自身を殺す、その棺 9
◇
白いコートの白線の中、四角に区切られたその場所は選手達にとっては晴れ舞台だ。例えどれだけの選手が他にいたとしても。その場所に立った選手は輝かしく見える。
白線の中央から少し離れたふたつの白線に、山岡と対戦選手が礼の後に蹲踞する。こうして観覧席から見ても分かるが、山岡の方が小さい。
それは山岡の元々の体型もあるが、相手の選手が大きいのだ。
「始め!」
三人の審判の内の主審の声と共に、ふたりが立ち上がる。
しかし、いきなり打ち合ったりはしない。
竹刀が触れるか否かの距離を保ち、剣先を合わせては返す。
普通の人から見れば、何をしているのかは分かりにくいと思う。
実際、目の前で行われている試合は俺が昔にしていたものとも違う。
けれど、知ってはいる。
あれは大人の試合だ。
互いの一度で踏み込める間合いを読み、あるいは打ち込みを通す為に牽制する。図る。それはさながら、竹刀を使った両選手の会話にも似ている。
そしてそのやり取りは俺のしていた頃の剣道とは違い、身長が大きいとか小さいとか腕力であることには依存しにくくなる。
間合い――それを踏み間違えれば、アッサリと打たれてしまうからだ。
幾ら竹刀だといっても、やはりそれは刀だからだ。
迂闊な動きは一本を取られる事に繋がる。
そんな試合がある事を通っていた道場の先生から聞いて、実際に何度も見ている。
だから知っている。
最初、そうしたやり取りは互角のように見えた。
だが――少しずつ前に出て間合いを狭めている相手に対して、山岡は左に逸れるようにすり足で動いている。
山岡は劣勢なのか?
いや、まだ分からないか。
そして、最初の初太刀は相手の選手から。
面――それを止める。
そのまま、鍔競り合い。
体格の差もあって押されていく。
そこから相手の体当たり。
はじき出される山岡。
よろけた所に出る打ち込み!
危ない!
そう叫びそうになった。
それを辛うじて防ぐ。
ホッと胸を撫で下ろす。
しかし、それも束の間。自身の優勢を確信したのか、相手はこれまでの静けさから一転して攻め立てる。
必死に攻撃から身を守る山岡。
「あの子、危ないわね」
これまで試合を見ていた先輩が呟いた。
それは俺の目から見ても同じだった。
山岡は――徐々に追い詰められていく。
優勢の相手は、今はそこまで攻めていない。
追い詰められて下がる山岡の反撃を冷静に返すだけ。
イヤな余裕だった。
それは相手の動きや攻撃を見て、いつ仕留められるかを図っているような。
恐らく、強い相手なのだ。
――止めて、止めてくれ!
これは誰の声だったんだろう?
その試合を見ている俺の、あるいは実際に戦う山岡の声?
俺は知っている。
山岡は必死だ。いつだって必死なんだ。
どれだけか細くても強い願いに縋るようにして、毎日頑張っているんだ。
きっと苦しくて、苦しくて仕方ないんだ。
怪異――なんてものを生み出して、取り込まれてしまいそうになるくらい。
それがまた、ここで終わってしまう。
このまま追い詰められて、一本を取られれば。
俺は山岡の試合を見るのが辛いと感じた。
どうしようも無く追い詰められていく。
心が手折られていく。
四角の白線の中に逃げ場なんて無い。
助けてあげたくても、あそこには入れない。
「山岡――!頑張れ――!」
俺はそんな祈るように声を出して、応援する事しかできないんだ。
自分の時計を見る。
剣道の試合は大体、三分だったと思う。
もう少しで、もう少しで終わる。
剣道の個人戦に判定負けは無い。
普通の試合は二本を先取した選手の勝ちだが、お互いに一本も入らなければ延長戦となって一本先取に変わる。
そこまで保てば、何かが変わってチャンスができるかもしれない。
少しでも相手が揺らげば、山岡にも。
「十秒――」
係員が試合終了間近くである事を告げる。
もう少しで、もう少しで――
そう、思った時だった。
見ている俺も、戦っている本人も気が――抜けたのかもしれない。
その事を待っていたかのように、相手は竹刀を振り下ろした。
それは、山岡の面を正確に捉えていた。
「あ……」
「一本!」
旗が上がる。
もう取り返す時間なんて殆ど、残されてないのに。
そして、僅かに山岡は抵抗したけれど――時間は過ぎた。
ブザーが鳴る。
試合の終わりを告げる。
終わった、終ってしまった。
山岡は負けてしまった。
両選手が礼をする。
勝った選手からは次戦に向けた覇気を。
山岡の背中からは――悲しみを感じた。
それでも最後までその場に立ち続けていたんだ。
けれど、四角の白線を出た途端に走り去ってしまった。
「先輩、俺行きます!」
「ええ、行ってあげなさい」
先輩が頷くのを見てから、俺は山岡を追って走り出した。
今回、剣道のお話オンリー。
すいません。書き始めたら止まらなくて(笑)




