自身を殺す、その棺 14
怪異が消えた後、気を失った山岡を保健室に先輩とふたりで運んだ。
目を覚めるまで付き添っていようかと思ったけど、保健室の先生にはご両親に連絡して迎えに来て貰うから、気を付けて帰りなさいと言われてしまった。
まあ、仕方ないよね。
ただ保健室の先生が言うには、山岡の身体の方には特に変わったところは無いそうだ。
けれど、俺は知っている。
山岡は想いを、そして恐らくは記憶を刈り取られている事を――
――これで良かったんだろうか?
先輩と並んで帰る夜道で、そんな事を思う。
付近は住宅街であまり人通りは無い。
夕暮れ時は過ぎて辺りは暗い。
「殻木田くん……どうしたの?何か暗い顔をしているわ」
先輩が心配するように俺の顔を覗き見る。
「あ、ごめんなさい!その…考え事をしていて……」
「〝刈り取り〟をした彼の事ね」
「はい、その通りです。その先輩、山岡は……大丈夫ですよね?怪異はもう現れないですよね……?」
「そう思うわ」
「あと〝刈り取り〟をされた後遺症みたいのは……?」
それが一番の心配事だった。
怪異を刈り取られるという事。
怪異とは、ひとの想いがカタチ造るもの。
想いは記憶。
山岡は記憶を喪ってしまったんだろうか?
怪異と引き換えに――
「〝魔〟と関わった者は何かを喪わなければ――元の世界には帰っては来られない」
「えっ?」
少し先を歩いてから先輩が、見返りながら言う。
「昔からよくお話では、そんな風に語られるのよ。あなたも何か聞き覚えはない?」
そう言われて、幾つか思い出した。
死んだ妻を追いかけて、冥界へと降りたオルフェウス。
世界の終わりを防ぐため、片目を差し出して魔法を手にしようとしたオーディン。
そう言われるとそうだ。
神話の事だから何とも言えないけど、自身の想いの為に魔と関わり何かを喪っている。
なら山岡も――
「――安心しなさい、殻木田くん。彼は大丈夫よ」
「そう、なんですか……?」
「ええ」
先輩は頷く。
「全くとはいかなかったけれど、記憶の殆どを喪ってはいないわ」
「それは、どうしてですか?」
「彼が願ったからよ、まだこの【セカイ】にいたいと、生きていたいと。自身の想いよりも、その想いを彼は選んだわ」
「――じゃあ!」
「ええ、彼は彼のままよ」
その言葉に喜びを覚えた。
これで良かったんだと思えた。
それでも――思ってしまった。
俺のした事は、本当に正しい事なのか?
少し前に山岡に言われた言葉。
「殻木田君。これは僕の考えだけど、普通は友達だからこういう事に関わろうとか、力になったりしようとか思うよね?君は順序が逆じゃないかな?」
山岡の言葉はきっと正しい。
〝俺〟が関わって山岡を助けたかっただけ。
俺がそうしたかっただけ。
その事が本当に――相手の為だったなんて言えるのか?
今回は上手くいったかもしれない。
先輩がいてくれたから。
果たして次は?
それに怪異の事だけじゃない。
普段、みんなに頼まれる事だってそうだ。
俺は必ずしも期待に応えられる訳じゃないし、俺が手を貸した事が本人の為にならない場合だってある。面倒事を押し付けられただけなんだって、感じることもある。
俺には――何が正しいなんて分からない。
ただ、そうしたいだけ。
そうしなければいけないと、思っているだけ。
俺の想いは酷く勝手なものだ。
誰かの為だと言いながら、自分の為だ。
それに俺は怪異の中で、山岡にきえるな――と言った。
でも俺自身は――きえたい、と思ってもいる。
怪異の棺の中の昏い、暗い闇を俺は知っている。
事故が遭ってひとりきりになった時に感じたもの。
事故が遭ってひとりきりになった。
どうしようもないくらい、言葉にできないくらい辛かった。悲しかった。寂しかった。
けれど、その原因を作ったのは自分かもしれなくて。
憎いと思った、自分が。それから自分を不幸にした世界が。
俺は誰を、何を憎めばいいのか分からない。
ただ、ココロが壊れてしまいそうになった。
コワレタイ、コワシタイ、ナニモカモ。
けれど、やがてそう思う事にも疲れ果てる。
そこにあるのは、何も無い暗闇。
虚無感。
からっぽだった。
そして思う。
――しにたい。
矛盾している、きっと。
誰かにいきて欲しいと願いながら、自身はきえたいと願うなんて。
それでも、生きたいとも願っている。
だから――誰かの為に、何かしたいと決めたのだから。
俺は、そんな想いにしがみ付いて生きている。
俺が――俺でいる為に。
「――先輩、俺のした事は……正しかったんですよね?でも、そうだなんて言えないかもしれないですよね?だって、俺がそうしたかっただけだから…きっと相手の気持ちなんて考えていなくて始めた事だから……」
どうしてだろう?
俺は傍にいてくれる先輩に、そんな事を口走っていた。
今まで誰にも零した事なんて無いのに。
「――殻木田くん」
先輩は俺を見つめる、ただ真っ直ぐに。
そして言った。
「私には、何が正しいかなんて言えないわ。でもね、こう思うわ。苦しい想いを抱えているひとを助けようとする事は、そんなに悪い事なのかしら。それでも生きていて欲しいと思う事は、そんなにいけない事かしら。その願いが時として相手の気持ちを無視して、逆に重荷になってしまう事もあるかもしれない。でも、それはなんでだと思う?」
先輩の問いに俺は首を横に振る。
これまでもずっと考えていた事だけど、答えなんて出なかった。
そんな俺に先輩はこう答えた。
「それはね、相手の心に寄り添っていないからだと思うの。でもこれって凄く難しい事よ。ひとが何を考えているかなんて、自分の気持ちさえ分からない事だってあるんだから」
「そんな…時は…どうすればいいんですかね……?」
「――まずは傍にいて分かってあげられるように、寄り添ってあげればいいと私は思う」
先輩の答えに頷く。
そうだ。分からないなら、まずは傍にいて分かろうとすればいいんだ。
最初から全部分かっている事なんかないんだから。
それは当り前の事のようで、つい忘れがちな事にも思えた。
「それに私から見れば、あなたは相手に寄り添おうとしているように見えるわ。だから彼のこころを繋ぎ止める事もできた。まあ普段から大分、無理と無茶はしていると思うけど」
その言葉に苦笑するしかなかった。
「でもね、そんなあなただから私の傍にいてくれて。それから、きっとあなたが知らないうちに私のこころまで――」
先輩が俯く。
最後の方は、何やら小声であんまりよく聞こえなかった。
ただ、それでも今ここに先輩がいてくれて良かったと思った。
俺に寄り添おうとしてくれる先輩がいてくれて。
だから、そんな先輩を――
「殻木田くん――?」
――強く抱き締めてしまった。
「ごめんなさい…でも、少しだけこうしていてもいいですか……?」
先輩は誰もいない事を確認するかのように、辺りを見回してから答えた。
「うん――」
先輩は微笑んでから、手を背に回して俺の事も抱きしめてくれる。
顔を赤く染めながらも。
――この時から、俺はこのひとを大事に想えるようになった。
こんな俺の傍にいてくれるひとを。
「先輩、色々とありがとうございました――」
その言葉に先輩は何も答えず、ただ俺の身体を抱き締めていてくれるばかりだった。




