二月の夜の闇は昏く、深く 7
4
ウツギサヨ――そう名乗った彼女と再会を約束したその日、俺は指定された時間よりも少し早めに駅前に来ていた。
繁華街の中心にある駅前は夕方に入り、仕事帰りのサラリーマンや俺と同じ学生が行き来している。
それは俺の見慣れたいつもの光景で――
ここ数日の夜の事を思い出す。
――それは俺の知っている日常から、余りにもかけ離れていて。
うん、夢だったらいいな~なんて事を思ってみたりもする。
いや、だって〝通り魔〟に、俺の記憶を消したとかいう彼女ですよ?
自分で起こした行動の結果とはいえ、普通に考えたらこれは……
「……実にヤバイよね」
独り言を呟いてみる。
それでも取り戻した記憶が、昨日の夜の事が、やはり夢なんかじゃないと自身に訴えかける。
握りしめた手の中で彼女から受け取ったメモ書きが、音を立てて潰れる。
これも、その残り香だ。
メモ書きの通り駅前を少し歩くと、アンティークな風貌の店が目に入る。
掲げられた看板には『セイレーン』とあった。
――セイレーン。
それは、神話に登場する化け物の名前じゃなかったっけ?
ええっと、確かその化け物は人魚で妖しい声で歌い、通りかかった船の船員を魅了して、船を沈めてしまったような。
「……」
思わず身構える。その名前と相まって、中に彼女が待っているかもしれないと思うと緊張した。
なんかもう、もの凄く帰りたくなってきた。
「あら、早いのね」
「おわっ!」
急に後ろから声を掛けられて驚く。振り返るとそこには彼女がいた。
「どうかしたのかしら?まるで、なにか大変な事でもあったような顔をして」
彼女が不思議そうに首を傾げる。
「えっと、それは……」
それは、あなたの事です――とは言えず曖昧な返事を返す。
「まあ、いいわ。それよりも入りましょうか」
そう言うと、長い髪を翻して店の中に入っていく。
俺もスゴスゴと、その後について行く。
レトロな喫茶店といった内装の店内に、流れるクラシックなバイオリン曲のBGM。落ち着いた雰囲気の中で、窓際の席に座った彼女が注文した、コーヒーの入ったカップを、ゆったりとした仕草で口に運ぶ。
角砂糖2つ、ガムシロップ2つ、そこにミルクを加えたものを果たしてコーヒーと言っていいのかはこの際、置いておくとして。
静かにコーヒーを口に含むと、ソーサーに戻す。
そして溜息をひとつ。
その一連の動作は、彼女の容姿と相まってどこか絵になっていた。
こんな女の子は、自分の通っていた中学にはいなかったと思う。
ややもすれば、見とれてしまいそうになる。
店内に入ってから会話の無いまま、俺は彼女を眺めながら自分で頼んだレモンティーに口付ける。
どことなく空気が重く感じる。
昨日、彼女から拒否権の無い頼み事(よく考えたら、それって脅迫って言わないかな?)についての話があると言っていたけれど、当の本人は何かを考え込むように目を伏せて、コーヒーカップを見つめてばかりいる。
そこで、気が付く。
彼女が纏っている服、学校の制服は今年、自分が入学予定の白亜学園のものではないだろうか。という事はつまり――
「あの、聞いてもいいですか?」
そう尋ねて、これまでの沈黙を終わらせる。
「私に答えられる事で、あなたに答えてもいい事なら」
「えっと、あなたは白亜学園の生徒さん――なんでしょうか?」
「ええ、そうよ」
彼女も学校に通っているんだ。そう思うと、なんか親近感が湧いてきましたよ~。
「そうなんですか!俺、今年の四月に白亜学園に入学するんです!つまり、先輩ってことですよね?」
会話のきっかけを掴んだと思い、勢いをつけて話を続ける。
「そうなるわね。あなたが今後、無事に入学できればね」
カップから目線を上げずに、淡々と答える。まるでそんな事は知っているかのように。しかもサラリと恐ろしい一言も付け加えて。一瞬、芽生えかけた親近感が遠のいていく。グッバイ、親近感。
「……」
やっぱりここに来たことはマズかっただろうか?いやでも、人の記憶が消したりできるのだ。約束をすっぽかしたその後の方が怖い気がする。
「あの、それなら――先輩って呼んでもいいですか?」
それでも、メゲズに声を掛ける。
「好きにしなさい」
溜息を吐いて彼女が答えた。




