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透明な世界と、鮮やかな少女


 短剣、毒薬、革の紐。

 彼女はいつも、その身に道具を忍ばせている。

 肌身離さず隠し持ち、憎い相手を殺すため。



 あの話し合いの後から、ジュリアは文字通り、ヘイゼルを殺しに来るようになった。伯父を殺した仇だと、毎日毎日、飽きもせずに通い続ける。

 ヘイゼルは彼女を、止めようとも思わなかった。

 相手が本気だと言うことは分かる。

 けれどジュリアは、殺人に必要な技術を持っていなかったのだ。その手つきは、戦場に出慣れた騎士を殺すには、あまりにおぼつかない。

 最初は気にかけていた使用人たちも、ヘイゼルが気に留める必要はないと伝えると、大人しくいつもの仕事に打ち込んだ。

 実のところ、彼らはジュリアが、主人を脅かす存在でないと判断し、見て見ぬ振りを決め込んだらしかった。


 それぐらい、ジュリアの攻撃は、まっすぐで単純だ。

 その上殺意を否応なく向けてくるものだから、隠れていても分かってしまうのだ。


――――ああ、そこの影か。


 茂みの向こうから滲み出る鋭い気配。

 姿は見えないものの、少女が息を殺し、こちらを伺っているのが手に取るように分かる。


――――彼女から復讐を取り上げたら、何が残るのだろう。


 緑の葉が、空に舞い散った。


「覚悟なさい、ヘイゼル!」


 少女の瞳が、閃く剣が、日の光に当たって煌めく。




 二人の攻防は、今日も続いている。








 ヘイゼルは侯爵家の次男として生まれた。

 髪も目も、長男とは違う薄い色。

 当時の厳格な当主は、生まれた我が子を見るなり、妻に怒鳴った。

「お前、裏切ったな!」


 彼も妻も、濃い色の髪と瞳を持っていた。彼らの長男だって同じだ。

 だから赤子の父親は、ここにはいない別の男に違いなかった。


 妻は口を閉ざした。何も言わず、赤子を腕に抱いたまま。

 彼女はもともと、どこか浮世離れした女性だった。夫はそのことに、時々訳の分からない危機感を覚えたが、その予感は確かに当たってしまったのだ。

 彼女の目にはもう、赤子しか映っていなかった。いや、赤子を通して別の男だけを映していた。

 夫がどんなに怒鳴り、罵っても、妻はただ沈黙を貫くだけだった。遠い目をして、時々何かを呟くだけ。それはただの音の連なりで、本人でさえ意味を知る事はなかった。彼女はまもなくやせ細り、口を閉ざしたまま、死んでしまったのだ。




 当主は赤子を疎んだ。嫌なものを見るような目で、裏切り者の子を睨んだ。

 妻の罪が受け継がれた、ヘイゼルの瞳。それを見る度苦しめられ、とうとう感情の赴くまま、赤子に酷い名を付けた。

 本当は女の名前だったが、彼は構いもしなかった。

 侮蔑を含むようにして、「裏切りの証」を名前にしたのだ。

 結局ヘイゼルは、彼にとって裏切りの象徴でしかなかったのだ。当主は赤子を嫌い、冷たく接するようになった。

 その子の物心がつく頃には、長男も同じ態度になっていた。




「準備は出来たか、行くぞ」

 いつものように外套を羽織る父親。彼の言葉は、長男にのみ向けられている。

 五歳のヘイゼルは、父の雄々しさに憧れと恐れを感じていた。

 いかめしい切れ長の目は、獲物を狩る鷹のようだ。

「父上、どこへ行かれるのですか」

 思い切ってそう問えば、迷惑そうな顔をされた。

「城へ行く。貴族同士の顔見せだ」

「それって、ぼくも参加できるものですよね。一緒につれて行ってください」

「駄目だ」

 底冷えのする声に、ヘイゼルの体は竦んだ。射殺すような目で、父は言う。

「お前は家で待っていろ」

 息をとめた子どもに目もくれず、父親は踵を返し、足早に屋敷の外へ向かう。

 ヘイゼルに呼び止める勇気は出なかった。



「邪魔だ、どけ」

 七つ年上の兄は、突き飛ばすようにしてヘイゼルの前を通り過ぎた。

 ヘイゼルは慌てて、兄の服にしがみつく。

「兄上。兄上も五歳の時には、顔見せに出たと聞きました。ぼくも行かせて下さい」

「黙れ。お前みたいなヒヨコ、連れていける訳ないだろう」

 彼は弟の髪を見て、笑う。

「分かってるだろうな、お前を連れて行ったら父上が恥をかく。父上には僕がいるんだ。お前は家に閉じこもって、どこにも出るな」

 それだけ言うと、弟の手を無理やり引きはがし、行ってしまった。



 残されたヘイゼルは、使用人たちを振り返る。

 けれど彼らは、一様に顔を背けるばかりだ。

「ねえ、ぼく、父上に認めてもらいたいんだ。何かいい方法を知らない?」

 懸命に尋ねるが、答えを返す者はいない。

「ぼく、父上のようになりたいんだ。それで、兄上を支えたい。どうしたらいい?」

 誰も目を合わせようとしない。

 尋ねようと近寄れば、皆いそいそとその場を去って行く。

「ねえ、誰か……」

 空気は静まり返り、少年は一人取り残される。

 小さな子どもの声は、大きな屋敷に虚しく響き渡った。



 ヘイゼルはめげなかった。

 父親や兄に邪険にされながら、一生懸命声をかけた。一瞬でも目を合わせてくれれば、また会話が繋げられる。振り返ってくれるその瞬間を求めて、高い声を張り上げるのだ。

 そんなことを続けていたある日、唐突に父が、口を利いてくれなくなった。

 というより、ヘイゼルの言葉に全く反応しなくなったのだ。

「父上」

 最初は父の耳がおかしくなったのだと思った。

 けれど、すぐに兄にも声が届かなくなった。

「兄上。聞こえていますか?」

 不思議なことに、ヘイゼルの声だけが聞こえていないらしい。

 そのうち、二人ともヘイゼルの姿だけ見えなくなった。


 ぼくは何か、変な病気にでもかかったのかもしれない。あるいは二人が病気なのかもしれない。

 だとしたら大変だ。

 屋敷に仕える初老の男を何とか捕まえて、医者を呼んでほしいと頼んだ。

 父と兄が病気なのだ。助けてほしいと。

 アルバスと名乗った召使は、顔を歪ませた。必死に頼んでも答えず、ただ首を振るだけだ。



 その時ようやく分かった。

 兄と父は、自分をいないものとして扱うことに決めたのだ。

 それは、存在そのものを否定することと同じだった。



 目の前で談笑する父と兄。

 どこか遠い世界の人のようだ。

 時折見てくれたかと思えば、汚いものでも見るような視線。

 そうじゃない。欲しいのはそれじゃない。

「父上、兄上」

 何度も、しつこく呼びかけた。

「ねえ、聞こえてるんでしょう?」

 怒鳴られてもいい。罵られてもいい。

 だからどうか。

「父上、兄上」

 その声も、笑い声にかき消される。


 ああ、ここはどこだろう。

 ぼくだけが取り残されている。

 この世界に、ぼくはいないんだ。


 胸の中に広がって行ったのは、憎しみでも恨みでもない。

 自棄にも似た、諦めだった。

 ある時からヘイゼルは、声を掛けることをやめてしまった。



 あくまで無視を決め込んだ当主に、召使いたちが逆らえる訳もなかった。

 彼らはヘイゼルの世話をしてくれたが、必要な時以外、会話もすることができなくなったのだ。繰り返される毎日は、ひどく味気なく、色が無い。

 寂しい日々を過ごすうち、何かが枯れて行くような感覚がしたが、それが何かも分からなかった。


 けれど時折交わす彼らとの言葉で、ヘイゼルはなんとか、生きていることを実感出来た。

 特にアルバスは、最低限の会話の中でも、優しい言葉をかけてくれた。彼は命令をきちんとこなすが、心根は優しい老人だ。

 七つの時にやって来た家庭教師達も、心の支えだった。


 父親はヘイゼルに家を継がせる気はなかったが、その存在は貴族にも知れていたのだ。

 これ以上無知な恥さらしに育っても困ると、勉学と武術を教えることにしたらしい。理由がなんであれ、ヘイゼルは与えられたものに、真面目に取り組んだ。


 父と兄に振り向いてもらうのは、もう諦めた。

 いつかは家を追い出されるかもしれない。いや、追い出されるだろう。

 その時のために。

 得られるものはすべて、得なければならないのだ。


 懸命に勉学に励み、武術を習得した。暇さえあれば、役に立ちそうな本を読み漁った。

 めきめきと実力を伸ばす彼を見て、それぞれの教師は目を丸くした。

 彼らが褒めてくれるのは心地よかったが、なぜか嬉しいとは思えなかった。



 そうして、忘れられない事件が起きたのだ。

 十四歳の誕生日を控えたある日。

 ヘイゼルは家で、騎士の作法についての本を読んでいた。

 その日の朝はよく晴れていたが、昼過ぎから酷い豪雨になった。


 父と兄はヘイゼルを残し、狩りに出かけていた。

 彼らは崖の多い森林地帯に乗り込んだのだ。

 何もなければいいが、とヘイゼルは心配になった。それは家族を思ってのことではなく、この家の当主と後継ぎがいなくなっては困る、という思いからだった。


 いつまでも帰ってこない二人にしびれを切らし、ヘイゼルは探しに行くことにした。

 雨宿りならいいが、事故でもあったら大変だ。

 あの二人に生きてもらわないと、サザーランド家は成り立たない。


 使い慣れた革靴を履き、アルバスと共に森へ向かう。

 この天候では足場が悪い。馬は諦め、泥道をひたすら歩いた。

 二人はよほど奥まで行ったのか、方々探しでも見つからない。

 雨は酷くなるばかりで、厚めの外套を羽織ってきたものの、体中が水浸しである。



「ヘイゼル様、一度お屋敷へお戻りなさっては?」

 生ぬるい寒さの中、執事が気遣う声を掛けてくる。

「アルバス、付き合わせて悪いが、もう少し……」

 言いかけたヘイゼルは、誰かが走って来るのに気づいた。

 水音が、バシャバシャと鳴っている。



「ヘイゼル・サザーランド様でいらっしゃいますか!」

 息を切らして言う男は、ずぶ濡れだった。その目はかすかに血走り、肩は激しく上下している。彼の服もまた、雨でぐちゃぐちゃになっていた。

「そうですが……どうなされました?」

 嫌な予感をかき消すように、ヘイゼルは冷静な声を出す。

 男は静かに言い放った。

「――お父上と兄君が、亡くなられました」


 ああ、そう。


 胸に落ちた言葉は、ひどく冷たいものだった。

 そのことに一瞬驚いて、なぜか納得してしまった。



「……死んだ原因は?」 

「崖崩れです。この雨ですから、巻き込まれたのでしょう。先程我々が発見して――」

「分かった。案内してもらえるか?」

「……はい」



 男に倣い、木立の更に奥へと入って行く。

 その後ろからアルバスが、そっと話しかけてきた。

「……ヘイゼル様、大丈夫ですか」

「ああ」

 そう答えたが、アルバスは心配そうな眼差しを向けてくる。

「お気持ちお察しします。何かあれば、この私に何なりとおっしゃって下さい」

「ねえアルバス」

「はい」

「僕、変なのかな。本当に悲しくないんだ」

 老人の目がわずかに見開かれる。ヘイゼルはそれ以上、何も言わなかった。



 雨が降り注ぎ、ぽたぽたと雫が、髪から零れ落ちる。

 薄い色の髪は、今や雨に溶けたように透明に見える。

 自分自身が雨に――透明になってしまったみたいだ。


 彼らが死んで悲しくない。

 でも、嬉しい訳でもない。

 ざまあみろと思うこともないし、かといって寂しさも覚えない。

 何も感じない。


 どういう訳だろう。

 まるで心が死んでしまったみたいだ。




 それから、何かが変わることはなかった。

 父と兄の葬式を済ませ、彼らの代わりに爵位を継いだ。

 舞い込んでくる仕事を一つ一つこなし、サザーランド家が継続することだけに努めた。

 それが自分の使命であり、義務だと、なんともなしに思っていたからだ。

 今まで社交界にはほとんど顔を見せなかったが、きちんと城にも通い、見知らぬ貴族に挨拶をした。

 侯爵家の当主となった今、家の繁栄にだけ努めれば良い。

 そんな考えのまま、王に仕えて戦地に赴き、忠実に働いた。



 そのうち、女性に付き合いを申し込まれることも出て来た。彼女達の大抵は、ヘイゼルの容姿と家柄を見てやって来るのだ。断る理由もないので、そういったものは許諾することにしていた。この家を維持していけるなら、相手は誰でも良かったのだ。

 彼女達の願いは、出来るだけ聞くようにしていた。欲しい物は与えたし、望まれるまま体の関係も持った。

 しかし、自分から付き合ってほしいと言った女性たちは、しばらくすると必ず離れて行った。誰かが去ると新しい女性が近寄って来て、同じように去って行く。その繰り返しだ。理由はいつだって同じだった。彼女達は「あなたは私を見てくれない」と憤り、つまらない男だと言い捨てるのだ。

 実際その通りかもしれない。だから仕方のないことだと思ったし、彼女達を追おうとも思わなかった。


 それでも良いと思えた。本来なら、家から追い出されるかもしれなかったのだ。

 屋敷に住んで、必要な仕事をこなし、同じ日々を繰り返す。

 現れは去って行く女性の相手をして、家を支えてくれる相手を探す。


 自分の場所があるから、それで良かった。


 それなのに。

 邪魔をする者が現れた。


 人の仕事に勝手に割り込み、私情をぶつけてくる少女。


「あなたは伯父を殺したの。わたしが復讐するのは、当然だと思わない?」


 彼女にとって、伯父は大事な人物だったのだろう。

 ならばそれは当然だが、生憎(あいにく)その細い腕は、殺人などには向いていない。


 だって今日も、剣の先が震えているじゃないか。


「大嫌いよ。あなたなんか大っ嫌い」


 諦めもせず、溢れそうな涙を堪えて。


 彼女は瞳に青年を映す。





 ねえ、どうしてだろう。

 君の目に宿るのが、殺意でしかなかったとしても。

 今日も僕は、君が来るのを待っているんだ。



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