降り続ける六月の雨に、花は散る―― 4
◇
「ただいま」
夕暮れ時、久しぶりに殻木田くんと会った後、私は結局――何も出来なかった。
そのまま夜を迎え、私は一度、出直す事にした。
帰宅した家のリビングの明かりを付けると、部屋の隅に鞄を放り投げる。
夏服の制服のまま、ソファーに身を投げてもたれ掛る。
少しスカートが捲れているのを感じたけれど、気にするのを止めた。
どうせ今はひとりだ。誰かに見られる事も無いし。
ソファーの上で私は茫としながら、考える。
これから、どうするべきなのかを。
私の嫌な予感は当り、殻木田くんと刈り取りの対象者の間には繋がりが出来ていた。
あの人当りの良いお人好しめ。
そう、心の中で彼を詰らずにはいられなかった。
どうして彼女と知り合ってしまったのだろうか?
もう少し、もう少し後でならこんな悩みを抱える事も、きっとなかったのに。
もし今、刈り取りをしたら殻木田くんはきっと感づいてしまう気がする。
魔女がしている事の、もうひとつの側面に。
魔女が刈り取る想いは、悲しみや苦しみ、怒りから生まれるものだけじゃない。誰かに危害を与えたり、加えたりするものだけじゃない。
この季節外れの桜のような、ただ怪異を起こした本人の為のささやかとも言えるものさえ対象となるのだ。それが魔女の決めた理に触れるものならば。
これまで殻木田くんが関わった怪異には偶然にも、このタイプものが無かった。
この事を殻木田くんに知られて、何の問題があると言うのか。
問題は――私自身にあった。
私は知られたくなんてなかった。
魔女である私が理不尽とも言える魔法の力で、誰かの想いを踏みにじっている事を。誰かに危害を与えたり、加える想い以外も刈り取っている事を。
私は正しくなんて無い。魔女としてこの【セカイ】にとって必要な事をしているだけ。ただ、それだけ。
そこに私なりの想いがあっても、関係無い。誰かを傷付けている事に変りはないのだから、言い訳なんてできない。
でも殻木田くんは違う。殻木田くんはいつだって、誰かを助けたいと思っている。そこに彼なりの想いがあって。
私達は多分、逆だ。
私は誰かを傷付ける事しか出来ない。
彼は傷付きながらも、誰かを助けようとする。そのひとが困っていると感じれば、多少の善悪は問わないとも思う。
そんな彼だからこそ、きっと私の傍にいてくれるんだと思う。
最初に出会った頃から彼は私が〝魔女〟である事に、まだ揺らいでいる事に気が付いていた。
その上で、私を信じてくれようとしてくれている。
彼は私にいつも笑い掛けてくれる。優しくしてくれる。傍にいてくれる。
それでもこの事を彼が知って果たして、これまでと同じ様に接してくれるだろうか?
やだ、やだ――!
私は嫌われたくない。
彼に嫌われたくない。
もっと優しくして欲しい。もっと傍にいて欲しい。もっとあの笑顔を私に向けて欲しい。
私は殻木田くんが欲しい――
もう、手放したくなんて無い。
千鶴は私が変わった、と言っていた。
そう、その指摘は当たっている。
私はこんなにも弱くなった。脆くなった。
母が亡くなってからずっと、ひとりでいられたのに。
今はもう、ひとりでいられる自信が無い。
ただ、彼に好かれたい。
その想いもあって少し前に、彼の友人の事で頼み事も引き受けた。
結果、普段の刈り取りからすれば、随分と優しい結末を迎えた。私もその事に安堵した。彼が関わったからこその結末。
「殻木田くん…殻木田くん……」
彼の名前を呼ぶ度に、胸が酷く締め付けられるように切なくなる。
その苦しさに震える自分の身体を抱き締める。
「いや…いやぁ……」
身体の震えが止まらない。この震えを止める術を私は知らない。
ただ、目からから涙が零れた。
続く苦しみの中で呟いた。
「お前なんか、好かれる筈が無いんだ――」
私は私が嫌いだ。
不意に、暗がりの中で目を覚ます、指先に濡れる感覚を覚えて。
見れば飼い猫のアランポーが、指を舐めていた。
時計を見れば、八時過ぎ。
いつの間にか、眠り込んでいたらしい。
アランポーはお腹を空かせたのかな。
私は冷蔵庫からエサを出す。
アランポーが餌を食べているのを見ると、私も空腹を感じた。
「はは……」
現金なものだと思った。
悩み事があっても、人間はお腹が空くのだから。
家政婦の山田さんが作り置きしてくれた、クリームシチューを食べた後、アランポーを抱きながらラジオ〝オトギゾウシ〟を聴いた。
今日のリクエスト曲は『カールのテーマ』という曲だった。
切ない歌詞とメロディだった。
傍にいるのに、想いのひとつも伝えられないなんて。
――窓から見える夜の暗い空。
母を喪った時から〝ノイズ〟という傷が見えるもう壊れた【セカイ】だ。
その中で私は魔女として、誰かを傷付けて生きている。
それでも私が望む事は――彼が私の傍にいてくれて、あの笑顔で変わらずに笑い掛けてくれる事だった。
互いに抱いている想いは同じ筈なのに、触れ合えないふたり。
他人を傷つけて生きる少女と、他人を助けて生きる少年。
そのふたりはやはりすれ違うのか?




