聖女の隣国訪問[役割]
「黒騎士様。私は貴方が女神の愛子と思い、今から話します。」
「これ以上、私に何を、どうしろとっ!?全く意味が分からない!」
怒りに反応して魔力が膨れ上がるのが分かる。
おそらく耳も出ているだろう。
ピーター様の驚いた顔が視界に入るが、気になどしていられない。
「私がいとしご!?何処ぞの獣人に無理矢理孕まされ、それでもかけがえのない命だと救ってくれた母を、私が殺したのに!!?」
私さえ産まれなければ、死なずに今も、母は家族と笑っていた筈なのに!!!
目の前が真っ赤に染まる。
喉元を掻き毟って爪が血に滲むが、そうでもしないと周りのものを破壊し尽くしてしまいそうになる。
ぐるる、と動物の様に唸り心ごと自身が獣になった様な気分になる。
「………………………………………、貴方は憎いのですか?父親が?」
「………当たり前だ。」
「目の前にいたら、どんな方法でも復讐すると?」
「……この世の痛みという痛みを与え、嬲ってやりますよ。簡単に殺してなんかやらない、絶対に。」
誰が許すものか。
「……………逆転している?これは……まさか、」
「何をごちゃごちゃとっ……!」
怒りに任せて暴走する魔力で執務室の窓に亀裂が入る。
流石に異変を感じて騎士や兵が執務室に集まって来たが、ピーター様が大丈夫だと追い返してしまった。
何を考えているのか。
「………今の私とこのまま居ると、何をされるか分かりませんよ?」
「いえ、貴方はそのような事しません。私がある言葉を言えば、ですが。」
「は?何を馬鹿な!」
「聖女に嫌われますよ?」
「!」
「私に酷いことをすると、優しい聖女は貴方を嫌いますよ?」
言われた途端、怒りに飲み込まれていた意識が帰ってきた。
砕けそうだった窓ガラスの振動も止まり、私はその場に膝をつく。
嫌われる。美津様に。……私が?
もう彼女に……あいしてもらえない?
そう考えた途端、全身に悪寒が走った。
凍えるのではないかと言うほどの寒気だった。
「い、嫌だ。嫌だ、嫌だ嫌だ!やっと、やっと私の人になったのに!私の、私の妻になると言ってくれたのに!」
身体の震えが止まらない。涙が止まらない。
涙なんて、こんな、子供みたいな………。
意味が分からず困惑する私の近くにピーター様も膝をついた。
「暗示が強く出すぎましたか……落ち着いて下さい。深呼吸すれば大丈夫ですから。」
「わ、わたしになにを?こんな、こんな………。」
「私ではなく、女神による呪いです。………いやいや、此度の聖女召喚は想定外が多すぎる。これは、何かの前兆かもしれませんね。」
私の能力は知られているのだろう、ピーター様は私には触れようとはしないが気遣わしげな顔でハンカチを貸してくれた。
立ち上がりまだ無事な椅子(いくつか私が破壊していた)を勧められ、王族相手に紅茶まで差し出され、………騎士として失格である。
ここでやっと、私の心は獣から人に戻った。
「………申し訳ありません。どの様な謝罪をしても、他国の王に対して私は、私は何という事を……。」
「いえ。女神の呪いはとても強く、抗うことなど出来ません。彼らも、夢から目覚めて前日まで険悪だった相手に愛を告げ、それを拒絶される事を死よりも恐怖する様になったらしいので。……今の貴方の様に。」
「それは……私が、歴代の彼らが受けてきた呪いが施されていると?」
「おそらく、ですが。先程の言葉も、側に供給者が居ない時に周りの者が嗜める為に使っていた言葉でしたから。」
「そう、ですか………。」
彼女も以前言っていた。私が美津様を好むのは女神のノロイかもしれない、と。
…………本当にそうだったのか。
それでも構わない。
姫が戻ってきたあの日二人でベットに寝転びながら、私は自身に誓った。
あんなにも私の事を考えてくれた、優しくて可愛い、少し淋しがりやな彼女を手放す事などもう出来ないのだから。
「詳しくは分かりません。しかし貴方の精神状態、それに先程叫ばれた過去……今までに招かれた彼らと似通った部分が多いですね。貴方の能力や環境をを考えるに、ストレスが少なくなる様に女神が施したのかもしれません。………しかし、今の聖女様と貴方には少し、酷な事です。貴方だけは、それさえすぐに忘れてしまうでしょうが。」
「……どうなるのですか?」
まだ何かあるというのか。
「瘴気を回収し終えた彼らは、女神の山の火口に瘴気と同化した女神の魔力と…女神に施された呪いを移した特別な水晶玉を投げ込み、マグマの炎によって焼き、浄化します。招かれた方々はただの人に戻り、呪いによって与えられた愛情と思い出も共に消え、本人達は問題なくその後を過ごします。」
「は?」
「人に戻ってしまえば、帰る場所も無く魔法一つ使えない彼らは哀れです。救われた事に変わりはないと、王家で援助しながら小さな村で余生を過ごして頂きました。……供給者は、元の彼らの性格を知っていますから、相思相愛になっているわけもない。身体から苦痛が消えて自由の身となります。」
「ちょ、待って……意味が、」
情報量の多さに頭がうまく回らない。
ピーター様は何を言っている?
人に戻る?消える?…………………何が、消えるって?
ピーター様は話すのをやめてくれない。
無表情なのに。ただただ悲しそうな、苦しそうな声で話す。
「呪いを残し続ければ供給者はいずれ命を削り、長くは生きられません。なので瘴気と共に呪いも浄化するのです。そしてこの時、与えられた愛情と記憶も消えます。……貴方が呪いを受け、己の魔力を対価として支払っていないというなら、供給者は聖女様しかありえない。」
瘴気を回収する為に女神から与えられた膨大な魔力を持つ聖女ならば可能だと。ピーター様は言う。
「……………、」
「今、聖女様はお元気そうです。しかし瘴気を取り出せば同時に女神の魔力も無くなり、彼女はただの人に戻ります。今まで招かれた方々も魔力を持っていなかった事から、彼女もそうでしょう。……そんな彼女が、供給者として支払えるのは己の命しかありません。」
「……………おのれの、いのち。」
しぬ?かのじょが?
あのだれよりもやさしい、かわいい、わたしのいとしいひと。
わたしがあいしたままだと、かのじょはしぬ?
「…………………………………。」
「黒騎士様?」
「………彼女に話すのは、私にさせて下さい。」
「それは、」
「どうか、お願いします。この国の瘴気を、回収し終わるまでで良いのです。私に、……時間を、下さい。」
ピーター様は表情を変えず、それでも了承してくれた。
「貴方は女神の愛子です。託宣に従い、出来る事はしましょう。」
「………有難うございます。」
私は瘴気を回収し終わるまでの城の滞在と、私と彼女の部屋への立ち入りを限りなく制限してほしいと願い、執務室を後にした。
首の引っ掻き傷を忘れずに治してから。
彼女が、私の異変に気付いてしまわぬ様に。
執務室を出て廊下を歩く事数分。
「………………………美津、様。」
角を曲がると正面の廊下の壁にもたれて、私に気付いた彼女がこちらに手を振っていた。




