降り続ける六月の雨に、花は散る―― 8
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夕暮れに季節外れの桜の花が舞い散る墓地を、私は行く。
散った花は道にも落ち、色を付ける。
それが何故か、私には血のようにも見えた。
そう思えたのは、今が世界を赤く染める黄昏の所為か。
なんだか、気を病んでしまいそうな感覚を覚えた。
私は天羽桜を――今日、怪異として刈り取ろうと決めていた。
殻木田くんと別れてから数日間、私は彼女を密かに監視していた。
〝怪異〟としてこの季節外れの桜の花を咲かすという特性が、どんな想いから生まれたものなのかを知る為に。
しかし彼女の日常は酷く穏やかなもので、それを掴む事はできなかった。
彼女は、何を望んでいるのか?
最後のささやかな夢の思い出の在処は?
分からない。
それでも、やはり刈り取らなければならない。
グラリ、と目眩を覚えた。
ここ数日、頭痛と目眩ばかり覚える。
なかなか止まない、それは何故なのだろうか?
殻木田くんと共に墓地にやって来た彼女は、家族の墓を掃除してからお参りをする。お参りの後、彼女が殻木田くんと向かい合って、何かを話しているのが見えた。
何を話しているのか、気にはなった。
魔法を使えば聞く事は出来る。けれど聞きたくもないとも思った。
聞いてしまったら、刈り取りを躊躇ってしまう気がして。
暫くすると、殻木田くんが彼女の傍を離れた。
――今だ、と思った。
殻木田くんがいない内に、彼女を――
後でよく考えてみれば、私のこの時の行動は随分とオカシかったように思う。
一番、自分がしている事を知られたくない相手が近くにいる状態で、事を起こそうとしたのだから。
きっと、私はクルシイだけだったのだ。
殻木田くんの事や、彼女の事、抱えているモノを終わらせて降ろしてしまいたかったのだ。
ただ、殻木田くんが傍にいる〝普段〟の日常に早く帰りたかっただけだった。
ひとり、しゃがんで今は亡き家族のお墓に祈る彼女の背に近づいていく。
直ぐ後ろに立って〝杖〟を取り出す。
そして、天羽桜に向かってヤイバを振り下ろそうとした――
その時、しゃがみ込んで静かに目を閉じたままの彼女が言った。
「――死神さん。もう少しだけ、もう少しだけわたしに時間を下さい。今、描いている桜の絵を描き終えるまでは。それ以上、わたしが望む事はありませんから」
その言葉を聞いた私は――ヤイバを振り下ろす事が出来なかった。
彼女の言葉で分かってしまった。
この怪異は彼女の想いの全てだ。
彼女の命、そのものだ。
もしこの怪異を刈り取ってしまったら、彼女はきっと――
――ああ、ああ、ああ、ああ。
身体が震え出して止まらない。
頭痛と目眩が激しくなる。
頭の中で、不快なサイレンが鳴り響くように。
目から、いつの間にか涙が零れていた。
私にはこのヤイバは、振り下ろせない。
振り下ろしてしまったら、彼女の命を奪ってしまう。
天羽桜は動かない。ただ、祈り続けているだけ。彼女は自分の死を覚悟している。その上で、自分の命を奪おうとしている者まで赦そうとしている。
そんな、彼女を私は、私は――!
もう一度、震える手で必死にヤイバを振り下ろそうとした。いっそ、誰かが代わりに振り下ろしてくれる事すら願って。そんな事、ある筈も無いのに。
結局、私は彼女に背を向けて赤い夕暮れの中を逃げ出す事しか出来なかった。
◇
マンションの自室に戻った私はトイレに駆け込んで、ただ嘔吐を続けた。あまりにも吐き続けたのでいつしか胃液しか吐くものはなくなり、途中から胃が激しい痛みを覚えた。
「……!」
長い事、そうしてようやく落ち着いてくる。
私は力無く、身体をトイレの壁に持たれ掛けた。
「……最低」
茫然と呟く。
ああ、本当に最低だ、
何もかも――今回の刈り取りの事も、殻木田くんの事も、天羽桜の事も。
でも何より一番、最低なのは自分だと思った。
〝魔女〟として徹し切れずにいるのだから。
それでもこれまで怪異を生む記憶を刈り取ってきたが、ひとの命――までをも奪う事はしなかった。
今でも思い出す。
彼女に、ヤイバを振り下ろそうとした時に覚えた冷たい悪寒を。
怖いと思った。
振り下ろしてしまったら、何か大事なモノを無くしてしまいそうだった。戻れなくなってしまいそうだった。
いっそ天羽桜があんな穏やかな、強い人間でなければ、と恨みそうにもなった。
そうであれば、少しは気が楽だったかもしれない。
クルシイ、クルシクテシカタガナイ。
このままでは、自分が壊れてしまいそうだった。
ワタシは、どうしたらいいんだろう。
虚ろな意識で考える。
その時、スカートのポケットの中の携帯が震える。
取り出して見えた液晶に映った名前は――殻木田くん。
「から…きたくん……」
震える手で応答しようとして、つい携帯を落としてしまう。
私を呼ぶそれに手を伸ばそうとした。
けれど同じように震えるもう一方の手で、それを押さえ付けた。
私は今、何をしようとしている?
何の為に彼から距離を取る事にしたのか?連日のメールや電話にすら返信をしない事にしたんだ?
――今回の刈り取りが終わるまで、彼と離れる事で躊躇いを生まない為じゃなかったのか?
それは結局、問題を先送りにする事でしかないのかもしれない。
殻木田くんに傍にいて欲しいと願いながらも、自身の都合の良い部分だけを見て欲しい、好きになって欲しいという私のどうしようもないエゴだ。
だとしても。
携帯に手が伸びていく。
彼と繋がりたいと願った。彼に傍に居て欲しいと願った。彼に抱きしめて欲しいと願った。
いっそ〝魔女〟の事も、この【セカイ】の事も〝魔法〟の事も全てを話してしまいたいと思った。
そうして私のしている事を彼に赦されて、それだけでは無く殻木田くんが――〝魔法〟に目覚めてくれれば、とすら願った。
そうすれば〝魔女〟として壊れた【セカイ】の中だとしても、ふたりで一緒にいられるかもしれないから。
私が彼を〝こちら側〟に引き込むのだ。
「それは……」
なんて、蠱惑的なのだろう。
私は嗤う。
殻木田くんならそれでも、受け入れてくれる気がしたからだ。
想いが私を蝕んでいく、どうしょうも無い程に。
携帯を取る、そして――
――携帯を放り投げた、繋がりを断つように。
やがて、携帯の着信が止まる。
私は願う。
彼といつもの〝日常〟の中で結ばれる事を。
彼の笑顔が、その中で変わらずにある事を。
それも、私のどうしようもないエゴだった。
「殻木田くん……私…あなたに……」
あいたい。
ただ、涙を零して泣き続けた。
その為にはやはり刈り取りを行うしか、きっとないのだ。
小夜の決意と殻木田君の決意。
すれ違えども、互いを想う気持ちは同じなのに。
ここに絡む想いは、ふたりだけでは無くて。
次回、ある人物が嗤います。




