降り続ける六月の雨に、花は散る―― 14
◇
それから、先輩は話を始めた。
雨音だけが響くふたりきりの部屋の中で、身体を寄せ合ったまま。
「――まずはそう、天羽桜の事から話しましょうか。何故、彼女が刈り取りの対象になったのかを」
先輩の視線が一度、窓の外を見る。
そこに映るのは夜の街、雨と散った桜の花の流れる街。
「彼女が刈り取りをされなければいけない理由。それは、この数週間の間、咲いていた季節外れの怪異は、彼女が引き起こしたものだったから」
「やはり…そうだったんですね……」
「気が付いていたの?」
「あくまで勘の域ですけど。天羽さんは、最後に桜の絵を描く事を望んでいましたから。それに天羽さんに会いに行く際に、何度か先輩とも出会ってますしね」
「確かに、そうだったわね」
先輩が頷く。
「でも、なんで天羽さんが刈り取られなければいけなかったんですか?彼女の起こした怪異は、俺には誰かに危害を加えるものでは無かったと思います」
俺が最も知りたい事は、その事だった。
「それはね、彼女の起こした怪異に大勢の人が触れる事で、怪異そのものが存在するものだと〝認識〟されてしまうから。それは今のあなたの状態に似ているわ。あなたは私と出会ってから、怪異を感じ取れるようになった事と」
「その事が魔女にとっては何か、不都合があったんですか?」
「ええ、それは私達にとってはなかなかの厄介事だったのよ。それこそ、あなたも携わった二月の時よりも」
「それは、どうして?」
やはり、天羽さんが刈り取りの対象になった理由としてはピンと来なかった。怪異としては危険なのは、二月の方だと思う。
だが、何となく分かる事もあった。
それが恐らく、魔女が決して怪異からひとを守るだけの存在ではない理由なのだという事を。
「それは――この【セカイ】では魔法は〝特別〟なモノでは無いから。本来ならば、誰にでも使えるチカラだからよ」
「そんな事……」
言い掛けて止めた。その言葉に近視感を覚えたからだ。
それは先ほど、俺が先輩に魔法が使えるようになると言われた事と似ていた。
魔法は〝特別〟では無いのか?
いや、待て。山岡の時にもセイレーンで話した事じゃないか。
そうだ。魔法は兎も角、怪異は普通のひとが引き起こしていた事じゃないか。
「だから、厄介だったの。大勢の人の目に触れるあの怪異が。その事で感化されて知らずの内に怪異、魔法を使う人間が他にも出て来る恐れがあったから」
怪異のみならず、魔法さえも〝特別〟なモノでは無いとするなら――
怪異――それはひとの想い。
〝特別〟な想いを生んでいる記憶から生まれるもの。
〝常識〟では起こりえないような過程で起こる不思議な事。
魔法――それは力。
化学とは別の形で何かをする力。
その別の形とは――なんだ。
「――先輩、確か怪異はひとの想いが引き起こすものですよね?魔法はどうやって起こしているんですか?」
――そう、その事に行き当たる。
先輩達〝魔女〟は普段どうして魔法が使えるんだ?
あの先輩が持っている不可思議な刃は、どこから生まれたんだ?
「私達の魔法も変わらないわ。違いなんてないの。そう、怪異と同じで私達、魔女の想いが引き起こしているものに過ぎない」
「それなのに――」
先輩の言葉を聞いて、胸に込み上げてくるものがあった。
俺はこれまでに見てきた。
二月の闇の中の嗤いと絶望を。鈴木さんの哀しみを。山岡の虚しさを。天羽さんの最後を。
それらを魔女は半ば、一方的に刈り取る事もあった。
刈る者と刈り取られる者、その違いは何なのだろうか?
気が付けば、強く手を握り締めていた。
それを抑えて、尋ねる。
「だとすれば何故、魔女は怪異を刈り取っているんですか――?」
「それが必要な事だから――この【セカイ】にとって」
先輩の表情は変わらない。
俺は言葉を続ける。
「――それが魔女の使命なんですね。その為なら何でもする。ひとの命に係わる事でも。人を殺す事もする」
先輩に出会う前に、古谷先輩が言っていた事を話す。
「殻木田くん、それを誰から聞いたの?」
不意に先輩の目が鋭くなる。
「その、古谷先輩からです。先輩に会いたくて、居場所を聞いた時に言われました。先輩も魔女だから、そうすると――」
「――そう、千鶴が」
先輩が何かを思うように、唇に手をやる。
「ねえ、先輩。俺には分からないんですが、そんなに魔女の使命って、この世界にとって必要なものなんですか……?天羽さんのような人間の、穏やかな最後まで奪ってまでする事なんですか……?」
これまで、先輩の話を聞いて思った事だ。
「私にも分からないわ。でも、魔女のしている事が必要なのだと感じる時もある。魔法は本来、多くの人間が使えるものだけど怪異がそうであるように、その力は誰かを傷付ける事も少なくはないから。それがもし、誰もが使えるようになれば――」
先輩が窓から見える空を見る。
そこには、雨を降らす厚い雲に覆われた空がある。
「――空にヒビが入り、綻び、歪む、この【セカイ】はきっと簡単に壊れてしまうに違いないから」
「……ヒビ?」
俺も空を見上げる。
けれど、そこには何も見えない。
これまでに何度も思ったけれど、先輩は何を見ているんだろう?
先輩と俺が見ている空は、世界は違うのか?
「先輩は、何を見ているんですか?」
それが、ずっと知りたかった。
「殻木田くん。私には、いえ魔女には見えるのよ――この【セカイ】を壊す人の想いの形が、まるで空というガラスに入るヒビのように。そして、それを刻んでいるのは、ひとの想いなのよ」
「ひとの想いが世界を壊す……」
それは〝常識〟で考えてみれば在りえない事だ。
ひとの想いが世界に干渉するなんて。
ひとの想いは心の中にしか無いものだ。
ひとの想いで、簡単に世界が変わったりなんてしない。
本当にそうなのか?
なら、魔法や怪異は何だ?
あれは世界に、確かに現実に干渉している。
「どうして、怪異や魔法は起こせるんですか?それが本当なら、ひとの想いだけで」
そう、尋ねるしかなかった。
「――この【セカイ】はね、ひとの想いが造り出したマボロシのようなものだから」
この世界がひとの造り出したマボロシ。
何故だろう?
その言葉が簡単に附に落ちてしまったのは。
だから、なのか。
怪異や魔法が特別な事では無いのは。
「そう、ひとの造り出した【セカイ】を言い換えるなら、心の中の世界とでも言えばいいのかしら?だから、ここでは本来〝思う〟だけで魔法は使えるのよ」
でも、そうでは無い。
先程までの俺がそうだった。
自分には魔法は使えないと、思っていた。
何故なら、自分の中にこれまで生きてきた中で培われた〝常識〟があるからだ。
「けれど、誰もがそうは思わない。何故ならそんな幼い頃の夢のような事は、多くの人々と日々の生活の中で共有されていく〝常識〟ではないから。そう、魔女が仕向けているのだけどね、様々なメディアを通して。だから魔法も怪異も〝特別〟に成り果てる。その秘密を知り、魔法を得た者が魔女になるのよ」
「なんだか、天動説みたいなお話ですね。あの当時はまだ空が動いているとされていて、それをみんなが信じていた。それが常識だったから。だから、誰もそれを疑わなかった」
幼い頃、空を見上げると星が、月が、太陽が動いていた。
きっとそれは、空が動いているんだ――そんな風に捉えていた。
けれどテレビや本、学校の授業で地が動いている事を知る。
それがいつの間にか、当たり前の〝常識〟になっていく。
自分の目で、地球が動いている所を見た訳じゃない。その事実を確かめた訳じゃない。
みんながそう、信じているから。
極端な事を言えば、この間のプラネタリウムの星空しか知らなかったら、あれを本物だと思うかもしれない。
「ああ、ガリレオの――確かに、似ているかもしないわね。現実は地動説が正しかったのだけど。あの頃は異端でしか無かった。そう、けれどこの【セカイ】はそうじゃない。もし、みんなが天動説を信じていたなら、天が動くのよ。ひとの〝常識〟とは酷く曖昧なもの。けれどひとの世界で生きるなら大切なのは真実では無く、そうしたマボロシのようなものを他者と共有する事だから。この【セカイ】はそんなひとの認識だけで出来ているのよ」
ようやく、全てが繋がっていく。
そういう事だったのか。
もし本当に世界がひとの想いで出来ているのなら、確かに魔法は特別じゃない。思うだけで、世界に干渉出来るのだから。
だが自分が思う通りに世界を変えられるなら、それは素晴らしい事である反面、その使い方を間違えれば凄惨な事になると思う。
ひとの心には様々な想いがあるのだから。
だから、魔女は魔法を〝特別〟にしてしまったんだ。
在るか、無いかも分からないものに。
それでもひとの心が時として抱く、強い〝特別〟な想いはそんな〝常識〟をも超えてしまう。
現実で〝常識〟だけで、全てが満たされる――幸せになれる訳ではないから。
それこそが、怪異なのか。
そして、魔女はそれを刈り取ろうとする。
二月の時の俺のように、関わりの無い人間に見られるのであれば、その記憶も消す。
何故なら魔法や怪異が、多くのひとに知られていけば、やがてそれは〝特別〟ではなくなってしまうからだ。
だから、天羽さんは刈り取られようとした。
あの季節外れの花は、全国版のニュースにも取り上げられる程、多くの人の目に触れたから。
――〝常識〟という〝日常〟と〝非常識〟という〝非日常〟を繋ぐものは、ひとの想いだったのか。
だとするのなら――怪異と魔法が同じものだとするのなら何故、先輩は魔法を使えるんだ?
それはきっと、先輩の亡くなったというお母さんの事があるんだと思う。
先輩にとっての〝特別〟な想いとは多分、その事。
「先輩も何か、強い〝特別〟な想いを抱いているから、魔法が使えるんですよね……?…良かったら、その事も……俺に聞かせてくれませんか?」
個人の深い事ではあるけれど、その事を聞くと先輩は言い淀んだ。
「……言えないわ」
「先輩……?」
「きっと、言ってはいけないの…そんな…気がするの……」
俺の隣りに座る先輩が俯く。
そのせいで、顔が見えない。
「これまで…沢山のひとの記憶や想いを……刈り取ってきた私が…話してはいけないと思うのよ……そうして、赦されてはいけない気がするの……」
また、少しずつ先輩の身体が震え始めていた。
外で降る雨がまた強くなってきたのを、窓に当る水滴の音で知る。
ふと思う。どうして世界は、時として冷たい雨のように悲しみばかりを誰かに降らせ続けるのだろう、と。
次回でこの章も終了となります。
ひとつの話としてはこの【セカイ】を理解した殻木田君。だが、まだそれだけでは魔法には届かない。
しかし【セカイ】がマボロシのよう。そう捉えるファクターは彼自身の中にある事にまだ気が付いていない。




