美醜の庭 14
突然、高校の美術室に押し掛けた彼女――三島佳代と名乗った四十代ぐらいだと思われる女性は、しかしこうも続けた。
「前にコンテストで見た時から思っていたけれど、見所はある。だけど惜しい――」
それは上代啓二自身も自覚している事ではあった。
この頃の上代啓二は美術部に所属しながら、絵を描いてはコンテストに出展していた。その美術部は、部としては特に実績も無いありきたりな部であった。
その中では上代啓二は時折、コンテストで入選できる事もある数少ない部員のひとりだった。
幼い頃から続けていた数少ない楽しみは、確かに流れる歳月の中で磨かれ、少しずつ他者にも認められるモノに為り始めていた。
しかし、今のままではそこ止まりでもある事も確かであった。
高校卒業間近くの上代啓二にとって、その後の進路の問題は悩みの種でもあった。身寄りの無い上代啓二は、卒業すれば生計を立てる為には就職するしか道は無い。
だが上代啓二自身は、美術の世界に身を置きたい感情もあった。
もし自身に才能があるのであれば、美術専門の大学に進学し、それをもっと伸ばしてみたい、追求してみたいという想い、願い。
でも現実は、それを許さない。自身の生まれが、育ちがそれに縛りを掛けてくる。だからといって、推薦で美大に入れる程の実績を上げている訳でもない。
三島佳代はそんな上代啓二に、こう言った。
「あなたの現状は大まか把握しているわ――そこで、私の庇護を受けてみない?」
その言葉は上代啓二にとっては――天使の囁きにも悪魔の誘惑にも聞こえた。
それでも上代啓二は、その申し出を受けた。
三島佳代――上代啓二にとって彼女の最初の印象は、傲慢な女だった。
傲慢な女。
その印象はやはり間違ってはいなかったと、上代啓二は今でも思う。
才能のある人間のパトロンになり、援助する。表向きに言えば、これはそういう話になる。見方次第では美談にも成り得るかもしれない。
しかし裏向きにみれば、若い男を金を出して囲ったとも言える。
そうした歪さをも抱えた関係はやはり、一部でゴシップとして取り上げられた。だが彼女は故人である家族から引き継いだ資産と、世間に対する自身の影響力や発言力で、捻じ伏せて成立させたのだから。
世の中の事には、表と裏がある。
この話だって、その内のひとつだろう。
それはカードの裏と表のように。
しかし同時に表も無ければ、裏が無い事もある。
世界の全ては複雑なのに、ままシンプルな事もある。
では、上代啓二の場合はどうだったのか?
上代啓二には、両方がもれなく存在していた。
彼女の庇護を受けて美大に通う上代啓二は、同時に〝女〟として三島佳代が望めば抱く事を求められていた。
三島佳代曰く、上代啓二は自身の作品なのだという。
端麗な容姿を持ち、自分の見出した才能で作品を造るモノ。
それは〝三島佳代〟という人間が、財産にしろ世間の影響力にしろ、どういう形であれ、持ち得るチカラがあればこそ為し得るモノだった。
それを〝結実〟と言うか〝暴力〟と言うべきなのか、それは誰にも分からないだろう。
だが生まれから男と女の色情を覗き、多くの女性と関係を持ってきた上代啓二はそうした三島佳代のチカラの使い方の中に、彼女の欲求を嗅ぎだしていた。
――彼女は〝女性〟として老いていく中でも異性に、誰かに求められたいだけだった。
だから彼女は傲慢で在り続けた。生まれた時から、チカラを持つ彼女はなまじそのやり方で、他者の関心を引く事しか知らなかったのだ。
彼女は何処か、母に似ていたのかもしれない。自身を殺そうとした母と。
三島佳代も〝チカラ〟に、何かに依存する事でしか生きられないイキモノだった。
それでも〝性〟を売る事で、庇護を受けて生きているという点においては上代啓二こそが、母と同じ境遇にあった。
その事に上代啓二は、言いようもない感情を覚えた。敢えて言うのであれば〝醜い〟という嫌悪感。
もう、コワレタ筈のココロが軋む。
虚ろなアナの空いたココロは、何も感じない。感じないと思っていた。
ウソだ。穴の空いたココロにまた、イタミやイカリやカナシミが落ちる時には、針のような乾いた音を立てる。底に落ちてはアナを埋めていく。
その音が、ココロが軋むような乾いた音が耳障りだ。
やがてココロに空いた穴をイタミやイカリ、カナシミが埋め尽くしていく。
それが、ココロのオモテへと溢れ出る時には――
――そうしたある日、上代啓二は三島佳代を殺害した。
自身のチカラを使い、財産を相続させる相手を自分に指定する遺言状を書かせて、暫く後に車道に飛び出すように囁きかけた。ある雨の降る夜に、行為の後に。
その夜、行為の最中で彼女は言った。少し前に出展した絵が最優秀賞を、自身の便宜もあって獲る事を。
どうしてそんな事を、と上代啓二が問うと、三島佳代は答えた。
「私の便宜が無くても、獲れたとは思うわ。でも確定ではなくてね、だからよ。何よ、その顔。不満?いいじゃない。そもそも芸術なんて、あやふやなモノよ。良し悪しなんて、大概の人間には賞とか流行とか、箔がなければ判断付かないわよ。それより私は私のモノにも箔を付けたかっただけだから」
そんな事をして何も思わないのか、と問い掛けてみた。
その問いに、彼女はこう答えた。
「何も感じないわよ。自分の持ち得たチカラだもの。それを使うのに――何を躊躇う必要があるの?」
本当に、その通りだと思った。
だから、上代啓二も自身のチカラを使う事にした。ただ思うままに。
行為で果てた後の、虚ろな中で囁いた言葉通りに彼女は、怪しげな動きで遺書を書いた。行為の際にはいつも点けるテレビの光を頼りに。
上代啓二はテーブルサイドにあったリンゴを齧りながら、テレビを見る。
テレビの内容は『時計仕掛けのオレンジ』という映画だった。
リンゴの蜜が酷く甘く感じられた。服を着ると、傘を差してタバコを買いに事にした。降り続く雨の中で、映画の中で流れた曲を歌いながら。
三島佳代は数週間後に、車道に不意に倒れ込んで〝事故死〟した。
その知らせを聞いても、母の葬式と同じように何の感慨も湧かなかった。
――それから上代啓二の蒐集が始まった。
母や三島佳代とは違う、何ものにも依存しない美しいものを――




