美醜の庭 6
ヤクトバーガーを出た後は古谷先輩、山岡とは別れた。
古谷先輩は今度、再戦した時は絶対に負けないと言い残して、再びゲーセンに戻っていった。虚木先輩に負けたのが、余程悔しかったのだろう。恐らく、これから練習に明け暮れるのだろうと思う。
しかしだ。普段の先輩達のやり取りを見ていると、古谷先輩にしても虚木先輩にしても、互いに何かに付けて張り合っているように思える節がある。
長い付き合いのある悪友にして、魔女としてはコンビでもある二人。
俺には良くは分からんが、深い付き合いがある分だけ、互いに思う所もあるのかもしれん。
まあ、取り敢えずだ。この二人の貶し合い、罵り合いは怖い。
なまじ分かり合っているだけに、的確に痛い所を突きつつも、本当の意味ではギリギリ逆鱗には触れない。
……半殺し合うみたいなものですかね。
そんな女性達の知られざる姿を見た山岡は、疲労に満ちた様子で帰路に着いた。
遺言は、もう僕…疲れたよ……殻木田君。
なんか愛犬と、そのまま召されてしまいそうな言葉だった。
ゴッドスピード、山岡。
俺と先輩は、スイドウバシから近いジンボウチョウの街並みを散策していた。
「最近の大学って、普通のビルみたいな感じなのね。外見だけでは殆ど見分けが付かないわ」
その街並みを眺めながら、先輩が呟く。
「確かにそうですね。それは、初めて来た時に俺も思いました」
学生街であるこの付近には大学が多く集まる。
しかし、その様相は運動場やプールが併設されている中学や高校とは大分、違う。先輩の言葉通り、オートメーション化されたビルの中にあり、いまいち俺達の知るような学校ぽい感じは無い。
近代的と言えばそうだし、イマイチ学校の雰囲気が感じられないと言えばそうでもある。
「ところで、先輩って進路ってどうするんですか?」
大学絡みで思い付いて、聞いてみる事にした。
先輩は二年生だ。文理は勿論、これからどんな進路を選ぶか少しずつ、具体的にしていく時期だと思う。
「え、何?もう一度、言って」
質問を聞いた筈の先輩が、そう返した。
「進路ってどうするんですか?二年生の夏だし、そういう話も担任の先生としたりしているのかと思いまして」
「ああ、進路ね。シンロ」
先輩は、いかにも面倒くさい事を思い出したように呟いた。
それから、非常におざなりにこう答えた。
「シラネ」
「オオウ……」
そうとしか言葉を返せなかった。
「その事で、この間も担任にせっ突かれたのよ。虚木、進路はどうするんだ。尤もお前の今の成績では、このままだと行ける大学はたかが知れているぞって。それはすいませんね、とはその時は適当に返しておいたけど。休日に最近の悩みの種を、ひとつ思い出す事になるとは思わなかったわ」
溜息を吐く先輩。
普段の先輩の様子からしてなんとなく察してはいたけれど、イマイチ成績は芳しくないらしい。
「……先輩なりに行きたい所とかは、無いんですか?」
割と心配になってきたので聞いた。
「……思い浮かばないのよ、全然。一年先なんて、どうなっているかは分からないし。まあ、ただ〝魔女〟である事には変わりないとは思うわ」
街並みを見渡す物憂げな先輩の瞳は変わらない。
けれど、その瞳は酷く物事を刹那的に捉えているように思えて。
「まあ、あんまり殻木田くんが気にする事じゃないわ。多分、大丈夫よ。千鶴が言っていたように、この辺りに魔女と縁の深い大学があって、多くの魔女はそこにコネで入学するから。私もそうしていると思う」
その言葉はどこか、他人事のようにボンヤリとしている。
「先輩なりにしたい事とかは無いんですか……?」
〝先輩〟自身の言葉が聞きたくて、そう尋ねていた。
「……私なりにしたい事」
俯いて試案顔になる先輩。
暫く経ってから、こう答えてくれた。
「そうね。今よりも…今までよりももう少し、静かな生活が送れるようになったら……もう一度、ピアノを弾きたいと思うわ」
その目は、ジンボウチョウの街並みの中の音楽店を捉えていた。
その店頭には、一台のグランドピアノが置かれていた。
「いいんじゃないでしょうか!」
俺は笑う。
幼い頃に亡くなったお母さんから教わっていたというピアノ。
今では、殆ど触れる事もないのだろう。
それにもう一度、先輩の意思で向き合える時が来るのなら、それは素晴らしい事だと思う。
「ところで、殻木田くんこそ進路はどうするの?何かやりたい事とかはあるの?」
「えっと、それは……」
逆に聞かれて言葉に詰まった。
俺も先輩と同じで、殆ど具体的には思い浮かべられなかったからだ。
それでも――誰かは助ける事は続けているとは思う。
ただ、それだけは。
「あなたも思い浮かばないのね」
「面目ない……」
俺は頬の傷を掻く事しか出来なかった。
そんな俺に先輩は言った、握り合っている手をより強く握り締めながら。
「それなら、私は殻木田くんと過ごしたい。同じ大学で、同じ時間を。まだ〝これから〟事なんか分からないけれど」
「先輩……」
その言葉に胸が詰まった、本当に。
「あ、でももしそうなるとしたら、殻木田くんは勉強頑張ってね。私がコネで入学するであろう大学は結構、偏差値高かった筈だから」
「ファ!?」
突然、降って湧いたあまりに大きな試練に吹くしかなかった。
それから少しずつ傾いて、刺すように差し込む西日を避けて大通りから、細い小道に入る。
先輩と話を――昔話をしながら歩く。
そんな気分になったのは〝未来〟の話をしたからなのかもしれない。
俺は話す。家族が、妹のいた頃の事を。
先輩は話す。お母さんがいた頃の事を。それから亡くなってからの事を。
「――思い出すと今は、今で忙しないけれど中学の頃は別の意味で忙しなかったと思うわ。あの頃は魔女になる為の千鶴の母親からの手ほどき……もとい、シゴキは凄かったし」
「そうなんですか?」
「ええ、小学生の時は……身体が出来ていない時期だし、そこまで激しくなかったのよ。どちらかと言えば、魔法を使う為のイメージを固める訓練が多いくらい」
「イメージですか?」
少し前に先輩から、この世界の〝魔法〟は思うだけで起こせるものだとは聞いたけれど、それでも訓練は必要なようだ。
「あまり詳しくは話せないけれど、触りだけなら。殻木田くん、あなたは……そうね、例えば目の前の物に、火を点けるイメージを正確に素早くする事が出来る?」
先輩の指差した先には、赤いポストがひとつ。
少し頭を捻ってみたけれど、鉄製のそれが突然、燃え上がる光景を直ぐには思い浮かべられなかった。そのイメージが、そう見る事も無い非現実的なものという事もあるからなのだろう。
「じゃあ、こんな暑い日に食べたくなるようなアイスを思い浮かべる事は?」
それは、思い浮かべやすい。
「それはどんな形?あるいは色、それから味は?」
しかしそう言われると、最近食べたものやこれまで食べたものが、イメージとして混在してきて取り留めが付かなくなる。
「……結構、難しいですね」
「そうなのよ。人間って〝想像〟出来る生き物ではあるけれど、それを現実な具体的なモノとしてイメージするのは、案外難しいものなのよ」
「なるほど」
「だから、そんな訓練をするのよ。はい、アイス」
いつの間にか〝魔女〟である先輩の手には、二本の白いアイスが握られていた。
「ありがとうございます!」
受け取って舐めてみると、それは先輩の好物である杏仁豆腐に似た味がした。
「それが、中学の頃は肉体的なものに変わってね。まあ、地獄ね。並の体育会系の部活なんて目じゃないと思うわ」
「……そんなにですか?」
「そんなに、よ」
先輩の顔が強張っていて、目が据わっている。あの滅多に表情の変わらない先輩がである。
思わず息を飲んだ。
「早朝、深夜のランニングに始まり、放課後は千鶴と〝魔女〟の杖を使った実戦的な手合せ。この辺りはまだマシね。千鶴の母親との手合せなんて、千鶴と二人で挑んでもフルボッコ。何度、気を失った事か」
遠い目で先輩は語る。時折、手にしたアイスを舐めながら。
「休日なんて無かったわね。千鶴の家の裏山で食糧無しでサバイバルとか、極寒の海で寒中水泳とか。雪の日に、千鶴の母が造りだしたイエティみたいな化け物と生存競争した事もあったわね。あの世に逝きかけた事が多々にあったわ。ヤバくてとても学校の友達と、マトモな交友関係は築けなかったわね」
「それは……」
本当に酷い。
なんとなく先輩の身体能力の高さや、先程ゲーセンで見た勝負慣れの訳が分かった気がした。
それに見合うだけの訓練を積んできた事に他ならなかったのだ。
普通の女の子として過ごす日々を塗り潰してまで。
「魔女って、必ずそういう訓練をしないといけないものなんですか?」
「どうかしら。時々、他の街の魔女と会って話すけれど、そうでもないみたい。多分、ウチが特別スパルタなのよ。千鶴の母曰く、どんな状況でも対応できるようにとの事らしいけど。一理はあると思うわ。魔女の扱う案件なんて、何が起こるか分からない事だらけだから」
厳しかった手ほどきに対して、先輩なりに納得はしているらしい。
アイスが食べ終わる頃、歩き続けていると視界に一風変わった建物が見えた。
レンガ造りのゴシックな風貌、所々に取り付けられたステンドグラス、屋根に立つ十字架――教会だった。
「寄っていきますか?」
その雰囲気に惹かれたのか、足を止めて見つめる先輩に声を掛ける。
「いえ、いいのよ」
先輩は首を振る。
「どうしてですか?」
「〝魔女〟である私にはきっと、その資格が無いから。私は〝魔女〟になるべく訓練をしてきたし、なってからはひとの心を〝刈り取って〟もきた。ある意味、ひとを害する為に生きているようなものだし、これからもそうしていくのだから」
そう言って先輩は笑う、どこか寂しそうに。
けれど、握られた手はいつしか震えていて。
見ていられなくて――先輩の手を強引に引いた。
「殻木田くん、どうして……?」
教会に入ると、彼女は少し驚いたような顔で俺を見た。
その顔を真っ直ぐ見据えて答えた。
「俺は――先輩が〝魔女〟が幸せになっちゃいけない事なんかないと思います」
俺と彼女しかいない場所で言葉を続ける。
「その、教会が幸せになれる場所だとか思わないですけれど……でも、先輩が訪れちゃいけない場所だとも思わないです。上手くは言えないけれど…その魔女であっても、幸せを感じたっていいと思います」
「殻木田くん……」
先輩が俺を見つめる。
「――そうかもしれないわね。私の母も〝魔女〟であっても幸せだったから、私が産まれたのかもしれないし。それに今の私は…あなたがいてくれて……」
先輩の声が少しずつ小さくなる。
それから切なげに睫毛を揺らして、瞳は潤んで、唇は赤く色付いて見えて。
それに引き寄せられるように、顔を近づける。
それは逆らい難い魔力のように、あるいは本能が求めるままに。
ただ以前にも覚えたその感触がもう一度、欲しくなった。
「ま…まって、からきたくん……」
もう少しで重なる前に掛かる制止の声。
「先輩……?」
「その、いやとかじゃないの……ただ、ここは教会だから…しちゃったら、色々、飛び越しちゃうというか。もうほんとうに、ただの先輩後輩じゃなくなくなっちゃうというか……」
「あ……」
言われて気が付く。
教会の礼拝堂には、物言わぬ長椅子や祭壇しかないけれど、ここで唇を重ねるという事は――
先輩の顔は赤かった。俺も凄い気恥しかった。
「そのい、いまはまだ出来ないけれど、こうしたい……」
俯いたまま先輩は、小指を差し出す。
その意図に応えたくて、俺もまた小指を差し出して絡める。
「〝これから〟の事なんてまだ、分からないけれど…あなたには……ずっと傍にいてほしい……」
「はい!」
その言葉に胸の鼓動が早まるのを感じながら答えた。
夏の西日が差して、色トリドリに輝くステンドグラスの下で。
未来の事なんか分からなくても〝今〟確かに誓う事は出来る。
その想いの大きさに――俺は忘れていたのかもしれない。
所詮――未来なんて波のように、風のように曖昧で不確定なものなんだって事を。
一寸先の闇。形のない黒い闇。
その次の朝、俺は古谷先輩の電話でその事を思い知る事になる。
虚木小夜先輩が、俺と別れた後の夜から行方不明となったのだ。
激しく心にヒビが入るような痛みを覚えた。
それは何処か――いつか見た、壊れた刃を思い出させた。
お久しぶりです。
体調を崩したりで、更新が遅くなりまいた。すいません。




