降り続ける六月の雨に、花は散る―― 12
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雨の降り続く中、俺は自室へと戻ってきた。
――雨に濡れた先輩を伴って。
その先輩は今、シャワーを浴びている。
タオルで濡れた身体を拭いて着替えた後、俺はイスに座り込んだ。
雨の中で先輩と出会った後、天羽さんの息がもう無い事を確認してから、病院に匿名で連絡した。
ただ、ただ沈んだ気持ちで。
そうとしか言い表せない想いで。
どうして、こんな事になってしまったのか?
疑問は尽きない。
何故なのか?
何故、天羽さんが刈り取られなければいけなかったのか?
彼女の命がそう、長いものではなかったとしても。
それならばせめて静かな、穏やかな最後であってもよかったのではないか。
彼女が何か犯す事があったのだろうか。
魔女の理を。
それから――先輩の事。
先輩は天羽さんを、手に掛けてしまったのだろうか?
〝魔女〟として。
自分の中で色々な感情が暴れ出す。吐き気を覚える程に。
これまでの先輩との思い出が頭を過る。
いつもの怠惰で天邪鬼な先輩。俺に少し意地悪な先輩。心配そうに俺を見る先輩。デートの時に頬を染めて、恥ずかしげな先輩。穏やかに笑う先輩――
それらの思い出が、灰色に塗り潰されそうになる。
先輩に対する今の想いで。
――俺は先輩を信じてもいいのか?
先輩は俺に何も言ってはくれない。
だから、真実は分からない。
俺が着いた時には、既に天羽さんは倒れていた。
考えられる答えは限りなく最悪だ。
今、先輩が何を考えているのか分からない。
それでも、やはり雨に濡れる先輩を放っておく事は出来なくて、俺は自室まで促して連れて来てしまった。
その間も彼女は俯いて、ずっと無言だった。
外で降り続く雨の音に混じって、微かにシャワーの流れる音が聞こえる。
前にも似たような事があった。
先輩と出会ったから、それほど間の経って無い頃の三月の雨の降った日にも。
けれど今はあの時とは、真逆だ。
あの時はドギマギしていた。仕方なかったとはいえ、女の子を自室に連れ込んでしまったのだから。
今は違う。
気が重い。シャワーを浴び終えた後の、先輩と顔を合わせるのが。
――俺は先輩を信じるのか?
ひとの記憶だけでは無く、命すら奪う存在を。
いのち。
それは大事もの。
家族を亡くした俺は、そう強く思う。
――それでも。
ポケットから短冊を取り出して見る。そこに書かれた言葉を。
それから天羽さんの、墓地での言葉を思い出す。
信じる、という事。
――一度、目を閉じた。
俺自身の先輩への想いを確かめる。
俺の用意したシャツとチノパンを履いた先輩が、水場から姿を現す。
長い髪は僅かに湿って、艶やかに流れる。
「……」
彼女は立ち尽くす。俺と顔を合わせる事も無く。
「――先輩」
呼び掛けると、その身体がビクリと震えた。
イスから立ち上がると、そんな先輩との距離を詰めていく。
「……ん」
その度に先輩は下がっていく。けれどそれも、狭い部屋では直ぐに出来なくなって壁に背中を付いてしまう。
俯いている先輩の顔は見えない。けれど、その身体は痛々しく震え続けている。
その様子を見て、思う。
このひとは全く――
こんな時なのに、思わず笑ってしまった。
――何時だって、強がっているんだから。
出会った時からそうだ。何かを押し隠していると、身体が震える癖がある事を俺は知っていた。
そんな彼女に静かに言葉を掛けた。
「――これから俺は独り言を言います。先輩に例え、どう思われようとも。もしその事で苛立ったり失望したら、俺を殴るなり、立ち去るなりして下さい」
先輩が僅かに顔を上げる。
視線を合わせてから俺は言った。
「俺は何があっても先輩を信じます――」
先輩の目が一度、驚いたように見開かれてから細められた。
その目は問うていた。
なんで、と。
なんで、信じられるのかと。あんな事があったのに。
その視線に答える。
「――先輩が好きだから」
答えた途端に、身体に衝撃を感じた。
強い、けれど柔らかい感触を覚えた。
一瞬、遅れて先輩が抱き付いてきた事が分かった。
「なんで…なんで……そんな事を言うのよ。なんで…言えるのよ……この、バカ……」
先輩が泣き出す、涙を零しながら。まるで迷子の子どもが、大事なひとと再び出逢えた時のように。これまでずっと堪えていたものが、堰き切れてしまったかのように。
そんな彼女を抱き締める、強く、強く。
このひとがもう、どこにも行ってしまわないように。
抱き締めて、濡れた髪を撫でて、その身体の柔らかさと温もりを逃がさないようにする。
俺だけのモノにしてしまうかのように、ぎゅっと。
分からない事なんて山程ある。
魔女の事も、今回の怪異の事も、天羽さんの事も、先輩の事も、自分の気持ちだって全部は納得なんて出来ていない。
でも、そんな事はどうでも良かった。
「先輩は俺の〝特別〟なんです」
「……私、あなたの〝特別〟なんだ」
腕の中で泣き続ける先輩が、俺を見上げる。
頷き返す。
先輩は――俺にとって特別になってしまった。
特別なんだと思ってしまった。
今回の色々な事の中で、そう感じた。
そんなモノを手放せる訳が無かったのだ。
俺は愚かなのかもしれない。
〝魔女〟がどんなものかも分からない。怪異の事も。この世界の魔法の事も。
これから、どうなるかも分からない。俺と先輩がどうなるかなんて。
それでも構わないと思った。
ただ、俺はこのひとが欲しいだけだった。
そんな願望しか、俺にはなかった。
ただ、ただこのひとと離れたくないだけだった。
このひとと、これからも一緒にいたいだけだった。
その為なら家族を喪った時に決めた想いも――誰かの為に何かしたいという、想いすらも変わってしまいそうだった。
いや。きっと変わってしまったと思う。
俺はまず、先輩の為でありたい――
――彼女の為なら、多少の善悪は飲み込む。
そうでなければ〝魔女〟である彼女の傍には、きっといられないから。
誰かの為に、という想いは変わらない。
けれどその一番、最初に彼女がいる。
先輩が笑ってくれるなら、俺は何でもする。
ある意味、俺は選んでしまったのだ。
誰の為に在りたいのかを。
「……本当にバカ、なんだから」
ひとしきり泣いた後、先輩が呟いた。
もう大切なだけではいられない。
それだけでは届かない。
だから彼は決意する。
心のままに。
灰色な【セカイ】の中で。




