自身を殺す、その棺 7
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部活動が終わった後の剣道場。
そこで僕は新人戦の団体戦に出られなかった他の部員と一緒に、明日の試合の為の荷造りや準備をしていた。
それは試合に出る部員が、万全の体勢で望めるようになる為には必要なものだ。大事な裏方の仕事だとも言える。
僕を含めて、その事を他の部員も知っている。だから何も言わずに準備する。
――けれど一部の部員は、その作業を放り出して帰ってしまった。
咎める事もできた。でも誰も何も言えなかった。
その部員達の気持ちが分かるからだ。
――恨めしい。
自分が選ばれなかった事が。
どう言い繕ったとしても、行き着く先は結局そこだ。
他のスポーツもそうかもしれないけれど、最初に弱い選手は何か転機が無い限り強くはなれない。いや、始めた頃に比べれば、個人として見れば絶対に強くはなっている。だが他の選手より強くなければ試合には出られない。
試合に出られないという事。
それは即ち、成長できる場が練習にしかないという事だ。
練習の時以上に真剣に、その上で互いの力をぶつけ合う選手が試合で得るものは大きい。
そんな事が続けば、試合に出ている選手の方が強くなっていくのは当たり前だ。そして次も選ばれる。
――ある意味、最初から試合に出られなかった選手はその後も出られないという事になる。
いつまでも大会で活躍できるほど強くなれないという事になる。
みんなそれが悔しくて、それでもどこかで剣道が好きだからここまで続けてきたんだ。
試合に出られない事は、そんな想いを少しずつササクレさせていく。
選ばれなかった事は周囲からの明確な拒絶だ。
その中で、自分を肯定できるひとがどれだけいるだろうか?
だから苦しい。
いつしか自分の非力を認めなければいけないから。
自分が試合に出ている選手より劣っている事を認めなければいけないから。
しかし試合に出られなければ、強くなるチャンスも巡ってこない。
好きだった分だけ、その悲しみは大きくなる。
何かを始める時に、最初から上手くなる事を考えないひとがどれだけいるだろうか?
成長ってなんだろうって思う。
僕らは成長している。日々、稽古を続けることで。
だが、その成長が他人に認めて貰われなければ望む場所には立てない。
誰かが言った。悲しみはひとを成長させると。
僕からすればそんな言葉はマヤカシだと思う。
それは――成長して成果を出せた人間の言う事だ。
――僕らはただ、涙を流しながら抗い続ける。
好きなものを好きでいたいから。
自分を信じていたいから。
――この想いが、この辛い日々が報われると信じていたいから。
報われないと知った時、僕らは好きだったものを放り投げて去っていくんだ。
好きだったものを手放しして、痛くない人間がどれだけいるだろうか?
痛くない人間がいるとしたら。僕はその人間の想いは嘘だったと思う。
僕は痛くて堪らない、今だって。
苦しくて仕方ない。
でもここで止めてしまったら、僕の今までしてきた事は何だったんだろうと思う。
無駄――ただの無駄だったんだろうか?
そんな事、思いたくない。
夢を見ていたいんだ、まだ。
強くなれるって信じていたいんだ。
試合で活躍できるって思いたいんだ。
僕はまだ若いんだと思う。
好きなものを、好きなだけではいられない。
みんなが帰ってしまった剣道場の中で、ひとり竹刀を制服姿で振る。
新人戦団体戦の後の個人戦に向けて。
夜の迫る薄暗い夕暮れの下で。
――どうしようも無い虚しさを抱えながら。
心の中で泣きながら。
そんな時、声が聞こえた。
僕を呼ぶ声が。
「――山岡」
それは頬に傷を持つクラスメイトの声。
殻木田順平君の声。
彼は夕暮れの中で、いつもの変わらない微笑みのまま現れた。
◇
「山岡、お疲れ様!」
「殻木田……君?」
彼が差し出したペットボトルを茫然と受け取る。
なんで彼がここに、この時間にいるんだろう?
数日前の休日にも一緒に遊びに行ったりはしたけれど。
そう聞いてみると彼はこう答えた。
「まあ、ちょっと生徒会の手伝いがあってね。それが終わった後に、山岡はどうしてるかな~と思って立ち寄ってみた」
殻木田君は笑う。
けれど、僕は知ってる。
「殻木田君はどうしてそんなに僕を気に掛けるの?それはやっぱりあの〝棺〟の事があるからだよね?」
このクラスメイトは人が良い。
でも少しこれは度を外れていないか?
あの〝棺〟が自分でも何かは分からないけど、なぜ関わろうとするのか?
あんな不可思議なものが、彼にも見えたとはいえ。
「まずはそうかな?でもまあ、クラスメイトだし」
あっけらかんと言う。
「君は怖くないの?前の体育の授業の時だって殻木田君と僕にしか見えなかった訳だし」
「うーん、自分でもよくは分からないんだよね。全く怖く無い訳ではないんだけど、それよりは山岡が心配?」
「それは……」
なんでなんだろう、僕は彼が怖いと感じた。
している事はきっと善意でしている事だと思うのに。
それは何故か?
「君は僕と……どんな関係だっけ?話をしたのもこの間が初めてだよね。クラスメイトとしては別として。それなのにこんな事に関わるの?」
そう言うと、頬の傷を搔きながら答えた。
「俺は山岡の事が心配だ」
彼は真っ直ぐの僕を見て言う。
その言葉は嬉しいものだ、けれど――
「――君は僕の友達だって言えるのかな?」
そう彼には、まず相手との関係性が欠けていると感じた。
「それは…厳しいお言葉で……」
苦笑いをする。
「殻木田君。これは僕の考えだけど、普通は友達だからこういう事に関わろうとか、力になったりしようとか思うよね?君は順序が逆じゃないかな?」
「……やっぱり、余計かな?」
「そういう……訳じゃないよ。ただ、僕は君の事が分からない。殻木田君が何を考えてこんな事に関わろうしてくるのか」
そう、それが怖かったんだ。
その問いに彼はこう答えた。
「この間も話したけど俺は家族を事故で亡くしたんだ。その時、思ったんだ。自分に色々あったから俺は――困っているひとのチカラになりたいって!」
殻木田君は変わらない笑顔で微笑む。
そこにどれ程の想いが込められているのかは、僕には分からない。
家族を亡くした時、殻木田君がどんな想いをしたのかは。
けれど――
「それなら――お願いしてもいいかな?」
「いいよ!」
「即答なんだ……」
彼は頷く。
「……今度の日曜日にある新人戦の個人戦を見に来て欲しい。結果がどうであっても僕を見てくれているひとがいるって思えれば、いつもより頑張れる気がするから……」
「分かった!」
――僕は彼を頼った。
その変わらない笑顔を信じて。




