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虚空の【セカイ】と魔女  作者: 白河律
降り続く六月の雨に、花は散る――
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降り続ける六月の雨に、花は散る―― 12


     10


 雨の降り続く中、俺は自室へと戻ってきた。

 ――雨に濡れた先輩を伴って。

 その先輩は今、シャワーを浴びている。

 タオルで濡れた身体を拭いて着替えた後、俺はイスに座り込んだ。


 雨の中で先輩と出会った後、天羽さんの息がもう無い事を確認してから、病院に匿名で連絡した。

 ただ、ただ沈んだ気持ちで。

 そうとしか言い表せない想いで。


 どうして、こんな事になってしまったのか?

 疑問は尽きない。

 何故なのか?

 何故、天羽さんが刈り取られなければいけなかったのか?

 彼女の命がそう、長いものではなかったとしても。

 それならばせめて静かな、穏やかな最後であってもよかったのではないか。

 彼女が何か犯す事があったのだろうか。

 魔女の理を。


 それから――先輩の事。


 先輩は天羽さんを、手に掛けてしまったのだろうか?

 〝魔女〟として。

 自分の中で色々な感情が暴れ出す。吐き気を覚える程に。

 これまでの先輩との思い出が頭を過る。


 いつもの怠惰で天邪鬼な先輩。俺に少し意地悪な先輩。心配そうに俺を見る先輩。デートの時に頬を染めて、恥ずかしげな先輩。穏やかに笑う先輩――


 それらの思い出が、灰色に塗り潰されそうになる。

 先輩に対する今の想いで。


 ――俺は先輩を信じてもいいのか?


 先輩は俺に何も言ってはくれない。

 だから、真実は分からない。

 俺が着いた時には、既に天羽さんは倒れていた。

 考えられる答えは限りなく最悪だ。

 今、先輩が何を考えているのか分からない。

 それでも、やはり雨に濡れる先輩を放っておく事は出来なくて、俺は自室まで促して連れて来てしまった。

 その間も彼女は俯いて、ずっと無言だった。


 外で降り続く雨の音に混じって、微かにシャワーの流れる音が聞こえる。

 前にも似たような事があった。

 先輩と出会ったから、それほど間の経って無い頃の三月の雨の降った日にも。

 けれど今はあの時とは、真逆だ。

 あの時はドギマギしていた。仕方なかったとはいえ、女の子を自室に連れ込んでしまったのだから。

 今は違う。

 気が重い。シャワーを浴び終えた後の、先輩と顔を合わせるのが。


 ――俺は先輩を信じるのか?


 ひとの記憶だけでは無く、命すら奪う存在を。

 いのち。

 それは大事もの。

 家族を亡くした俺は、そう強く思う。


 ――それでも。


 ポケットから短冊を取り出して見る。そこに書かれた言葉を。

 それから天羽さんの、墓地での言葉を思い出す。

 信じる、という事。


 ――一度、目を閉じた。


 俺自身の先輩への想いを確かめる。



 俺の用意したシャツとチノパンを履いた先輩が、水場から姿を現す。

 長い髪は僅かに湿って、艶やかに流れる。

 「……」

 彼女は立ち尽くす。俺と顔を合わせる事も無く。

 「――先輩」

 呼び掛けると、その身体がビクリと震えた。

 イスから立ち上がると、そんな先輩との距離を詰めていく。

 「……ん」

 その度に先輩は下がっていく。けれどそれも、狭い部屋では直ぐに出来なくなって壁に背中を付いてしまう。

 俯いている先輩の顔は見えない。けれど、その身体は痛々しく震え続けている。

 その様子を見て、思う。


 このひとは全く――


 こんな時なのに、思わず笑ってしまった。


 ――何時だって、強がっているんだから。


 出会った時からそうだ。何かを押し隠していると、身体が震える癖がある事を俺は知っていた。

 そんな彼女に静かに言葉を掛けた。

 「――これから俺は独り言を言います。先輩に例え、どう思われようとも。もしその事で苛立ったり失望したら、俺を殴るなり、立ち去るなりして下さい」

 先輩が僅かに顔を上げる。

 視線を合わせてから俺は言った。


 「俺は何があっても先輩を信じます――」


 先輩の目が一度、驚いたように見開かれてから細められた。

 その目は問うていた。

 なんで、と。

 なんで、信じられるのかと。あんな事があったのに。

 その視線に答える。


 「――先輩が好きだから」


 答えた途端に、身体に衝撃を感じた。

 強い、けれど柔らかい感触を覚えた。

 一瞬、遅れて先輩が抱き付いてきた事が分かった。

 「なんで…なんで……そんな事を言うのよ。なんで…言えるのよ……この、バカ……」

 先輩が泣き出す、涙を零しながら。まるで迷子の子どもが、大事なひとと再び出逢えた時のように。これまでずっと堪えていたものが、堰き切れてしまったかのように。

 そんな彼女を抱き締める、強く、強く。

 このひとがもう、どこにも行ってしまわないように。

 抱き締めて、濡れた髪を撫でて、その身体の柔らかさと温もりを逃がさないようにする。

 俺だけのモノにしてしまうかのように、ぎゅっと。

 分からない事なんて山程ある。

 魔女の事も、今回の怪異の事も、天羽さんの事も、先輩の事も、自分の気持ちだって全部は納得なんて出来ていない。

 でも、そんな事はどうでも良かった。


 「先輩は俺の〝特別〟なんです」


 「……私、あなたの〝特別〟なんだ」

 腕の中で泣き続ける先輩が、俺を見上げる。

 頷き返す。


 先輩は――俺にとって特別になってしまった。

 特別なんだと思ってしまった。

 今回の色々な事の中で、そう感じた。

 そんなモノを手放せる訳が無かったのだ。

 俺は愚かなのかもしれない。

 〝魔女〟がどんなものかも分からない。怪異の事も。この世界の魔法の事も。

 これから、どうなるかも分からない。俺と先輩がどうなるかなんて。

 それでも構わないと思った。

 ただ、俺はこのひとが欲しいだけだった。

 そんな願望しか、俺にはなかった。

 ただ、ただこのひとと離れたくないだけだった。

 このひとと、これからも一緒にいたいだけだった。

 その為なら家族を喪った時に決めた想いも――誰かの為に何かしたいという、想いすらも変わってしまいそうだった。

 いや。きっと変わってしまったと思う。


 俺はまず、先輩の為でありたい――

 ――彼女の為なら、多少の善悪は飲み込む。


 そうでなければ〝魔女〟である彼女の傍には、きっといられないから。


 誰かの為に、という想いは変わらない。

 けれどその一番、最初に彼女がいる。

 先輩が笑ってくれるなら、俺は何でもする。

 ある意味、俺は選んでしまったのだ。

 誰の為に在りたいのかを。


 「……本当にバカ、なんだから」


 ひとしきり泣いた後、先輩が呟いた。


もう大切なだけではいられない。

それだけでは届かない。


だから彼は決意する。

心のままに。

灰色な【セカイ】の中で。

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