Rhapsody in Chocolate
バレンタインなので、糖分が書きたいというだけのお話。
本編の二人はまだどうにもならないので、こちらのお二人で。
もうじき2月というお休みの日、私は環ちゃんと二人でカフェの新規開拓に出かけていた。
「なんというか、バレンタイン一色だねぇ」
環ちゃんが、ぽつりとつぶやいた。
「……お店に箱とか用意した方がいいのかしら」
そう言うと、微かに顔がしかめられたのがわかって、思わず笑いがこぼれる。
昨年、バレンタインにチョコを山ほどいただいたのを思い出したんだろう。
「チョコレート、そんなに好きじゃないんだけどな」
苦笑いをする彼女は、最近とても綺麗になった。
元々すごく整った顔立ちをしているけれど、そこに輪をかけて色気が出てきちゃったものだから、一人で出かけさせると危険極まりない。
……危険と言うならば、別の意味では私も人のことは言えないけれど。
私と一緒だとカップルとみなされるのか、二人とも平和にお出かけできるのがありがたい。
「バレンタインかぁ……」
そう言いながら思い出すのは、大好きで大切な私の恋人。
恋人になってから初めてのバレンタインだから、チョコレート渡してみようかな。
……いや、無いな。
そもそも、甘いものを食べてるところを見た覚えがない。
「そういえば、日本に帰ってきたとき、チョコレート一色な事にはものすごくびっくりしたのよね」
「そうなの?」
「イギリスのバレンタインはこんなチョコレート祭りじゃないもの」
「へぇ?」
「お菓子を送ったりすることもあるけど、カードを送り合ったりとか……ひとそれぞれね。決まった形はないし別に女の子の告白の日ってこともないし、こんなチョコレート一色にはならないわ」
「ああ、確かに聞いたことある……」
日本もそうだといいのに、と呟いたのは聞こえなかったふりをしてあげた。
それはそれとして。
「ねぇ、やっぱり今年もチョコケーキする?」
「そうだねぇ……。去年、意外と好評だったし、今年はやらないって言うのは問題かも……?」
「個人的にあげにくい人にもあげられるし?」
「は?」
ちょっとカマをかけてみたけれど、きょとんとされてしまった。
ああ、まだ駄目か。あの状況でこれか!
こーちゃん、先は長いわ。頑張ってね。
心の中で、彼女に恋をしている再従兄にエールを送ってしまう。
「んーん、なんでもない。じゃあ、今年もするってことでいいよね。私も頑張るから」
そう言うと、にこりと笑った環ちゃんは
「お店の方もだけど、みぃは“彼氏さん”に何かしないの?」
と優しい声で尋ねてきた。
「うーん。甘いもの、あんまり好きじゃないみたいなんだよね……」
「そうなの?」
「うん。だから、どうしようかなーって。そもそも日本のバレンタインに乗っかる理由がないというか……」
「……日本にいるんだから乗っかっても良いと思うし、みぃからのは受け取ってくれるような気がするんだけど」
「でも、好きじゃない物あげるのもどうかなって思うのよ」
渋面を作る私とは反対に、環ちゃんは、それはそれは綺麗な微笑みを浮かべた。
「大丈夫だよ。大事なのは、気持ちなんだから。それは日本でもイギリスでも一緒でしょ?」
うっかり見とれた私は、深く考える間もなくこくんと頷いてしまった。
「甘くないチョコのレシピもあるから、それ試してみよう?」
「環ちゃん、大好き!」
20cm近く上にある顔を見上げて笑うと、にっこり笑いながら頭を撫でてくれる。
「がんばれ」
「うん!」
……透さん、喜んでくれるかな。
「ついでに、ちょっとくらいドキドキさせてみたいな……」
ぽつりとこぼれた呟きに、環ちゃんの目が丸くなる。
「じゃあ、それも一緒に考えてみようか。そっちはあんまり力になれないだろうけど」
「ありがとう!」
もう色々とありがたすぎて、ぎゅっ、と抱き着く。
その私を軽々と受け止める環ちゃん。
頭の片隅で、これたぶん他所から見たらバカップルに見えるんだろうなぁ、なんて思った。
環ちゃんが教えてくれたチョコは、ビターチョコと言うよりカカオと言った方がいいんじゃないかと思うくらい甘みが少なくて、だけど苦いだけじゃない、究極のバランスを持ったものだった。
「ブランデーはちゃんと火をつけてアルコール飛ばしてね。そのまま入れると分離するよ」
「えっ? そうなの?」
「生クリームに入れてからチョコと混ぜるから、多少は残ってても大丈夫だけど、チョコレートにそのまま入れると見事に油が浮くよ」
「そうなんだぁ……」
基本的に焼き菓子しか作らない私は、チョコレート作りは完全初心者。
環ちゃんの教え方がいいのもあって、今のところ失敗せずに作ることができている。
「外側はカカオにちょっとだけ砂糖入れたのでいこう。で、ガナッシュにブランデー入れて。って、筧さんお酒大丈夫なのよね?」
「あ、うん。しかもビールよりブランデーとかウイスキーの方が好きみたい」
「安くないひとだねぇ」
「でも、プレゼントには困らないよ?」
「そっか、珍しいのとか探すの楽しそうだね」
くすくすと顔を見合わせて笑う。
「まさか環ちゃんと恋バナする日が来るとは思わなかったわ」
「いやいや、一方的に聞かされてるだけでしょうが」
「んふふ。そのうち期待してる」
だって、もうそこまで来てるの知ってるもの。
「期待されたからってできるものでもないと思うんだけど」
苦笑する環ちゃんには悪いけどね。
ガナッシュに入れるブランデーを変えてみたり、外側のチョコレートに入れる砂糖の量を加減してみたり、何度か試作を重ねたトリュフチョコは、自分でもかなり自信を持てるものになりつつある。
「ところで、みぃ?」
「なぁに?」
「海原さん、お付き合いのこと知ってるの?」
あー……
「ううん、まだ知らない」
「……それって大丈夫なの?」
きっと環ちゃんの頭には、自分が男性だと思われていた時のあれこれが思い浮かんでいるに違いない。
「ええと、まぁ……ね」
言えない。
環ちゃんとのことにケリがつくまでは、こーちゃんにだけは内緒にしようって決めてるなんて。
だって今ばらしてごらんなさい。
こーちゃんってば自分の恋愛そっちのけにして私に構いそうなんだもの。
「もうちょっと、黙っててもいいかなって」
「ふぅん……。まぁ、私が口出しすることじゃないから、いいんだけど」
まさか環ちゃんに『あなた方のせいです』とは、口が裂けても言えないし、言うつもりもない。これは私たちが勝手に決めたことだ。
今年のバレンタインデーは平日なので、直前の土曜日、お仕事上がりに待ち合わせをして食事に行くことになった。
「仕事上がりって、大丈夫なのか?」
ゆーくんが心配そうに言ってくれるけど
「スケジュール管理をしてる張本人だもの」
と答えると、肩をすくめて苦笑いを浮かべた。
「確かにそうだな。じゃあ、緊急案件が飛び込んでこない事だけ祈っとけ」
「それはもちろん」
祈りが通じたのか、無事お仕事は終わったらしい。
こーちゃんもすでに帰宅したそうで、これで不安材料はなし。のはず。
いつもより少しだけ気合を入れて、ワンピースに編み上げのショートブーツ、ふわふわのケープコート。
髪もお化粧も、仕事が終わってからちゃんと直した。
「おかしくないかな」
「大丈夫。いつもより可愛い」
環ちゃんのお墨付きなら、大丈夫だよね。
「あ、そうだ。ドキドキさせるおまじない、教えてあげる」
「おまじない?」
「うん。チョコを渡したら、一粒目は、みぃが食べさせてあげるといいよ。その時『あーん』ってやってごらん。絶対ドキドキさせられるから」
にっこりと笑みを浮かべてそう教えてくれる。
……想像しようとしたけど、ちょっと無理。
私がする方は簡単に想像つくんだけど、透さんの反応が想像できない。
そう言うと、環ちゃんはふわりと口元に笑みを浮かべた。
「実行するかどうかはみぃ次第だよ。でも、覚えておくといいと思うな」
というか環ちゃん、そんなことどこで覚えてくるの。
私はそっちが気になるよ……
待ち合わせは、Marginalからだと1つ隣の駅。
「ごめんなさい、待たせちゃった?」
「んや、1本前の電車だっただけ。……可愛いかっこしてんな」
あ、気付いてくれた。
そんなことで、ふわっと気分が浮き立つ。
……私ってこんなに単純だったっけ。
透さんとお付き合いするようになってから、私は自分でも知らなかったところを次々見つけている。
だけど、デートの度に思う。
「まただね」
「何が」
「さっき通り過ぎた女の人。透さんに見とれてた」
「それ言ったら、あんた連れて歩くと野郎どもの視線が痛くて仕方ないんだけど?」
「そんなことないでしょ」
「そんなことあるんですよ」
私の口調を真似る透さんと、くすくす笑い合う。
確かに、よく見られてるのは知ってる。
でも同じ”見られる”のでも、私のと透さんのには、決定的な違いがあると思う。
私のは、何ていうか、観賞物を見てるって感じ。お人形とかぬいぐるみとか見てるような、そういうもの。
透さんのは違う。
背が高くて、ハンサムで、見た目からして仕事ができそうな雰囲気があるんだもん。所謂”優良物件”に見えるよね。いや実際そうなんだけど。
そんなひとを、手に入れたい、って欲望の眼差し。
私がつらつらとそう言うと
「俺にはよくわからないんだけどさ、それはそれでムカつく」
「え?」
「だって、人の恋人捕まえて人形みたいだって言ってるようなもんだろ? 冗談じゃない」
あれ。
結構本気で嫌がってる?
「当然だろ。恐ろしい保護者の目ぇ掻い潜って手に入れたのが人形だなんてぞっとしねぇ」
うーんと……
「ま、わからんならわからんでいい。だけど、俺はあんたしか見てないから、安心しな」
旋毛に口元を寄せるようにして囁かれた言葉に、頬が熱くなった。
私はともかく透さんはそれなりに顔が売れてるので、あまり大っぴらに外食ができない。
気を付けないと、知り合いとか取引先とかに出くわす可能性がある。
そこからこーちゃんにばれるとかホント洒落にならない。
だから、透さんのプライベートな知り合いがオーナー兼シェフの、小ぢんまりとしたレストランをよく使う。
内装も可愛くて、私もすっかりお気に入り。カーテンやパーティションで上手に仕切られた店内は、席同士も程よい距離が取られていて、半個室のようになっている。
「なんていうか、こうやって人目を忍んでのデートって、ちょっとワクワクするよね」
「なんだそりゃ」
「だって、芸能人みたいに何が何でも極秘に、っていうわけじゃないでしょ?」
「まぁ、そうだけど」
「そういうちょっとしたスリルが楽しいの」
そんなものかねぇ、と苦笑いする透さん。
うん、わかんなくてもいいよ。
だけど、そんなことでも私は楽しいの。
楽しいデートも、当然おしまいの時は来る。
「今日も楽しかったぁ。ありがとう、透さん」
にこりと笑いかけると、なぜか眉間に皺が寄った。
「あんた、こんなんで満足なわけ?」
……ん?
「確かにお食事しただけ、って言ったらそうなんだけど、私はそれでも嬉しいの。本当よ?」
というか、さっきも言ったじゃない。
ちょっとしたスリルが楽しいって。
「そっか……。いや、あんたがいいってんなら構わないのかもしれないんだけど」
ちゃんとしたデートって、出来てないだろ。
少し拗ねるようにそういうのを聞いて、じわじわと嬉しさがこみあげる。
「じゃあ、こーちゃんと環ちゃんの件がうまくいったら、連れてって?」
首を傾げてそう言うと
「うまくいかなくても、そん時は見せつけてやる」
なんて言うから
「絶対にうまくいくよ。私が言うんだもの、間違いないわ」
つん、と顎を逸らして言ってみせる。
「その自信はどこから来るんだろうな」
仄かな苦笑に、胸が騒ぐ。
ああ、こういう表情、好きだな。
じっと見上げると、目を細めて見下ろしてくる。
「どうした?」
こういう時の、柔らかくて深い声とか。
目を細めて見つめてくれるのとか。
大好き。
大好き、だけど。
──私は、本当に、透さんと釣り合ってる?
そんな不安が頭を掠めて、思わずバッグをぎゅっと抱きしめた。
……あ、いけない。
慌ててバッグを開けて、小さな箱を取り出す。
よかった、潰れてない。
「あのね透さん、これ……。バレンタインのチョコ。受け取って、くれる?」
透さんの目が、僅かに瞠られた。
あ、だめ。直視できない。
箱を差し出したまま、思わず顔を伏せてしまう。
「……ありがとう」
という声とともに、ふ、と指先の重さが消えた。
箱を受け取ってくれたのがわかって安心した、次の瞬間。
「これ、食べさせてくれねぇ?」
そんな声が、聞こえた。
にやにやと笑っているかと思って顔を上げると、そこにあったのは。
「あんたの手で、食べさせて」
シルバーフレームの眼鏡の向こうに、凄絶な色気を宿して細められた瞳。
体が、一気に熱を上げる。
「ね?」
私よりもずっと年上で、ものすごく大人なはずなのに、その瞳は熱を湛えて揺れているのに。
そうやって首を傾げると、子どものようにも見える。
だけど、この人はそういうのも計算でやってのけてしまえるっていうことも知ってる。
今は、これは、どっち……?
「……っ」
震える指先で、彼の持つ箱のリボンをほどき、箱を開ける。
中に並んでいるのは、ブランデー風味のトリュフチョコ。
美味しくなくなる一歩手前まで甘みを削ぎ落としたそれは、我ながらものすごく美味しく出来上がった。
一粒、つまみあげて。
「……あーん」
環ちゃんが教えてくれたおまじないを口にする。
透さんの切れ長の目が、一瞬丸くなった。
すぐにふっと笑みの形に細められて、そのまま閉じると
「あーん」
と口を開けてくれた。
その無防備な表情と口調に、鼓動が跳ねあがる。
口の中へチョコが転がり込むと同時にぱくんと口が閉じられて、指先が唇に挟まれた。
「ひゃん?!」
妙な悲鳴を上げて、慌てて指を引っ込める。
指先に感じた熱だとか美味しいと思ってもらえるかとか、諸々が頭を駆け巡って、心臓がどきどきして落ち着かない。
もぐもぐと動く口元を見つめていると、くっと口端が上がった。
「……美味し」
ぺろり、と唇をなめる仕草に、また心臓が跳ねる。
心臓、うるさい。ちょっと静かにして。
「なあ、これ、あんたも食べる?」
「ちゃんと味見したからいいよ」
「そうじゃなくて」
「?」
意味が分からなくて首を傾げてしまう。
すると、長い指が一粒つまみ上げたかと思うと、ポイ、と口に放り込んだ。
そして。
「ん・・・」
そのまま、私にキスをした。
舌の上でとろりと溶けたチョコレートが、口の中で絡み合う。
ブランデーの風味が脳を直撃して、くらくらした。
「美味しい?」
悪戯っぽく目を細めたその顔を直視することができなくて、顔を伏せる。
それでもかろうじて頷いた。
「ありがと。すっげぇ美味い。こんな美味いチョコ食ったの生まれて初めてだ」
その言葉に、ぱっと顔を上げる。
「そんな、大げさだよ」
「俺にとっては大げさでも何でもない。ついでに言うと、義理じゃないチョコ貰ったのも初めてだからな」
「うそ……」
「ここで嘘を吐く理由がどこにもカケラほどもないんだけど」
「う……や、まぁ……」
だって、だって!
そりゃ意地悪だしひねくれてるし意地悪だし悪だくみ大好きだし意地悪だし、でも。
黙ってればものすごくかっこいいひとなんだもの。今までに外見に騙された人がいたって全然おかしくない。
それに……
「・・・お い」
「うん?」
「あんた今、なんかものすごーーーーく妙なこと考えてないか?」
「いや別に意地悪とか黙ってればかっこいいとか……ぁ」
「ほっほーぉ?」
さぁっと青ざめる私とは対照的に、彼はすぅっと楽しそうに目を細める。
「仮にも恋人にずいぶんな言い草だね、お嬢様?」
「ち、違うの!」
「何が違う」
ぎゅっと手を握り締めてうつむくと、焦るあまりに思ったことをそのまま口にしてしまう。
「確かに意地悪だしひねくれてるけど黙ってればかっこいいから外見に騙されたって人もいるんじゃないかとか思ったけど」
「おいコラ待て」
「ほんとはすっごく優しいってことも知ってるから、私以外にもそれを知ってる人がいたって不思議じゃないなって思ったの! こんなにかっこよくて優しい人、モテないわけがないじゃない」
途中でかけられたストップを無視して、一息に言い切る。
しまった、ここまで言うつもりはなかったのに。
あぁぁ、顔あげられない。
真っ赤になっているに違いない顔を押さえてうつむいていると、頭上から呻き声のようなものが、聞こえた。
そろりと前髪の陰で視線を上げると、片手で顔を覆って上を向いた透さんが目に入る。
「うっわ……。ちょっと待って。このイキモノどうしろって……」
ぶつぶつと小さく呟く言葉は意味が分からない。
30cm近く上にある透さんの顔は、上を向かれてしまうと私には見えなくなる。
……どうしよう、やっぱり言っちゃダメなことまで言っちゃった?
不安が喉に詰まって、息が苦しくなる。
そろりと手を伸ばして、透さんのコートを掴んで。
お腹に、ぽす、と額を当てた。
「え?」
なぜか両手をHoldupした透さんが、戸惑ったように声をあげた。
「……ごめんなさい」
「え?!」
勝手に涙がこみ上げる。
泣きたいわけじゃないのに。
というかこの状況下で泣くとか、私どれだけ卑怯なの。
頭上でわたわたと慌てているのがわかるけれど、私は私で、涙をこらえるので必死だった。
おかしい。
こんなに自己制御の効かない性格はしてないはずなのに。
きりきりと唇をかみしめていると、
「あー……もう!」
という声とともに、片腕で抱き上げられた。
「ちょっとこれ持ってて」
ぽん、と手のひらに乗せられたのは、残り一粒のチョコが入った箱。
条件反射で箱のふたを閉じる。
「ん、ありがと。それから、ごめん」
子どものように縦に抱き上げられて、やっと目線が同じ高さになる。
こつん、と額が合わされて、真正面から瞳を覗き込まれた。
「ごめんな、不安にさせた」
柔らかな声に、ぷるぷると首を振る。
元はと言えば私が悪い。
「今のは、私が悪いから……」
そう言うと、
「あぁまああれはちょっとどうかとも思うけど。ただそれが強ち間違ってないのも事実だしな」
と苦笑いを浮かべた。
「……いいこと教えてやるよ」
悪戯っぽい口調に、首を傾げる。
「俺の外面の良さは海原のお墨付きだけどさ、その状態で俺の本性見抜いたのあんたが初めてなんだよ」
ん、ん? ええと……?
「8つも年下の女の子が俺の本性を見抜いて、その上で手を組もうって言ってきた時、どれだけびっくりしたかわかるか? 本気か? って思ったね。正直、狸爺どもの罠かとも思ったし」
あー……
わからなくは、無い。
「ただ、俺へのハニートラップだとしても、あんたが可愛すぎたから」
思わず頬が膨らむ。
「お子様で悪うございましたね」
「違う違う。万が一ハニートラップだとしても、トラップじゃ無くせばいいだけだって思ったんだ」
……はい?
「ごめん、意味が分からない」
「うん、だから」
ちゅ、と唇に触れるだけのキスを落として、にっこりと笑う。
「俺と敵対してるからトラップになるんだろ? なら、こっちに引き込めばトラップにはなりえない」
「……その心は?」
「本気で落とせばいい」
今度は下唇を舌がなぞった。
「……っ!」
「あーあ、噛むから傷になっちまってる」
噛んでたのは内側だから、気付かれないと思ってたのに。
「これでもあんたの性格はわかってるつもりだよ」
片腕で私を抱き上げたまま、指先で頬にかかった髪を払ってくれる。
「うっかり噛みしめて表面に傷がついたら、そんでそれを海原あたりに見つかったら話がややこしくなるし、タマキさんには怒られるだろうね。だからあんたは、無意識に制御したんだろ」
……さっきその制御が効かなくて困ってたんですけど。
指先が、つぅっと目尻をなぞる。
僅かに残っていた涙の名残がぬぐい取られていった。
「それはまぁ、俺が悪かったということで」
「そんな……!」
違うのに。
「じゃあ、酒のせいってことにしとけ」
「・・・さけ?」
「さっきのチョコ。あれ、結構ブランデー使ってるだろ」
「……アルコールは飛ばしてあるんだけど」
「気のせい。だからあんたは、チョコに入ってた酒のせいで、ちょっと自制心が緩んでただけ」
それでも反論しようとした私の口は、問答無用でふさがれた。
透さんの、唇で。
「……ん」
深いキスに、口の中だけじゃなくて心の中までも暴かれていくような気持ちになる。
ああ、やっぱりこの人にはかなわない。
どれだけ背伸びしても、この身長差のように届かない。
今こうして抱き上げられているように、結局甘やかされてしまう。
「悔しいな……」
ぽつりとこぼれた呟きに、透さんの目が先を促す。
「どんなに頑張っても、結局透さんには敵わないんだわ。今日だって、少しはドキドキさせられたらって思って頑張ってみたけど、やっぱりこうやって子ども扱いされちゃうんだもの……」
言いながら、だんだん目線が下がってしまう。
「あんた今日、そんなこと考えてたの?」
「そんなことって……!」
ぱっ、と上げた視線の先。
至近距離で見つめられた瞳に、視線ごと心を絡めとられる。
「あんたも案外ばかだねぇ」
「っ、ひど……」
「あー、違うから」
もちょっと我慢しようと思ってたけど、もういいや。
謎の言葉をつぶやくと、私を抱き上げたまま、透さんは歩きだす。
「あの……」
「ん? どした?」
「いやあの、『どした?』じゃなくて、どこへ……?」
「んー。着いてのお楽しみ?」
えぇと……
「えっと、じゃ、自分で歩くから……」
降ろして、という言葉は言う前に遮られた。
「だーめ」
「どうして」
「逃げられると困るから」
ええぇぇぇ……
そのまま歩くこと約15分。
というか、私がいくら小さいって言ったって、一応成人女性なのよ?
それをほぼ片腕で抱えたまま歩くって、どんな腕力してるの? そりゃ途中で腕は変えてたけど!
そう言うと
「いや、ちょっとくらい疲れとかないとやばそうで」
と、再び謎の言葉が返ってきた。
「?、??」
「ま、こっちの話。……はい、到着」
とん、と降ろされたのは、まるでモデルルームかと思うほど整えられた部屋の玄関。
……あの、ここはもしかして。
「俺んちへようこそ、お姫様」
あ、やっぱり。
って、えええっ?!
「や、やっぱり私帰る……っ」
くるっ、と踵を返そうとした体は、長い腕で抱き留められた。
私の横を通り過ぎたもう片方の手が、ドア横のパネルを操作する。
ピ、と高い音が響いて、私の緊張を否応なしに煽る。
これ、もしかしなくても電子ロックとかいう……
心臓が、痛いくらいに速く鳴り響く。
「あの……」
背中から抱き留めたまま動かない透さんに、焦れたのは私の方。
「どうして……」
「もう、だめだ」
問いかけようとした声は、妙な強さを秘めた囁き声にかき消される。
「え?」
「もう無理。あんたが欲しい」
あまりにも直球の言葉に、思考ごと体が硬直する。
「海原のとこが片付くまで待とうって言ったけど、そのつもりだったけど」
あんたが、煽るから。
そう言って、旋毛に柔らかなキスが降りてくる。
「あ、煽ってなんか……」
「煽ったよ。なんだよドキドキさせたいって。こっちはずっと、余裕ぶるのに必死だっつーの」
「……ぇ?」
「俺はね、あんたが思うよりずっとガキなんだよ。だけど8つも年下の子に呆れられたくなんかないから。だから、必死で余裕の表情貼っ付けて大人の男を演じてんだよ」
私をぎゅっと抱きしめる腕の力は、強いのに苦しくはない、絶妙な力加減。
その腕に、そっと手のひらを添わせる。
「……私、透さんをドキドキさせられた?」
「してたって言ってるだろ」
若干食い気味に言い返されると同時に、顎を掴まれて唇をふさがれる。
斜め上を向かされた首が少し苦しい。
だけど、私に覆いかぶさるように体をかがめる透さんの方が、もっと苦しいはず。
唇が一瞬離れた隙をついて、くるりと体を反転させた。
両腕を差し伸べると、いつものように抱き上げてくれる。
だけど、いつものように力を抜くのではなくて。
「……?!」
伸ばした両手はそのまま、透さんの首の後ろに回した。
頭を抱き寄せて、私からキスを贈る。
ちゅ、と甘い音を立てて唇を離し、そっと覗き込んだその顔は。
──見たことがないくらい動揺していた。
赤らんだ目元に、滴るような色気をにじませて。
「あんたね……」
唸るように声を絞り出した透さんが、嚙みつくようなキスを仕掛けてきた。
「ここにきてまだ煽るか」
「ええと」
「よぉっくわかった。お望み通り、煽られてやるから覚悟しろよ」
私を抱き上げたまま部屋を横切って、ぽい、とベッドに放りだされる。
「ぅみゃっ?!」
「ああもう、またそんなエロい悲鳴上げるし」
ぎし、とベッドのスプリングが軋む。
「まってまってまって」
「待たない」
「いやだからちょっと待ってぇ!!」
半泣きで悲鳴のように叫ぶと、吐息が触れる距離まで近づいていた顔が、やっと止まった。
「……なんだよ」
「えと、ちょっと待って、現状についていけてない」
「……いまさら、そこ?」
愕然とした声を聞きながら、こくこくぶんぶんと必死に頷く。
透さんはそんな私を見て、ふー、とため息を吐いた。
そのまま深呼吸をするように、息を継ぐ。
「……よしわかった、現状を整理しよう。何がわからん?」
「えぇと……全部?」
「おい」
「だって、私が透さんをドキドキさせてみたかったって言ったところからここまでの線がつながらない」
「まじか……」
がっくりと脱力した透さんは、私の隣に寝転がってしまった。
片腕で目元を覆い、口元に苦笑をにじませて。
透さんを見下ろすなんてそうそうあることじゃない。
その視点に新鮮さを感じて、思わずまじまじと見つめてしまう。
と、腕の下から、目がこちらを窺っているのに気が付く。
「?」
首を傾げると、くつくつと喉を鳴らすように笑いだした。
「水織」
滅多に呼ばない名前を呼ばれて、それだけで背中が震える。
「俺がずっと、あんたの全部に触れたいって思ってた、って言ったら、呆れるか?」
アンタノゼンブ
内容を理解するのに、一瞬の間が空いた。
その間に、透さんの眉がぎゅっと寄せられる。
「……ううん」
だって、私もたぶん一緒だから。
大人な透さんに追いつきたくて、その素顔が知りたくて。
年下で子どもであることも、嫌だって思いながら利用した。
きっと私の方が、ずっと卑怯で醜い。
「あんたさーぁ」
ひょいと体を起こした透さんが、私を腕の中に囲い込む。
「そんな顔してさ、もしかして襲ってくれって言ってる?」
「ふぇ?!」
そんな顔ってどんな顔?!
「あー、駄目だ。ほんっと可愛くて仕方ない」
くすくすと笑いだした透さんは、私の肩口に顔を埋めた。
「いい匂い」
ふす、と鼻を鳴らしてそうつぶやく。
や、あの。
1日仕事してたわけですし、匂い嗅がれるってものすごく微妙なんですけど。
「あれ、知らない?」
何を。
「生物ってのは本来、匂いで伴侶を見つけるんだってよ。自分にとって心地よい匂いの持ち主が自分の番いだって、本能で知ってるんだとさ」
つまりそれは、私が透さんにとってそういう存在だと……?
理解した瞬間、ぶわ、と体の熱が上がった。
「あれ、なんでいきなり真っ赤?」
「や、ちょっ、今こっち見ないで」
「なんで」
「なんででも」
そう言ったのに、その大きな体を器用に折りたたんで、俯けた私の顔を覗き込む。
「うわ、すっごい蕩けた顔」
「だから見ないでって言ってるのに!」
恥ずかしすぎて涙目で見上げると、ふ、と息を詰めたのがわかった。
「あんたは本当に……」
長い腕が、私を引き寄せる。
自分の体を下敷きにするようにしながら、私ごとベッドに転がった。
「と、透さ……」
上げかけた声は、吐息ごと透さんの唇に奪われる。
驚いて上げかけた頭は、後頭部に回された手のひらで阻まれた。
重なる体から感じる鼓動は、どちらのものなのか。
無茶苦茶なスピードで鳴り響いている。
いつの間にか絡めとられた両手でシーツに縫いとめられて、繰り返されし与えられる甘いキスに溺れて息が乱れて、目の前にうっすらと涙の膜が張る。
「覚悟して」
短く告げられた言葉に、目を瞬かせる。
張り詰めていた涙が零れ落ちた。
その涙を唇で掬い取られて
「今日は、もう、帰さないから」
思いつめたような、硬い声が響く。
目を開いて見つめた先の透さんは。
あられもない熱と、焼け付くような欲望と、深い苦悩とがないまぜになった瞳で、私を見下ろしていた。
その瞳に煽られて、私の体も熱を帯びていく。
覚悟とかそんなの。
私よりも、透さんの方がしなきゃいけない事でしょう?
答える代わりに、絡めた手を片方だけ解いて頬に触れる。
それからもう片方も解いて、両手で細いフレームの眼鏡をはずす。
「……どうぞ」
そっと目を伏せてそう言って。
その後は。
チョコレートよりも甘く蕩ける、二人だけの、夜。
…すいません、糖分控えめかもしれません。
そして筧氏のキャラが。
元々こういう感じで設定してたんですけど、本編とはちょっと雰囲気が違うので、イメージが崩れてしまった方がいらっしゃいましたらごめんなさい。