自身を殺す、その棺 1
自身を殺す、その棺
1
天気の良い五月下旬の、うららかな午前の日差しの中。
グランドに白線で書かれたバッターボックスに、ジャージ姿の俺は立つ。
置かれたバットを握ると、少し離れた所に立つクラスメイトの小西を見る。
小西は不敵な笑みで笑っている。
「勝負だ!小西!」
「威勢がいいなあ、殻木田!お前も他のヤツと同じように、すぐに打ち取ってやんよ!」
「こんにゃろう!」
ピッチャーである小西は、小学生から野球を続けているという筋金入りだ。勿論、今も野球部に所属している。多少剣道をしていた程度の俺では到底、太刀打ちできないだろう。
だが――諦めるわけにはいかない!
スコアボードを見る。
――12対0。
もう一度言おう、12対0.
五回の裏にしてだ。もはやコールド負けのレベルである。
我が軍は惨敗だ、もはや見る影も無い。
それも仕方無いのかもしれない、あちらのチームには経験者が全員。こちらは0.
すげえ、偏り!
くじでチーム決めるってダメな。
しかもあっち、本気出し過ぎ。
それでもまだ、ワンアウト。俺が出れば一点くらいは取れるかも。
個人的には、とりあえず頑張りたい。
小西が振りかぶる。俺はまず球を見て、どの球を打てそうか考える事にした。
振りかぶった小西がボールを投げる!
「ストライク!」
審判の声が響く。
はっきり言おう――ゼンゼンミエナカッタ。
とりあず、次はバット降ろう。そう思う事にした。
そんな感じの、学校の男女別の体育の時間なのでした。
次は昼ごはん。お腹も減りました。
「アウト!バッターチェンジ!」
やっぱりダメでした。
「悪い、無理だった……」
バットを置いてベンチに戻った俺は、同じチームのクラスメイト達に謝る。みんな、しゃーないよ、と口ぐちに言ってくれる。
「殻木田君、ドンマイ!」
それは山岡響も同じだった。
次は山岡がバッター。ベンチを出てバッターボックスに向かっていく。
「山岡、打てると思うか?」
クラスメイトの声。
「いや、無理だろ」
別のクラスメイトが答える。
「でも、あいつ剣道部だろ?一応、運動部だし、少しは期待してもいいんじゃないか?」
「だけど、ずっと万年補欠だったらしいし。それに、な」
クラスメイト達の言いたい事も分かる。山岡の身体は運動部だと思えないくらい細いし、背も小さい。メガネを掛けていて普段、クラスで本を読んでいたりする。知らないと文化部と言われた方が、納得するかもしれない。思い返せば、体育で活躍している姿も思い浮かばなかった。
山岡がバッターボックスに立つ。
小西を見るその目は真っ直ぐで、勝負を捨てているようには見えなかった。
小西がボールを投げる!
山岡はバットを振る事もできなかった。
仕方ないと思う。本当にあのボールは早かったから。いくら、山岡が運動部と言っても畑違いだ。
それでも――山岡は悔しそうに唇を噛んで、小西を見ていた。
二球目、バットを振る
かすりもしない。
後一球。ストライクならチェンジだ。
バットを構える。そして言葉も無く、小西を睨むような目で見ていた。普段、どちらかと言えば大人しそうな印象のある山岡が。
少し、怖いと思った。焦っているようにも見えた
何を――焦っているんだろう?
そんな山岡の雰囲気のせいか場が張りつめる。
三球目。やはりバットを山岡は振る。多分、全力で。それが表情で分かった。
「アウト!」
やはり――届かない。声が無情に響く。
チェンジになる。攻守が逆転し俺達はベンチを出て、グランドへ向かう。
けれど、山岡は動かない。茫然とバッターボックスでバットを握って立ったままだった。
「山岡――?」
声を掛ける。返事は無い。
山岡は、ただ何も無い虚空を見つめていた。
そう思った。けれど気が付いてしまった。
そこにはいつからか――棺があった。
漆黒の棺が。
その蓋が開く。
まるで、山岡を中に招き入れるかのように。
「山岡!」
俺は叫ぶ!
本能的にその棺に山岡を入れてはいけない気がしたから。
その声に他のクラスメイトが驚く。
みんなにはあの黒い棺が見えていないんだろうか?
声が届いたのか、山岡がこちらを見る。
棺が消える。
山岡が気を失って倒れた。
「ん……」
保健室のベッドの上で山岡が目を開ける。
「ここは……」
周囲を見渡した後、ベッドの隣のイスに座る俺を見つける。
「殻木田君…僕は……どうして?」
そう呟く山岡を見て、俺は安堵の溜息を吐く。
「大丈夫か、山岡。体育の授業中に急に倒れたんだ。保健室の先生はただの貧血だとは言ってたけど。その時の事、覚えてる?」
「うん、何となく……」
ぼんやりと答える。
「まだ、しばらく休んでいた方がいいと思う」
そんな様子を見て返す。
「そう……かもしれないね。ところで保健室の先生は、どうしたの?」
「今、用事があるって言って少し出てるよ」
「そっか。ところで殻木田君は……どうして倒れた僕に付き添ってくれてるの?保健委員じゃないよね?」
「そうなんだけどね。ほら、体育の後って昼休みじゃん?みんなご飯食べたいだろうと思って引き受けたんだ。寄り添うだけでいいみたいだったし」
頬の傷を搔きながら答える。
「殻木田君って……なんかいつもそんな事してない?クラスで見ていて思うけど。誰かの頼み事や掃除引き受けたりしてる」
「そうかな?」
「そうだよ」
山岡が俺を見つめて言う。
「ねえ――殻木田君聞いてもいいかな?殻木田君はその、誰かの為に何かしてるけど、空しくなったりしない?僕には時々、殻木田君がみんなに良い様に使われているように見えて……」
そこまでいった後、山岡はハッとした。
「ご、ごめん、殻木田君!その、気に障るような事を言って……殻木田君は多分、人がいいからそんな事をしてるんだよね!やりたいからしてるんだよね!」
山岡が頭を下げる。
俺は首を振る。
「無い、わけじゃないんだけど。まあ気づいたらしてるというか、性格というか、そんなに気にしないで!それに最近そういう俺に、色々言うひともいるし!」
笑いながら答える。
「大体そのひとなんか、クラスメイトより面倒だし。面倒くさがりだし、気まぐれで、少し意地悪だし!」
「殻木田君、なんか楽しそうだね」
「うん――多分、結構」
「ちょと、羨ましいかな。僕は……」
山岡が俯く。
「その……俺も聞いていいかな?山岡が倒れた時、俺見たんだ――山岡の前に黒い棺があるのを」
「殻木田君にも…見えるんだ……」
深く、重く息を吐く。
「何か困っている事があったら……俺で良ければ聞くよ?」
山岡を見る。
けれど、山岡は笑って言った。
「大丈夫だよ、殻木田君。これは……僕の問題だから。けれどびっくりしたよ、殻木田君も見えるんだって。僕の妄想じゃなかったのかな、あれは……」
苦しそうに。
「殻木田君、ありがとう。僕の事は大丈夫だから、ご飯食べてきて」
そういう山岡に俺は――何も言えなかった。




