107話目
107話目です
誤字・脱字があったら申し訳ありません
お盆を片付け終え、ついでに鍵も教務室まで行って片付けさせられ、廊下に一人だけの靴音を鳴らしていく。
一からは終わったら帰って良いと言われていたし、そのまま帰ろうと誰もいない教室に寄って鞄を回収する。まぁ、もちろんながらこの時間の三階の廊下は生徒なんて俺を除けば一人もいない。
また誰かが忘れていった開けっぱなしの窓からは朝よりも暖まった風が入り込んできた。まさしく春の風といったそれは肌に触れ、髪を靡かせると何処かへ去っていく。
閉め忘れを見つけてしまった以上放置するわけにもいかず、閉めようと窓の前に立つと耳に聞こえてきた賑やかな声。玄関まで距離は中々あるのに、それでも玄関付近で発生しているのだろうそれは風と共に耳に流れてくる。この距離からではもちろん何を言っているかは分からないが、多分近づいても一人一人の会話なんて詳細には聞こえはしない。
窓をガラッと閉め、鍵もかけて音を完璧に遮断させる。先輩達も待っているのだ。足の向きを廊下にし、先へと歩んだ。
一応体育館の方にも顔を出してみようとはしたが、そもそも入り口の鍵が閉まっていて、つまりは全員片付けが終わったということ。玄関目指して一直線に進む。
玄関に近づけば近づくほど耳に届く喧騒は音量を上げ、玄関の靴箱辺りから校門付近を見てみれば人の溜まりが異常なぐらい出来ていた。この状況を予見出来ていた三年とは無関係な二年一年はもうとっくに家に帰っているのだろうが、それでも校門を通行止めにしていて、見ているだけでも気が滅入ってくる。
矢波先輩達もこの中にいるのだろうか。
見つけ出せる気が正直しない。携帯で連絡でも掛けた方が良いかと、取り出した外用の靴をぽいっと置いてから鞄からスマホを取り出す。と、見ればメールボックスの数字の表示が増えている。俺が片付けに行っていた時間に、誰かしらから連絡が届いていたのだろうか。
ポチポチ操作してメールを開けば、差出人は矢波先輩。
届いた時間は俺が教室に着く直前ぐらい。本当にギリギリでメールの通知を伝える振動が終わってしまっていたらしい。
中身の文章は『いま校舎の脇のとこ』といつも通りあっさりしたもの。玄関から見て右のか左のか分からないが、とりあえずあの見てるだけで疲れてくる集団にいない事が分かったのはありがたい。
一応返信しようかとも思ったが、探す時間は10分も掛からないだろう。
スマホを寝かせてから鞄に戻し、履いた外靴で玄関を越える。後輩に取り囲まれ困った風にしている先輩もいれば、誰か来ないかなーと期待を忍ばせて隅に一人でいる奴もいる。後者はまぁまず絶対来ない事は言える。
人の集まりの隙間隙間を見つけ出し、泣きじゃくる三年生や幸せそうな笑みを浮かべる教師陣を見ながら校舎の脇へ曲がる。玄関にあれだけの人が集まっていれば、こちら側に来る人は少なくなる。
恋人同士かなんなのか男女の組み合わせが幾つか出来た所を通り、校舎の裏側を近くにした、一階の何処かの部屋に繋がるだけの短い外階段でやっと矢波先輩を見つけた。
一番上の段で先輩は二本の卒業証書の筒を横に風に髪を任せており、珍しく傍には桜丘先輩がいなかった。
「お、来た」
「どうも。…あの、卒業おめでとうございます。すみません、さっき、言い忘れてて」
「別に良いよ。今日だけで同じの二桁は確実に聞いたし」
矢波先輩の正面に立ち謝ると、矢波先輩は明るい口調で許してくれる。
「すみません。えっと、呼び方、芽野…先輩で、良いんですか?」
もう矢波先輩は卒業生。
後輩先輩関係は崩れており、今後の呼び方をどうすればいいのか質問する。
先輩は顎に人指し指を当てんーっとと考えるしぐさを取るとそれじゃあと提案した。
「これを気にそろそろ芽野って呼べたりは、しない?」
「……それは」
「無理か」
「…無理です」
重々しく俺が言うと、先輩は「だよね、知ってた」と言ってくすくす笑い、言葉を続ける。
「名前で呼んでくれるなら呼びやすいので良いよ。これまで通り先輩でも。春もそれでお願い」
「…分かりました、あー芽野…先輩」
俺が名前を呼ぶと先輩嬉しそうにうむと頷いた。
「そう言えばさっき、先輩の親の人、見掛けましたけど」
「うん、知ってる。写真写真うるさいからちょっと撮って帰らせた」
「冷たいですね…」
「だって僕にとって一番大切な写真なら、もう撮ってあるから。ほら、可愛い後輩のとっても可愛い顔♪」
そう言って、矢波先輩はスマホを取り出すと朝撮った三人での写真を見せてくる。酷く間抜けな見覚えのある顔が一番後ろに写っていた。
「そ、そう…ですか」
苦い表情で視線を逸らす、お決まりの顔で呟く。
「うん、そ」
愛らしく先輩はにぃっと唇を緩ませる。しかし、その底には蠱惑的な小悪魔が潜んでいる。
「…それで」
半ば話逸らしも兼ねて視線を矢波先輩の隣、木から散った葉っぱを一枚乗せた二つ並ぶ卒業証書の筒に移す。
それだけで聞きたいことは伝わったらしく、先輩は首を校舎の奥の方に向ける。
「春ならあっち」
「あっち、ですか?」
指した方向的に多分、校舎裏の方にいるということだろう。何の気なくそっちに向かって足を動かしていると、後ろから続けて先輩の声。
「山中くんから告白され中」
「はぁ…はあ…ぇ?あ?え?」
脳が処理した言葉が全く予想外と言うか想像もしていなかった言葉で、間抜けな声と顔で矢波先輩に慌てて振り返る。至って普通の表情から見るに俺をからかう為の冗談ではない。しかし、信じられずにそのままじっと見つめてしまう。
「ここで二人でぼーっと灯くん待ってたら来て、大事な話があるからって春連れてって。山中くんだし、告白しかないでしょ?…え、灯くんも知らなかったの?」
「はい、初耳で…一…」
俺の全く初耳の反応に矢波先輩も察して、ほえーと驚く。
本当に告白している最中なら覗いて良いものか悩んだが、自分の眼で見ないとどうにも信じられない。恐る恐る、二人にバレないよう静かにこっそりと顔を出す。
すると見えた、二人の姿。
距離が少しあり、声こそ遠くの喧騒に阻まれ分からないが、そのシーンはまさしく告白。
ひゅうと風が吹けば先輩と一の服と髪を優しく揺らし、木々が己の葉を大きくざわめかせる。割り込む勇気なんてもちろんないし、そんなことをしていい権利なんて俺は有していない。ライバルと名こそ付いた関係ではあるが、それに至った経緯が経緯。邪魔をするなんてあの時の一の優しさを台無しにするだけである。
とにかく、告白している事が事実なのは分かった。
変な感情を胸の内に感じながらも、踵を返し矢波先輩の元へと戻る。
戻ると矢波先輩は、ね?と声を掛けてきてそれにこくんとと頷いて応える。
「………」
体育館や朝に見せていたあの落ち着いた表情。
告白の緊張で引き起こされた物と結論付ければ簡単に納得できる。だが、あれは本当にそんな理由でなったものだろうか。
山中や前生徒会長には及ばないかもしれないが、俺だって一応およそ一年彼を近くで見てきてたのだ。俺の知っている一が告白する直前と想定したとき、見た人間が好意が失ったと思ってしまうようなぐらい平静になれる奴だろうか。むしろ慌てまくって焦りまくって、それでも必死な姿が真っ先に頭には出てくる。
本当に何も分からない。
「…灯くん」
そんな結論に辿り着いた時、桜丘先輩の幾度も聞いた優しげな声が俺の名前をそっと呼んだ。
振り向くと後ろに桜丘先輩が立っていて、しかし何が目的だったのか桜丘先輩の声が続く気配はしない。いや、振り向かせる事自体が目的だったのだろう。
「一…」
校舎裏から遅れて一が現れ、自然と目はそちらに動く。
俯く彼の両手はぐっと拳になっていて、俺の元へ何も言わずに歩いてくるとだんとその拳を俺の胸にぶつけた。
「先輩の…為っすから」
短い言葉だったがそこにははっきりと怒りが感じられた。
俺が殴られたかのような強い衝撃に怯み、言葉を発する事が出来ずにいると、一はそのまま校門の方へ早足で去っていってしまう。
見えなくなる最後まで、彼の両手は力強く握られていた。
「…………」
俺は何もかも自力では解くことが出来ない。
彼がどうしてあんなことをしたのか、彼があの瞬間何を考えていたのか、読み解くことが叶わず苛立ちが込み上げてくる。
…いや多分、分かっているのだ。無意識では。
しかしその無意識が意識に上がろうとしたとき、意識がそれは勝手な勘違いなんじゃないか、気色の悪い自惚れなんじゃないかとストッパーを掛け、無意識へとまた送り返してしまう。
「それで…春先輩」
聞かなくたってあの一の後ろ姿を見ていれば、結果なんて簡単に想像出来る。
それなのに口は勝手に動き、身体は先輩の方を向くと後ろへは一切動かなくなる。
俺に問いかけられた桜丘先輩は静かに首を横に振った。
「…断ったよ。でも、一くんも多分それ……ううん」
言葉を途中で切って、桜丘先輩は矢波先輩の隣にスカートを押さえながら腰を置く。場所取りをしてくれていた卒業証書の筒は、二つ纏めて桜丘先輩の膝へと場所を移す。その際、乗っていた葉っぱは空しくもふわりふわりと舞った後、地へと身を落とした。
その間、その葉の動きを三人全員が見ていたわけでもないのに、会話は止まっていた。
「…ね、もしかして、やーちゃん…知ってたの?」
話の流れからして桜丘先輩の質問は、一が自分に好意を寄せていた事についてだろう。
矢波先輩もそう受け取ったらしく、うんと口にした。
「灯くん、良い?」
言葉がいくつか欠けていたが、言いたいのは俺が矢波先輩をこの件に巻き込んだ事だろう。
そこを話さなければ、話の内容に所々変な部分が出てくるかもしれない。
「…お願いします」
「ん。僕が知ったのは灯くんからでね。もーあれから結構経つよね?」
「ですね」
俺が知った後、そう大きな期間を空ける事なく矢波先輩も一の好意について知った。元々は伝える気はなかったが、上手いことカマかけられて吐かされた覚えがある。
「あぁ、でも何か手伝ったりってのはそんなにほとんど無かったよ?春の秘密を話したりとか、そーいうのも。大体、灯くんが手伝ってあげてたから」
「そう、だったんだ…気づかなかった…」
嘘や怪しい態度を見抜ける人ではあるが、そもそも見抜くためにはその人に嘘や怪しさの気配を感じなければ見抜くことは難しい。
ましてやそれが好意だったのなら、気づく為には相手が自分の事を好きなのだと思わなければならない。桜丘先輩はそれが出来なかったのだろう。
ぽつりと口にした言葉は、心の底から本心だとはっきり分かった。
「まぁ…俺も手伝ってたって言えるかは…分かりませんけど」
あいつが自分で考えて起こしたことの手伝いならば何度もしたが、一般的に恋のキューピットがするような偶然を装って会えるように誘導したり、励ましたりなんてのはろくにしていない。
…そう、俺はしてこなかったのだ。
見える訳がないのに俺がまた一の去った方向を見ている間、桜丘先輩は今の話でなにか引っ掛かったらしく、矢波先輩に声を掛けた。
「…やーちゃん、今言った私の秘密ってなに?本のことじゃないよね?」
「そうだけど…でも、灯くんいるの前で言って良いの?」
「え…う、うん…。私、もう秘密なんて…」
「最近、春太ったでしょ」
「ぇ…ぁ」
「前に一緒に寝たとき、かなりあちこち柔らかくなってたけど」
「ぁぁぁ…」
顔の向きを戻しにくい話が挙がってしまい、一が見える訳が無いともういい加減分かってきてるのにずっとそこを一点に見続ける。
桜丘先輩の小さな悲鳴が風の唸りに静かに混じる。
人をフッた直後の話ではなかったが、多分そんな事を考えていては暗かった今の空気はいつまでも残り続けてしまっていただろう。
罪悪感は言わずもがなだが、二人の卒業式を良い思い出という名で残すためには、これを空気の一新のチャンスにするしかない。それが所詮自分に都合を良くした言い訳でしかないのは分かっているが、ライバルとしての役目なのだと無理矢理思い込む。
しかしこの話に加わって良いのかどうか、確認も兼ねて桜丘先輩を見てみれば視線がばちっとぶつかる。
「…」
悲痛げでなにも言って欲しくなさそうなその顔に無言で応える。
「灯くん、そろそろ座らない?」
お互い黙り込んだ時間を過ごしていると、矢波先輩がお尻をもぞっと動かし人一人分のスペースが作られる
助け船かは分からないが、確かにそろそろ立ちっぱなしで足を休めたくなっていた。お言葉に甘えさせてもらい、矢波先輩の隣にとんと腰を掛けた。
「にしても、告白かぁ。大学に行けたらそういうのやっぱり増えるのかなー…」
「どうなんだろうね…でも、どうせ太った私だしね…」
「春…僕が悪かったから。ごめん」
卑屈な暗い笑みをふふと浮かべる桜丘先輩に、矢波先輩が申し訳なさそうに謝る。
桜丘先輩は小さくうんと呟いて、やっと普通の会話に戻ってくれる。というか桜丘先輩が太っているは気はしない。俺の目しか判断材料がないし、所詮男子の意見だから口には出せないが、本当に太ってはいないと思う。
ボーッと桜丘先輩を見ていると、その視界に矢波先輩が入り込んでくる。不意のそれに驚いて身体を後ろに引かせた。
「な、なんですか…」
「もし、僕とか春がまたあんな風に誰かに告白されたら、灯くんはどうする?」
見れば、桜丘先輩もその答えに興味があるのか身体を前に倒してまで俺に瞳を向けていた。太もも辺りに暖かさを感じて視線を落とせば、答えるまで逃がさないと言っているのか矢波先輩の手が触れていた。
「それは…」
二人の瞳の奥にある意思はただ本音だけを求めていて、誤魔化しをしても一層問い詰められるだけだろうと予測できる。
大学と少し前に言葉にしたということは、そのもしもの告白された状況は先輩二人が大学生の時と考えるのが適切だろう。
高校生視点の歪んだ偏見でしかないが、大学生というのは高校生よりも彼女願望が強いイメージがある。先輩達は可愛げも大人しさも備えていて、そういう人からの告白は多分想定ではなく実際に起こる。そしてそれを知った時、俺は二人になんて声を掛けるだろうか。
考えてみると、脳で出た結論がほぼ同時に口から出るくらいすんなりと答えは見つかった。
「まぁ…先輩達が決める事ですし…。俺、別にそういうことに口出す権利とか…無いですし」
求められた本音をぶつぶつ視線を地に落としながら言っている間、言葉の一つ一つを聞く度に横目に捉えた矢波先輩の目が鋭くなっていき、言い終えた頃には恐ろしく睨まれていた。凄くメンチ切られてる。
ももに置かれた手は爪を立て、ぎしぎし制服を巻き込んで肌を痛めつけてくる。これは明らかに攻撃。
後ろに控えていた桜丘先輩の目も、初めて見た、しらーっとしていて、ふーんと冷たく言い放つのが聞こえた。
「…灯くんに期待は損か」
一言言うと矢波先輩の爪は離れ、刃で刺したような痛みからじんわりとした痛みに変わる。
「痛いんですけど…」
「君の答えが考えうる限り最悪だったから」
「ほ、本音でもですか」
「本音だからです」
厳しい態度ではあるが、何処か二人の冷めた表情には怒りや不満よりもやっぱりといった呆れがの方が強く現れている気がする。
拗ねたような顔の二人にどう取り繕えばいいか分からず、何も言えないまま、時間が風と共に流れていく。
ここら辺には時計が無いため正確な時間は分からないが、体感時間的に、玄関のあの人の溜まりもそろそろ解消されていてもおかしくはない。
しかし今の空気は俺がそういうことを言い出してはいけない空気で、風で揺れる木の葉を無心で眺める。
…と、急に腕が引っ張られ身体が横になり、視線の高さが一気に下がる。
「あ…え?」
不意の出来事に状況が分からず、視線をあちこちに動かす。すると、真上に見えた矢波先輩の顔。見下ろす形で彼女の瞳は俺を捉えていた。
「あの…先輩、これ…」
「やーちゃん?」
側頭部の柔らかく暖かな感触的に、階段ではなく矢波先輩の膝に頭を置いているのだろう。目眩か何かでも起こしてバランスを崩し倒れてしまったのかと慌てて身体を起こそうとした。だが、それを忘れてしまうぐらい、矢波先輩の寂しげな表情は意識を奪い取っていった。
「あの…」
俺が声を掛けると、先輩はまるで独り言のようにぽつりと喋る。
「…こんな風に高校で話すのも、もうこれで最後なんだよね」
寂しげな自分の顔を隠すためか先輩は落ち着いた笑みを浮かべたが、それがより先輩の本心を告げてくる。
「そうだね…」
先輩の呟きに桜丘先輩も同調する。
二人とも視線は俺から正面の立ち並ぶ木々に向いていた。とりあえず身体を起こそうとはしたが、俺の横向きになった上半身には矢波先輩の手が添えられていて、ろくに力なんて入っていないのに今の寂寥感の滲んだ表情を思い出すとその重さは何十倍にもなる。
膝枕をされ恥ずかしさも込み上げていたが、二人の悲しげな声や落ち着いた顔を間近に感じるとそれも一旦は静まっていく。
「なにも言わないの?」
ぴくりとも動かない俺を矢波先輩はまた見下ろしてくる。
「…何か、これ理由あるんですか」
「んー、さっきの発言の罰として君を辱しめてやろうと思って。…それと…なんだろね。君の顔、もっと近くで見たかったからかな」
自分でも分からないと先輩は誤魔化しの笑いを見せる。
その暖かな笑みは胸を高鳴らせる。
「でも、これちょっとヤバいかも」
「どうして?」
「ふふ、こうして乗っかってるとさ、独占欲…みたいなの、凄いよ?」
まるで眠った子供を扱うように、優しく先輩の手が頭をふわりと撫でてくる。普段ほとんど無い見下ろされる形に身体は強ばっている筈なのに、優しく先輩の手が動く度にそれはほどかれていく。
ついには眠気さえ湧いてきて、それを堪えようと口を動かした。
「あの…」
「止めないよ?」
俺が全てを話す前に矢波先輩は言いたいことはお見通しと、にんまりと口の端を緩くして答えてくる。この体勢だと何故だか、本当に俺の全てが透かされている気がした。
「わ、私もいい?」
「ん、ほいどーぞ」
矢波先輩の顔が後ろに下がり、今度は桜丘先輩が俺を覗いてくる。扱いとしてはもう飼い犬か飼い猫のどちらかである。
一頻り二人に見下ろされ、イメチェンだイメチェンだと髪の毛をあちこちいじられ為す術なく固まっていると、俺の目の前に人影が現れた。
「何してるんですか…」
見上げれば呆れた様子の山中。
俺を捉えた瞳には嫌悪感がじとりと現れていた。
後輩にこんな姿を見られ、無性に恥ずかしく咄嗟に身体を起こそうとはしてみるが、やはり矢波先輩にそれは防がれてしまう。
「あ、二葉ちゃん。今ね、可愛いこの子のイメチェン中」
「ふざけないでください…ほら、早く離れてください」
「えー?なんで」
「学生同士でこういうのは…」
山中がそう言うと、矢波先輩は待ってましたと言わんばかりににやりと笑う。
「でも、僕たちもう学生じゃないしー」
「そ、それは…そうですけど」
桜丘先輩も意地の悪い微笑みでうんうんと頷くと、山中は狼狽え、そしてどうしてか俺を思いっきり睨んでくる。
「こ、この人はまだ学生ですし、ここは高校の敷地ですからとにかくダメなんです!」
「ちぇー」
ブーブー不満を言いながら渋々俺の身体に乗っていた手が離れ、やっと元の体勢に戻れた。本人は気付いていないだろうが、助けてくれた事に心の中で感謝を伝える。本当にありがとう…。
「それで、二葉ちゃんはどうしてここに来たの?風紀委員とかの見回りとかなのかな?」
俺が今ごろになって鳴り出した心臓を落ち着かせている間、桜丘先輩は山中のここに来た用件を聞く。確かに、校舎裏近くなんて何か用事でもない限りそんなには立ち寄らない。
「いえ、その今、去年の生徒会の人達で写真撮ってるんです。玄関で。それで、一がいるから私も混ぜてもらったんですけど、先輩達もまだいるからって誘ってみようって事になって」
「それ…もしかして山中くんが?」
「はい、そうですけど…えっと」
事情を知らない山中は桜丘先輩の言葉に不思議そうに首を傾げ、頭上にはてなを浮かべる。
しかし、かといって包み隠さずに話す訳にもいかず、先輩はなんでもないのと首を振った。
「どうしよっか、やーちゃん、灯くん」
「あ、前の生徒会って言いましたけど、他にも佐登先輩とかも来てますよ」
「ん、みーやも来てるんだ。…生徒会長いるからかな」
「そうかもね。なら、里見ちゃんもいるかも」
二人は行くか行かないか少し話すと、うんと頷いた。
「じゃ、行こっかな。灯くんも行くでしょ?」
筒を拾ってひょいと立ち上がり、石階段からとんとんとんとリズム良く降りると、矢波先輩は身体を捻って俺に聞いてくる。それに腰を上げて応えた。
「まぁ…いいなら」
一と顔を会わせた時、一体どういう表情にすればいいか分からない。が、彼の誘いな時点で苦い顔も下手くそな取り繕いの顔も大方予想されている事だろう。なら、もう自然体で行くしかない。
覚悟を決め、先に階段を降り終えた二人の背中を追いかける。
…にしても、今日一日で先輩二人は中々の数、写真を撮られた筈だろう。その割には疲れてもいない、むしろ矢波先輩に関しては嬉しさだって感じられる。まぁ、写真というのは映像同様思い出としての価値が高い。昔の人は写真を撮られると魂が抜かれるなんて言っていたそうだが、それも思いの外間違いではないのかもしれない。
勝手な私論だが、写真や映像というのはその時の魂、言い換えるならば感情だったり振る舞いだったり、そういうのを思い出すためのほどき目だと思っている。
将来、そのほどき目を見た時、あの時はどうだったとかこの時はどうだった、なんて誰かとだったり自分だけだったりで数多の記憶を蘇らせるのだ。蘇らせた場面が必ずしも良い場面とは限らないが、それも含めての記憶。そこはもう割りきるしかない。
写真や映像ではないが、小学校の頃とかの卒業文集を読み返すと変にはっちゃけた文章とか書いてて投げ捨てたくなるときがある。そこら辺もそろそろ割りきって飲み込みたいのだが、あれを当時真剣に書いてたとか思うと辛さは消えてくれない。しかもそれが印刷されたのが同じクラスの30人近くに行き渡ってると思うと過去を改変したい。
他にも過去の物を読み返すと大抵辛くなってあぁぁ…って心底疲れた声が出てきたりする。
まぁとにかく、今から撮りに行く写真も含め、今日撮ったものは全て先輩達の記憶のほどき目になる。近いかもしれないし遠いかもしれない未来で見返す事になったとき、俺が今みたく傍にいるかは読めないが、写真や映像で何か少しでも話が弾んでくれるのならそれで良い。…まぁ、出来るのであれば傍にはいたいと思っているのだけれど。
……心内で呟いたことなのに妙に気恥ずかしく、二人の横に並べない。
少し後ろの位置でとたとた付いていっていると、ふと後ろから山中が現れた。
ほどき目なんぞに頭を使っていたせいで彼女の居場所を把握していなかったが、俺らの後ろにいたらしい。
彼女は俺を横目で見てくると、その、と一言漏らした。
「…なに」
「…前の生徒会長と写真撮ってる時、一、泣いてたんです。私、最初は悲しいからなんて思ってたんですけど…もしかして」
「……」
「気になってたんです。どうして一が先輩達の居場所を知ってたのかなって。帰ったかもしれないのに…絶対いるからって…」
彼女の中で、もしもで留まっていた可能性が結び付いていく。先に嘘を付いてそれを否定しようかとも考えたが、彼女はもう自分の考えに確証を持っている声音だった。
「先輩」
「…ん」
「そう…なんですか?」
具体的な言葉が省かれた質問。
けれど、それが何を指しているのか分かる。何を言っても彼女の答えが変わる気配はなく、しかし彼に断りもなくこういうのを言っても良いのか頭を悩ませる。だが、その一瞬の無言が逆に彼女に答えを与えてしまった。
…沈黙は肯定と言う。
黙った俺を見つめ、彼女はそうですかと、一人、納得を声にした。
「ダメ…だったんですね。まぁ、でもそうですよね。一なら、もし成功してたら私にも周りにも絶対大声で言いふらしますから」
違う出来事で過去にそんなことがあったのか、遠くの空をじっと眺め、風ではらりとなびいた髪を手で押さえると山中は懐かしむような微笑みを浮かべた。そして、俺へと向き直る。
「先輩は、あんまり気にしないでください。私が気に掛けておきますから」
「…でも、俺も色々関わってた訳だし」
「ありがたいですけど…バイトの件の恩返しとでも思ってください」
言うが、山中は首を横に振って話を流してしまい、そういうことでと俺を置いて先へと歩いていく。
咄嗟にああ言ってしまったが、確かに原因かもしれない俺が出張るよりかは身内の彼女がそれとなくした方が良いのかもしれない。
人に頼るのはあまり心地の良いものではないが、出来るかどうかも分からないのに張り切っても余計な問題が発生するだけかもしれない。
脇を追い抜いていった山中に目を引かれた先輩二人が、視界の端に入ったのか棒立ちの俺に気づき、こっちにとたとた歩み寄ってきてくれた。
「どしたのー?」
「あ…いや、すみません」
「今、二葉ちゃんと話してたけど…」
「むぅ…なに、なに話してたのさ」
ぷすっとお腹の辺りに刺すようにして筒が当てられる。
「別に…変な話ではないです」
言うと、一応信じてはもらえたのか二人はふーんと唸る。そして、どうしてか急に俺の両手を二人の手が片方ずつ握ってくる。
「じゃ、行こっか?」
「あの…手、なんで…」
「もういい加減慣れなよ。ほら早くっ」
ぐいっと二人に後手で引っ張られ、真正面から見れば手錠を掛けられた犯人が連行される図そっくりかもしれない。
これで人前に出るのは勇気がいる。
するりするりとうなぎのように抜けようと挑むが、前、似たような事をしたときと同じで、抜け出させそうなところでぎゅっと掴み直される。
じんわりと伝わる二人の体温は俺の手まで至ると、急激に熱を上げ、自分の顔が熱くなる感覚がはっきりと分かった。
と、矢波先輩がくるっと振り返ってくる。
桜丘先輩もそれを見て俺の方へ身体を捻った。
「ね、写真終わったらそのまま僕の家行くから。いいね?後輩くん♪」
八重歯の覗いた、軽く首が傾いたにひひと明るい笑顔。
俺が望んでいた表情を矢波先輩は見せてくれて、弾んだ声音に誘われ、俺の口の端ももしかしたら緩んでいたかもしれない。
「…分かりました、先輩」
その呼び掛けに相応しい返事はきっとこれだろう。