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虚空の【セカイ】と魔女  作者: 白河律
降り続く六月の雨に、花は散る――
90/160

降り続ける六月の雨に、花は散る―― 10


     8


 わたしは描く、想いを込めて。

 〝魔法〟のように咲いてくれた季節外れの花を。


 わたし――天羽桜はキャンバスに筆を走らせていく。


 同じ桜色でも僅かに、塗料を混ぜ色彩を変化させていく。

 青、赤、緑、白、黒、黄、灰色――

 こうして絵を描いていると、最初に思い返すのはあのひと――亡くなった主人の事。


 あのひとに初めて出会った時も、わたしは絵を描いていた。

 あの頃のわたしは、まだ少女だった。

 何にも自信が持てなくて、ただただ誰にも見せる事の無い絵ばかりを描いていた。

 その時に描いていたのは、わたしと同じ名前の花だった。

 それを突然、やって来たあのひとが覗き込んで言ったのだ。

 「お前、絵上手いな!」

 気くさに笑いながら。

 その笑顔に対して、わたしは恥ずかしくて俯く事しかできなかった。


 わたしはその事を切っ掛けにして――あのひとに恋をしていった。

 桜色の花が芽吹くように。


 幸せだった、不安だった。

 好かれたくて不安で、不安で。

 それでも気持ちをある時、言葉にした。

 あのひとは――その言葉を受け止めてくれた。


 そこからは、ずっと幸せだった。

 愛して、愛されて。

 色々あったけれど、ふたりの幸せを信じて互いに傍にいた。

 やがて、家族が増えた――


 ああ、ああ――思い返し始めれば、それは長いようであまりに短い。

 一瞬に散る花のよう。

 いつの間にか、みんながわたしより先に逝ってしまった。


 空を見上げる。

 空を覆うのは重く黒い雲。

 急がなくてはいけないと思った。

 雨が降り出して、花を散らしてしまう前に。

 なにより、わたしの身体が持つまでに。

 それまでにただ、わたしの想いを形にしたかった。

 最後にもう一度、あの頃のように桜の絵をどうしても描きたかった。


 もう少し、もう少しで描き終わる。

 色を乗せていく。

 ついに、出来た。

 その瞬間に意識が薄らいでいく。黒く、黒く。

 目蓋が酷く重い。


 わたしはもう――

 ――みんな、待っていてね。


 不意に、気配を感じた。

 その気配はこの間、殻木田君と墓地に行った時にも感じたもの。

 重い目蓋を僅かに上げる。


 そこには長い黒髪の少女がいた。

 彼女の手には、蒼白い不可思議な刃が握られていた。それをこちらに振り上げていた。

 彼女は濡れていた、いつしか降り始めた雨に。

 その端正な顔も、艶やかな黒髪も、着ている学校の制服も。

 それから、目蓋の下も。


 どうして、泣いているの?

 どうして、そんなに悲しそうな顔をしているの?

 お願い、どうか泣かないで。


 わたしは虚ろな意識の中、必死に声を押し殺すようにして泣く彼女に、手を伸ばした身体が傾くのを感じながらも、目蓋を開けてはいられなかった。


ある意味、この形の方が残酷かもしれません。小夜にとっては。

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