恋獄迷宮 11
6
夜も更け、日付も変わる頃。
屋敷に帰って来て、湯船に浸かったわたしは浴衣に着替えて自室にいた。
明かりを落とした室内に差し込むのは、夏の夜の月明かりだけ。
その中でわたしは畳に寝転んで、月明かりだけを頼りに〝遊んで〟いた。
わたしが遊んでいるのは――〝箱庭〟だった。
箱庭という四角に切り取られた【セカイ】の中央にあるのは、メガネを掛けた少女の人形――それは遠野さんに見立てたものだ。
彼女を取り巻くのはふたつの世界。
家と学校。実の姉と、その婚約者。
彼女は、その狭間にいた。
そこで揺れていた――ふたりの大切なひとの間で。
家族に対する愛と、異性を想う恋の間で。
そのふたつの想いを、同時に叶える事は出来ない。
どちらを取っても、必ず誰かが傷付いてしまうからだ。
彼女も彼女の姉も。それから恐らく彼も。
それは皮肉にも似た呪いなのかもしれない。彼らがごく普通の良識を持った、大切なひとを想える人間である程に絡まっていく呪い。
まるで想いは茨の棘のよう。
その事を一番最もよく分かっているのは――遠野さん本人。
だから恋という諸刃にも似た想いを、ひとりで抱え込んで苦しんでいる。
そうして人知れず傷付いている彼女の行き場の無い想いが、彼女自身の現実を〝怪異〟と浸食し始めている。
狭間の世界にあるのは迷い――
――恋という想いに惑っているのだ。
箱庭に学校や家、人形を並べてこれまでの事を自分なりに整理していく。
こうして箱庭を弄っている姿を訳を知らない誰かが見たら、ただ人形で遊んでいるだけに見えるかもしれない。
しかしそもそも〝遊び〟とは遊部といい、神事に繋がるものなのだ。
だから子どもが大人を真似て遊んで世界を知るように、巫女も神を真似て神事を為すのだ。
即ちこうした遊びも、魔術的な意味合いを持つのだ。
「しかし、イマイチ分からない……」
わたしは呟く。
この箱庭の中核を為す〝恋〟という感情が上手く理解できない。
どうしてそこまで他人を想うのか――家族を想う〝愛〟とは違う感情で。
わたしはこれまで、何度か異性に告白されたが受け入れた事は無いし、そうした想いを誰かに抱いた事は無い。だから分からないのか。
魔女として様々な人間のこころを刈り取ってきたが〝恋〟や〝愛〟が絡む事は決して少なくない。
むしろ、そうした他人に対する執着、偏執は〝怪異〟をよく引き起こす。
ひとが何故、ひとを想うのか。
生物学的に見れば、群れを維持する為に付随した電気信号か、あるいは本能か。
そうしたモノに支配されて、わたし達は生きている。
そうしたモノがこの【セカイ】を形作り、同時に壊している。
そんな【セカイ】を守っているのは、変わらない理に生きている魔女達だけ。
わたしの母様のような。
――やはり煩わらしい。
わたしは箱庭を壊す。
本当なら遠野早苗の記憶を、想いをこうして直ぐにでも刈り取ってしまいたいのだが――それにはまだ僅かに及ばない。
迷い続けている彼女はまだ、完全に怪異には至っていない。
執行猶予のように迷うが故に怪異を帯びた彼女だが、それが幸か不幸かある部分で留まっていられる楔として機能しているのも事実だった。
自分なりの答えを未だに出せない彼女。
後、少し。
後、少しだけ何か切っ掛けがあれば恐らく彼女は完全な怪異に至る。
それまで、待つしかないのか。
――本当に煩わらしい。
わたしは壊したくて堪らないのに、この【セカイ】に害意を及ぼす想いを。
嗤う。
サッサとなってしまえばいいものを。
理解も出来ない感情に付き合うのは、本当に面倒くさい。
遠野さんにしても、小夜にしても。
今回はわたしだけで刈り取ってしまおうとも思った。
そこでわたしは、ふと思い出す。
壊してしまった遠野さんの箱庭の中核を為す想いが形になったモノがあった事を。
焼却炉で拾った――あの手紙。
淡い青い羽根の蝶の姿で現れたモノ。
わたしは起き上がると、手紙を机の上から取り出し、それを掲げて月明かりに透かす。
この手紙に込められた想いこそが、彼女の本当の願いなのかもしれない。
それは、果たしてどんなものなのだろうか。
蝶とは太古から〝変化〟のシンボルとして扱われてきたものだ。
だとすれば――彼女はまだ変化を望んでいるという事なのか。
少女か恋を知り、外見を変えて女性になろうとした遠野早苗は。
恐らく彼女自身でさえ、まだ知りえない望み。願望。
それをまだ、わたしも知る事は出来ずにいた。
殺気マンマンです(笑)
恐らく、今年最後の更新です。この章も残すは三話といったところです。
来年もお付き合い頂ければ、感謝の極みであります!
どうか、よろしくお願いします!




