山
登り始めてどれくらいの時間が経ったのだろうか。
駅から歩いてくるときには、前を向いても視界に入っていた太陽も気が付けば真上を過ぎて、足元に小さな影を作っていた。
ようやく着いた山頂には柵で囲われた展望スペースに10人程の人が思い思いの行動をしている。
この景色が最高のおかずだと言いアルミを剥いておにぎりを頬張る家族。
自分達が歩いて来た道を指差しながら思い出話をする男女。
安定しない足場に悪戦苦闘しながら三脚を設置する父親とそれを見て笑っている家族。
名前も知らないお地蔵様のいる社に食べ物を御供えする老人。
友達に知識を ひけらかして自慢げに石を積み上げて蹴られそうになって怒っているグループ。
目を閉じて大きく深呼吸をしている両親。
そして、そんな人達の靴や脚しか碌に見えず、精々が麓からも見えた青い空と白い雲という現実に、一緒に登って来たポテトチップスと同じ様に頬を膨らませた私。
嫌がる私を無理矢理登らせておいて放置するという、一体何がしたかったのか少しも理解出来ない私は、なんとなく、意趣返しのつもりで、両親を困らせようと道にまではならず、ただ足の踏める場所だけは飛び飛びで土が顔を出し、人が立ち入らなそうな上へと続く木々の細道を進んで行った。
細道を抜けると、何もなかった。
人も居らず、柵もなく、ごろごろと岩が置かれ、足元は乾いた地面が剥き出しで、ところどころに石の角がとびだしている、そんな所だった。
自分で見つけたからか、それとも誰にも見つけられないようにした秘密基地の様だったからか、私はそこに着いた瞬間にとてもわくわくしていたのだ。
だからなのだろう。目に映る興味を持った物の方へどんどんと、開拓をしていくかの如く足が踏み入れられていないであろうところへ進んで行ってしまったのは。
気が付いた時には陽の光も木の葉で隠されているような、人気も無い所に迷い込んでいた。
来た道を引き返そうと後ろを振り向いても道などないし、子供の体重ではろくな足跡も出来る訳もない。大きな木を避け、歩きにくそうな石を避け、気になる物がある度にあっちへこっちへとしたせいで、どの方向に行けばいいのかも分からなくなっていた。
鳥も鳴かず、たまにどこかへ飛んでいく音がするだけでその姿を見ることもない。
あの人が現れて声をかけてくれたのは、鳥たちがまるで私から逃げているような気持ちになり、孤独に泣きそうになった時だった。
「こんなところに迷い込んでいたんだね」
彼はズボンの裾を土と草の汁で汚し、私を探して周りばかりを見ていたせいなのだろう。顔には小枝に当たって出来たのであろう擦り傷をいくつも作って、それでも不安を感じさせない笑顔でやってきたのだ。
その後は片方の手に方位磁石を持って、もう片方の手で私の手をしっかりと繋いで山頂まで連れて行ってくれた。その間にいろいろな話をした。鳥たちが私から逃げて行ったこと、
山頂でも景色が見れなかったこと、ポテトチップスも一緒に脹れてくれたこと、父がおぶってくれなかったこと、草の上を歩くと足が滑るけれど柔らかいから歩くと面白かったこと、石の階段が大きくて横の木の根があって良かったこと、ほかにも色々な話をした。
山頂に戻ってくると彼は私に肩車をしてくれた。そこから見える景色は今まで見たことのないものだった。手前には緑、横には凸凹の山、正面にはどこまでも続く広い空、緑の隙間から川や湖がちらちらと見えた。
そうやってしばらく景色を眺めていると、私がいなくなっていたことに気づいた両親が慌てた様子で登ってきて、肩車をされている私を見つけると、ホッとしたようにも、勝手にいなくなったことを怒ってもいるようにも見えた。
「この子のご両親ですか?こんな山頂標識しかないようなところに一人で登って来ていたので心配だったんです。鈴を付けていたのですぐに気が付けて良かったです」
「あ、いえ。すいません。ご迷惑をお掛けしたみたいで」
「ほら、お父さんとお母さんがお迎えに来てくれたよ」
そう言いながら、しゃがんで私を降ろすと目を見て話しをしてくれた。
「―――――――――
あの時、あの人が何と言ってくれていたのか、何度この場所に戻ってきてもそれを思い出したことが一度もない。あの景色も、疲労も、不安も不満も、他のことなら思い出せるのに、あの言葉だけが思い出すことができずにいた。
展望スペースはあの頃と変わらずお昼ご飯を食べる人や写真を撮る人達がいる。太めの木と綻びの見えるロープで作られていた柵は、いつのころからか、細い金属質な物に変わっていた。お地蔵さまのいる社は新しくしたのであろう。雨に晒されない屋根の陰の部分に使われている木材はまだ明るさを残している。
そして、屋根の板の上には風で飛ばないようになのか、誰かのイタズラなのか石が置かれていた。
あの頃と変わらず山頂標識しかない山頂に来て 麓のほうを見てみると遠目からでも判るコンビニの看板や新幹線のための高架が絵に影が差しているかの様に隠している。
私一人では見ることができなかったはずの景色が当たり前のように目の前に広がっている。この景色を見るたびに時間の流れを突き付けられるようだった。
何をするでもなく、ただその景色を眺めていると、男の子が跳ねるように登ってきた。
そして、私を見つけると少しがっかりとしたような、拗ねたような表情を見せた。きっと誰もいない山頂に一番に着いたと思っていたのに私がいたことが不満だったのだろう。
男の子は近くにあった大きめの岩の横にザックをどかりと降ろすと岩の上に上ると窪みに足を掛けて空を仰いだ。私もザックを降ろしてその隣に腰かけると、普段は絶対にしないのに、なぜか男の子に話しかけていた。
「山は、好き?」
「別に」
「ここは、登るの初めて?」
「まあ」
「よくこの道見つけられたね」
「あんなの簡単に見つかるよ」
初めはそっけない態度だったけれど、話をしていく中で少し得意げにここまでの事を教えてくれた。
それほど長い時間ではなかったと思う。男の子のお腹の虫が鳴いたのを合図にお別れをした。どうやらお昼ご飯はご両親が持っているらしい。岩から飛び降りてザックを背負って戻って行こうとする背中に声をかけて、私のザックに着けていた鈴を外すと男の子のザックにプレゼントをした。
よく分からないけれど、物をもらったからお礼を言ったといった感じの「ありがとう」を言っって今度こそ去っていく背中に小さく手を振った。どんどんと小さくなる鈴の音が遂に聞こえなくなると私もザックを背負い山を降って行った。
あの人に会えればいいと思って登っていた。会えないだろうと思って登っていた。
両親が何を思って登らせていたのか知りたいと思って登っていた。分からないだろうと思って登っていた。
ずっと会えなかった。ずっと分からなかった。でも今日、それでもいいと思えた。
私はもう、ここに来ることはないだろう。
今日までここで出会えた多くの人と長い時間をかけて出会わせてくれた山
『人』と『山』に感謝を・・・
元々の内容とだいぶ変わってるおかげで 文字数が減って間に合いました 。
書いたものに目を通すと
書くのと読むのにかかる時間の差にむなしくなりました。




