美醜の庭 13
7
魔女である縛られた少女と、同じく魔女である女が対面する。
少女は、女を驚きや疑念といった眼差しで見つめている。
そんな眼差しを受けた女の方は、その視線から逃げるように顔を反らして俯いている。その胸中にある感情は、さしづめ罪悪感とでもいった所か。
不可思議なチカラを持つ魔女と言えども、やはり人間である事には変わりない――先程、少女に語った言葉を上代啓二は自身で反芻する。
所詮、人間などそんなものでしかない――この状況を最もよく、この場において把握する上代啓二はほくそ笑む。
少女と女、男の感情と思惑が絡む沈黙の中で不意に、部屋に置かれた電子時計のアラームが鳴った。
「おや、これは失礼」
壊された静寂に、空気は弛緩する。時計の持ち主である男は、近づきアラームを止める。それから上代啓二は、少女達にはなまじ想像し難い言葉を告げた。
「さて、僕はそろそろ出掛けるとしようかな。これから人と会う予定があってね、暫く留守にするよ」
「え?」
「そんな……」
やはり男の言葉は、少女達を動揺させるばかりだった。
「それでは、留守を頼むよ」
「啓二さん……」
上代啓二は女に目配せすると、財布や携帯をズボンのポケットに入れると部屋を出た。
女の戸惑いの視線を放置して。
さて、あの女はこれからどうするのか――上代啓二は、再び部屋に帰って来た時の結末を想像して嗤う。
洋館染みた家を出た上代啓二は、近くの乗り場からバスに乗る。平日の昼間である事も相まって乗客は少ない。空いている席に腰を降ろした。
走り出したバスが街中を走る中で、すれ違う人々を粒さに観察していく。
ひと、ひと、人、ひと、ヒト――ヒトしかいない。
決して、ひとという動物しかいない訳ではない。
ただその中でも、飛び抜けて複雑な感情や思考を持つのが人間なのだと、そう認知できるだけだ。
ある乗り場に止まった時、一組の親子がバスに乗ってくる。父親と母親、それから男の子。その親子は空いてる席に座ると、仲睦まじげに語り合う。
その光景を見ていた上代啓二は暫くすると、興味を失い視線を再び車内の外に向ける。
所詮〝愛〟などいうものは生殖の為に、あるいは生殖の際の快楽の為に人間が、都合良く造り上げた言葉である事を上代啓二は知っているからだ。
◇
上代啓二は父を知らない、生まれ時から。
いや、もしかしたら顔を見た事はあるのかもしれない。不特定多数の男が、家であったアパートを出入りしていたのだから。
母は、男達と身体を重ねる事でしか生きられない人間だった。そうして〝女〟としての充足と、金銭を得ていた。男に依存する事でしか生きられないイキモノだった。その為ならば、行為の最中にどんな愛の言葉を囁く事も厭わない。
だから上代啓二は、〝愛〟がマヤカシである事を知っている。
その事から母の愛が自分には与えられない事を、受け入れ難くも納得していた。いや、悟ってしまったのかもしれない。
母と男達の行為が始まれば、雰囲気を削ぐという名目で、真冬でも外に出された。食事を与えられない事も少なくなかった。空腹に耐えかねた時は、ゴミ捨て場を漁った事もある。男達と何かイザコザがあれば、八つ当たりのように暴力を振るわれた。
上代啓二の幼少期の中で、上代啓二が数少ない楽しみとしていたのは絵を描く事だけだった。
その切っ掛けは些細な事で、母と男達の行為の間に外に出されている時に、ゴミ捨て場から色鉛筆とスケッチブックを拾った事だった。
今でも上代啓二は覚えている。真冬の冷たく、灰色の厚い雲に覆われた空を見上げて真っ白なスケッチブックを、ただただ青い色で染め上げた事を。
元の空の色など関係無い。ただ、どこまでも広がるような青空を上代啓二は望んでいた。
そんな母が自殺したのは、上代啓二が小学校に上がる少し前の事だった。
母は自分の首筋に刃を押し当てて引き抜き、血を噴いて死んだのだ。
上代啓二を刺す為に持ち出した刃で。
その日、酷く苛立った母は言った。
「あんたが、邪魔なのよ!あんたがいるから、私は愛されない!」
啓二は知っていた。段々と、母の元へと通う男達が少なくなっている事を。それは、ここ暫くの生活の困窮ぶりかも分かった。
同時に、男達が母の元へと通わなく理由もまた分かった。母は〝若さ〟を失いつつあったのだ。母の言い分は、ただの八つ当たりだった。
その言葉をいつものように、無感動に受け止める。すると、手が飛んで来て殴られる。それを、いつものように受け止める。反抗しても無駄だった。しても、母を苛ただせるだけだ。この時間が続くだけだ。
ただ――この日の母は何かがキレていたらしい。
上代啓二を何度も殴打した後、刃を取り出した。押し倒して馬乗りになると、大きく刃を振り被った。
「これだけ殴っても、痛がらないなんて、本当に気持ち悪い子!ねえ、消えてよ!あんたなんかいらない!あんたなんか、生んだのが間違いだった!私の為に消えてよ、死んでよ、啓二!」
ああ――その言葉を聞いた瞬間に、上代啓二は大きく溜息を吐いた。
物心付いた時から、思っていた。どうして、母は自分を生んだのだろうと。
分からない。でも、これだけは分かる。
生んでくれと、頼んだ覚えは無い。これまで生きてきて、幸せだと思えた事も無い。
それでも上代啓二は、信じていた。この時までは、信じていた。
自分は生きていていいのだと。もしかしたら母と笑いあって、幸せになれる日が来るかもしれないと。母も自分を愛してくれているのだと。
冬空を見上げて――ありもしない青空を描くようにして。
それが、母の言葉で壊れた。
母は上代啓二を否定した。
涙が零れた。暴力を振るわれる事に、痛みに慣れて、流れる事も無くなっていたのに。
きっとココロも壊れた。
だから、その言葉も自然に出た。
『――お前が死ね』
母を否定する言葉。
その言葉を聞いた母は、頷いた。
そして母は〝自殺〟した。
流れた血が上代啓二の身体を赤に汚す。
上代啓二の言葉は、この時からチカラを持った。
母の死後、上代啓二は児童養護施設に引き取られ、高校を卒業するまでの時間を、その場所で過ごした。
母の死について言及される事は無かった。母の普段の生活や、死の状況からすれば、特に可笑しな所は無いと判断されたからなのかもしれない。
いや、あるいは母は誰からも大した興味も、関心も持たれない程度の価値しかない人間だったのかもしれない。
母の葬式には誰も来なかったし、自分を引き取ろうなんて人間も現れなかった。
そして、それは上代啓二にとっても同じだった。
児童養護施設での生活は、上代啓二のそれまでの人生に比べれば、かなりマトモなモノだった。少なくとも飢える事や冬の寒さに怯える事は無い。
そんな生活の中で成長すると共に、端麗な容姿を得た上代啓二は女性から関心を寄せられる事も多くなった。
それに乗じて性の充足を得る為に、付き合う事もしていた。
身体を重ねる事も頻繁にしていた――それは、酷く容易い事だった。少し甘い言葉を囁いてやればよかったのだから。
この時点で、上代啓二は自分のチカラを自覚していた。
上代啓二の言葉は――〝自分に関心を持つ女性〟に対してのみ強い強制力を発揮するのだ。
どうしてこんなチカラを、自分が得る事が出来たのか分からない。
ただ、なんとなく母が〝自殺〟した時から備わったものだとは思っていた。
このチカラは――誰が授けたものなのか。分からない、その意味さえも。
だから上代啓二はこのチカラを精々、性の充足を、日々の充足を得る程度の事に使用していた。
そう、その程度の事でしかなかったのだ。まだ、この時までは。
高校卒業を間近くに控えた時、ある女性と上代啓二は出会う事になる。
資産家であり、芸術の世界にも影響力を持つ女性に。
「〝貴方〟は――見所があるわね」
初めて出会った時、上代啓二の絵を見ながら彼女はそう言った。




