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虚空の【セカイ】と魔女  作者: 白河律
三月に雨は降り続く――
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三月に雨は降り続く―― 5

     5


 浴室で蛇口を捻る。するとシャワーのヘッドからお湯が出て、温かい滴が私の身体に降り注ぐ。それを浴びて私はようやく生きた心地を覚えた。


 ――殻木田の部屋を訪れた直ぐに後。

 殻木田くんは私にシャワーを浴びるのを勧めて、洗濯機と乾燥機の使い方を教えてくれると、代わりの服を買ってきますと言って、脱兎の如く部屋を飛び出して行った。


 自分で誘っておいてなんというか、真面目というか、ウブというか。

 うん、でも殻木田くんらしくて、全然嫌じゃなかった。

 むしろそんな彼を見て、初めて男の子の部屋を訪れて緊張していた私の方が落ち着いた。

 あ、でも服を買ってきてくれるといっても、そもそも殻木田くんは私のサイズが分かるんだろうか?

 そんな事を考えていると、自然と顔が綻んでいく。

 あの二月の怪異以降、時々彼と街で出会うことがある。その時はふたりでお茶をしたり、少し街を歩いたりもする。なんとなく危ない事に首を突っ込もうとしていると感じたら、それとなく釘を刺すこともあった。

 四月になれば、彼は私と同じ学園に通うことになる。先輩と後輩になる。そうしたら彼と過ごす時間はもっと増えるんだろうか。

 浴室に備え付けられた湯気で曇った鏡を指で拭いて、自分の顔を見る。

 そこにはお湯を浴びて火照った自分の顔が映っている。

 殻木田――順平くん。

 ふと、思う。私はどうしてこんなにも、彼の事を考えているんだろう。

 それは今日だけじゃない。彼と会って以来、学校の授業を受けている時や夜に眠りに付く前にも〝刈り取り〟を行う前にも殻木田くんの顔が浮かぶ事がある。


 それはあの二月の怪異を通して、彼の事を深く知ってしまったから?

 それとも殻木田くんが、魔女である前にひとである私に微笑んでくれるから?

 あるいは――今日、雨の中で出会えたから?


 殻木田くんの笑顔を思い出して、心臓が早鐘を打つ。

 私を先輩と呼ぶ声が、胸に甘く響く。

 ああ、どうしようもなくのぼせているなと思う。

 私は浴室を出ることにした。


 浴室を出ればそこには、これを着てくださいというメモ書きとビニールの袋に包まれた新品のシャツとチノパンがあった。

 用意された、これまた新品のバスタオルで身体を拭きながら、洗濯の終わったものの中から下着を先に出して、乾燥機に入れて乾かした。

 こればかりは変えようがないから。

 シャツとチノパンを着てみれば、少し大きかった。


     ◇


 洗面所を出て、中々乾かない髪の毛をタオルで拭きながらダイニングに入る。

 自分の長い髪は嫌いではないけれど、こういう時には面倒に思うこともある。

 ダイニングには、どこか落ち着かない様子の殻木田くんがいた。

 座っているイスを揺らしたり、窓の外を見てみたりしている。

 「殻木田くん」

 彼に声を掛けると、ビクリと震えてこちらに向き直った。

 「せ、先輩……」

 すごく硬い笑顔。それから、その頬にある傷を搔いた。

 なんだか殻木田くんが可愛く見えた。

 「緊張してるの?」

 「ええっと、それは、まあ……」

 「あなたから私を誘ったのに?」

 「それは、言わないでください!」

 なんだか、泣きそうな顔になる。

 そんな彼に近づくと、私は彼の手を握る。

 「そんなに緊張しないで、殻木田くん。私はあなたにすごく感謝をしているの。偶然とはいえ、雨に濡れていた私を見つけてくれた。色々、用意もしてくれた。気を使ってくれた。それらのひとつ、ひとつがうれしいの。ありがとう」

 わたしはできる限りの笑顔で彼にお礼の言葉を告げる。

 「先輩、それなら……良かったです」

 彼もそう言って笑ってくれた。

 それから、何か温かいものを淹れてきますね、と言って殻木田くんはリビングを出て行った。

 ベッドに座って彼を待つ。

 その間に部屋の中を見渡す。1DKの小さい、ひとり暮らし用の部屋。

 あまり物の無い部屋。テレビや時計といった生活必需品や教科書や鞄、制服などといった学業に必要な物、それ以外には数冊の本とロボットの人形、剣道具ぐらいしか見当たらない。

 他の男の子の部屋は分からないけれど、殻木田くんの部屋はガランとしていて、どこか寂しい印象を受けた。


 そんな部屋は彼の過去を――私に連想させた。

 交通事故で家族を喪った過去を。


 「先輩、お待たせしました――って、なんか俺の部屋、おかしい所ありますか?」

 部屋を眺めていた私に殻木田くんが声を掛ける。

 「いえ、なんでもないのよ」

 私は殻木田くんに視線を移す。

 「先輩、どうぞ。熱いから気を付けてください」

 差し出されたマグカップを受け取る。少し熱い。息を吹きかけてから、口に含む。何も加えられていない牛乳の味。

 「ホットミルク?」

 「ええ、身体が温まりますよ」

 そういって、彼もマグカップを口に運ぶ。

 久しぶりに飲むその味は温かくて、どこか懐かしい気持ちを覚えた。

 ――そう、まだ母と暮らしていた時のような。



 ホットミルクを飲み終えて身体が温まった後、私は強い眠気を感じた。

 眠気に目蓋を擦り始めた私を見て、殻木田くんは言った。

 「少し寝ていきますか?」

 私は頷く。その言葉に甘える事にした。

 ベッドに横になる。知らないシーツの感触。慣れない枕。

 けれど、不安はなかった。

 それは――多分、目の前に殻木田くんがいてくれるから。

 彼はベッドの横でイスに座り、本を読んでいる。

 背表紙を見ると、どうやらマンガらしい。

 そんな殻木田くんの様子を、うっすらと眺めていた。

 「先輩、眠れないんですか?」

 殻木田くんがわたしを見て言う。

 そうかもしれない、と答える。

 「どうしたら、眠れそうですか?」

 そう言って彼は優しく笑う。

 誰かの為に在りたいと思う彼は、いつもそんな風に笑う事を私は知っている。

 それはきっと、誰に対してでも同じように。

 いつもそんな風に人助けや誰かの手伝いをしていて。

 もしかしたら今日、私を助けてくれたのもその行いの延長上の事かもしれない。

 どうしてだろう。私にはそれが面白くなく感じられて、彼が慌てる姿が見たくなった。

 「それなら殻木田くん、手を出して」

 「こう、ですか……?」

 「ええ、いいわ」

 差し出された手を取る。


 そして――その手の甲に口付けた。


 「せ、せ、先輩!」

 殻木田くんが顔を赤くして、慌てる。

 ああ、なんでなんだろう。

 そんな風に慌てている時は、私だけを見ていてくれる気がしてもっと意地悪がしたくなる。


 その笑顔をもう少しだけ、自分のものにしたくなる。


 「殻木田くん、子守唄を唄って欲しいのよ」

 私は彼にそう頼む。

 「こ、子守唄ですか、まあそれなら……」

 次は何をされるのかと、身構えていた殻木田くんが胸を撫で下ろす。

 「俺、あんまり歌は上手くないですよ?」

 「構わないわ」

 そう言うと殻木田くんは一拍置いてから、唄ってくれる。

 確かにそんなに上手くない。

 けれど、それは私のためだけに唄ってくれているもので。


 殻木田くん、あなたは知らないでしょう。

 私はあなたといるとすごく安らげるんだって。

 それなのに時々、あなたの事が胸の中を占めてしまう事があるんだって。


 その感情の名前は――


 外では雨が降っているのだろう。

 それでもその滴も雨音もここまでは届かない。

 殻木田くんの子守唄を聞きながら、私は眠りに付いた。

 幼い頃に聞いた懐かしいメロディ。

 その眠りの中で私はお母さんのユメを見た。


 ――ずっと幸せだった日々の夢を。



                     三月に雨は降り続く―― 了


外伝的な三章。

次回は再び五月へ。

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