機知の刃 5
3
「忙しいぞ。こん畜生……」
私、古谷千鶴は放課後の生徒会室でパソコンと向き合いながら、独りごちに呟いた。
生徒会室には今は誰もいない。夏休み直前という事もあって、生徒会としては片付けておきたい仕事も多く、他の生徒会役員はそれらを終わらすべく各部活や職員室に直接赴いていた。
この学校でやる気無い、お飾りとして有名な生徒会長、虚木小夜でさえもそれは例外ではなかった。あの野郎、キチンと仕事しているだろうか?殻木田君を付けたからある程度はしているとは思うが、恋仲みたいな二人なので些か怪しい。
頼む、仕事しててくれ。頭の中まで夏にならんでおくれ。
「はあ……」
溜息を吐く。私も仕事が溜まっていた。
生徒会の仕事、それから――魔女の方の事。
遡る事、少し前。七月の上旬に、他の魔女のテリトリーでひとつの事件が起きた。
ある芸術家の猟奇的な殺人の数々。その芸術家に加担し、裏切りを起こした魔女。その魔女の相方であった魔女の無能さ加減。
事件が起きた事自体、問題であったが、その事後の事でも問題が浮かんだ。
問題を起こした魔女達に、そのテリトリーであった街の〝刈り取り〟をもう任せる事は(裏切りを起こした魔女が死亡した事もあり)出来ない。
では、誰がその街の管理や〝刈り取り〟を行うのか?
魔女のしている事に対して、魔女自体の絶対数は足りない。多忙故に誰もやりたがらないし、だからといってすぐに人員を増やす事も出来ない。
なかなか手詰まりの状態であった。
今、何か目立った〝怪異〟が起きたらどうしようか?
考えるだけで、頭痛い。
取り合えず、目の前の仕事を終わらせるべくパソコンのキーをカチカチと叩く。
暫くそうしていると、お疲れ様です、の声と共に湯飲みとお茶請けらしい塩せんべいの入ったパックが、仕事をしている長机に置かれた。
「古谷先輩、ふたみの淹れたお茶で一休みされては如何ですか?」
お茶を淹れてくれた彼女、生徒会書記である境ふたみが、私の隣の席に座る。そして机に頬付きながらわたしを見上げていた。
「そうね、ありがとう。後で頂きます。仕事が終わったら、帰っても大丈夫だから」
彼女に一瞥くれると、パソコンの画面に視線を戻す。
「古谷先輩、少し冷たくないですか?いや、先輩が私に冷たいのは今に始まった事ではないですけど~」
「そうね」
「うああ、返答まで冷たいですよ~。全校生徒のみなさま、ご覧ください!眉目秀麗でみんなに優しいと評判の古谷千鶴先輩に、いたいけなふたみは苛められております!ふたみは、古谷先輩にそれほど失礼な事をしてしまったんでしょうか!」
「……」
境ふたみは、しめしめと泣き真似をしておかしなひとり芝居を始める。わたしは返事をしない。
成績も容姿も、そこまで目立ったものを持たない彼女。そんな彼女が私にとって厄介者になったのは六月の頃。
彼女がわたしに、怪しげな占いをした時からだ。それまでこんな面を彼女が私に見せた事は無かった。それから彼女は境ふたみさん、ではなく〝境ふたみ〟になった。
それから一ヶ月。わたしはまだ彼女という人間を掴めずにいた。
境ふたみ、という人間は取り立てたものは何も無い。
しかし、それは〝今〟に限った話だ。
かつて境ふたみは〝怪異〟として魔女に、わたしの母様に〝刈り取られた〟人間だった。もはや当時の記憶もチカラも持っている筈はない。
それなのに彼女は――
「先輩、息抜きにふたみとタロット占い、し・ま・せ・ん・か?」
――そう言って、わたしを見ては嗤う。
一度、彼女の占いを受けたわたしは知っている。
彼女の占いには〝何か〟がある。
「しないわよ。忙しいから」
私は彼女の方を見ず、作業をしながら答える。
「えええ――!先輩ってば本当にツレない!」
キャン、キャンと子犬が吠えるように抗議の声を上げる。
うるさい、黙れ。姦しい。
大体、あの占い自体〝半分〟はインチキだろうが。
暫くして、静かになった後でわたしは境ふたみに聞いた。
「どうして、あなたはわたしに構おうとするの?」
カタカタとパソコンのキーボードの音だけが響く中で、彼女は答えた。
「私は――古谷先輩の大ファンなんですよ!だから、先輩とはお近づきになりたいし、構って貰いたくなっちゃうんですよ!」
「あっそ」
わたしは素気無く答えを返した。それからは互いに言葉無く、作業を終わらせるとわたしは生徒会室を後にした。
わたしにはやはり、境ふたみが何者なのか分からない。
でも正直、魔女であるわたしにはどうでもいい事でもある。
以前の彼女の占いで言われた事――わたしがいずれ大切な誰かを失うという事も。
境ふたみが刈り取るべき〝怪異〟でもない限り。
わたしは嗤う。魔女であるわたしが今、気に掛けるのは境ふたみじゃない。
夕暮れの校舎をどこか力無く歩いている――千葉恵だ。
◇
他に誰もいない生徒会室に境ふたみはいた。
古谷千鶴が去った後、手付かずのまま残された彼女の為に淹れたお茶を飲み干す。
飲み干した後で、ひとり呟いた。
「古谷、古谷千鶴先輩――私は先輩のファンなんですよ。何故なら、先輩と私は紅い糸で……いえ、きっと黒い糸で結ばれているんですよ。ええ、先輩はその事を知らないし、知りようもないんですが」
境ふたみは嗤う、紅い夕暮れの中で。
「だから力になってあげます。先輩のしようとしている事を手伝って上げます。先輩の知らない所で。それが――ファンってものでしょう?」




