自身を殺す、その棺 11
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山岡の試合を見た後、お昼時を迎えた頃。
俺と先輩は腹ごしらえをする為に駅前の喫茶店『セイレーン』に来ていた。
向かい合って座り、注文した品を食べる。
先輩はホットケーキを、俺はナポリタン。
トマトのオリジナルソースがなかなか、美味しかった。
自分ではこうは上手く作れないので、コツを聞いてみたくなった。
食後、ふたりでコーヒーを頼んだ。
尤も甘党の先輩はいつも、それはコーヒーなのかと思う程に砂糖やミルクを入るけど。
コーヒーが来るまでの間、俺は先輩に気になっている事を聞いてみることにした。
「俺、先輩に聞きたい事があるんですけどいいですか?」
「何かしら?」
「この世界の魔法の事なんです。怪異の事でもあるんですけど」
「殻木田くん――」
先輩の俺を見る目が少し厳しくなる。
「――分かっています。〝魔女〟として俺に話せない、教えられない事が多くある事は。だから答えられる範疇でいいですから」
先輩は普段、俺にその手の話を殆どしない。それは多分、こういった不可解な事に俺を深く巻き込まないためだと思っている。
「どうして急にそんな事を?」
先輩の質問に俺は答える。
「先輩と出会ってから、俺はこの世界には魔法や怪異が本当にある事を知りました。俺が関わった事はそんなに多くはないですけど、その中で思ったんです。魔法や怪異ってなんなんだろうって――」
魔法や怪異――それは物語の中では常識の外に在るもの。非日常的なものとして書かれる事が多いと思う。
その多くは特別なもので、それに関わる人間や物もまた同じだ。
それは才能であったり、血による遺伝だったり。不可思議な逸話があることも。
つまり俺みたいな普通の人間には、とても扱えないものだ。
だから〝特別〟なんだろうけど。
けれど思うのだ――この数か月の間に関わってきた事は出来事としては特別でも、果たしてその発端となった切っ掛けは特別な理由だっただろうか?
二月の事、鈴木さんの事、それから山岡の事も――
どれもが、普通の人達が引き起こした事だ。
悲しい理由ではあるけど、それも決して常識から外れる程に特別な事ではない。
先輩が前に言っていたけど、怪異はひとの想いから生まれるんだと。
そうしたひとの想いは特別なものなのか?
それに〝怪異〟と言っても、そこに妖怪とか神様みたいな人以外の存在が関わった事も無い。
では一体、魔法や怪異とはなんだろうか――本当にそれは特別なものなのか?
その事を先輩に伝える。
「そうね。確かにあなたが関わった事から考えれば、そう見えてくるわね」
それから先輩は目を伏せて、少し考え込むようにしてから言った。
「それなら殻木田くん、私からも聞いてもいいかしら。あなたは何故、この世界に魔法や怪異はあると思う?」
「それは……」
なんでだろう?
考えてみる。そういう事に詳しくないので、なんとなくではあるけど。
魔法――普段、俺達が何気なく触れている化学とは別の力。
化学とは違う形で何かをする力。
怪異――俺達、普通の人間では説明できないような過程で起こる不思議な事。
そのふたつの事に共通する事は――俺達の〝常識〟の外にある事。
存在は知っているけど出来ないし、出来るとも思えない事。
それでもそういうものはあるかも、とは思っているもの。
考えを纏めてみる。
「……上手くは言えないですけど、もしかしたら魔法や怪異は元々この世界にあって、俺達は何かしらの理由でそれに触れてしまうじゃないんですかね?なんであるか、じゃない。ただ、そういうものがあるだけとか」
そう答えると、先輩が少し驚いた顔をした。
「殻木田くん、あなたは……いえ、なんでもないわ。そう、魔法とはそういうものかもしれない。それを私達〝魔女〟は使い、怪異を生んでいるひとの想いを〝刈り取る〟事をしているわね。そうしないといけない理由があるからだけど。魔法や怪異は特別なものなのか、それについて答えは言えないわ。けれど、これだけは言えるかしら――魔法もね、ひとつの力に過ぎないよ」
「ひとつの力……」
「そう、それ自体に意味はないわ。ただ人がどう捉えて、使うかだけ。それによって多くのものを壊したり、傷つけたりもする。もしかしたら、誰かを助ける事もあるかもしれない。普段、私達が使っている腕力や道具、言葉とそんなに変わらない。ただ、多くのひとが〝使えない〟だけで」
魔法はひとつの力。
先輩の言葉が胸に深く染みた。
その言葉に俺はある事を思った。
「なら…そんな魔法という力は、ひとを幸せにはなかなか出来ないように感じますね……それに触れてしまった鈴木さんや山岡は、俺には苦しんでいるようにしか見えなかった。それになんだか、魔法がある事で余計に辛さが増しているような気がしましたね。怪異をふたりが望んでいるようには見えなかったですから……」
「卵が先か、鶏が先か――」
先輩がふと、そんな事を呟いた。
「先輩?」
「ごめんなさい、独り言みたいなものよ。力があるからより苦しむのか、苦しむからこそ力は生まれるのか……」
先輩の言葉は多分、魔法の事を示しているとは思うんだけど、どういう意味なのかは分からない。
「殻木田くん、ひとはどうして〝常識〟の外にある魔法という力に触れてしまうのかしら。あなたはどう思う?中にはそんな力を望むひともいるでしょうし。まあこの場合、最初からそんな力を持って生まれたひとの事は除外される質問になるけど」
〝常識〟の外にある力に触れる時、あるいは望む時。
元々、その力を持っていたら先輩の言う通り話は違うと思う。
それはその力は他の人から見たら特別でも、持っている本人には普通なものである訳で。
では、そうでない時には?
昔の事が頭に浮かんだ。
あの時、俺は最初は祈るようにして願った。
家族が帰ってきますようにと。
家族がいた頃に戻りたいと。
もしその事が何かしらの力で叶うなら、俺はどんな事でもしたと思う。
その力を手にできるなら。
それが例え、自分がどうにかなってしまうような特別な事だとしても。
その力を欲したと思う。
ひとの想いから生まれるかもしれない〝何か〟
その想いは常識から外れるようなものではないとしても、それでも――それを求めることは〝特別〟な事で。
特別だと思えるようなものの為に、それを望むんだ。
それは常識を歪めてしまいたくなるほどに、強い想い。
ああ――そうか。
「魔法という力に触れてしまうのは、その力を望むのは〝常識〟だけでは解決の難しい事が本人に起きてしまうからのような気がします。まるで失くしてしまったものや、届かないものを心のどこかで求めるかのように――俺はそう思います。それが理由の全てではないかもしれませんが」
「やはり、あなたもそう思うのね……」
目を伏せて、先輩が小さく呟く。
その言葉に込められた想いが知りたくて聞き返そうとした時、コーヒーが運ばれてきた。
その事で俺は聞き返す事が出来ずに、代わりにこんな事を聞いてしまった。
「先輩も…望んだ事があるんですか……?そんな想いをした事が…あるんですか……?」
運ばれてきたコーヒーに先輩は、ミルクを入れながら答えてくれた。
「私はね、もうそれに答える事はできないの。私はひとの想いを刈り取る〝魔女〟だから――」
そう言って柔らかく微笑む。
ミルクの入ったコーヒーは、灰色にも似た色に染まる。
なんでだろう?
そうして微笑む先輩が、俺には酷く遠く感じられた。
すぐ傍にいるはずなのに。
ああ、俺は先輩の全部を知らない。
魔女の事も、先輩の昔の事も――
けれど、無理に聞きだす事も出来なくて。
その事をただ、もどかしく感じた。




