表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/17

分かち合えない婚約者



 与えられた部屋は驚く程広かった。


 置かれた家具はつややかな白で、装飾が施されている。床一面には絨毯が敷かれ、一目で高級なものだと分かった。

 その上ベッドは天蓋付きで、美しいレースで縁取りされている。


 ジュリアは貴族であったが、住んでいた子爵家は古くから使われていた木造のもので、壁もしみがついている有様だったのだ。

 豪華な部屋は、ちっぽけな自分に、とてもよそよそしく感じられた。

 部屋だけでない。数日も経たないうちに、屋敷全体に同じような空気があることに気が付いた。



 婚約者であるヘイゼルは、初めて会話をした時以来、ほとんど姿を現さなかった。

 いつも忙しそうで、朝早く王宮に出かけて、夜遅くに帰って来るのが常だった。まだ婚約者の身分であり、正式に結婚した訳でもない。けれど、相手に歩みようとする意志がないのは明白だった。

 屋敷の召使達も皆、ジュリアの世話をするものの、特別な用事がない限り傍にはいない。

 仕事で忙しいのか、嫌われているのか、ジュリアは時々分からなくなる。

 けれどジュリアにとって、それはどうでも良いことだった。自分は復讐をするためにこの屋敷にやって来たのだ。

 召使いに好かれると、決心が鈍ってしまう。


 ジュリアはいつも、ヘイゼルと会話する機会を伺っていた。

 彼と近づく機会と言えば、一緒にとる食事の席ぐらいだ。ヘイゼルは時折、申し訳程度にジュリアと食事を共にした。

 しかし、そんな時はいつも召使が傍にいるのだ。彼らの前で込み入った話などできない。ヘイゼルもこちらに踏み込まない代わりに、自分の事を喋ろうとしなかった。会話は必然的に、中身のない薄っぺらいものになる。

 数日おきにようやく会えたと思えば、表面的な会話を交わして終わり。

 なんの変化もない生活を続け、三週間程経ったある日、ジュリアはとうとうヘイゼルの部屋を尋ねることにした。




 意を決して部屋の前に行くと、たまたま通りがかった執事らしき老人に呼び止められた。白い髪を撫でつけ、礼服を着込んでいるが、どこか穏やかな雰囲気を纏っている。

「ジュリア様、ヘイゼル様に何か御用ですか?」

 まだ婚約中の身であるジュリアは、屋敷の皆にこう呼ばれる。彼らはまだ、ジュリアが侯爵夫人になると認めていないように見えた。

「ええ、折り入ってお話が」

「ヘイゼル様はお忙しいのです。私にお話し下されば、ヘイゼル様のお時間の良いときにお伝えしますが」

 執事が口を開くたび、整えられた白い口髭が一緒に動いた。

 ジュリアは少し考えたものの、正直に返した。

「わたしはどうしても、直接お聞きしたいことがあるのです。どうか二人きりにさせてもらえませんか」

 執事はてきぱきした老人だったが、その目は温和で優しそうだった。彼もまた、少しの間考えていたが、不意にその目を細めた。

「分かりました。話を聞いてもらえるとは思えませんが……それで良ければ中へどうぞ」

 目の前のドアノブに手をかけ、丁寧に扉を開く。

 ジュリアが中へ入ると、背中の後ろで、静かに扉が閉まった。


「誰?」

 目の前の机で、書類に手をした青年が一瞥を寄越す。

 ジュリアに気づくと、訝しげな顔をしただけで、すぐに紙面に向き直ってしまった。

 紙を持つ手を休めることもなく、口だけを開く。

「ああ、君か。何かあった?」

「いいえ、何も。……どうしてもお話したいことがありまして」

「――仕事中は入って来ないでほしいと伝えていなかったっけ?」

 表情も変えず、淡々と書類に目を向ける男。怒りを抑え、ジュリアは丁寧に答えた。

「わたしはずっと、あなたとお話できる機会を伺っていたんです。でもあなたは、わたしとまともに向き合って下さらない。だからこうして、ここに来たんです」

 ジュリアは噛みしめるように言った。もうここへ来て三週間は経つが、初対面の時以来、まともな会話をしていない。

 

 ヘイゼルは息をついて肩を竦めた。その目は未だ、紙面を追っている。

「――悪いけど、話なら後でにして貰えないかな」

 ぱらり、ぱらりと(めく)られる紙を見て、ジュリアはとうとう我慢ができなくなった。

「いい加減にして! 少しは真面目に聞いたらどうなの!」

 敬語も礼儀もどうでも良かった。

 本当は言ってはいけない言葉が、喉元でせめぎ合っている。

 だって彼は、まるで感情を示さない。これではまるで、喋らない彫刻を相手にしているようなものだ。

「言っておくけど、わたしはあなたが好きでここに来た訳じゃないのよ!」

 半ば怒鳴るようにして言えば、青年は初めて、紙面から顔をあげた。



「――だろうね。これは政略結婚と言って差し支えないんだから。……僕が君を知ろうとしないから、怒っているのか?」

 当然のように言うヘイゼルを、ジュリアは睨んだ。

「他にも理由があるわ」

「ウォーレン・ガードナーを殺し、君の家まで没落寸前に追いやったこと?」

 すらすら答える青年に、ジュリアは一瞬たじろいだが、すぐ彼を見つめ直した。

 この男はほとんど分かっていながら、無関心を装っていたのだ。なんて意地悪な人間だろう。

 沸き起こる感情を押し殺し、低い声で答えた。

「そうよ」

 ドレスの裾を握りしめ、震えそうな声を絞り出す。

「わたしは伯父が殺された時のことを、詳しく知りたいの。伯父はグレゴリー公に切りかかったそうだけれど、本来はそんなことをする人じゃないわ。仮にしたとすれば、それだけグレゴリー公の嫌がらせがよほど酷かったという事よ。――あなたはグレゴリー公を守るため、伯父を殺したそうだけど、今もそれで正しかったと思っている? ……殺さなくたって、他に方法があったのではないの?」

 ヘイゼルを見据え、一言一言、はっきりと言い放つ。

「わたしはどうしても納得いかないの。伯父が殺されて……すべての責任を負うなんて――そんなの変よ。話し合いをすれば、絶対に伯父は聞いてくれたわ。――わたしは知りたいの。あなたがどんな気持ちで、伯父を殺したのか」

 出方によっては、復讐を諦めてもいい。

 そう思っていた。


 彼の答えを聞くまでは。


「ウォーレンは確かにひどい嫌がらせを受けていた。でも剣を抜いた時点で罪人だ。宮廷につかえる者にとって、罪人を殺すのは当然の役目だし、そこに私情を挟むのはお門違いだ」

 ジュリアは喉の奥から、何かがせりあがって来るのを感じた。

 身を焼くような、おぞましいまでの怒り。


 反省して欲しかったわけでも、同情して欲しかったわけでもない。

 ただ、疑問に思って欲しかったのだ。

 彼を殺して良かったのか。

 息の根を止めて、正しかったのか。

 自らの剣で刺した男が、生きる価値のある人間だったのではないか、と。


 ヘイゼルはそれを考えることすら、真っ向から否定したのだ。


「ヘイゼル」

 気が付けば、彼に掴みかかっていた。

「ならば、なぜわたしの家に縁談を申し込んだの」

 ジュリアは悔しくて、彼の服の襟首をつかんだまま、彼の瞳を覗き込んだ。

「自分の手で没落寸前まで落として、救いの手を差し伸べて。――これは何なの? あなたの自己満足? それとも嫌がらせ?」

「別に僕の意志じゃないよ。この前、事情があるって言っただろう」

 ヘイゼルは動揺もしない。

「僕だって、婚約したくて縁談を出した訳じゃない。――国王陛下が、そうお命じになったんだ」

 突然出て来たその言葉に、ジュリアは目を丸くする。

「国王陛下?」

「ああ、陛下はウォーレン・ガードナーの事を気に入っていたんだ。ガードナー家や、血縁関係のあるラドベリー家が爵位を剥奪されたのは、王が下した決断ではない。もともと陛下にその実権はなく、貴族の息のかかった元老院の人々が決めたことだ。陛下はお嘆きになって、僕に命じたんだ。ウォーレンの爵位はどうすることもできないが、彼を殺したお前が責任を持って、彼の愛したラドベリー家を救えって」

「陛下が……そんなことを」

 ジュリアは襟首を掴んでいた手を離した。

 ウォーレンはそれ程までに王に気にいられていたのだ。それはウォーレン自身の人となりによるものに違いない。ジュリアは少しだけ嬉しく思う。

 ヘイゼルはそんなことを気に留めず、静かにこちらを見た。

「そういう訳だ。別に君達に嫌がらせをしようとした訳でも、特別思い入れを持っていたわけでもない。……僕は言われた通り、君を婚約者にしたんだ。不服なら、他の男と付き合うと良い。ただし、家の名前を傷つけない程度にね」

 顔色一つ変えず言う男に、体の芯が冷めて行く。


 この男は、「薄い」。

 感情のない瞳は、なんの深みもない。

 その心さえも。なんて薄っぺらいんだろう。



「他の男を好きになったりしないわ。あなたのこともね」

 ジュリアは笑った。

「わたしも縁談を承諾した理由があるの。――家を守るため、それだけじゃないわ」

 息を吸い込み、美しい婚約者を睨む。

「あなたに復讐しに来たの」


 ありったけの殺意を込めて睨んでやったのに。

 やはり男は、当然のようにそれを見つめていた。




 その日からジュリアは、婚約者の元へ通うようになった。

 ある時は正面から、ある時は身を潜め、なりふり構わず近づいた。

 もう殺すことに、躊躇(ちゅうちょ)はなかった。


 

 ヘイゼルは伯父の死を――自分が殺した男のことを、なんとも思っていない。

 気に掛けようと、試みることもしない。

 そんな男が、なぜのうのうと生きているのだ。


――――伯父上の仇よ。


 殺意を隠そうともせず、ジュリアは毎日彼を襲った。

 しかし、何度やってもうまくいかなかった。

 ヘイゼルは勘が鋭い上、何度か戦場に出た経験があるのだ。こんなちっぽけな小娘など、簡単に止められるらしかった。

 最初ははらはらしていた使用人たちも、今は日常茶飯事と受け止めたのか、気にも止めなくなった。

 ジュリアはそれに違和感を覚えながらも、深く気に掛ける余裕もなかった。


「いい加減諦めたらどうだ? 君も飽きないな」

 廊下を歩いていた彼が、振り返りもせずに言う。柱の陰に隠れていたジュリアは、はっとして肩を揺らした。

「出て来なよ。どうせ失敗するよ」

 書類を持ち直す彼を、ジュリアは強く睨んだ。短剣を持ったまま、静かに廊下に歩み出る。


「一度くらい、あなたの驚いた顔が見たいわ。なぜいつも、そうやってすましていられるの?」

「別にすましてない」

 彼は振り返り、不思議そうにこちらを見る。凪いだ瞳に、僅かに感情が浮かんだ。

「僕も君に聞きたい。どうしてそんなに、怒ったり悲しんだりしてるんだ?」

 それは皮肉でもなんでもない、純粋な疑問らしかった。

 ジュリアは目を細める。

「あなたはきっと、理解できないわ」

「そうだろうな。……だけど君も疲れるだろう。僕だって仕事の邪魔をされて困ってるんだ」

 どこか呆れたようにこちらを見つめてくる。

「そうやって感情を振り回すのはやめた方がいい。お互いにいいことはないし……」

「あなたがそんなことを言える立場だと思ってるの?」

 ジュリアはつかつかと近づいた。書類を持ったままの彼を、真下から覗き込む。

「いい加減にしてよ。わたしは伯父の仇を討ちたいの。なぜ理解できないの?」

 相手の瞳を見上げ、鋭い口調のまま続けた。

「あなたは可哀想な人だわ」

 皮肉を込めて言えば、わずかにヘイゼルが身じろぎする。ジュリアは構わず、相手を見つめた。

「あなたが伯父の苦しみを思いやれる人だったら、わたしはこんなことしないのに」

 なんとか感情を抑えたが、持っていた短剣がかたかたと震えた。

「どうして……分かろうとしないのよ」

 いつの間にか、声が震えてしまう。

 それを見下ろし、ヘイゼルは静かに告げた。

「可哀想なのは、君の方だ」


 その言葉が、何を意味するのかは分からない。

 しかし、彼は歩み寄ろうとする気配もない。結局、こちらを憐れんでいるだけなのだろう。ジュリアは怒りを押し殺した。拳を握りしめ、なんとか感情を耐え忍ぶ。

 しかし、次の瞬間はっとした。

 彼の瞳が、見たこともない色をしていたから。

 いつもと変わらない表情のはずなのに、その目はどこか、泣きそうに見えた。


「君は、また明日も来るんだろう?」

 変わらない風を装っていたが、その声には少しの躊躇(ためら)いが含まれている。

 ジュリアはわずかに動揺したが、なんとか口を開いた。

「ええ、行くわ」

 ヘイゼルは目を伏せた。

「それじゃあ、また明日」

 そう言うと、背を向けてあっという間に去って行った。

 ジュリアは短剣を手にしていることも忘れ、不思議そうにその背中を見つめる。

 しかし、次の瞬間には、鋭く瞳を細めた。


 こんなところで、心を動かされてはいけない。

 彼はウォーレンを殺した。それを気にも留めず、一つの仕事として、受け流している。


 握りしめた短剣は、冷たく光をはじいていた。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ