降り続ける六月の雨に、花は散る―― 10
8
わたしは描く、想いを込めて。
〝魔法〟のように咲いてくれた季節外れの花を。
わたし――天羽桜はキャンバスに筆を走らせていく。
同じ桜色でも僅かに、塗料を混ぜ色彩を変化させていく。
青、赤、緑、白、黒、黄、灰色――
こうして絵を描いていると、最初に思い返すのはあのひと――亡くなった主人の事。
あのひとに初めて出会った時も、わたしは絵を描いていた。
あの頃のわたしは、まだ少女だった。
何にも自信が持てなくて、ただただ誰にも見せる事の無い絵ばかりを描いていた。
その時に描いていたのは、わたしと同じ名前の花だった。
それを突然、やって来たあのひとが覗き込んで言ったのだ。
「お前、絵上手いな!」
気くさに笑いながら。
その笑顔に対して、わたしは恥ずかしくて俯く事しかできなかった。
わたしはその事を切っ掛けにして――あのひとに恋をしていった。
桜色の花が芽吹くように。
幸せだった、不安だった。
好かれたくて不安で、不安で。
それでも気持ちをある時、言葉にした。
あのひとは――その言葉を受け止めてくれた。
そこからは、ずっと幸せだった。
愛して、愛されて。
色々あったけれど、ふたりの幸せを信じて互いに傍にいた。
やがて、家族が増えた――
ああ、ああ――思い返し始めれば、それは長いようであまりに短い。
一瞬に散る花のよう。
いつの間にか、みんながわたしより先に逝ってしまった。
空を見上げる。
空を覆うのは重く黒い雲。
急がなくてはいけないと思った。
雨が降り出して、花を散らしてしまう前に。
なにより、わたしの身体が持つまでに。
それまでにただ、わたしの想いを形にしたかった。
最後にもう一度、あの頃のように桜の絵をどうしても描きたかった。
もう少し、もう少しで描き終わる。
色を乗せていく。
ついに、出来た。
その瞬間に意識が薄らいでいく。黒く、黒く。
目蓋が酷く重い。
わたしはもう――
――みんな、待っていてね。
不意に、気配を感じた。
その気配はこの間、殻木田君と墓地に行った時にも感じたもの。
重い目蓋を僅かに上げる。
そこには長い黒髪の少女がいた。
彼女の手には、蒼白い不可思議な刃が握られていた。それをこちらに振り上げていた。
彼女は濡れていた、いつしか降り始めた雨に。
その端正な顔も、艶やかな黒髪も、着ている学校の制服も。
それから、目蓋の下も。
どうして、泣いているの?
どうして、そんなに悲しそうな顔をしているの?
お願い、どうか泣かないで。
わたしは虚ろな意識の中、必死に声を押し殺すようにして泣く彼女に、手を伸ばした身体が傾くのを感じながらも、目蓋を開けてはいられなかった。
ある意味、この形の方が残酷かもしれません。小夜にとっては。




