自身を殺す、その棺 13
「どうして……」
漆黒の棺を見る。
山岡はどうして、自分の暗い想いに囚われてしまったんだろう?
あの試合の後でやはり山岡は、深く傷付いていたのか?
いたんだと思う――
――けれど、それでも最近は楽しそうに笑ってくれていたじゃないか。
山岡も分からないと言った風に首を振る。
「殻木田…君……僕の前に…また、この棺が現れて……」
震える唇で山岡は答える。
「ぼくも……最近…前よりは、なやむことはなかったのに……ふと、かんじてしまったんだ……〝不安〟を」
震える手で自分を抱く。
「なんで…だろうね……なんでこんなモノが現れて、君とぼくだけ…に見えるんだろうね……?」
その目は棺を見つめて揺らがない。言葉も身体も揺らいでいるのに。
「ぼく…には……この棺が…なんなのかはわからないんだ……でもわかるんだ…なんとなく…ううん、見始めたころから知っていたんだ……」
それから棺に吸い寄せられるように立ち上がる。
それと同時に棺が開く。
「これは…ぼくの……〝こころ〟が造り出したもの…なんだって……」
開いた棺の中を、俺は見た。
――そこには〝何も〟なかった。
ただ、ただ暗い、昏い闇がどこまでも続いているだけだった。
その闇が何処に続いているのか分からない。
そこに堕ちてしまえば、終りがあるかも分からない。
ただ分かることは――あそこに堕ちてしまったらきっと〝全て〟が終わってしまう。
ああ――俺はきっとその暗い、昏い闇を知っている。
それが、何なのかを。
そこが、何処なのかを。
立ち上がった山岡は、フラリと棺に吸い込まれるように歩き出す。
その身体を強く引き留めるように、俺は抱きしめる。
ダメだ、絶対にダメだ!
棺の中の暗闇に入れては。
あそこに入ってしまったら、堕ちてしまったら。もう戻っては来れない。
――山岡が何処かに行ってしまう。
「ダメだ、駄目だ、山岡!そっちに行っちゃ駄目だ!」
その声が聞こえているのか、山岡は独り言のように答えた。
「ぼくは…ずっと〝不安〟だったんだ……むかしから何にもうまくできなくて……剣道だけでもってしがみつくようにがんばって……それだけでも、どうにかしたくて……」
その目から涙が零れ出す。
「ずっと、しりた…かったんだ………じぶんがつよくなれるのか……そしてなりたかったんだ…なにかに、なにかができる〝大人〟に……きっとヒーローなんていないし、なれないから……」
涙は止まらない。
「それを……すきな…けんどう…のなかでしりたくて賭けていたんだ……」
ああ、山岡は剣道が好きで、それでそこに色々なものを――賭けてしまったんだ。
「でもだめ、なんだ…ぼくは……つよくなれない……そんな、じぶんがキライだ……」
自分の事も、それから未来の事も。
だけど、きっとそれだけじゃないんだ。
山岡が祈るように賭けていたものは――
「ずっと…ずっとこわかった……じぶんがヨワイことが…わかってしまってから〝未来〟や〝希望〟が……」
――自身の可能性。
何かひとつの事に入れ込んで夢を見て、希望を見て、夢を見て――それは愚かな事なのかもしれない。
ただ、それだけで人生の全てを賭けるような事をして。
けれど、それが本当に愚かだなんて言い切れるのだろうか?
俺は分からない、未来の事なんか。
明日――の事さえ。
家族を亡くす前の日に、そんな事なんて考えもしなかった。
そんな未来を想像もしなかった。したくもなかった。
それに事故にあった後で、何にも無くなってしまった後で、自分の中に生まれたものがある。
暗い、昏い闇のような想い。
それに飲み込まれたくなくて俺は――誰かの為に何かする、なんていう夢を見た。
本当はもうそんな夢を俺は見なくてもいいのかもしれない。
ただ、漠然とした未来や希望を信じればいいのかもしれない。
でも今はまだ、無理なんだ。
あの時、心に染みついた想いが残っていて、そうは思えないんだ。
明日なんて分からない――誰にも。
だから〝今〟心で感じた事をするんだ。
その事に何か大切な事を賭けるんだ。
自分にとって〝特別〟だと想うことの為に。
それが未来に繋がる事を信じて。
だから、結果が出ない時に苦しいんだ。
自分のしている事に自信が持てなくなるから。
それは俺も山岡もきっと変わらない。
いつしか棺から声が聞こえるようになった。
「おいでよ――」
その声は山岡自身のもの。
声は誘う。
失望を、自身の未来への絶望を。
今、自身が非力だから。
これからも非力で在り続けるかもしれないという杞憂を。
〝無力感〟という思い込みのような想い。
――それは自身を殺す、棺のよう。
いやそんな思い込みこそが、きっと失望した未来を造る。
そして、いつか山岡を殺す。
「ぼくは…いきることが……いきていくことが、こわい……」
山岡は吐露する、その悲鳴にも似た想いを。
そんな山岡に対して俺は叫んだ!
「俺は山岡が何にも出来ないなんて思わない!山岡はゲームが上手で、色々なアニメやマンガを知っていて俺に教えてくれたじゃないか!俺は楽しかったんだ、一緒に遊べて。そんな山岡が何にも出来ない訳が無いじゃないか!」
「から…きた……くん」
棺を見つめ続けていた目がこちらを向く。
棺を睨み付ける、山岡を呼ぶその棺を。
「消えっちまえよ、この野郎!ずっと頑張ってきた山岡を連れて行かせるかよ、こんにゃろう!」
山岡の手を強く握る。〝こちら側〟に強く引き寄せるかのように。
「俺は山岡に願う事がひとつだけあるんだ!」
山岡を見つめて、その祈りにも似た願いを告げた。
「きえるな――」
それは家族を喪った俺の強い願い。
俺は誰にも消えて欲しくない。
傍にいるひとには特に。
だってもう、あんな想いをするのは嫌だ。
悲しくて、寂しくて、辛くて、切なくて、ひとりきりで、ひとりぼっちで――
おとうさん、おかあさん、ミキ、どうして俺を置いていってしまったの?
どうして俺をひとりにしたの?
みんな、ここにいて!
きえないで――!
俺がきっと誰かの為に何かしようと思うのは、奥底にある想いはそんなものなんだと思う。
その言葉を聞いて山岡がこちらを見た。
「こんな…ぼくでも……いきていて…いいのかな……?」
「当たり前だろ!」
俺は笑い掛ける、山岡も笑ってくれた。
それでも棺は消えない。
声は山岡を呼び続ける。
ああ、クソ。
こんな時、俺は怪異に対して何もできない。
俺の力だけでは。
その時、俺は見つけた。
こちらに歩いてくる先輩の姿を。
物憂げな瞳と靡く黒い黒髪、浮世離れした雰囲気、その手には不可思議な蒼白い刃が握られていて――
――彼女は魔女だ、ひとの想いから生まれた怪異を刈り取る存在。
俺は彼女を呼ぶ!
「先輩――!」
俺の声に頷くと先輩は奔った。
蒼白い刃を手に、夕暮れの闇を背に。
黒髪を翻して。
振るわれる刃の一閃。
そして――棺は真っ二つに断ち切られた。
断ち切られた棺が淡く夕暮れに還るように、消えていった。




