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虚空の【セカイ】と魔女  作者: 白河律
降り続く六月の雨に、花は散る――
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降り続ける六月の雨に、花は散る―― 15


 「先輩――」

 やっぱり、このひとは苦しんできたんだと思った。

 魔女になってから、ずっと。

 ひとの想いを刈り取る事は、記憶を消すこと。

 記憶が――それも全ての記憶が消えるという事は、個人の人格の死を意味する事だと思う。

 人格の死、それはある意味ではひとを殺しているのと変わらないのかもしれない。

 その事を先輩は、辛いと感じるこころがある。

 そして、その事を背負ってしまう。

 魔女である限り、きっとこれからも。

 これからも、ずっと。


 だとしても、それは――赦される事なのか?


 「――俺は神様じゃないですから、先輩を赦してあげる事は出来ません。先輩の感じているものを取り除いてはあげられません」


 「そうよね……今日の事だって、本当は誰かに赦される事じゃないわよね……」

 「天羽さん事を…やっぱり、先輩は……」

 手に掛けてしまったのか?


 「ううん…しようとしたけれど、出来なかったの……私が着いた時には、もう……」


 先輩は俯いたまま、首を振る。

 その答えに、俺は安堵した。

 どういう形であれ、先輩が誰かを殺すという、最悪の結果にはならなかったのだから。

 でも、ならなかっただけなのだ。

 先輩が手に掛けようとした事は事実だった。

 その事を誰よりも先輩自身が責めている。


 だから、やはり赦される事ではないのだ。

 だとしても――俺は決めている。


 「――話して欲しいです。先輩の事が知りたいから。俺の〝特別〟なひとの事を全部、知って受け入れたいから」


 彼女が魔女になった始まりと、魔女で在り続ける理由を。


 手に触れる細い指がある。

 それが躊躇いがちに俺の手に伸びる、震えながら。

 怖いんだと思った。全てを話す事が。

 先輩は俺を信じてくれている。だから、ここまで色々な事を話してくれた。

 でも、怖いんだ。

 誰かを信じて話す事が。

 だって、これまで頑なに抱え込んできた事だから。

 ひとりきりで。

 俺だってそうだったから。

 二月の時に、先輩に自分の想いを知られて話すまで、誰かに話した事なんてなかったから。

 だから、分からない。

 そんなモノを、どう伝えればいいかなんて。


 けれど、本当は繋がりたかった。

 誰かに知って欲しかった。

 受け入れて欲しかった。

 受け止めて欲しかった。

 いつだって。

 ひとりで抱え込み続ける事は辛い事だから。


 先輩もそんな気持ちである事を信じて、手を握って指を絡めながら、もう一度、その身体を抱き締める。

 俺には、器用な言葉なんて考え付かない。

 だから気持ちが伝わるように、何度でも抱き締める。

 そんな事しか出来ない。

 「から…きた…くん……」

 俺の名前を呟いてから、先輩は話してくれた。

 先輩にとって〝特別〟な想いであるお母さんの事を。


 「私の家族はね、幼い頃から母だけだったの。海外で仕事をしているという父とは殆ど会った事は無い。それがどうしてなのかは分からない。父と母が本当はどんな関係で、そこから何故、私が産まれたのか。でも、私はそれでも構わなかった。母は私を優しく愛してくれていたから。それが分かっていたから。私はそんな母と暮らしていてずっと、幸せだった――」


 俺の腕の中で先輩は、お母さんとの思い出を語る。

 お母さんと一緒にお祭りに行った事や、花火を見た事。

 好物の杏仁豆腐を作ってくれた事。

 時には怒られたりする事もあったけれど、謝った後は優しくしてくれる事。

 時々、ピアノを弾いているのを見て、同じように弾いてみたくなって教わった事。

 小学校の授業参観に来てくれた時には、頑張って問題を答えた事。

 そこには俺の知らない先輩がいた。

 泣いて、笑っていて、幸せそうで。

 思い出の中の先輩は、色々な表情を持った普通の女の子だったんだと思った。

 確かに、先輩は家族であるお母さんに愛されていんだと思った。


 「――でもそんな日々は突然、終ってしまったの。母が重い病気を患ってしまった事で」


 声が沈んでいく。

 先程とは違い、その声は重く色彩を欠いていた。


 「その時ほど、私はきっと在りもしない神さまに祈った事は無いと思う。私から母を奪わないで欲しいと。これまでのような優しい時間を、〝日常〟を続けさせて欲しいと。〝私〟の【セカイ】を壊さないで欲しいと――」


 けれど――その結末を、俺も先輩も知っている。


 「――祈りは、願いは届かなかった。母は亡くなり、私はひとりになった。〝私〟の【セカイ】は壊されてしまった」


 不意に先輩の話を聞いている内に、俺は思い出していた。


 そう――俺自身もまた、家族を喪った時の事を。


 白い病室。

 白い。白い。

 行き交う人々。

 声、こえ、ざつおん。

 誰かが時々、俺をよぶけれどウマクきこえない。

 まどのソトには、イロとりどりのケシキがナガレテいる。

 ウマクみえない。

 色が無い。色彩が無い。


 灰色、灰色の世界。


 ミンナがいない。

 だって、シンじゃたから。


 俺が――ころしてシマッタかもしれないから。

 不用意な一言で。


 あたたかい、ヤサシイ世界を壊したのは――オレ。


 「そんな母がね。亡くなる少し前に話をしたの。魔女と魔法、この【セカイ】の事を。それまで、私は母が魔女だなんて知らなった。突然の事だったの。だから、最初は戸惑うしかなかった。でも母が亡くなってしまってから、分かってしまった。いえ、感じてしまったという方が正しいのかもしれない。世界は酷く曖昧で、壊れやすいものなんだって」


 ソウだ、セカイは酷くモロクテ壊れやすい。

 タッタ、いちどの過ちでカンタンに壊れてしまう。

 夢のように、マボロシのように。

 そしてもう手はトドカズ、帰りたいのに帰る事もできない。

 どれだけナイテモ、どれだけ祈っても。


 「その時、私は見たの。空に浮かぶ三日月が――不可思議なヤイバのように。それが私の魔法だった。魔女の杖だったの」


 ああ、それはコワレタ夢の残骸だ。

 それはノゾマナイ運命で、カナシミで、フコウで。


 「魔女の杖を手にした私はそれから、以前から付き合いのあった古谷家に呼ばれたわ。この近隣の魔女を統括する千鶴の母に言われたの。魔法を手にしたからには魔女になるか、全ての記憶を――母の事を忘れるしか無いと。だから私は選んだ、魔女に為る事を」


 先輩が一度、目を閉じてから言った。


 「私は忘れたくなかった。愛していた母の――お母さんの事を。そして知りたかったの。どうして、母が私に魔女である事を明かしたのか。魔女に為ればそれが分かると思ったから」


 先輩は殉じる事にしたんだ。

 お母さんへの愛情と、喪った悲しみに。

 ただ、愛していたから。


 「私はきっと、壊れてしまったの。あの時、魔女の杖を手にした時から。ただ――心が」


 世界が割れる。

 今まであった世界が。

 その時、心も壊れてしまうんだ。

 それが幸せである程に、大切である程に。


 キシリ、と音が鳴る。


 それは【セカイ】が割れる音。

 【セカイ】はヒビ割れる。壊れていく。ひとのこころの痛みや傷を受けて。

 いや、違う。

 俺がそう感じるんだ。ずっと、そう感じているんだ。

 家族を亡くした時から。


 世界にヒビが入っているのが見える。ガラスに奔るようなモノが視界に映る。隠されていた傷跡のように浮かび上がる。

 そうして気付く、自分の【セカイ】はとっくに壊れている事に。

 だから、本当は空も【セカイ】もヒビが入っている。

 虚ろだった、壊れた世界は。


 【  】だった。


 その虚ろを埋めるものは、怒りだった、悲しみだった。それらを飲み込む虚しさだった。


 そうだ――この【  】での魔法を使う為の条件とは、自身を囲う世界を虚しいと感じてしまう事だったんだ。


 そしてその虚しさは、満たされない想いは、届かない祈りは狂気を孕む。


 その形こそが――魔女の杖なんだ。


 癒される事の無い痛みと傷の形。

 狂気――凶器。

 世界を犯すキョウキ。

 【セカイ】なんて所詮、自分の感覚や意識が捉えたものでしかない。

 自分の【  】の中身を満たすのは自己の想い、感情。

 そんな心の中にある筈のキョウキが世界を犯せるなら、確かにこの世界はひとの心が生み出した【セカイ】なんだ。


 俺の視界に入るものが全て、ヒビ入る【セカイ】を見渡す。

 見慣れた自分の部屋。腕の中の先輩。

 色は無く、温度も感じない。ぬくもりも。

 そんな灰色の【セカイ】の中に、ただひとつだけ色付いて見えるものがあった。それを見つめる。

 「殻木田くん……?」

 こえがキコエル。

 でも、ナニモ感じない。


 それは、部屋の片隅に置かれた竹刀だった。

 竹刀、それを握って剣道をしていた頃の俺は幸せだった。

 ただ、剣道に打ち込んで。それを応援してくれる家族がいて。

 けれどもう壊れて、喪われてしまったもの。

 だから、それが俺には折れたものに見えた。


 ――刃先の折れた灰色の剣に見えた。


 それは、いつからあったのだろう。

 きっと、ずっと俺の傍にあったものだ。

 俺が気が付けなかっただけ。

 誰かの為、という別の夢で目を、虚ろな心を塞いだから。

 そうしなければ生きていられなかったから。

 キョウキにノマレテしまうから。


 ――嗤う。


 手を伸ばす。

 それを手にしようとして。

 〝あれ〟を手にすれば俺は――きっとこの【セカイ】も自分もコワセル。


 「駄目――!」


 声がした。それから強く、抱き締められた。


 「駄目、殻木田くん!〝それ〟を手にしたら……あなたは魔女になってしまう!」


 ウルサイと、煩わしいと感じた。

 俺を引き留めるその声が、そのぬくもりが。

 跳ね除けようとしたけれど、退かない。


 「私は嫌…あなたにはいつものように、ただ笑っていて欲しいだけなの……ただ、私の傍にいて欲しいだけなの!だから、お願い……」


 声が泣いている。身体が震えている。

 ようやく聴こえる、感じる。

 先輩が、俺の特別なひとが泣いているんだ。

 「せん…ぱい……」

 腕の中の先輩を見る。

 「もどって…きてくれたの……」

 視線が合うと、先輩が涙を零しながら強く抱き付く。

 抱き返しながら言った。

 「先輩…俺にも見えました……あの刃が俺の〝魔法〟なんですね。俺のキョウキの形なんですね……」

 先輩が泣きながら頷く。

 彼女が実際に、見えたかは分からない。ただ、それに触れようとした俺の様子で察しただけなのかもしれない。

 それは、今の俺も同じだった。刃は見えない。【セカイ】にもヒビは見えない。ただ、遠ざかっていった。

 あの刃を手にしたら――俺はどうなっていただろうか?

 それも、今となっては分からない。

 ただ腕の中で泣き続けるこのひとがいたから、俺は変わらずに戻って来れたのだと思う。


 彼女へのどうしよもない程の愛おしさが募った。


 そっと、頬を両手で覆って顔を合わせる。

 泣いている彼女の目からは涙が零れていて、普段の物憂げで浮世離れした印象は何処にも無い。

 それが全部、俺への想いなんだと思うと胸が詰まった。

 目が合うと、彼女は顔が間近にある事からか、泣き顔を見られているのが恥ずかしいのか俯こうとする。けれど顔は押えているので、反らせない。

 「先輩って結構、涙脆いんですね!今日は泣いてばかりだ」

 「……全部、あなたの所為でしょう」

 あんまり反論は出来なかった。

 「先輩、ごめんなさい……」

 「あ……」

 そのまま、顔を寄せていく。

 目を閉じて。


 そうして俺の一番、大事な特別なひとに口付けた――


 「んん…んっ……」

 彼女はただ目を瞑って、ずっと待っていたかのように、その行為を受け入れた。

 俺の身体を、より強く抱いて。


    ◇


 「先輩、もう行くんですか……?」

 「ええ、雨も上がった事だし。やる事もあるしね。それに……あのままだと、歯止めが効かなくなりそうだから……」

 乾いた制服に袖を通した先輩が、玄関で靴を履くと振り返る。

 その顔は恥ずかしげに微笑んでいた。

 「その、今日はありがとう……殻木田くんの気持ち、凄く嬉しかったから、全部」

 「先輩……」

 「名残惜しい?」

 「はい……」

 素直に頷く。

 「あの…私も同じ……だから、私も何があってもいいから、あなたと今日はずっといたいって思ったから」

 「先輩!」

 赤く頬を染めて、彼女が俯く。

 「だから、その…明日もあいたいの……いつものように、生徒会室で。また明日も……」

 明日――そうだ〝今日〟だけじゃない。

 これからも先輩と俺の〝日常〟は確かに続いていくんだ。

 だから――また明日。


 「先輩、また明日!」


 先輩に微笑む。

 「うん。また、明日!」

 先輩も笑う。

 それから、俺の耳元に顔を寄せると囁いた。


 「殻木田くん、だいすき」


 「あの……」

 真っ直ぐな好意に俺が戸惑っている間に、先輩はアパートの扉を開けて去って行った。

 先輩が去ってから暫く後、いや一晩中、先輩の事ばかり考える羽目にその日はなった。それは、もうイロイロと。許せ!


 それでも明日が訪れるのが、ただ楽しみだった。

 また彼女に、会えるのだから。

 その希望を俺はただ、信じていられた。

 この壊れた【セカイ】の中で――夢を見た。



       降り続く六月の雨に、花は散る―― 了


ようやくこの章も終わりに出来ました(笑)

次回、一話だけエクストラが入ります。


殻木田くんのキョウキの果ては――それはいずれ。

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