げる。
聖女達の視線も感じるけど、今は気にならない。
これで、私の恋を終わりにしよう。
「……謝罪を受け入れます。この話は、これで終わりです。」
「!……はい。ありがとうございます。」
「私も………姫に謝らねばなりません。あの時、公衆の面前でしていい話では無かった。」
「いいえ!……クルーレ様が、そう仰ってくれるだけで…、」
私は救われる様な気がする。
「……それに、今なら貴女の気持ちが少し分かりますから。」
「……え?」
「私も美津相手なら、そういうのも楽しいかもと思える様になりました。まあ実行したら、お母様にお仕置きされるでしょうが……以前の私は、人との触れ合いを制限しすぎて潔癖に近かったのでしょう。ほんの少しの汚れも許せないほどに。」
キッチンに体を預けながら、また妖精達と談笑し始めた聖女を見つめるクルーレ様は、とても穏やかな表情で。
私が見たことの無い、柔らかで温かみのある微笑みをその麗しい顔にのせていた。
「………今は?」
「人には、美しい面と醜い面どちらもあるのだと分かりました。どちらに偏るかは本人と周囲の人間次第で、嘘一つ、優しさ一つで簡単に変わります。……貴女は、変わりましたか?」
聖女に同情されて。優しくされて。
クルーレ様の顔には、そう書いてあった。
「………。」
上から目線で私に指図するなんて、ちょっとむかつく。
能天気そうな高めの笑い声が大きくて、うるさくて気に障る。
でも………私が怪我しない様に様子を見て、手が荒れて痛くなったらかわいそうだと心配する聖女と妖精は、別に嫌いとかじゃないですわ。
自分でも複雑な表情をしていたと分かりますが、クルーレ様。私の顔を見て吹き出すのはおやめ下さい。
意外だわ。笑い上戸だったのですね。
……そんな所も、きっと聖女と出会ってから出てきた貴方の人間らしさなのでしょうね。
「ふふふ、…ああ。洗い物が終わったなら、席について下さい。」
「えっ?」
「お母様は食後にコーヒーか紅茶を欲しがるので、姫もどうぞ。今日は紅茶ですが、飲めるでしょう?昨日のおやつの残りでマカロンもありますから、座っていて下さい。」
「えっ!?ででも、」
「あー邪魔したらあかんねん。今クルーレさん、紅茶淹れるの練習中やから。」
「あの子、凝り性で。何か新しく始めるたびに納得するまで続けるんですよ?まあそのおかげで、苦手な風魔法もだいぶマシになってましたわ。」
「え、苦手やったん?確か、結界とか防音とかやろ?めちゃ使ってるやん!」
「いえ。それが、結界は無機物のみ。防音も自身の手を使うか耳を塞げる道具を強化するかだけで、自分以外の誰かを強化する事が苦手なんです。力加減が難しいらしくて。」
「ああ〜。そこでも馬鹿力。」
「成る程な。クルちゃんらしいっちゃらしい。」
「聞こえてますよ!私にだって出来ない事はあると何度も言ってるでしょう!?」
「………あははっ!」
シャリティア様と聖女に手を引かれる私は、色白のクルーレ様の頬がピンクに染まるのを初めて見て。
何日かぶり、……いいえ。
何年かぶりに、お腹の底からの笑い声を、私はあげた。
お城の中は、もう私を中心には回らないのでしょう。
メイドや騎士を可愛がるのも、もう無理そうだし。
洗い物がこれじゃあ、掃除と洗濯も先が思いやられるし。
クルーレ様にも、振り向いてもらえないと分かったし。
それでも、何故かしら。
もう、そこまで落ち込んでない私が居ますわ。
……お兄様、お父様。
『人』を学ぶって、『心』を学ぶって、とても簡単で、……私には、少し難しい様ですわ。
目印がないと、迷子になりそうなくらいに。
悔しいけど、むかつくけど。
私を普通に、平等に対等に接する聖女と妖精に、教えてもらう事にします。
しばらくの間、こっそりとですけど。
だから、本当は、まだ認めたくないですけど。
私をまたお茶に誘ってくれるなら、クルーレ様との結婚、許してあげなくもないわ。
だから、朝ご飯食べてない私に、マカロンもう一個!
紅茶も、もう一杯下さいな!
そう言ってカップとお皿を差し出した私に、聖女はふにゃりと笑い。
妖精は、自身のおやつ取り分確保に素早く動いた。
もう!小さい癖によく食べる妖精ですわね!
しかも、いつの間にか分裂して色違いで増えてますわ!
こら!そこの黒いの!私の分まで持っていくのはおやめなさい!!!
[姫が訪れる一時間前のお話]
姫が生まれた時に、母である王妃は亡くなり。
妻の忘れ形見を、歳の離れた妹を、猫可愛がりしていた王族二人。
何をしても怒られなかった事で、歪んでしまったであろう心。
クルーレに責められ、育てた張本人達にも責められ、日々、泣き暮らしている。
これまでの所業により、他のメイド達には見放され、自業自得とはいえ炊事洗濯掃除まで、全て自分でしなければならない。
一通りの作業が出来るようになるまで、教える為に通わせたい。
と、お姉様に説明され。
話を聞いて、うっすら涙を浮かべたみっちゃんとおかん。レオン様と殿下、ちょっと酷いと思った二人。
お姫様かわいそう、と思った二人。
ちょっとくらい、手伝おうかな、と思った二人。
でも、虐められた(と、二人は認識している)本人の目の前での手助けは、やっぱり気分良くないのでは?とも思った二人。優先順位は決まってる。
……でも、かわいそう。
チラリ、と二人でクルーレを見やる。
クルーレは二人と目が合うと。
にこり、と暗黒背負わない微笑みを浮かべ、頷いた。
血染めの死神のお許しが出た瞬間でした。
今回の内訳。
レオン様。好感度ダウン。
王太子殿下。好感度ダウン。
拷問姫。世話の焼ける妹、娘に昇格。
赤毛騎士。現在不参加の為、現状維持。
以上、みっちゃんとおかんの好感度査定でした(笑)




