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真夜中の殺意



 伯父上。伯父上。

 大好きな伯父上。

 ごめんなさい、今日もあの男が殺せなかった。



 ジュリアはここのところ、体調が良くなかった。食事は思うように喉を通らず、夜もろくに眠れない。

 その顔は痩せたように見えたが、そのくせ瞳だけは鋭さを増していた。


 召使いたちは心配そうに彼女を見た。彼らの態度は、いつの間にか少し柔らかくなっていた。中でも侍女のナリッサは、甲斐甲斐しく世話をし、時折声をかけてくれる。しかし、誰もヘイゼルとの関係について、何も言おうとしない。


 ジュリアはそのことを疑問に思ったが、尋ねる気にもなれなかった。

 皆何かを言いたそうにしていたが、結局その話題に触れもせず、ジュリアの傍を立ち去るのだった。



 唯一、ヘイゼルの事を口にしたのは、執事のアルバスだった。

 彼はジュリアを夕食の部屋へ案内しながら、呟くように、ぽつりと言葉をこぼしたのだ。

「私は後悔しているのですよ。皆もそうです」

 目尻に皺を寄せたまま、優しい瞳でジュリアを見た。

「我々はあの方を幼い頃から見てきました。けれど何が起こっても、見て見ぬふりをして来たのです」

 ジュリアは訝しげに彼を見た。

 一体何が言いたいのだろう。

 黙ったままのジュリアの前で、老人は静かに言った。

「我々はあなたに、何かをしてほしいなどとは言いません。そう願う資格すらありませんから。でも、この屋敷の誰もが――私も、あなたに期待しているのですよ」

 その顔は悲しげだったが、瞳に小さな希望が宿っているのを、ジュリアは見た。

 意味が分からなかったし、答えることもできなかった。



 この老人は理解しているのだろうか。

 目の前にいる女が、主人の命を狙っていると。

 彼の立場であるなら、とっくに気づいているのではないかと思えた。それなら、なぜそんなに優しい目で見つめてくるのだろう。


 無邪気に笑っていた頃なら分かったのかもしれない。

 けれど今、疲れていたジュリアには、まったく理解することができなかった。



 ヘイゼルはなぜ、自分を追い出そうとしないのか。

 屋敷の人はほとんど気が付いている。ジュリアが武器を片手に、毎日彼の元へ通っていると。

 彼らは皆、ジュリアのことを、取るに足りない相手だと思っているのかもしれない。

 けれど、侯爵家の当主であるヘイゼルの力なら、ジュリアを罰することなんて容易いはずだ。剣をふりかざす腕を抑え、牢屋に入れることだって簡単にできる。

 それなのに彼は、召使い達に介入しないよう伝え、助けを求めることすらしない。

 そして召使達も皆、主人の言いつけを従順に守り、見て見ぬふりをするだけだ。



 いつも困ったように笑い、ジュリアを(いさ)める男。

 剣を突き付けようが、弓矢を向けようが、責めもせず、どこか当然のように受け入れる婚約者。

 ヘイゼルの瞳はいつも凪いでいて、それが余計に、ジュリアを腹立たせた。

 一瞬だけ揺らいだ瞳も、今は夢なんじゃないかと思えた。


――――さっさと終わりにしなきゃ。


 あのつまらなそうな顔を、これ以上見たくない。

 諦めたような微笑みを、向けられたくない。



 あの男さえいなければ、どんなに気持ちが楽だろう。




 このまま長引かせれば、自分の方が参ってしまう。

 本能的にそう感じて、ジュリアはそっと、彼の部屋がある方向を眺めた。

 気だるげなまま見つめた景色は、どこか別の世界のものに思えた。






 その日の夜は、少し肌寒かった。

 皆が寝静まった屋敷は、音もなく、ひどく静かだ。

 青い陰に包まれた廊下。その静寂に紛れるように、一つの扉がゆっくりと開いた。


 寝着のまま、自室から顔を出したジュリアは、そっと辺りの様子を伺う。

 この屋敷は召使がそろっているが、毎夜の見張りがいる訳ではない。

 今頃、若き給仕も、執事のアルバスも、与えられた部屋で眠りについていることだろう。



 部屋を出ると、気をつけて扉を閉め、音を立てないように廊下を歩いた。

 ヘイゼルの部屋は屋敷の一番奥だ。長い廊下の先を見据えながら、ゆっくりと歩を進めて行く。

 暗闇に染まる廊下は、今までとは知らない屋敷のようだ。

 向かう先は闇に包まれていて、少しだけ引き返したくなる。けれどここで戻れば、また同じ明日を迎えるのだ。

 それが分かっているジュリアは、振り返らない。

 ただ闇の深まる方へ、目を凝らして歩いて行くのだった。




 扉は不用心にも、鍵がかかっていなかった。

 彼のことだから掛けているのではないかと思っていたジュリアは、ほっとすると同時に、行き場のない苛立ちを覚えた。

 これでは本当に、殺しに来てくれと言っているようなものではないか。


 考え過ぎだとは分かっている。よく考えれば、ここは彼の屋敷なのだから、必ずしも鍵を掛ける必要はないのだ。

 でも、これでは本当に。

 彼を殺してしまえる。


 その考えに、ジュリアはうすら寒いものを感じた。


 音を立てないように慎重に扉を開け、ゆっくりと足を踏み入れる。

 後ろ手に扉を閉めると、かすかに息が震えた。

 部屋は夜の静寂に包まれていたが、大きな窓から差してくる月光のせいで、思ったよりも暗くはない。


 広めの部屋はきちんと整理されていて、飾りげのない、白い家具がそろっている。

 その一角に大きめのベッドがあり、誰かが眠っていた。


 ジュリアは足音を忍ばせて、そっとベッドに近づいた。

 傍に行くにつれ、心臓がいやに拍動しているのが分かった。どくどくと脈打つ音を振り切るようにして、一歩、また一歩と進んで行く。

 突然起き上がるのではないか。そんな考えがよぎったが、彼は身じろぎ一つしない。

 なんの問題もなくベッドの淵に辿り着くと、その顔を見下ろした。



 いつも何を考えているのか分からない彼。

 けれど今は、無防備にその寝顔を晒している。

 長い(まつげ)は、差し込む月明かりに照らされていた。

 髪と同じように、金にも銀にも見えるそれは、今は白に近い色を湛えている。


 その姿は人間離れしていて、けれど確かに一人の人間なのだと、ジュリアは思った。

 この男はいつも掴みどころがなく、つまらない彫刻みたいな人だと思っていたのだ。

 けれど今は、どこか幼い子どものように見える。

 その表情は寂しげで、いつもの作られたような笑みが、嘘のように思えた。


 思わずそっと手を伸ばし、その頬に触れようとした時だった。

 彼の(まつげ)が僅かに震えた。

 その(まぶた)がおもむろに開く。

 ヘイゼルの瞳が、まっすぐにこちらを見あげた。


 ジュリアは息を呑み、その場で立ち尽くした。


 ヘイゼルはいつもの表情に戻っていた。

 困ったような、作り物じみた笑みを浮かべ、静かにこちらを見つめる

「やあ、夜這いにでも来たのかい?」


 ジュリアは動揺を隠し、なんとか笑い返した。

「残念ながら違うわ」

 心臓が震えるように、大きく音を立てている。余裕を持って見えるように、なんとか笑みを浮かべ、まっすぐに彼を見下ろした。

「わたし、今夜こそ終わりにしようと思って」


 ヘイゼルは動じもしなかった。まるで予期していたとでもいうように、やはり微笑んでいる。

「そうか。それで、今日はどうやって殺すんだい? 剣を使ったところで、朝になれば犯人探しが始まるよ」

「出来るだけ、目立たない方法を使うわ」

 ジュリアは微笑んだが、本当に笑えているのかよく分からなかった。

「あなたの首を絞めるわ。首には跡が残るでしょうけど、犯人は分からないでしょう」

 そう言う自分の声が、かすかに震えている気がした。

「窓は開けて行くわ。きっと皆、犯人が窓から逃げたと思うはずよ」


 ヘイゼルはまっすぐにこちらを見つめる。

「君はもう、正しい判断が出来なくなってるみたいだね」

 その言葉の意味が、ジュリアには分からない。ヘイゼルは淡々と、言葉をこぼす。

「それで、君にそれが出来るの?」

「出来るわ」

 ジュリアはそっと寝台に乗り、彼の上に覆いかぶさった。

 そのまま見下ろしたが、ヘイゼルは逃げようとしないどころか、身じろぎ一つしなかった。

 不思議なくらい近くにあるその顔。

 殺されそうだと言う時に、彼はただこちらを見ているだけだ。

 不思議そうに、興味深そうに、まっすぐジュリアの目を見つめる。

 それはやはり、ひどく人間離れしたものだった。


 長い黒髪が垂れ下がり、邪魔なことこの上ない。彼の顔にかかったそれをどけ、ジュリアは呟いた。

「どうして逃げないの?」

「どうしてだろう」

 彼はまじまじとこちらを見つめた。自分でも分からないらしい。


 きっとまた、どうせ殺せないと高を括っているのだ。

 ジュリアの呼吸はかすかに荒くなった。

 自分は本気だ。この部屋に向かった時点で、覚悟をしていたのだ。

 それを見くびられることが、屈辱だった。


 そっと彼の首に両手を置いた。その生温かさに、ぞくりとする。

「ねえ、本当に殺しちゃうわよ」

「止めたって無駄なんだろう。今日の君がいつもと少し違うってのは分かる。こんな手を使うなんて、相当な覚悟が必要だったはずだ」

 彼が喋る度、喉ぼとけが手の中で動いた。気が変になりそうだ。

「そうよ。今日はなんだか、あなたを殺せる気がするの」

「僕もなんとなく、そんな気がする」

 頭がぼうっとしてくる。

 なぜこの男はこんなに平然としているのだ。

 止めるのが無駄だと分かっていても、なぜ抵抗さえしない。


 自分が()められている錯覚にさえ陥る。

 けれど、それは錯覚でしかないのだ。ここには今、彼と自分の二人しかいない。

 彼の命は、この手の中にある。



 たまりかねてジュリアは言った。

「……一体、何を考えてるの。言いたいことがあったら言って」

「言いたいこと?」

 ヘイゼルが問い返す。少し考えてから、彼はちょっと笑った。

「特にないよ」


――――その顔。


 ジュリアは歯を食いしばった。


――――その顔が、大嫌いだったの。


 ずっと殺したかった。消し去りたかった。

 思いのまま力を込める。

 ヘイゼルの瞳が見開かれる。彼はくっと喉を鳴らした。

 

 そうよ。もう二度と笑えないようにしてあげる。

 あなたが伯父にそうしたように。

 あんな風に、わたしを見られないように。

 死んで。そうしてすべて終わりにして。わたしとあなたの関係も。

 見せかけだけの毎日も。


「あ……ぐっ」

 まっすぐに、その瞳が何かを見つける。

 揺れている。息も絶え絶えに、うめきながら。


 手の力は緩めない。

 もう決めたから。一瞬でも緩めたら、きっともう出来なくなってしまう。


 苦しそうに掠れた声。彼はもがく。逃がしはしない。

 色の薄くなった唇が開かれ、空気を求めて喘いだ。

 汗が噴き出し、じっとりと手を濡らしていく。もうどちらの汗かも分からない。

 血走った目は、助けを求めるでもなく、恐怖に(おのの)いている訳でもなかった。


「ジュ……ア……」

 ああ、なぜまだこちらを見てるの。

 早く消えてしまってよ。

 あなたのその目が嫌い。

 やめてよ。どうして見つめてくるの。



 なんて綺麗な、瞳。




 そうして、視界は真っ暗になった。






 呼吸を整えるのに、どのくらいかかっただろう。

 ベッドの上に寝そべり、天井を眺めたまま、ヘイゼルは長い間空気をむさぼった。

 荒い息を繰り返し、遠のいていく意識を呼び戻す。


 肺や心臓が落ち着いて来ると、ゆっくりと体を起こした。

 ベッドからおもむろに立ち上がり、窓の傍に歩み寄る。

 大きな窓を開け放つと、月の光が一斉に差し込み、部屋を照らし出した。

「ふう……」

 吹き込んだ風に髪が踊り、胸に涼しい空気が入り込んだ。



 そろそろとベッドに戻ると、見たくない光景を目にする。

 問題は、この少女だった。

 そっとベッドに腰かけ、すぐ横に倒れている彼女に呼びかける。

「……ジュリア」

 少女は動かない。婚約者を殺そうとして、結局自分が気絶してしまったのだ。


 そっと彼女の肩に手を置いた。

 何度か揺らし、声を掛けるものの、目を覚ます気配はない。

 ヘイゼルはため息をついて、座ったまま彼女を見つめた。


 月明かりに照らされた少女。その肌は白磁のようだ。長い黒髪は艶があり、寝台の上に散らばっている。伏せられた(まつげ)は長く、憂いを帯びて影を落としていた。

 神秘的とも思える光景に、ヘイゼルは言葉を失くした。

 ただ、彼女の顔色は良くない。その肌は、白を通り越して、ぞっとするほど青白いのだ。

 異様なまでの美しさ。彼女は既に、普通の状態ではない。


 ヘイゼルはそっと思い出す。

 あの目。あの黒曜石の瞳は。

 食い入るようにこちらを見つめていた。

 殺す瞬間も一瞬たりとも逸らさず、ただまっすぐに。


 自分があの時、どうして逃げようと思わなかったのか、分からない。

 まだ侯爵家の仕事はたくさんあるし、死ぬべきではないのだ。

 いつもなら適当にかわすはずなのに、今日はそれができなかった。


 彼女の視線が、まだ焼け付くように胸に残っている。

 首を絞められ、あの目を見た時、思ったのだ。

 綺麗だ、と。

 二つの黒曜石は、殺す相手を目の前にして、どこか泣きそうに揺れていた。

 涙さえ浮かべているように見えた。

 きっと自分は、もっと彼女に見つめられたかったのだ。

 心臓を焦がすような、すべてを貫くような、あの瞳で。



 風が部屋を吹き抜けていく。

 音もなくヘイゼルの頬を撫で、隣の少女の黒髪も揺らして。

 少女は目を閉じたままだ。気を失ったまま、眠っている。



 黙って見つめてみるが、動く気配すらない。

 少しだけ傍に寄って、色を失くした顔に、手を伸ばした。

 不思議なまでに青白い。その肌は冷たいのか、それとも温かいのか。

 柔らかな頬に触れた瞬間、我に返った。


 よく考えれば、この部屋には自分と彼女の二人しかいない。

 いや、よく考えなくとも分かることだが、失念していた。


 急に心拍があがってくる。

 慌てて手を離したが、ジュリアは眠ったままだ。

 動かない彼女を、もう一度見つめる。


 寝間着はいつもより薄着だ。真っ白で、そこから華奢な手足が伸びている。

 黒い髪は絵画のように流れ、少しだけ開かれた唇は、薄紅色だった。


 胸がざわめき、何かが沸き起こった。

 これが何かは知っている。女性と相手をするときの、当然なまでの衝動だ。

 でも何かが違う。

 いつもはそんな衝動も、一つの感情として、客観的に捕えることができた。それなのに今押し寄せているのは、訳の分からない、得体の知れないものだった。

 ひどく緊張して、顔が熱くなる。今までとは桁違いの、何か訳の分からないものが体中を駆け巡っている。

 どうしていいか分からず、食い入るように少女を見つめる。


――――部屋に返そう。


 咄嗟に、そう思った。

 そうだ。朝になって彼女がここから出てくれば、召使いたちは誤解するだろう。

 彼女もそれは本意ではない。


 ゆっくりと思い出す。

 彼女は自分を嫌っているのだ。触れられるなんてもっての他だろう。

 目を覚ませば、嫌な顔をされるに違いない。

 そう考えると、不意に落ち着いて来た。

 いつもの諦めが、胸にすとんと落ちて行く。


 先程の動揺が、一時のさざ波のように消えていく。落ち着いて来ると、ヘイゼルは迷わず彼女に近づいた。

 こんな面倒なもの、さっさと部屋に返すのが一番だ。


 そっと背中に手を差し入れ、抱き起す。

 柔らかくて、温かかった。

 再び胸に何かが湧き上がってくる。味わったことのない感覚に戸惑い、奥歯を噛みしめた。なんとか無視して、そのまま腕に抱える。

 その時、小さな唇が、僅かに震えた。


「……伯父上」


 ヘイゼルは手を止めた。食い入るように少女を見る。

 けれど彼女はそれ以上何かを言う事はなかった。

 少しだけ身じろぎすると、また夢の続きに戻って行く。



 寝言だろうか。それしかないだろう。

 そう思いながら、ヘイゼルは動けないでいた。

 ショックだったらしい。何がショックだったのかもよく分からない。

 しばらくその場に立ち尽くしていたが、一つ息を吐くと、ジュリアを持ち直した。分からないことは、いくら考えても答えは出ないのだ。

 腕に力を込め、さっさと扉へ向かった。





 廊下を進む間も、なぜか胸が痛くてしょうがなかった。

 ジュリアは動かず、胸の中にいた。血の気のない、物憂げな顔をして。

 そんな顔は見たくなかった。

 もっと別の表情が見たいと思った。


 いつも怒っている彼女は、今は静かに眠っている。

 その重みを感じているうちに、知らない何かが胸に溢れて行くのが分かった。

 それは遠い昔に夢見ていたような、名前も思い出せないものだった。


 抱え込んでいる少女の、その存在。

 それがとても――


 「愛おしい」のだろうか、と考えて、さすがに違うと思い至る。

 今まで付き合った女性は皆、得意顔で言ったのだ。

「結婚してあげてもいいわよ。私のこと、愛してるんでしょ?」

 そうだと思っていたが、全部違ったらしい。彼女達の誰もが、最後には呆れ果て「あなたは人を愛せないのよ」と言ってのけたのだ。きっと今回も違うのだろう。



 部屋の前では、中年の侍女が困ったようにうろうろしていた。

 彼女はこちらを見つけ、慌てて駆け寄って来る。

「ああ、旦那様」

 ほっとして口を開いたが、ヘイゼルの腕の中にいる少女を見て、驚いたように視線をあげた。

「これはその……どういうことですか?」

 ヘイゼルは彼女を見返した。

「君こそどうして起きてたんだい? 彼女を見張ってた訳じゃないだろう」

「違いますよ。物音で目を覚まして、急いでこちらに来たんです。それで……部屋を覗いたらジュリア様がいらっしゃらなかったもので、困って近くをうろうろしていた訳です」

「……なるほど、次にそういうことがあったら、真っ先に僕に知らせてくれ」

 言いながら、ヘイゼルは今夜の事をどう伝えようかと迷っていた。本当のことを話すつもりは勿論ない。いっそのこと、彼女が夜這いに来たと言ってやろうかと思ったが、それもまずいと考えた。

「……彼女はさっき、怖い夢を見たと言って僕の部屋にやって来たんだ。話を聞いてあげているうちに眠っちゃって。それで連れて来たんだよ」

「まあ、私はてっきり夜這いにでも行ったのかと思いましたよ」

 侍女は呟くように言った。ヘイゼルは笑う。

「残念ながら違うらしい。――部屋の扉を開けてくれないか。ベッドに運んだら、僕は戻るよ」

「そうですか」

 どこか残念そうな侍女に、ヘイゼルは微笑みを向けた。

 その表情はいつもと変わらなかったが、少しだけ和らいで見えた。



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