表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/17

三姉妹と縁談



 その縁談は、冬の最中(さなか)にやって来た。

 知らせを聞いて、ラドベリー家の人々は、大層驚いたのだ。

 この家にとって、その縁談は最後の救いであった。そして、大きな屈辱でもあった。


 ラドベリー家の当主、グレン・ラドベリーは子爵の地位にあった。けれど彼は三人の娘が生まれた後、すぐに亡くなってしまったのだ。彼が亡くなった後、数少ない召使はほとんど家を立ち去ってしまった。残された妻は一人で、三人の子どもを育て上げたのだ。


 子爵家と言えど名ばかりで、実際は貴族の末席に名を連ねるかどうかという家柄だった。領地はないに等しく、贅沢などできなかった。

 それでも子爵夫人は繰り返し子ども達に伝えたのだ。

 三人一緒に、何不自由なく暮らしていける。これはとても素晴らしいことだ。堅実に生きて行けば、それだけで明るい未来が開けると。

 彼女は穏やかな笑顔をしていたが、芯が強く、打たれ強い女性でもあった。


 三人の姉妹は母親の言うことをよく聞き、それぞれ気立ての良い、優しい娘に育った。貴族の端くれと言われていたラドベリー家だが、この三姉妹は貴族の中でも、大層評判を呼んでいたのだ。


 一番年上のローザはおしとやかな娘で、豊かな金髪を持つ、しっかり者だった。

 彼女は父親のいない家族をいつも支え、妹達の面倒をよく見ていた。

 妹達がいたずらをすると、きっちりと叱ったが、泣いている時は優しく傍に寄り添った。

 そんな彼女は、ドレスを纏うと美しく、社交界では薔薇のようだと例えられた。


 二番目のマルグリットは、同じく金髪を持つ気の強い娘だった。

 着飾るのが好きで、最低限のお金で、目を引くような装飾品を用意していた。

 社交界に出た彼女は、身分が上の貴族に対しても、怖気づかずはきはきと受け答えをした。彼女はユーモアのセンスもあり、その華やかさから雛菊のようだと例えられた。


 そんな中で、末娘のジュリアはお転婆だった。

 たった一人、母の黒髪黒目を受け継いだ彼女は、女性らしい刺繍や読書に興味がなく、しょっちゅう馬を乗り回しては家族に呆れられていた。

 それでも、初めて社交界に現れた彼女も、また人々の目を引いたのだ。

 波立つ長い黒髪に、輝く黒曜石の瞳。

 真っ白なドレスに身を包み、緊張に頬を染めた娘。

 髪に差したアマリリスのように、みずみずしく可憐だと評された。


 評判は広がり、いつしか三人は、「花の三姉妹」と呼ばれるようになっていたのだ。



「何が花の三姉妹よ。あの時アマリリスじゃなく、ヒイラギの葉でも刺して行けば良かったわ」

 ジュリアは苦虫を噛み潰したような顔で言った。その手には縁談を知らせる手紙がある。

「この手紙見た? 三人娘の誰でも良いって書いてあるのよ。会おうともせず、きっと噂だけで縁談を決めたんだわ」

「それでも良かったじゃない。この家はこれで、なくならずに済むのよ。これはきっとサザーランド候のお慈悲だわ」

 一番上のローザが言う。二番目のマルグリットが手紙を手に取り、目を通した。そこには丁寧な文字で、淡々とした文章が綴られている。

「多分そうね。あたし達の家なんて、本当なら爵位を剥奪されて終わりだもの。――でもよく考えて見れば、これって結構優良物件よ。サザーランド候は爵位も高いし、すごい美丈夫だもの。私も一度見たことがあるけど、天使みたいだったわ」

「やめて、姉さま」

 ジュリアの瞳が怒りに染まる。

「あの男は伯父(おじ)上を殺したのよ」



 それはその年の、夏の終わりのことだった。

 ジュリアの伯父、つまり母の兄であるウォーレン・ガードナーが殺されたのだ。


 この国は王族が中枢を担っている。現王は若くしてその地位についたが、彼は政務も戦もうまくこなしていた。城で政務を行う傍ら、時たま起こる戦で他国からの侵略を防ぐため、進んで戦地に赴いたのだ。

 貴族のほとんどが彼に忠誠を誓い、彼のために軍事や官僚として尽力を尽くした。ウォーレンもその一人で、王のために軍人として幾度も戦った。彼は勇敢な上、とても優しい男だった。

 ラドベリー家の当主が亡くなった後、未亡人となったヘザーを支えたのも彼だった。嫁いで家名が変わった妹に、ウォーレンはたくさんの支援を送った。

 彼の家もまた子爵家であり、大層な金額は出せなかったが、それでもヘザーはおおいに助けられたのだ。


 ウォーレンは金銭面の援助をしただけではなかった。彼は時折、妹とその娘に会いに、ラドベリー家へやって来たのだ。

 ジュリアはこの優しい伯父が大好きだった。

 小さい頃は、彼が来るたび扉の所へ走って行って、一番に彼の胸に飛び込んだ。


「お久しぶりです! おじうえ!」

 ぎゅっと抱き着くと、その度に彼は笑って抱き上げてくれた。

「久しぶりだ、ジュリア。相変わらず元気だな」


 二人の姉は、父親の顔を覚えていたが、ジュリアはほとんどその記憶もなかった。

 だからこそ、伯父に懐いたのかもしれない。

 ウォーレンはどんな時も紳士的で、どんな時も優しかった。


 そんな彼が、ある時刺殺されたのだ。


 事の起こりは、グレゴリー公爵のいやがらせだった。国の中でも有数の大富豪であるグレゴリーは、軍人でもあったが、剣の功績は振るわなかった。

 王の下では、実力のある者が重宝される。

 彼は自分よりも下の地位にあり、それでも目覚ましい成果をあげるウォーレンが目障りだった。

 ウォーレンは王に勲章を貰ったこともある程の実力だ。それが努力の果てに得たものだと分かっていながら、グレゴリーは我慢ならなかった。


 彼は王宮で出会う度、ウォーレンに嫌がらせをした。口だけの時もあれば、手下を使ってウォーレンの手持ちの品を粉々にしたという。

 相手が高い身分であるために、ウォーレンは文句を言うこともできない。最初のうちは怒りを抑えていたが、繰り返される嫌がらせに、とうとう我慢ができなくなった。

 ある夜、城から帰る途中、偶然出会ったグレゴリーに剣を抜き放ったのだという。

 ウォーレンは実力の持ち主だ。当然グレゴリーは死ぬところだった。

 けれどそこに割って入った者がいたのだ。

 それがヘイゼル・サザーランドだった。


 ヘイゼルはグレゴリーの味方をし、ウォーレンを刺し殺した。

 駆け付けた人々は、腹から血を流すグレゴリー、立ち尽くすヘイゼル、息をなくして倒れたウォーレンを見たという。


 グレゴリーは運ばれ、手当てを受けて一命をとりとめた。

 ヘイゼルは罪を問われたが、グレゴリーが言ったのだ。

 これは不可抗力であり、剣を抜いたウォーレンを、ヘイゼルが防ごうとしたのだと。


 結局ヘイゼルは不問とされ、すべてがウォーレンの責任として片付いた。彼の実家ガードナー家、血縁関係にあるラドベリー家までもが爵位を剥奪されることとなった。


 ウォーレンは独り身で、妻も子もいなかった。しかしラドベリー家は別だ。爵位を剥奪され、家を失えば、ヘザーと三人の娘は路頭に迷うことになる。


 そこに救いの手が差し伸べられた。

 縁談を申し込む、一通の手紙。


 三人の娘は気立てが良いが、没落した彼らを嫁に望む者はいない。

 家族の誰もがそう思っていた。

 その上驚いたことに、差出人はウォーレンを殺した張本人からだったのだ。


「三人とも、嫌なら断っていいのよ」

 優しい母はそう言った。

「あなた達の伯父上は罪人ということになってるんだもの。この手紙はもしかしたら、面白半分の取引なのかもしれない。嫁ぎ先にいったら、ひどい目に遭わされるかもしれないわ。あなた達の誰かが嫌な思いをするくらいなら、四人でこの家を出るのもいいかもしれない」

「でも、もう蓄えは少ないんでしょう」

 長女のローザは心配そうに言う。ヘザーは静かに頷く。

「まあね。爵位さえあれば、もう少しうまく立ち回りが出来たんだけど。――それも取り上げられてしまうなんて思わなかったわ」

 彼女はそう言って、気丈に微笑んだ。

「でもね、私はあなた達の母親よ。皆きちんと面倒を見るから、安心してちょうだい」


 ローザとマルグリットは、顔を見合わせた。

 最初に声をあげたのはローザだった。

「大丈夫よお母様、私が行くわ。私、どうせどこかに嫁ぐはずだったもの」

 マルグリットも続ける。

「姉さま、無理しなくていいわ。あたしが行く。あの人優良物件だし――つまらない男らしいけど、この際気にしてられないわ」


 その時、後ろで黙っていたジュリアが、不意に顔をあげた。

「わたしに行かせて」


 その瞳はぎらぎらと燃えている。


 母と二人の姉は息を呑み、驚いたように声をかけた。


「落ち着きなさいジュリア、あなたはまだ小さいのよ」

「そうよ、相手はどんな人か分からないわ。私が行くから」

「姉さま、そんな顔で言わなくていいわ。ジュリア、あなたまさか、伯父上の復讐をしようなんて考えていないでしょうね」


「考えてなど、いないわ」


 瞳を閉じ、再び開いてジュリアは言った。

 その目はいつもと同じものだ。


 復讐のためなら家族も欺いてみせようと、ジュリアは思ってしまった。

 どうしても、ヘイゼルを問い詰めてやらなければ気が済まない。

 伯父上の仇を討たなければ耐えられない。

 大好きなウォーレンが亡くなってしまった。

 今のジュリアは、そうしていないと、生きていられないのだ。







 雨の日に家を飛び出した時のことを、ジュリアは今でも覚えている。

 それは幼い頃の記憶で、忘れられない思い出だった。

 あの日は父の死から丁度三年が経ち、父方の親戚が家に集まっていたのだ。

 ジュリアはおとなしくいい子にしていたが、彼らが囁き合うのを耳にしてしまった。


「上の二人は父親に似て金髪なのに、末娘だけ黒髪なんだな」


 ひそひそ声は小さかったが、一度聞いてしまったものは、くっきりと耳に残ってしまった。

 母親を悪く言われたような気がして、胸が締め付けられる。

 けれど、それ以上に。

 姉たちと違う、劣っていると言われているようで、悲しくてたまらなかった。

 わきあがってくる何かを必死に我慢していたが、いつの間にか視界がぼやけてきて、ジュリアはたまらず、家を抜け出したのだ。



「ジュリア、ジュリアー、どこに行ったんだ」


 雨の中を探しに来たのは、母を手伝うために来ていたウォーレンだった。

 彼はずぶ濡れになりながら、小さな姪を探し続けた。

「ああ、こんなところにいた」



 ざあざあと降る雨の中、ジュリアは木陰に座り込んでいた。濃い緑と(もや)にまぎれ、小さく肩を震わせながら。

 掻き消されそうな泣き声を、ウォーレンはちゃんと聞きつけたのだ。


「どうしたんだ、ジュリア。お母さんが待っているよ」

「帰りたくない。わたし、姉さまたちと、ちがうんだもの」

「なんだ、義兄さんの家の人たちに、何か言われたんだな?」

「わたしだけ、黒かみだって。金色じゃないって」

「それはひどい言い分だな」


 ウォーレンはしゃがみ込んで、ジュリアの顔を見つめた。

「でも私は、ジュリアが黒髪で嬉しいよ」

「どうして?」

「私と同じ髪だからさ」


 ジュリアは顔をあげた。

 確かにウォーレン伯父は黒髪だ。

 ジュリアはいつも、彼が素敵な人だと思っていた。

 雨の中、笑う彼を眺めていると、知らない人達の言った言葉が、ただの嘘に思えてくる。


「おじうえ、わたし、おじうえの髪が好きです」

「そうかい、ジュリア」

 彼は笑って、ジュリアを抱き上げた。そのままに胸に抱きしめる。

「それならジュリアも、ジュリアの髪が好きだろう」

「ええ、おじうえ。大好きです」

 あなたのことが。


 温かな腕の中、ジュリアは胸がいっぱいになって、ゆっくりと目を閉じた。




――――許さないわ。


 彼を殺した男。


――――絶対に許さない。


 このチャンスを、逃しはしない。




「マルグリット姉さま、実はわたし、その人を見たことがあるの」

 渦巻く炎を抑え、いつもの笑みを張り付けた。

「以前、舞踏会でお見かけしてね、とても素敵な人だと思ったのよ」

 それは真実であり、嘘だった。

 舞踏会で見かけたのは本当だ。けれど、特別な感情など抱いてはいない。

 誰にでも同じ笑顔を振りまく彼に、何の興味も湧かなかった。

 いまやあの男は、ウォーレンの仇でしかない。ラドベリー家が没落した今、彼に近づく手段はないはずだった。

 だからこそ、この縁談はまるで、復讐を手伝うために舞い込んだかのように思えたのだ。

「行かせて、お願い。きっとこの縁談は運命よ」


 その言葉に、家族は困ったように顔を見合わせた。母が心配そうに口を開く。

「ジュリア、さっきも言ったでしょ。向こうにとって私達は罪人の親戚なの。どんな仕打ちを受けるか分からないわ」

「そうよ。あなたはまだ分からないでしょうけど、結婚は良いことがすべてじゃないのよ」

 何かを知った風に長女のローザが言う。

「でもそう言って姉さまは嫁ぐつもりなんでしょう。ずるいわ」

 心にもないことをジュリアは言った。無垢を装う自分が、ひどく醜いものに思えてくる。

 それでももう、決心してしまったのだ。


 言葉につまったローザを遮るように、マルグリットが高い声をあげる。

「ジュリア、馬鹿なことを考えるのはよしなさい。あなたはまだ小さいし、可愛いあなたにあの男が釣り合うとは思えないわ」

「でも優良物件って言ったのは姉さまじゃない。お金持ちで、とても綺麗な方なんでしょ」

 畳みかけるようにジュリアは告げる。

「お願い、わたしその人と結婚したいわ」


 部屋の中には、困惑した空気が流れ始めていた。母と姉たちは尚も説得にかかったが、それも無駄だと分かると、三人で話合いを始めてしまった。

 ジュリアは長い間大人しく眺めていたが、やがて母が向き直ったのを見て、背筋を正した。ヘザーはジュリアの目を覗き込み、噛みしめるように尋ねる。

「あなたは本当にそれでいいの?」

 食い入るようにこちらを見つめる母と姉たち。

 その顔を変わるがわる見ながら、ジュリアは頷いた。

「ええ、その人がいいの」

 家族しばらく押し黙っていたが、やがて諦めたように、少しだけ微笑んだ。

 その時何かが決定したことが、ジュリアには分かった。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ