美醜の庭 18
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上代啓二の住居の一室に監禁されている私は、この家の主が唐突に去った後で、ひとりの女性と向き合っていた。
私達の隣街を担当する魔女のひとりである――藤原文香と。
彼女とは、彼女を含む隣街の魔女達とは、これまでに何度か話し合いの場を設けた時に顔を合わせた事があった。
千鶴の母親とは何か過去に因縁があったらしく、千鶴を含む古谷家に対してイチイチ難癖を付ける年を重ねた片割れに対して、彼女はそれを冷静に宥めて場を取り纏めようとしていた。
それだけではなく、隣町の刈り取りの殆どを担当していたのは彼女であった事も千鶴から聞いている。彼女の片割れであり、相棒でもある筈の魔女は殆ど現場に出る事はなく〝魔女〟として得られる地位や評価ばかりに心を砕いているとも、極めて忌々しそうに千鶴は言っていた。
そんな状況でも問題無く刈り取りを遂行していた藤原文香を、千鶴も私も高く評価していた。
私達よりも少し年上で、魔女としても多くの経験を重ねていた彼女は――有能な魔女だった。その筈だった。
その彼女が今、同じ魔女でもある私が目の前で危機的状況にあるのにも関わらず、その場で立ち尽くして俯いているばかりだ。時々、こちらを覗き込むようにして私を見ているが、視線が合いそうになると反らしてしまう。
そこにある感情は、何だろう?
ついさっき上代啓二の名前を呼んでいた事やその呼び方、今の私に対する応対や態度から考えられる事は――彼女は何かしらの形で上代啓二と組みしている事。
ただそれでも私を拉致、監禁にまで及んでいる事に対しては、肯定的ではない、あるいは知らされていなかったらしい。
何かしらのチカラを持つ上代啓二と、魔女である藤原文香。
この二人を繋ぐもの、繋いでいるもの。その関係性。
それが分からない。それが分かれば、この状況を打開できる…とまではいかなくても変える事は出来るかもしれない。
その為には今、椅子に拘束されている身体の中で一番自由の利く〝声〟で呼び掛けてみるしかないと思った。未だ具体的にどんなチカラを持っているか分からない上代啓二が戻ってくる前に。
どう話し掛けたものか、と考えていると彼女が先に口を開いた。
「ごめんなさい――」
そう言って彼女は、私に頭を下げた。
その言葉を聞いて、驚きを覚えた私はこう返していた。
「――どうして?」
私の言葉に彼女は頭を上げて唇を動かして、何かを話そうとして、けれどまた俯いてしまう。
その様子から彼女が、自分の胸の中にある想いを上手く言葉に出来ないのだと思った。
私はそんな彼女に対して答えた。
「私は、あなたを責めたい訳ではないの。ただ、魔女であるあなたがどうして、あの男と組みしているか疑問に思っているだけ」
本当は彼女を責める事も、詰る事も、問い詰める事も出来た。不可解なまま椅子に縛り付けられているという、苛立ちや不安や怒りを込めて。
けれどそれをしなかったのは、私がそうするよりも先に彼女が気に病んでいる事が分かったからだ。
そんな彼女を私は、どうしても責める気にはならなかった。
暫くして藤原文香は、唇を震わせてこう言った。
「わ、私は…彼に、啓二さんに……助けて貰ったの。刈り取りの際に、誤って人を殺めてしまった時に……」
そこから続く彼女の話は――告解のようでもあった。
今から二か月程前に藤原文香はある夜に、刈り取りの際にミスを犯した。
怪異になり掛けた男性の記憶を刈り取ろうとして、加減を間違えて意識そのものを消してしまったそうだ。
人は記憶を消されても生きてはいられるかもしれない、しかし意識となると別だ。
意識すら消されてしまったら、もう息をしない。もう目を開けない。もう生きようとはしない。消してしまったのは生き物として、生きようとする心の仕組みそのものだからだ。
そうして、男性は死亡した。
そのミスの重さに、彼女は押し潰されそうになった。
魔女としての立場よりも、何よりも人を〝殺してしまった〟事の罪悪感に対してだった。
言い訳も出来た。ミスを詐称する事も出来た。本来、街の刈り取りは魔女達数人で行うものだ。しかし彼女の片割れは現場に出る事は無く、彼女一人で全て受け持っていたのだから。その事で心も身体も疲れ果て、追い詰められていた事も確かだったから。
「きっと、わたし――最初から魔女なんて……向いてなかったのよ。だって…お父さんが死んだ時だって……心が壊れてしまいそうなくらい悲しかったのに、魔女になってからは、誰かの記憶を奪う事、心を〝殺す〟事ばかりだったから……」
彼女はいつの間にか、涙を零していた。
大人でもあり、有能な魔女でもある筈の彼女が。
それも、言い訳なのかもしれない。
みっともなくて、情けなくて、どうしようもないものなのかもしれない。
本当は零してはいけないものなのかもしれない。言い訳とはそういうものなのかもしれない。
私は――それでも彼女を責められなかった。
彼女は涙ながら、話を続ける。私は静かに耳を傾け続けた。
藤原文香は元々、普通の人間だった。私と同じように。
しかし高校生の時に、事故でも唯一の肉親であった父親を亡くして、不可思議なヤイバを見つけてしまった時から【セカイ】は変わってしまった。
歳を重ねた魔女、今の片割れに見出された藤原文香はその後、彼女を師として師事し、また同時に身柄を預ける人間になった。
藤原文香は最初から気が付いていた。歳を重ねた魔女が必要とするのは、自分の能力だけだという事に。
それでもこの【セカイ】で繋がりのある人間として、心を寄せて、期待に応えてあげたいと思った。
「どんな形でも……誰かと繋がっていたかった……」
――けれど、彼女は人間だった。
有体な程に――
だから、このミスは十分に起こりえるものだったんだと思う。
そんな彼女が〝殺人〟の重さ耐えかねた時、昏い闇から現れたのが上代啓二だった。
「事情は分からないが、それなら僕が君のチカラになろう。何か出来る事はあるかな?」
「どういう事情があるにしろ、泣いている女の子を放っておけなくてね」
死体を前にしても動じず、上代啓二は藤原文香にこう声を掛けた。
そして死体を上代啓二の助けを借りて、隠す事にした。
それがどういう形であれ、彼女のココロを救った。
だから、彼女は上代啓二に組みする。味方になろうとする。
「それだけ?」
私は藤原文香に尋ねた。
「それだけって……それは……」
涙を流した後の、朱に染まる顔の艶やかな唇を彼女は撫でた。
私を見てから視線が泳いだ。
ああ、そういう事なのだと思った。
藤原文香は上代啓二の味方である以上に、男女として――それが二人の関係性だったのか。
だから魔女やこの【セカイ】の事も、上代啓二に求められれば話してしまったのか。
「わたしはきっと……愚かなんだと思う。彼の手を借りて、死体を隠したって何も変わらない。してしまった事が消える訳じゃない。それでも――」
「――誰かと繋がって、強く繋がっていたい。その気持ち、分かる気がする。魔法のチカラを手にしても、亡くしたものひとつ取り戻せないのだから」
私は答える。
「……あなたも、そうなんだ。誰か繋がっているひとがいるのね」
頷こうとしたその時だった。不意に、ここにいない筈の殻木田くんの気配を感じたのは。
「今、誰かが…いえ、何人かがこの街のテリトリーに魔法で干渉してきたわね……ほんの一瞬だったけれど、誰かを探すように。あなたを探しているのかしら……?」
藤原文香のその言葉から、千鶴の事を私は連想した。千鶴が私が失踪した事に気が付いたならば、その可能性もあった。ただ他の魔女達が担当、管理している地域への干渉は基本的に禁止という魔女同士の不律文から必ずとは言えないが。しかも、数人。何者だろうか。
ただ、少しずつ私の外部の状況は変わってきているのかもしれない。
「繋がっている……そのひとの事を話してくれないかしら?」
それでも彼女は、こう続けた。
私は殻木田くんの事を話す。何時だって私と繋がる事を望んでくれた彼の事を。彼と過ごしてきた時間の事を。この状況が変わりつつあるとしても、今は彼女と向き合うべきだと私は思ったからだ。
「うらやましいかもしれない……」
「うらやましい?」
藤原文香はそう言うと、私を椅子と縛り付けている縄を解き始めた。
「そう、わたしと啓二さんは……あなた達とは違う気がするの。きっと、真っ直ぐ向き合うようなものとは違う。わたしは、わたしが…啓二さんの事をただ信じているだけ。啓二さんが何か隠しているとしても、本当はわたしをどう思っているとしても……」
縄を解いてから彼女は笑った、どこか影を伴って。
「わたしは元々、啓二さんを……〝上代くん〟を知っていたの。ずっと前から、高校生の時から。美術部の彼の描く絵が好きだったから、どこまでも澄んだ青空の絵が。その絵を見ていると、色々な悩み事とか飛んでいってしまうような気がしたから。でも、イケメンで色んな子と付き合ってたみたいだったから、見ているだけだったけど。でも今の上代くんはどこか、ずっと変わってしまったようにも思えるの」
拉致されてきた私や、不気味な片腕の無い女性の像や、部屋の周囲を見渡ながら、昔を思い出して話す彼女はもう一度、笑った。
遠く過ぎ去った日々を思い出すように。
「……本当にごめんなさい、あなたを巻き込んでしまって。それから、こんなにも話込んでしまって。何となくあなたには話し易くって。本当はいけない事だって、隠してもいい事ではないって分かっているの。うん、でもあなたの事で踏ん切りが付いたかもしれない。ミスの事も、啓二さんの事も」
「そう。私はこれからのあなたに、幸せがあるように祈るわ。〝魔女〟が幸せになっちゃいけない事なんかない、と言ってくれたひとの言葉を私も信じているから」
藤原文香は笑った。今までとは違い、何の陰りも無く。




