美醜の庭 17
◇
「――小林、出して」
「了解しました。お嬢様」
古谷先輩の声に応えて、小林と呼ばれた使用人らしき人が、俺と古谷先輩の乗り込んだ車を車庫から発車させる。
水式によって虚木先輩の居場所が分かった後、俺達は上代啓二の住居のある隣町に向かう事にした。
俺達を乗せた車は見慣れた街を走り去っていく。窓から見える景色を見れば、真夏の昼の強い日差しを浴びて、所々に陽炎のように揺らめいて見えた。
そう、既に時間は正午頃になろうとしていた。
俺が古谷邸に着いたのが九時頃であり、水式を行ったのが十一時頃だ。それから一時間近く過ぎていた。
「……」
俺と古谷先輩の間に会話は無い。車内には車のエンジン音だけが静かに響く。
後部座席で俺と隣り合わせて座る古谷先輩は、外を見ている。足を組んで腕組をして。そして、時々苛ただしそうに唇を噛んだ。
あんまり話し掛けて良さそうな雰囲気ではない。ただ尤も、古谷先輩が苛立っている気持ちも分かる。
実は、俺も軽くキていた、
虚木先輩の居場所が判明してから、一時間近い空白の時間に何があったかというと――隣町の魔女と古谷先輩が、今回の件で交渉をしていた。
最初は俺を通して魔女の不律文に触れたが〝確認〟の取れた所で、古谷先輩は完全にこれを破り、隣街に魔法を行使した。
しかしその結果、魔女が何者かに拉致されるという事態も発覚した。
その事で古谷先輩は、隣町の魔女に対して連絡を取り、自身の行いは正当性のあるものである事を主張した。更にこの件を自身が直接、隣街に乗り込み事態の解決を図ると申告したそうだ。
その結果が――今の状態だ。
元々、古谷家と折り合いの悪かった隣街の魔女はその事を拒否。この件に関しては自分達だけで事実を確認した後で、事態の解決に当るとしたそうだ。
要するにこの一時間――今なお突っぱねる隣町の魔女に対して、古谷先輩は交渉を続けていたのだ。
俺は隣町の魔女に直接会った事が無いから、その人の事は分からないが……いい加減にしろ、とはマジで思った。
古谷先輩達との間にどんな因縁があるかは知らないし、確かに古谷先輩の今回のやり方は客観的に見てもかなり強引だろうと思う。
それでも事実が発覚してなお、自分達だけで解決を試みるという姿勢は、頑なだと感じる。古谷先輩の話通り、体面とかが事態の解決より大事なのかと邪推させる。
ただ虚木先輩の事が心配な俺にとっては、本当にどうでもいい話だった。
隣町に直接、出向いて交渉をする事で話に一段落を付けた古谷先輩も暫く荒れていた。
そう今――俺達は隣町に向かうといっても、上代啓二の所に向かっている訳では無いのだ。
もう、本当にどうしようも無い。
ここまで話を付けるのにも時間が掛かったのに、これからも掛かる可能性があるのだから。それまでに虚木先輩が、無事かどうかだって分からないというのに。
車が薄暗いトンネルの中に入る。
昏い闇の中で、俺は考える。
オレ、ヒトリデ、イクベキデハナイノカ。
マタ、タイセツナモノヲ、ウシナウマエ二。
その考えが、カバンに入れた刃物のように閃く。
「止めときなさい、殻木田君。ひとりで行こうなんて考えは」
「――!」
不意に古谷先輩の声がして驚く。
「図星だった?小夜ほどの付き合いが、君とある訳じゃないけど何となく分かるから」
暗い闇の中で、古谷先輩がコチラを見ていた。
「まあ、気持ちは分かるけどね。でも今回の相手は、上代啓二は〝能力者〟という可能性があるから、君ひとりで行くのはオススメしないから」
「〝能力者〟ですか?」
それはこれまで聞いた事のない言葉だった。
〝怪異〟でもなければ〝魔女〟でもなかった。
車がトンネルを抜けて、車内に光が戻ると古谷先輩は頷いて俺の疑問に答えてくれた。
「そう〝怪異〟でもなければ〝魔女〟でもない〝能力者〟というもの。殻木田君、質問を質問で返すようで悪いけど、その言葉からはどんなものを思い浮かべる?」
能力者か……少し考えてみる。
アニメやマンガに登場するような、超能力を持った人々だろうか。
念動力だけで火を起こしたり、物を動かしたり。未来を予知したり。普通の人には持ち得ていない力を持つ人達。
いや、でもそれなら魔女とそこまで変わらないような。
なるほど、分からん。
その思ったままのイメージを古谷先輩に伝えてみた。
「まあ、半分は外れていないかな。確かにそういうのもある。テレビに出てる霊能力者とか偶に本物も紛れているし、ウチの学校にもそれっぽいのがいたっけ。でも半分は違うというか――」
……ウチの学校にもいるのか。気が付かなかったよ。
一拍置くと、古谷先輩は話を続けた。
「――実のところ〝能力者〟は別に珍しいものではないかな。あなたが想像している程には。ただ括りが違うというか、もう少し広いというか。魔女の世界では、それこそサッカーのプロ選手のような、スポーツ選手だって〝能力者〟に含まれる」
「そこまで含まれるんですね。思ったよりも平凡というか、拍子抜けしたというか。いえ、プロの選手が決して凄くないという意味ではないですよ」
「そう、あなたの言う通り〝怪異〟や〝魔女〟に比べれば日常の延長上にあるものだと思う。でも殻木田君、こうも言えないかな――彼らの存在だってその成立までは〝奇跡〟とも言えると」
「奇跡――」
俺の言葉に古谷先輩は頷く。
「殻木田君は剣道をしていたから、少しは分かるかもしれないけどプロの選手や名選手には簡単になれるものではない。本人の才能や努力。そこに周囲の援助や支援。様々な人の応援。環境。それら、ある意味では運、気取って言えば〝運命〟が味方しなければ為りえないの。そうして抜群の能力を得た彼らも、また魔女の【セカイ】では〝能力者〟と呼ぶ」
そう言われると実感が出る。
確かに、その意味ではスポーツの選手でも十分な奇跡の上で為れるものだ。
しかし、思う所もある。
「でも、それだとすると、上代啓二って〝能力者〟なんですか?上代啓二に何か人とは違う――芸術家として他人に認められている事を除いて、誰かに危害を加えるような特別なチカラがあるという事なんですか?」
その言葉を口にして自分でも、ハッとなった。
そうだ、その可能性があるのか。
〝魔女〟としてチカラを持つ木先輩を攫った相手なのだから。
いや、それだとまた別の疑問が生まれる。
――他者を害するチカラを持つ上代啓二は、何故〝怪異〟とはされないのか?
俺が知る限り、魔女が人の記憶を〝刈り取る〟理由は、この【セカイ】で抱いた強い想いが、ひとつのチカラとして現れて周囲に認知されてしまう防ぐ為だ。
ひとの想いで出来たこの【セカイ】は、強いひとの想いを現実として映し出してしまうから。
そのチカラは決して特別なモノじゃない。誰もが持ち得るものだ。
けれどきっとそのチカラから生まれるのは、大勢のひとに望まれてくるような〝奇跡〟だけじゃない。
ひとの抱く悪意や怒り、悲しみもまた等しく。
それが、このひと心で移ろう【セカイ】を壊していく。
その事を聞くと、古谷先輩が大きく溜息を吐いて言った。
「そう、その事が今回の件では大きな鍵になるかもしれない。もう今更だから言うけど、魔女が〝怪異〟を捜す時には街に〝糸〟を張っているのは、もう知っている通り。では、その〝糸〟は一体、何に強く反応しているのか。それは、ひとの怒りや悲しみと言った〝虚ろ〟な感情に対して。だからテレビに出ている霊能力者は、割と見逃している。彼らが魔女にとって無害である内は、程よく人から認められている〝特別〟である内はね。けれど上代啓二が〝能力者〟だとしたら、かなり危険やヤツかもしれない」
その次の古谷先輩の言葉に、俺の背筋は震えた。
「上代啓二は持ち得たチカラで、ひとを傷付ける事に対して何も感じていない。あるいは、喜びすら抱いている」
ひとの想いを現実に映し出すという、この【セカイ】にはもしかしたら誰もが望むような優しい〝奇跡〟が満ちているのかもしれない。
けれど同時にきっと、誰もが望まない昏い〝奇跡〟もまた存在している。
その〝運命〟の中で誰かが――嗤って踊っている。
〝虚ろ〟な心を狂気で満たして。
「――っと、そろそろ隣町ね。停めて、小林」
古谷先輩が運転手に声を掛けると、車が急に車道脇に停まる。
「ど、どうしたんですか、急に」
まさか、こんな街中の公道が隣街の魔女のいる所ではないだろう。
戸惑っている間に、俺の座る側のドアが開く。
「え、え?」
「――殻木田君、行って」
古谷先輩に、何やら住所の書かれたメモ書きを手渡される。
これって、もしかして上代啓二の家の?
「これって、つまり――」
古谷先輩と、メモ書きを何度も交互に見つめる。
「確かにわたしはひとりでは行くな、と言った。けれど、これからアンポンタンの隣街の魔女と交渉してからなんて遅すぎる。間に合わない可能性がある。だから、これは非常手段。殻木田君、あなたは先に行って。ただし、わたしが駆けつけるまで、様子見に徹する事。これだけは守って」
俺にメモ書きと共に差し出された手は、微かに震えていた。
「はい!」
強く頷く。
俺はメモ書きを受け取ると、車を出て駆け出す。
古谷先輩の分まで、早く虚木先輩の所へと行かなければ――
久しぶりに投稿です。
次回は小夜の視点でお送りします。
後、二回ほどで締めまでいけるかなと思います。思いたい。




