降り続ける六月の雨に、花は散る―― 3
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――それは私が久しぶりに殻木田くんと会って、話をする少し前の事。
カタカタとパソコンのキーボードを叩く音が、放課後の生徒会室に響く。
それが止まると、私は淹れてきたコーヒーに砂糖ふたつ、ガムシロップふたつとミルクを加える。
ゆったりとカップを持って、コーヒーを口に含む。
普段は殻木田くんに淹れて貰う事が多いので、自分で淹れるのは久しぶりだったけど上手くいったと思う。パックのものなので誰が淹れても同じ味だと思うけれど、なんだか少し違う気がした。
無性に彼の淹れたものが恋しくなった。
「ふう……」
溜息を吐く。
最近、溜息ばかり吐いている気がする。
放課後が退屈で仕方なかった。
理由なんて分かりきっている。
弄り甲斐のある後輩、彼がいないから――殻木田くんがいないから。
そのお陰で、生徒会の仕事の退屈さには更に拍車が掛かっていた。
「なんて、面倒」
ひとりつぶさに、呟く。
「オイ……」
そんな私に声が掛かる。それを無視してもう一口、コーヒーを飲む。
「オイ、こら!無視すんじゃねーぞ、この面倒くさがりの天邪鬼!」
「うるさいわね。コーヒーくらい静かに飲ませなさいよ」
反対側の席に座る千鶴の、がなり立てる声に答える。
「いやいや、いい加減にしろや!さっきからコッチが、仕事しているのを尻目に優雅にコーヒーなんて飲みくさりやがって!」
「あなたの分も淹れてあるわよ」
私がコーヒーを飲む辺りからパソコンを打つ手を止めて、こちらを見ていた千鶴にもカップを差し出す。
「その事には礼を言うわよ。でも、その前に言いたい事がある!少しは仕事しろよ!元々、大してしてないけど最近は本当に酷いじゃない!」
「だって、やる気出ない」
そう答えると、千鶴は深く溜息を吐いた。
「……それは殻木田君がいないから?」
私は答えない。頷く事もしない。
「彼、最近あんまり来ないわね。なんでかしら。他に用事でも出来たのかしらね?もしかしたら……面倒くさがりの天邪鬼にいよいよ愛想尽きて、他に可愛い女の子でも見つけたとか!」
千鶴がいやらしい笑みを浮かべる。
「……」
あらん限りの憎悪を込めて、千鶴を見る。
それから、少し不安になった。
殻木田くんが誰かと――
そんな事、あんまり考えたくない。
――だって私は彼に。
つい考え込んで俯いていると、千鶴は言った。
「はいはい、分かりましたよ。わたしが悪うございました。それにしても、あんたやっぱり変わったわ。あの子に熱上げ過ぎ。わたしにはどこが良いか、いまひとつ分からないけど。まあ〝魔女〟と繋がりを持ち続けようなんて、変わった子よね」
「殻木田くんは……」
私は知っている。普通に見れば人当りの良いお人好しだ。でも本当はそれだけじゃない事を。
「そう〝変わっている〟のよね、彼。最初からそうだけど、本来なら彼も〝こちら〟側の人間なのよね。ただ〝魔法〟が使えないだけで」
「千鶴――」
彼女はいつしか〝魔女〟として振る舞う時の冷たい口調になっていた。
「だからかしら?母様は彼のさせたいようにさせておけ、なんて指示を出したのかしら。だってこのまま、わたし達の傍にいれば彼はいつか〝魔法〟が使えるようになるかもしれないものね」
「そんな事――させない」
固く唇を噛んで、千鶴を睨む。
「へえ、そうなんだ。あんたはそう考えているんだ。矛盾しているわよ、あんた。傍に置いておきたい癖に、核心には触れせないつもりなんだ。どうせ魔女がしている事、全部は話していないんでしょ?話せないわよね。彼はお人好しだし。隠し通せればいいけどね。いつまで続くか、見物だわ」
彼女は私を見ながら冷笑する。
「――」
私達は静かに睨みあう。
千鶴の指摘は私にとって、大きな悩みだった。
だって私が殻木田くんに隠し事をしている事は事実だから。
それでも私が望む事は――
◇
生徒会の仕事の殆どを千鶴が終えた後、私達は今回の〝刈り取り〟について話し合った。
生徒会室の窓から見える、街の至る所に咲く季節外れの桜を眺めながら。
「これは少し不味いわね」
「ええ、そうね」
千鶴の言葉に頷く。
一週間程前から開花した桜の花。
これは――怪異だった。
誰かの強い想いが起こした不可思議な出来事だった。
この世界には魔法がある。
魔法を使うのに必要なモノ――それは想いだけ。
この【セカイ】はひとの共通意識が造り出したマボロシの世界だ。
尤も今の世界に生きる私達にとって〝現実〟とは所詮、この【セカイ】の事でしかないが。
そんな世界では時として、ひとの強い想いはありもしない事を引き起こす。
それが魔法。
そんな魔法を〝刈り取る〟存在がいる。
それが私達、魔女だ。
魔女は自身も魔法を使い、怪異を刈り取らねばならない。
何故なら、このひとの想いで出来た世界ではひとの認識だけで魔法が使えるようになる。
だから、この魔法よって引き起こされた事態にひとが馴染んでしまえば、魔法はやがて〝ありもしない事〟では無くなっていくだろう。
そうなれば、やがて多くのひとが普通に魔法を使えるようになるかもしれない。
それは、果たして素晴らしい事だろうか?
魔女として多くのひとの想いを見てきた私には、そうは思えない。
ひとが生きていれば、様々な想いを抱くから。その全てが綺麗なものばかりではないのだから。
今回の事でそう直ぐにひとの認識が変わる訳ではないが、魔女にとって見過ごす事の出来ない事態ではあった。街ひとつと、この怪異を目にする人間は多い。現に今でも、大きな話題になっている。
「この怪異を引き起こした人間の特定は終わっているの?」
「ええ」
千鶴に尋ねると、頷く。
「これだけの広範囲の規模だから、その反応も大きいから特定は容易だったわ」
そうして私にファイルを差し出す。
付箋の付けられたページを開けば、そこには初老の女性の顔写真。
――名前は、天羽桜。
彼女の経歴を見てみれば、そこには特に目立つ項目は無い。
ごく普通の穏やかで幸せそうなもの。
ただこの数年で旦那さんやお子さんを亡くし、自身も随分と身体を悪くしたようだ。その事で入院もしたが、最近になって退院したようだ。
その事を望んだのは彼女。身体は完治していない。
恐らく彼女は――もう長くはない。
そんな彼女がどんな想いを抱いていて、恐らく知らずの内に怪異を引き起こしたかはファイルの字面からだけでは分からない。
けれど、この季節外れの桜の花を見て感じる事は――綺麗だと思った。
散り逝く花の最後の儚さを感じて。
これは多分、違う。
魔女として刈り取る事の多かった怒りや悲しみ、憎しみのような想いじゃない。
きっと――彼女の最後のささやかな夢だ。
それでも怪異として、刈り取らねばならない。
私達は魔女だから。
「それで、今回はどちらが現場に行く?」
「小夜、今回はアンタがやりなさい」
千鶴が冷たい目で私を見る。
「オトコにウツツを抜かしていても〝魔女〟として役目を果たせるのか、わたしに見せてみなさい」
冷たい声に私は頷く。
その時、不意に思い出した。
殻木田くんが生徒会を訪れなくなる前に電話で、街で会った年配で身体の悪い女性が心配だから暫く様子を見に行く、と言っていた事を。
酷く嫌な予感がした。




