降り続ける六月の雨に、花は散る―― 7
5
先輩と最後に会ってから数日後、俺は天羽さんと郊外の墓地を訪れていた。
天羽さんが花を持ち、俺の少し先を歩いていく。その後ろから水を張ったバケツを持って付いていく。
この墓地の桜の木にも、季節外れの花は咲いていた。落ちた花びらが地を染めている。
墓地に人の姿は他には無かった。
暫く歩いた所にあるひとつの墓地の前で、天羽さんが止まる。
「ここに来るのも、久しぶりかしら」
彼女はゆったりとした歩みで、墓地に入ると墓石を愛おしそうに撫でた。
ここは墓地――天羽さんの亡くなった家族が眠る場所。
それから、俺達は墓地の掃除を始めた。
近くの倉庫から持ってきた箒で溜まった落ち葉を掃き、墓石をタオルで拭く。
俺がこの場所を訪れる事になったのは、放課後に天羽さんの家を訪ねた時に彼女に頼まれたからだ。
その時、何の縁も無い俺が一緒に行っていいものかと悩んだけれど、掃除の事もあるから人手が欲しいと言われた。
掃除が終わった後、天羽さんに続いて花を添えてから、お墓の前で手を合わせて目を閉じた。
見知らぬ天羽さんの家族の冥福を祈る。
そうして目を閉じていると、頭に浮かぶのは亡くした俺の家族の事。俺が自分の家族の墓参りに訪れたのは、叔父さん達と去年の彼岸の時が最期だっただろうか。
「……」
もう昔の事だけど、家族の死に自分は未だにどう向き合っていけばいいのか分からない。死んだひとは、何も言ってはくれないから。
それでも今はまだ、なんとか俺は生きている。その事を抱えながらも。
次にふと頭の中に浮かんできたのは――ここ数日の間、会えない、連絡の取れない先輩の事だった。
生徒会室でも会えないし、教室を訪れてもちょうど席を外していてすれ違う。先輩の友達の時東先輩曰く、学校には来ているとの事だった。
そんな先輩に携帯のSMSのダイレクトメールをしてみたけれど、返事は無い。
この間の別れた時の事を思い出す。
先輩の柔らかい微笑みと凄く寂しげに、そして悲しげに聞こえた別れの言葉。
これらの事から俺が思うのは――
――今、俺は先輩に避けられているんじゃないのか。
理由は分からないけれど。
それは俺に話せない〝魔女〟に関わる事なのか。
けれど、今までには無かった事だ。
幾ら考えても答えなんて出る筈も無く、目を閉じて見える闇と同じように堂々巡りになる。
目を開ける。すると、天羽さんが心配そうに俺を見ていた。
「……なにか心配事があるの、殻木田君?」
「そんな風に見えました……?」
「ええ。今日はいつもよりどこか元気が無いように見えたから……」
「えっと……」
口を開いては言い淀む。自分でもまだ整理の付いていない事だし、そもそも話していいものなのかと迷った。
「言いたくない事なら、無理に言わなくてもいいから。でも、ひとりで抱え込んでいて辛いと思うなら、こんなお婆ちゃんでもよければ話してみて――」
その言葉に、暫く悩んだ後で俺は答えた。
「――ここ最近、会えない、連絡の取れないひとがいるんです。そのひとは俺の…大事なんだって思えるひとなんです……」
「何か……あったの?」
首を振る。
「無い、とは思うんです。ただ、そのひとは普段から色々と抱え込んでいるから、今回もその事が関係している気はするんですけどね……」
「そのひとは、あなたに抱え込んでいる事については話してはくれないの?」
「まだ話してはくれないですね。その…多分。俺には話せない事なんだと思うんです……そうする事で、俺の事を守ってくれてはいるんだと感じてますけど……」
「そう……」
天羽さんが考え込むように、少し目を閉じてから答えた。
「殻木田君。出来る事なら、そのひとを――信じてあげて」
「――信じる、ですか?」
天羽さんが頷く。
「あくまで自分の事だけど、亡くなった主人とも色々あったの。でも最後にはやっぱりお互いの事を信じて、傍にいる事にしたの。わたしには殻木田君と、そのひとの間にあるものは分からないけれど、あなたの様子を見ていてきっと深く繋がっているようには思えたの。だから、信じてあげて」
その言葉に俯いた。
「信じたい、と思います。でも少し…不安にもなりますね……信じる事しか出来る事が無いかもしれないと思うと……」
俺の不安な想いの形。
それは先輩が俺の知らないところで辛い目に遭って、泣いているかもしれないと思う事だった。
俺は知っている。
先輩はあの物憂げな表情の下では〝魔女〟である事に揺れているのを。
不安。一度、不安に思えばそれだけでは止まらなかった。
魔女が相手にしているのは、怪異だ。そこには危険が伴うことも多いと思う。
最悪、身体に深い傷を負って――このまま、もう二度と会えなくなる事もあるかもしれない。
それは――死。
いやだ!
身体が震えた。震えが止まらない。
「……信じるって凄く怖いですね。俺、そのひとの事をずっと信じているんです。でも今、気が付きました。傍にそのひとがいないって事は、凄く不安になるんですね。例え信じていても何かあれば、簡単にそのひとを失う事もあるから。俺の家族のように――」
言ってしまってから、ハッとなった。
どうして俺はこんな事を零してしまったのだろう?
亡くした家族の事なんて。
それは、ここが墓地だからか。
それとも――
「そう、殻木田君も家族を…亡くしていたのね……何となくあなたと出会って、どうしてこんな風に馴染んでしまったか分かった気がしたわ……」
――天羽さんもまた、家族を亡くしているからか。
天羽さんが静かに目を閉じてから言った、家族の墓地の前で。
「殻木田君。そのひとの事を大事にしてあげてね、信じてあげてね。亡くした後では、もう届くものなんて何も無いから。わたしは多分、そんな想いを込めて、季節外れの桜の花を絵にする事ぐらいしか考え付かなかったから――」
そんな彼女に、花は舞い散る。
◇
天羽さんの言葉を聞いた後、俺は足らなくなった墓石に掛ける為の水を汲みに出た。地に落ちた桜の花びらを踏みしめて歩く。
水場に着くまでの間、考える。
俺は、先輩の為に何ができるのかを。
俺に出来る事、それはこれまでと同じように、ただ信じているだけでいいんだろうか?
それだけだからこうして今、先輩と離れる事になっているんじゃないか?
俺はいつの間にか、怖くなってしまっていたんだ。
俺の〝日常〟になってしまった先輩を失う事が。
そのくらい、あのひとはいつの間にか俺のこころの中に入り込んでしまっていた。
俺は先輩に会いたい。
俺は先輩と一緒にいたい。
それは、俺の中で生まれた強い願いだった。
先輩に傍にいて貰う為に、何ができるだろうか。
答えは出ない。
でも今、思う事はまずは先輩を見つける事だ。
そうしなきゃ話にもならない、話すらできない!
水場でバケツに水を入れながら決める。
先輩が俺を避けるなら、こっちから出向いてやる!
それから、この間の――頬に感じた感触の答えを返してやるんだ!
この時の俺は、そう意気込むだけで良かったのだ。
それだけで良かったのだ。
水を汲んだ後、帰るその道で俺は見た。
離れた向かいの道に、長い黒髪を翻す見慣れた姿を。
その姿が向かう先は――天羽さんがいる。
何故か、酷く嫌な予感がして急いで戻った。
すると――天羽さんは墓地の前で、静かに手を合わせてしゃがみ込んでいた。
「天羽さん!」
その背中に声を掛ける。
「どうしたの、殻木田君?そんなに慌てて……」
振り返った天羽さんに特に変わった様子は無い。取りあえず、不安を感じた胸を撫で下ろした。
ため息を吐いた後で、俺は聞いた。
「今、誰かに会ったりしませんでしたか?その、例えば俺と同じくらいの長い黒髪の女の子とか!」
天羽さんは、静かに笑いながら答えた。
「出遭ったかもしれないわ。そうね、わたしが出遭ったのは、例えるのなら――魂を運ぶひとだったかもしれないわ」




