降り続ける六月の雨に、花は散る―― 6
先輩と訪れた『夏の夜空の展覧会』には、殆ど人がいなかった。
まあ、仕方無いのかもしれない。
元々は子ども向けのようで、展示品の説明はひらがなでされている。今日はまだ週の初めで、そういった子ども達は余り百貨店を訪れる事はないのだろう。
それでも、俺と先輩は展示品を眺めていった。
夏の夜空を代表する大三角の由来や成り立ち、アルタイルとベガ、彦星と織姫に因んだ童話の説明。
もう少しで七夕が近いからなのか、一角には笹と願い事を書いて釣るせる短冊があった。
「殻木田くん、願い事を書いてみない?」
先輩に誘われて、筆を取る事にした。
さて、何を書こうかと考えてみる。
今、俺が望む事?
何だろう、特に困っている事は……生活費が少し苦しい事くらいか。
それ書くの?マジで?
なんか俺、汚れてない?
参考しようと思って先輩に聞いてみようとしたけど、何やら一心不乱に書いていて話しかけられる雰囲気ではなかった。
止む無し。限りなく童心に返って、純粋な願いを心に思い浮かべてみようとした。
結果――美味しい豪華な晩御飯が食べたいです、なんて書いてしまった。
――へぶら!
短冊を吊るした後で、その事で先輩からは笑われた。
凄く俺らしい、と言われた。すいませんね!
逆にどんな事を書いたか先輩に聞いてみたけど、頑なに教えてはくれなかった。
短冊に願い事を書いた後、俺と先輩はコーナーの一角にあるプラネタリウムに入った。薄暗い室内には俺達の他にはいなかった。
暫くすると更に暗くなり、星の説明と共に暗い室内の所々に光の点が映り出す。
それは――星々だった。
暗い夜空に輝く光だった。
不思議だと思った。
星は何時だって夜なれば、そこにあるものだ。
そう、天候が悪くない限り見上げれば、見える筈のもの。
決して、珍しいものでは無い。
けれど、こうして改めて見ていると感慨深さを覚えた。
それは――本物では無い偽りの星空なのに。
偽物の光なのに。
「綺麗なものね、作り物だって分かっていても」
俺の隣で先輩が呟いた。
「そうですね、なんか懐かしい気持ちになれますね。こうしていると妹と星を見ていた時の事を思い出します」
「そうなんだ」
はい、と頷いてからその時の事を話した。
家族で出掛けた時、妹が迷子になった事があった。妹をみんなで探して、最初に見つけたのは俺だった。
心細くてずっと泣いていたであろう妹の未来は、それでも泣き止まなかった。俺はそんな未来に泣き止んで欲しくて、手を握りながら、夕暮れになって見え始めた星の話をした。少し前に学校で習ったばかりで大分、たどたどしい説明になってしまったと思うけど、妹はそれを聞いて泣き止んでくれた。
「殻木田くんは、いいお兄ちゃんだったのね」
先輩が笑う。
「そんな事は――」
――多分、ない。
俺は、事故の時に家族を死なせてしまったかもしれないから。
「私も、母と見上げていた時の事を思い出すわ」
手に感じるぬくもり。それは今日、繋がれたままだった先輩の手。
その手が少し強張るのを感じた。
「あの時は、まだ星が綺麗かなんて分からなかった。ただ、母と一緒に見上げている事が楽しかっただけで。でも、今は――」
先輩の見上げる視線の先には、偽物の星空。
「この星空は作り物だから〝ノイズ〟は見えないのよね。だから綺麗なのよね――」
静かに眺める彼女は呟く。
彼女は何を見ているんだろう。
それが、俺には分からない。
この事は、この前にデートをした最後にも思った事。
〝魔女〟である彼女には、俺と違う星空が見えているのだろうか。
「――先輩は、何を見ているんですか?」
そう尋ねると、静かに笑うだけで答えてはくれなかった。
こんなに近くにいても、俺は彼女の事で知らない事も多い。
魔女の事、先輩のお母さんの事。
ただ、彼女はこう言ったんだ。
「知らなくてもいい事。気が付かなくてもいい事。見えなくてもいい事。それは〝気持ち〟みたいなモノよ」
それから、先輩がそっと背伸びをした。
近づく顔と顔。
ふと、感じた頬への柔らかな感触と先輩の吐息。
「伝えられない事なんて、伝えられない気持ちなんて、きっとマボロシと同じものなのよ――」
少しずつ室内が明るくなっていく。
偽りの星空が終わるのだ。
◇
プラネタリウムが終わった後、百貨店を出た。
空は夕暮れから、夜へと移り変わっていた。
帰路に着く道のりで、互いに話す事は無かった。
だけど、心地悪いんじゃない。ただ、気恥しいだけ。
今、口を開けばきっと、さっきの事を聞いてしまいたくなるから。
――先輩が俺をどう思っていてくれるのか。
答えなんて、自惚れじゃなければ――多分、出ている。
それに対して、どう答えるのか。
俺の先輩に対する気持ち。
それが、キチンとした形になっていく。
結ばれた手を離さないように握る。
「あの、殻木田くん…この辺りで……」
「え……」
気が付けば、先輩のマンションの近くに来ていた。
「今日は凄く楽しかったわ。良かったら…また私とデートしてね……」
先輩が柔らかく微笑む。
どうしてだろう。その言葉が凄く寂しげに、そして悲しげに聞こえたのは。
「先輩……?」
先輩は笑う。本物の星空の下で。
「さよなら、殻木田くん――」
先輩が繋がれた手を離して、去っていく。
「先輩!」
後ろ姿に声を掛けて、手を伸ばしたけれど届かなかった。
夜の闇の中に彼女の姿が消える。
それから俺が先輩と会う事は、学校でも街でも無かった。
さて、いよいよ始まる冒頭へのカウントダウン。
ここからです!まだ始まったばかり!
まだまだ終わりません!




