美醜の庭 23
「殻木田くん!」
彼の姿を見て、思わず声を上げた。
私が非常事態にあることが分かれば、同じ魔女である千鶴は動くとは思っていた。だからこの場に来るとすれば、やはり千鶴だろうと予想はしていた。
けれど、それとは別に私が会いたいと思っていたのは彼だった。
私は、柄木田くんのところに帰りたかった。
だから彼が来てくれた事は、私を深く安堵させた。
「お前は――」
私を組み敷いてた上代啓二が、素早く身を起こす。突然の侵入者に、狂人と言ってもいいこの男も、流石に動揺していた。
「――殻木田くん!」
もう一度、彼の名前を呼んだ。彼の顔が見たかった。いつものように先輩と呼んで欲しかった。
けれど殻木田くんは――私を見る事はなかった。
彼が見ているのは、上代啓二だけだった。
魔女である私でさえも、うすら寒さを覚えるような昏く冷たい眼差しで。その顔には何の表情も無かった。
殻木田くんが動く、獲物に襲い掛かる肉食獣のような鋭い動きで。
一足で飛ぶと、手にしている剣を振りかぶって降ろす。その一撃は、正確に上代啓二の頭を捉えていた。
しかし、その斬撃は空を切った。すんでの所で上代啓二は素早い身のこなしで右に動いて避けたのだ。
それでも殻木田くんは止まらない。躱された刃を返すと、右袈裟に振り上げた。これも上代啓二はしゃがんで躱した。
「アブナイ、危ないなあ――」
上代啓二は嗤う。それに対して殻木田くんは、無表情なまま攻撃を続ける。
幾度無く振り下ろされる刃は、上代啓二を斬り裂く事は無く部屋の中の家具や美術品を無惨に傷つけ、壊していく。
剣道の経験者である殻木田くんの動きは鋭い。でもそれだけではない。
その鋭さは、殻木田くんの――殺意によるものだと感じた。
ただ、掛け値なしに相手を殺してしまいたいという類の。
あの殻木田くんが今、誰かを殺そうとしている。
いつも誰かを助けようとして、でも自分が傷付くことばかりの殻木田くんが。
魔女である私さえ、大切にしてくれる――大切だと言ってくれる彼が。
私は彼が誰かを、殺す所なんて見たくなかった。
動けない身体で足掻く。どうしても動かない。
だめだ、駄目だ、ダメだ、このままじゃ。
魔法を駄目元で試してみる――少しだけほんの少しだけ、使えるようになっていた。それは上代啓二の『言葉』という力よりも、私の意志の方が勝っていたからなのかもしれない。本当の所は分からない。この際、何だって構わない。
見れば攻撃を続けていた殻木田君に、上代啓二が床に落ちていた拳銃を拾い上げて突き付けていた。拳銃を目の前にして動きこそ止まれど、刃を握りしめる殻木田くんの眼差しは変わらない。
どこかで切ったのか殻木田くんの頬から、血が流れていた。それが零れ落ちて床に赤いシミを作る。
このままでは殻木田くんか上代啓二か、それとも両者が――誰かが死ぬ。
私はそれを止めたくて、今できる魔法が間に合う事だけを祈るようにして組む。
◇
センパイに手を出そうとシタ、その男にヤイバをフリオロシ続けた。
その感情は怒りに似た激情のようでその癖、高揚感なんてなかった。ただただ、手にした刃のように鋭く、そして冷たかった。
こんなものが、こんな感情が自分の中にあった事が、隠れていた事が不思議で仕方なかった。
ただただ、コロシタイト思った。
昨日の昼間にも見たその整った顔目掛けて、刃を振るが掠めるだけでなかなか当たらない。ただの芸術家にしては、動きがいいと思った。
随分と動き回ってくれるので、部屋の中にあるものを幾つも壊した。力を入れて振り下ろすと、床や家具に刺さって刃が抜けなくなりそうだったので昔、道場で習ったように手首のスナップだけで振るう。
逃げ回っていた男が、何かを見つけると床に転がるようにして走り込んだ。その先にあるのは拳銃だった。
手にされたら面倒だな――乾いた考えが頭に浮かぶ。その前に頭をたたき割ってやろうとしたけれど、少し遅かった。
「そこまでだ、小僧」
刃を振り下ろそうとした所で、男が拳銃を拾い上げた。立ち膝になって、こちらに向けてくる。
ちっ、と思わず舌打ちをする。
「今すぐ、武器を捨てろ。どこから引っ張り出してきた骨董品かは知らないが、捨てれば命だけは助けてやる」
ずっと嗤ったままの男の顔は、やはり今も嗤ったままだった。俺はそんな男に答えた。
「嫌だね。あんた、武器を捨てたら俺を迷わず殺すだろ」
「ハ、ハハハ――!」
男が声を上げる。
「いや、すまない。昨日、見たときは女も抱いたことも無い凡庸なただのガキだとばかり思っていたのでね。まさか、こうもあっさりと人殺しが出来るようなタイプだとは思ってはいなくて。完全に予想外のサプライズだ、嬉しい限りだよ。だから、礼に正直に答えるとしよう。その通りだよ!」
男は嗤い続けながら言う。
「まあ精々、草場の影から愛しい彼女が散々、犯される姿でも覗くんだな」
引き金に掛かる指に力が入るのが分かった。けれど、そのコトを全くコワイとは思わなかった。だから、こう返してやった。
「俺は死んだとしても――あんたを必ず殺す」
ただただ、男が銃を撃つ前に刃を振り下ろす事だけを考える。
「ああ、僕も前から一度、幽霊が見たいと思っていたところだよ」
男と睨み合う、互いを殺す事だけを考えて。
その時だった、彼女の声がしたのは。
「そこまでよ、銃を捨てなさい――」
男の、上代啓二の首に見慣れた鎌のような不可思議な蒼白い刃が掛かった。
「先輩!」
「何故だ、どうして動ける?」
俺も上代啓二も不可思議な刃を持った彼女――虚木小夜を見た。
上代啓二にワンピ―スを裂かれ、胸元を露出しながらも先輩はそれを隠す事はなく刃を構えていた。
だが、その姿がおかしい。先輩の立ち方が不自然だった。力なく身体を震わせながら辛うじて立っているというか、まるで〝なにか〟に吊られてやっというか。
「そう、確かにあなたの〝言った〟通り身体は動かす事は出来なかった。でも殻木田くんがこの部屋に入ってきた時から、少しだけ魔法を使えるようになった。だから――」
先輩が一瞬、天井を見た。
「――魔法で糸を編んで、自分の身体を吊って動かしているの」
「あ……」
呆気に取られたように上代啓二も天井を見た。そこには何も見えない。
けれど『魔女』である先輩がナニカをした事は間違いなかった。
「――!」
我に返った上代啓二が、先輩に拳銃を向ける。引き金を素早く引こうとする。
「遅い」
先輩が首に掛けていた刃を振り払った。
「んんン―――ンンん―――!」
刃は上代啓二の首を落とす事はなかった。けれど刃が通り過ぎた途端、上代啓二は激痛を訴えるように喉を押さえながら床に伏せった。
「声帯を少し斬らせて貰ったわ。まあ、正確にはそれだけではないけれど。ともかくこれであなたは、これから一生マトモに声を出す事は出来ないでしょうね」
いつの間にか先程まで、吊られるようにしてやっと立っていた先輩が自然に立っている。
「ンンンン――!ンンンン、んん――!」
上代啓二が怨嗟の籠った目で先輩を見上げる。それを受けながら先輩はいつものように物憂げに、しかし冷たい眼差しで言った。
「――それから、これは今回の事に対しての私からのささやかなお礼」
そうして身体をその場で回して、ワンピースのスカートをはためかせながら上代啓二の顔に綺麗な回し蹴りを見舞った。
「ンンンン――!」
上代啓二は端正な顔を歪めて、部屋に雑多に置かれた家具やペンキ、絵具といったものの中に吹き飛んで、音を立てて埋もれた。そして、白目を剥いて気絶した。
あ、うん、先輩が蹴った瞬間に凄い音したしな。全く同情はしないが、かなり痛かったとは思う。
「少しはスッキリしたかしら。もう……戻らないものもあるけれど」
床の女性の死体を一目見てから、先輩はいつものように物憂げに溜息を吐く。
その様子を見て、僅か一日に満たない時間の中で色々な事があったけれど、先輩は変わることなく、酷い目にも辛うじて遭わなかったんだという実感が沸いてきた。
「先輩!」
だから彼女を、いつものように呼んでみた。彼女もまたいつものように自分の事を呼んでくれる事を期待して。
「……殻木田くん」
けれど、先輩は険しい目で俺を見た。
「先輩……?」
「……今はやっといつもの顔に戻ってきたわね。本当にさっきまでは凄い顔をしてた。誰を殺しても、何をしても何も感じないような」
「あ……」
その言葉で俺が今、何を手にしていて、何をしようとしていたのか、その恐ろしさに気が付く。俺もまた上代啓二のように、人殺しをしようとしたんだ。
「血が出ているわね」
スカートからハンカチを取り出して、先輩が俺の頬を拭う。
「先輩……俺……」
「いいの、殻木田くん」
先輩に抱きしめられて、手にした刃には無い温もりを感じた。
「あなたがしようとした事は、私の為だって分かっているから。でも私はあなたが危険な目に遭ったり、人殺しをする所が見たい訳じゃないの。でも、助けてくれてありがとう……」
先輩の手が震えている。自分だって怖かったろうに、こんな事をいうんだから。
デートの思い出のある破かれたワンピースの肩口から胸元を包むように、俺は自分のシャツを脱いで先輩に掛けた。
――その時、手放した剣は音を立てる事もなく、何処かに消えた事に俺は気が付かなかった。
こうして長いようで短かった俺と先輩のデートから始まった二日間が終わった。けれど俺と先輩に、後に知る事になる。
この部屋に女性の死体があったように、上代啓二が借りていた幾つものテナントやこの屋敷の庭には、多くの女性とひとりの男性の死体が隠されていた事を。その多くが近隣の街で行方不明になっていた女性達であり、更にその多くが身体の一部を欠損していたり、バラバラにされていた事を。それらはここ最近、上代啓二が発表していた作品にも組み込まれていた。
その事が世間にも公表されると一時期、上代啓二の事で持ち切りになる程だった。
俺が訪れ、先輩が囚われていたこの館はきっと――凄惨な女性達の声がどこまでも渦巻いていたのだろう。上代啓二のあの嗤いと共に。
美醜の庭 了
この章もようやく終わりました。
本当に長かった……
次回はいつものようにエクストラを一話だけお送り致します。




