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虚空の【セカイ】と魔女  作者: 白河律
古谷千鶴の事件簿 1 恋獄迷宮
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恋獄迷宮 8


     5


 その日の授業を終えて、家であるアパートに帰って来た私――遠野早苗は制服を脱いで、Tシャツとショートパンツというラフな部屋着に着替えました。

 それから自室のゴミ箱に使い捨てのコンタクトと外して捨てます。一瞬、世界は茫と形を無くしたアヤフヤなものとなりました。

 メガネケースから、使い慣れたメガネを取り出すと掛けます。

 アヤフヤな世界は形を取り戻して、ハッキリと像を結びます。


 机の上の鏡を覗き込めば――そこには、どこか見慣れた自分の顔が映り込んでいました。


 今年になってコンタクトに変えてから、約半年の間にメガネの無い自分の顔には慣れたつもりだったけど、まだ何処か違和感を覚えています。

 それは、ずっと長めだったスカートの丈を捲り上げたと時と同じように。

 あるいは少しだけ覚えたお化粧を施す時のように。

 自分は、誰なんだろうって思う事もあります。

 それでも、私は止めません。


 ――私の抱いている想いの為に。


 鏡を見た後、私は自室のベッドに倒れ込みます。

 う~ん、と背筋を伸ばして伸び。普段の学校生活で感じるコリを解すように、身体を動かしていきます。

 会社勤めをしているお姉ちゃんと比べれば、全然軽いものだとは思うけれど感じないわけじゃない。

 テストとか友人関係とか、二年生になって意識し始めた進路とか諸々。

 七月に入り、部屋が蒸せるのを感じてクーラのリモコン取って電源を入れます。

 涼しくなっていくのを感じながら、ベッドの下の通学鞄の傍のコンビニ袋を寝転んだまま手探りで探します。掴んで引き上げると中から、帰り道で買ってきたいちご牛乳とさくら大福を取り出していきます。

 少しずつ食べながら、枕の脇の読み掛けの本を読み始めます。


 そのタイトルは――『不思議の国のアリス』



 悠久の時の中を逝くように

 安寧たる黄金の日差しの中を漂う

 幼い手が握る舵は、頼りなく揺らめき

 行く先を示す羅針盤は、さざめいた波のようで

 ただ、ただ途方に暮れるばかり



 そんな序文で始まる物語は、有名な児童文学のひとつです。

 午後の昼下がりに、服を着た白いウサギを追いかけて深い穴を落ちたアリスが訪れたのは不思議の国。これは、そんなアリスの冒険を描いた異世界ファンタジーとも言えるかもしれません。


 幼い頃にお姉ちゃんから本を貰って読んだ事のある私ですが――実はあまりこの物語が好きではありませんでした。


 何故かと言われると、この物語の不思議な事はアリスに対して優しくないように思われるからです。白雪姫やシンデレラといった幼い頃に読んだ他の物語とは違って、アリスは幸せになったりはしません。

 最後は、ただ追い立てられるように現実へと戻ってくるだけです。

 異世界から戻って来るという意味では、日本だと『舌きり雀』や『おむすびころりん』がありますが、これらは最後に何かを得て幸せになっています。

 しかし、アリスは何かを得る事はありません。


 まるでそう――午後の眠りの中で見たユメなんて何でも無かったかというように。


 それでも最近になって、ふと再び読みたくなったのです。

 それは何故なのでしょうか、自分でもイマイチ分かりません。

 暫く読み進めると、本から視線を外して時計を見ると七時を指していました。

 帰って来たのが六時くらいだったので一時間程、経っていた事に気が付きました。

 既にいちごミルクは飲み終え、さくら大福も食べ終えています。

 七時半頃には仕事を終えたお姉ちゃんが帰ってくる筈です。

 私は物語を読むのを中断すると、夕食の支度をするためにベッドから起き上がり、キッチンのあるリビングに向かう為に自室を出ました。


     ◇


 「ただいま~」

 リビングに見飼う途中で、玄関にて仕事帰りでスーツ姿のお姉ちゃんと鉢合わせになりました。

 「おかえりなさい、お姉ちゃん。今日は少し早いんだね!」

 「うん、思ったよりも早く仕事が片付いたんだよね。上司は何か言いたそうな目をしてたんだけど、知らん顔で帰って来ちゃった!あの、ハゲ初めたヤツめ。労働基準法を知らんのか。ウチは全然マシだけど、いつも無給残業はあるからね。こんな時ぐらい、早く帰ってやる!」

 お姉ちゃんがローファーを脱ぎながら、溜息を吐きました。

 「いつもお疲れ様です!」

 私は頭を下げます。

 「あ、それからこれはお土産。後でふたりで食べよ!」

 お姉ちゃんの手には、不死身屋のケーキの包みがありました。



 「ふう。妹の作る手料理を待ちながら、我が家で飲むお酒は美味しいの~それから扇風機の風がなんとも。あアあ~」

 扇風機の羽に当ったお姉ちゃん声が震えて、部屋に響きます。

 「もうお姉ちゃん、小学生の男の子みたい!」

 キッチンで料理をする私は背中を向けたまま答えます。

 パジャマに着替えて化粧を落としたお姉ちゃんは、リビングで扇風機の前を陣取って涼みながら缶ビールを飲んでいます。

 学生だった頃のお姉ちゃんはもう少し控えめでしたが、最近はこんな光景も珍しくありません。やはり、お仕事は大変なようです。

 私はお仕事を頑張るお姉ちゃんを、尊敬もしているし感謝もしています。

 私が今、こうして生活していられるのはお姉ちゃんのお陰だからです。


 私達、姉妹には両親がいません。

 幼い頃に事故で別離する事になりました。

 幸いな事に、それなりのお金を残してくれたので何とか生活をしていく事はできました。

 それでもお姉ちゃんがいなければ、お姉ちゃんがお金の管理や色々な手続きをしてくれなければ、何事も無く生活してくる事は難しかったと思います。

 今だって、学費を出してくれているのはお姉ちゃんです。

 お姉ちゃんは私にとって唯一の家族です。

 ――お父さんのようでもあり、お母さんようでもあって。

 簡単な言葉では言い表せない存在でした。

 私にとってはただ、ただ〝お姉ちゃん〟なのです。


 「早苗、いつもごめんね。働くようになってから家事炊事は全部、やって貰うようになっちゃてる……」

 「気にしないで、お姉ちゃんはお仕事頑張っているんだから」

 料理をしながら、背中越しに会話します。

 「でもさあ。やっぱり全部任せてばかりじゃいけない気がするんだよね」

 「別にいいとは思うけど……でも、正樹さんと結婚してからが心配かな?」

 「うぐ!痛い所を……」

 お姉ちゃんが咽ました。


 そう、お姉ちゃんは今年の暮れ頃に結婚する予定なのです。

 私の学校の先生でもある小林先生と。

 私は知りませんでしたが、お姉ちゃんと小林先生は大学の先輩後輩なのだそうです。 

 私は前々からお姉ちゃんが、誰かと付き合っている事は知っていましたが、それが小林先生だという事を知ったのは今年に入ってからでした。


 「結婚して一緒に住むようになったら、こんな姿も見られちゃうんだよ?」

 振り向いてパジャマ姿で缶ビールを、やさぐれ気味にチビチビと飲むお姉ちゃんを見ます。

 「正樹さんは、こんなお姉ちゃんを知ってるのかな~?」

 からかうように冗談めかして、話しかけます。

 「――知ってるよ。その……知られちゃたけど、幻滅はされなかった。らしい、って笑われただけで……」

 お姉ちゃんが俯いて、頬を微かに染めながら答えます。

 頬が赤いのは、ビールのせいだけでは無いと思います。


 その姿に、その事に――胸に鋭い痛みが奔るのを感じました。


 「そうなんだ。なら安心かな」

 私は出来るだけ〝いつも〟のように笑います。

 「ねえ、早苗――」

 そんな私にお姉ちゃんが話しかけます。

 「今度、日曜日。正樹さんと出掛けるんだけどさ、早苗も来ない?ほら、家族になるんだし親睦を深めた方がいいかなって思うんだけど……」

 「……それは」

 お姉ちゃんの言っている事は正しいと思います。

 〝家族〟になるのだから、あってもおかしく無い事だと思います。

 けれど。

 「私は止めておこうと思うんだ。ほら多分、私がいたら〝ふたり〟のお邪魔虫になっちゃうし……」

 私は笑います。

 「早苗……」

 お姉ちゃんが何かを言いたそうにして――でも、何も言わずに微笑んで言いました。


 「そのさ。早苗は最近、何か困っている事はある?何でもいいんだよ、どんな事でもいいんだけどさ……」


 「私の困っている事……」

 そんな事、ひとつしかありません。


 ――私のこの想いだけ。


 私はお姉ちゃんが優しいのを知っています。

 何時だって、そんな優しさで私を包んでくれます。

 そんなお姉ちゃんを、私は家族として愛しています。


 でもその優しさが――

 ――今では時々、とても残酷な刃のように思えて仕方無い時があるのです。


 優しいからこそ、その刃はあまりに鋭く、そして冷たく私のココロを切り裂いているように感じられるのです。


 「何にも無いよ」

 私は笑って〝嘘〟を吐きました。

 けれど痛みには耐え切れず、言葉を続けました。

 「ちょっと、買い忘れたものがあるから出て来るね。夕ご飯のソーメンは出来たからから先に食べててね、お姉ちゃん!」

 それから私は、その場から逃げるように自室に行って財布と鍵を手に、家を出ました。


すいません。最近、忙しく更新に時間が掛かりました。


その優しさが痛い時もある。


ひとって難しいですね。

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