君が怪物になってしまう前に 3
「虚木先輩、どうぞ」
「ありがとう」
殻木田くんが淹れてくれたコーヒーの入ったマグカップを受け取る。マグカップにはジト目の黒猫がプリントされている。
コーヒーを少し口に含む。ブラックはやはり苦い。そこで私はスティック砂糖を3袋、ガムシロップを2つ、そこにミルクを加える。
「虚木先輩って、かなりの甘党ですよね」
「そうかしら」
「ええ、本当のコーヒー好きの人間がいたらきっと卒倒しますよ。俺も先輩にはカフェオレかココアを出した方がよかったかなって、今思いましたから」
「殻木田くんは、苦めが好きなのね」
私の隣のイスに座る殻木田くんは砂糖1袋で飲んでいる。ちなみに殻木田くんのカップにはハムスターがプリントされている。
「俺は甘いのがあまり得意じゃないだけです」
「でも世の中には、マックスコーヒーという凄く甘いコーヒーがあるそうじゃない」
「たしかにアレはかなり甘いですね。特にホットは」
そう言って笑った。
「そんな甘党な先輩にはデザートも用意してありますよ!」
「なにかしら」
「杏仁豆腐ですよ、コーヒーと合わせてどうぞ!」
プラスチックのスプーンと一緒に差し出してくれる。
「殻木田くんは私の好みを熟知しているわ」
杏仁豆腐は私の好きなミニステップのものだった。蓋を取りスプーンを入れ、口に頬張る。さっぱりとした甘さが口の中に広がる。おいしい。
「出会ってからあまり経っていないのに殻木田くんは、私のことをたくさん知っていると思うわ」
杏仁豆腐を食べ終えた後、不意に私の口からそんな言葉が出た。
「先輩との出会いはこれまでの人生の中でも一番強烈でしたから――」
彼は肩を竦める。
「――アレは忘れようにも忘れられないような出来事だし、俺はその中で先輩の正体も知ってしまいましたから。そんなひとからは目が離せません」
そして、まっすぐに私を見つめる。
「あなたにとっては――そうかもしれないわね」
私は目を伏せる。
私は殻木田くんと出会った。
二月の深い昏い寒い夜の中で。
〝怪異〟と呼べる事件を通して。
闇の中でふたりは出会った。
「そろそろ仕事に戻りますね」
殻木田くんはそう言って席を立つ。その時、制服の袖が捲れて手首に巻かれた真新しい包帯が見えてしまう。
――私は知っている。殻木田くんが抱えているものを。
元いた席に座った彼は再びパソコンと向き合う。
そこでふと気が付いた。
「ねえ、聞いてもいいかしら。その仕事はあなたがすべきことなの?」
殻木田くんは生徒会室に結構出入りしているのでよく勘違いされるが、役職は無い。あくまで私達の手伝いをしてくれているただの一般生徒だ。
「いえ、違いますね。藤田先輩の仕事なんですけど、今日はなんか用事があるみたいで代わりにやってくれないかと、頼まれました」
そんな事を酷く当たり前のように言う。
人当りも人も良い殻木田くん。彼は人の頼み事をほとんど断らない。
だから彼にはたくさんの知り合いがいる。そのために生徒会がなにかあった時に仲介役を頼む事もあるので、生徒会室にも出入りしている。
――私は知っている。彼の悪癖を。
彼は単に人が良いというだけで、誰かの頼み事を引き受けているわけではない。
「殻木田くん、今日このあと何か用事はあるかしら?」
声を掛けてみる。
「いえ、特にはないですけど。どうしたんですか、先輩?」
「なら、仕事を早く終わらせてしまいましょう。そしてなにか食べに行きましょうか。今日は折角、天気のいい土曜日なのだから」
「先輩が急にやる気を出すなんて、何かあったんですか?まあ、でも確かに外は天気がいいですね――」
窓から見える春の空を見上げて彼は言った。
◇
仕事を終えた後、私達は駅前の歓楽街に出て銀だこでたこ焼きを食べて、音楽店に寄って最近の曲を試聴した。それから、本屋にも行って雑誌を立ち読みもした。
そして日の暮れる頃に、お互いにさよならを言って別れた。
そんな当り前のような時間を、ふたりで過ごした。




