106話目
106話目です
誤字・脱字があったら申し訳ありません
厳かな空気の元、卒業式が開式した。
卒業式自体小学校の頃から数えてももう二桁に突入しているぐらいやっていて、卒業生入場前の言葉とか、そういうのに素直に耳を傾けようとしても全然意識は集中出来ないし時間も進んではくれない。
やはり自分のためか他人のためかの差は大きく、早々に涙ではなく眠気が溢れてくる。
多少うつらうつらと船を漕ぎたいのだが、残念ながらそれは叶わない。俺の席は卒業式が入ってくる時に使われるど真ん中の道のすぐ隣。
そうなるともちろんながら、卒業式の親が持ってきたカメラの瞳の端に俺が写り込んでいても不思議はない。
高校生の卒業式は数多の親にとって永久に残しておきたい映像だろう。時々、ふと思い立っては見返したりするかもしれない。というか実際に、俺の両親も夜な夜な思い立っては妹の小学校の頃のを見返しては一人、時には二人で涙している時があるのだ。喉が渇いてるのにそんな事をしているせいでリビングに中々入れないことが稀によくある。あれ俺のは全然見てない気がする。偶然?
それだけでない。卒業生当人が友人と一緒に懐かしの思い出として将来見たりする機会だって考えられる。その時に俺が眠気と戦う姿が画面の端辺りでも流れたりなんて想像すると、居住まいは自然と正され船なんて絶対に漕げはしない。
まぁ、それが過度な自意識過剰なんて事は無論分かっているのだが、それでも誰かの眼がこちらの方向に向いていると思うと、身体は半ば無意識に制限をかけてしまう。
だが、肝心の眠気までは取り除いてくれず定期的にぱちぱち目瞬きしたりで堪えていると、ついに卒業式入場の言葉が話に上がった。
「えー…それでは…」
あまり面識の無い何処かのクラスの担任がそう話し、卒業生がやっと入ってくる。学生側は大っぴらに身体を後ろに向けるのは禁止されていて、真横を通り抜けられて初めて、来た三年生の横顔が覗ける。
と、言っても俺の知ってる三年生なんて10人も満たない。最初に生徒会長が来てから結構な見知らぬ人が流れた後、横並びの栗原先輩と佐登先輩が通り、そこから少し経って、桜丘先輩と矢波先輩が通っていく。誰かが通る度に自分達のところは人の目が薄いからと、所々で密やかに楽しげに会話が開催されていて、居住まいを正しているのが馬鹿みたいに思えてきた。
しかしだからと解くことも出来ずに、卒業式は卒業生に向けた校長からのお言葉になった。
羽とか巣立ちとか、そういうやけに鳥に例えたがる卒業式お決まりの話を左から右に流し、次は前生徒会長からの卒業生代表の言葉。去年は何を話していたかさえ覚えていないが、関わりを持った人がこういう場に立つのを見ると耳は勝手に全ての声を拾おうとする。ただ、実際こういう場で言う言葉には決まりや法則がある。ほぼ個人的な話に等しい生徒会長の頃の話は程々に、卒業生全員の意志を述べたような話が大半を占めていた。
全てを言い終えた前生徒会長は深く一礼し、マイクから離れて来賓席や教師の座った席にも礼をすると、自身の席へ帰っていった。
その後、来賓席のコメントだったり在校生からの言葉だったりと去年とほぼ同じイベントが進み、ラスト。卒業証書の授与がついに始まった。
これを受けとれば晴れて三年終了となる。だからか、親の方からぐすんぐすんと涙ぐむ声がちらほら聞こえていて、気付けば、カメラの瞳もほとんどが俺から外れ、前の方へ向いていた。
お陰でやっと身体の強張りをほどくことが叶い、他の人の意識に入らないぐらい小さな疲れた息がふぅと漏れた。
最初の前生徒会長はきちっと卒業証書の内容を読み上げていたが、次からは皆、以下同文以下同文の繰り返しが続き、さながらこれはライン工に近い気がする。栗原先輩や佐登先輩も以下同文の卒業証書を受け取り、三年生は徐々に数を減らしていく。
体育館に掛けられた時計の針は開始した時より回っていて、太陽もその位置を高くし、心地良い太陽の光が体育館内に降り注ぐ。卒業生にはまるで祝福でもしているかのようにその日光が注いでいた。
と、ステージに見慣れた後ろ姿が上る。
後ろ姿だけだが、間違いなくあれは桜丘先輩。
卒業証書を受け取るとステージの脇に行き、皆にそれを一度見せてから降りるのだが、人前に立つのが苦手な桜丘先輩の脚がぷるぷると恐怖で震えまくっているのが遠目にも分かる。視線も酷いときの俺みたく真横に逸れまくっていて、逃げるようにステージから早足で降りていった。
家庭科部の知り合いか、それとも単に今の光景が面白かったからか知らないが、二年の席のほんの一部ではくすくすと微笑ましい物を見たときのような笑いが小さく起きていた。
本人がこれを知ったら呻いてしまいそうな気がする。
桜丘先輩が来れば、先程の入ってきた時の並び的に矢波先輩も近いだろう。
予想通り、数人の後、矢波先輩が席を立ち、卒業証書を丁寧な所作で受け取る。これで俺の三年生の知り合いは全て正式に卒業したということになり、この後続くのが全て他人だと思うと集中力は一気に欠ける。
…以下を何度も何度も耳に聞かせ、タコが出来そうになった時、ようやく卒業証書の授与が終わりぼちぼち卒業式も終盤を迎える。
定番の旅たちの歌を歌い、また校長が数言話し、残す所は卒業生退場。カメラの瞳がまたこちらに戻り捉えてきて、休息を取り終えた身体でそれにぴしっと応える。三年も俺も準備万端になったところでうっすらと落ち着いたBGMが流れ三年生は続々と退場していく。望まずとも去っていく三年生の表情は俺の目に写る。全員という訳でもないが、やはり三年間の思い出というのは涙を溢れさせるには十分な重さなのだろう。
大声を上げて泣く人こそ今はいないが、涙を目に貯めた人は何人もいて、佐登先輩もその一人。
何とか堪えてはいるが、廊下に行ったら大声で泣いてしまうんじゃないかと思うぐらい、表情は寂しさに満ちていた。それを栗原先輩は落ち着かせながら、二人は俺の視界の限界に行き、最終的には見えない所に消えていく。
卒業式という節目が永遠の別れに繋がらないのは、もちろん俺よりも年上なあの人達には、考えずとも実際に友人とそれとない話で確かめあっているはずなのだ。
しかし永遠の別れにはならなくても、これまで通りにいかない部分が絶対に出てくる。学校に行けば必ずと言っていい程その人がいて、くだらない話をひたすらにして時間を潰す。何気なく繰り返され習慣になったそれがこんな厳かな雰囲気の元、手離される事になれば涙が溢れるのは当たり前。それが人を強くするとはよく言うが、強くなるよりも、つまらなくも面白いこれまでの毎日の続きの方が人間欲しいに決まっている。
強くなるということは立ち向かわなくてはならないことが出来るということ。だが、勝手に強くされて勝手に挑まされるなんて堪ったものではないのだ。
と、そんな事を考えていると桜丘先輩が丸めた卒業証書片手に前を歩いてくる。
「……」
涙のないとても落ち着いた横顔。その瞳が一瞬だけ俺に向いた後、ほろりと桜丘先輩の口元は優しげな笑みの形を作り、俺の脇を抜けていった。
視線と口元に関しては俺の勘違いかもしれないが、涙は確かに見えなかった。彼女の中では上手く感情の整理が出来ているのかもしれない。
桜丘先輩が来たということは矢波先輩もそろそろ。
しばらく後に矢波先輩が来る。
卒業証書を持っていない方の手が下に落ちたまま小さくピースしていて、この人に至っては俺に向かって確実に笑っている。
それに周囲からは変な目で見られないぐらいの、ともすれば俺自身もしていたかどうか分からないぐらい微かに頭を下げて返事をした。
卒業生が全員退場すると、マイク前に教員が立ち、保護者に向けた連絡を行う。
教員が言うのを聞くに、一度は教室に帰っていった三年生ではあるが、またここや中庭、校内のあちこちで集合写真を撮ることになるらしい。
保護者にも良ければ参加しないかどうかを尋ねている間、関係のない二年一年は教室に戻るようにと担任が前に立ち、話してくる。
言われた通り椅子を拾い、体育館から二年を先にして人が吐き出されていく。
体育館の中では形を保っていた整列だったが、廊下に出て担任の目が無くなると、それは早々に崩れる。そして、さっきの卒業式の感動や話の長さへの不満が所々に噴出していた。
「仁田せんぱーい!」
と、その声に混じる俺の事を呼ぶ声。
何度も聞いたそれに引かれてまた振り向けば、ごちゃごちゃの人混みの中から椅子も何も持っていない一が現れる。慌てて来たのか、俺の横で立ち止まった彼は荒れた息をふうーっと整える。
「なに」
「片付けっす!体育館の!」
「今から三年が使うんじゃ…」
「いやそれ、ステージの辺りだけなんすよ。それ以外のとこはもう片付けとけって」
「はあ…まぁ、分かった」
渋々了解し、止まらない人の流れに逆らって体育館に二人で、俺の方は椅子を抱えたまま引き返していく。ここら辺に適当に椅子を置いていくと、小さな休憩所とかと保護者に勘違いされてしまうかもしれない。勝手に席を使われている方ではあるのだが、そういう時は何故かどうして、こちらからすみませんと言わなければならない。
それの回避の為なのだが、人混みと相まって中々前に進めず、手ぶらで楽なスタイルの一にほらほら早くと急かされる。
片付けを始める前から早速少し疲れながらも体育館に入り、まだ話を続けていた保護者と教員の邪魔にならないよう、持ってきた椅子を台にして片付けを始める。
何処かしらで話は回っていたのか、卒業式準備をしていた人達はほとんどがいて、とりあえずは自分の持ち場を片付けることで散開する。だが、ほとんどなだけで全員ではない。
「一、新崎は」
居たら居たで居心地の悪さはあっただろうが、それでも人手を考慮して彼の行方を尋ねてみる。
担当していたステージはまだにしろ、紅白幕なら画鋲を抜く単純作業だし彼にも、というか誰でも手伝えるだろう。
「いやー、呼んできた人が違うっすから…あはは…」
「…そう」
免除の理由がそんな容易く貰えるなら、俺もそっちが良かった。苦笑いで誤魔化した一への不満を、画鋲を勢いよく抜いていくことで消化させていく。
一定数抜くと壁に貼り付けられていた紅白幕はぺろっと捲れ、それを一は一人で拾い簡単そうに持ち上げる。少し離れた所ではこれと同じ事がいつかの委員数名で行われていた。
「そう言えば、生徒会長の話ってどうなったんだ」
黙々とやるのもあれで、本心から気になっていた事を口にする。幕を畳み脇に置いた彼は、前に倒していた身体を持ち上げ、それに一瞬の間を取ってから答えた。
「…まだ、ほとんど決まってないっすよ。だって、自分っすから」
「山中は」
「二葉も知らないっす。あ、二葉にはこの話言わないでくださいっすよ?絶対色々言われるっすから」
「ん、了解」
そう返してまた画鋲を抜く。
「先輩は自分が生徒会長になったら、その、どう思うっすか?」
「…前と同じになるが応援はする。まぁ、直接的に何か出来るわけでも無いんだけど」
あの時から俺の心境は特に変化はしていない。
なろうと思いたいのであれば、それを妨げる気など欠片もない。
だが声にした通り、その時が来てもせめて投票するぐらいしか直接的な支援は無理。他の所に関しては前生徒会長の手腕に任せるしかない。
「…本当に自分で良いんすかね」
ぽつりと一は呟く。
その自信の無さは事務的な仕事の実力というよりも、どちらかと言えば大きな名前を持つ事に対してな感じがした。
前生徒会長のように出来るのかどうか、自分の頭で描く生徒会長になれるかどうかの。
もしも単純なパソコン作業だけの職だったならば、彼はあの時即決していたのかしれない。
「…俺にも分からない」
「頼りないっすね」
一は軽く笑いながら、俺にそう言った。
「悪い」
残念ながら俺の口は誰かを簡単に助けられるぐらいの助言も、気の利いた言葉も出してはくれない。だからいつもひたすら頭を悩ませて、自分だけが納得出来る答えを出そうとしているのだ。
と、視界の横に写っていた体育館の入り口で、何か大きくバラバラに動く塊みたいなのが入ってくるのが見えた。俺がそちらを見ると一も釣られ、二人して写真を撮りに来た三年生の集団に視線を引かれた。
「あ、もう来たんすね」
「だな」
混雑を防ぐためか今回入ってきたのは人数から判断するに一クラスで、もしかしたら他のクラスは別場所で撮っているのかもしれない。
保護者もそれが理由か、教員がマイクから離れるとここに残ったり散らばったりまちまち。散らばりの中には矢波先輩や桜丘先輩の両親も混じっていた。
それを横目で見ながら手に貯まった画鋲をプラスチック箱に放ってからからと音を鳴らした。
「先輩ももう来年っすよね、卒業」
「あぁ。でも、実感が全く湧かない」
「…そうっすか」
話を振ってきた割りには食い付きが悪く、つまらなかったのかと気になって一を見る。彼の視線は相変わらず卒業写真を撮ろうと人の動くステージに釘付けになっていた。そして、彼はそのまま言葉を漏らす。
「ほんとに…卒業するんすよね」
…まぁ、言いたいことは確かに分かる。
卒業式なんて大掛かりな事はやったものの、それでも三年生が卒業するということにあまり実感は湧かない。多分、卒業式なんかよりも来週や再来週になって静かになった校舎をこの目で見た方が実感できる。想像や伝聞するよりも実際に体験する方が人の心には響く。寂寥感なんてその代表だろう。
「……」
何か言うべきだったかもしれない。
けれど、考え込むような、ともすれば覚悟を決めた人間のような彼の真剣な眼差しを邪魔するのは躊躇われた。
無言でステージ上で楽しげにきゃいきゃいはしゃいで位置取りをする三年生を眺めてはみるが、俺の見知った顔は特にはいない。
しかし、こっちの作業を始めようにも一があれでは再開の声も掛けられない。
どうしものか頭だけ動かしながら一を見ていると、彼の視線は俺へと動き、再開しましょうかと三年生に背を向けた。
一にあぁと返し、紅白幕の回収を再開させた。
だいたい半分に差し掛かった頃、一組目の写真撮影が終わり、賑わいを静めた体育館に今度は別のクラスが入ってきた。作業に取り組んでいたほとんどの生徒達が自然とその音に引かれ、俺もその一人。
知り合いがいようがいまいが大きな物音にはつい目を向けてしまうのが人間の性で、その目が俺の記憶にある人を視界に写す。どうやら今回は矢波先輩と桜丘先輩のいるクラスらしい。
「………」
事情が事情で一に視線を向けては見たが、視線こそ三年生を捉えてはいるが、気づいていないのか喜ぶような反応は一切見受けられない。
と、矢波先輩が俺に気づいたのだろうか。
違う誰かに向けてかもしれないが、お、と口が形を作り、明るくにぱっと笑みを見せてくる。桜丘先輩もその動きの理由に気づき、こっちの方向に胸の前で控えめに上げた手を小さくふりふり振ってくれた。
ただ、俺に向けてとは確証がない。
「先輩、あれ、先輩達に呼ばれてるんじゃないっすか?」
「…いや、俺じゃないかもしれないから」
「んな訳ないと思うっすけどね…」
「まぁ…何にしろまず紅白幕片付けないとだし」
一と何の気なく会話してしまったが、今の、中々におかしくなかっただろうか。
以前の一であれば桜丘先輩がいることに多かれ少なかれ必ず喜んでいた筈。
なのに朝も含めてどうしてか、落ち着いていると言えば良いのか、なんというか、意中の相手が近くに居るのに変化が全く見られず違和感を感じる。それどころか不気味にさえ思えた。
見ている方向や状況的に、間違いなく一は二人を指して俺に言ってきている。それは断言出来る。
訝しみながらも自分が言った片付けにとりあえず専念していると、後ろのざわめきは控えめになる。その代わりに響いたカメラのシャッター音。一枚が撮られると賑やかさは戻り、しかしまた少しするとそれは落ち着く。数回そんな感じを繰り返すと矢波先輩達のクラスの写真撮影は終わりらしい。
もう担任ではなくなった教師が次の写真撮影の場所を伝え、はしゃいだ様子で三年生はステージ上から降りていく。走って体育館から出ていく数人の男子生徒は傍目にはまるで子供に見える。
「あーかりくんっ」
ふと聞き慣れた声が名前を呼び振り向いてみれば、矢波先輩と桜丘先輩がそこにいた。一も声に頭を引かれたようで俺と同じ向きを見ていた。
「どうも。写真、終わったんですか?」
上から目線も何だろうと、言いながら一旦椅子からたんと降りる。
「んーん、まだ次ある。ね、さっき灯くん僕たちのこと無視したでしょ?」
「いや…俺じゃないかと思って、それで」
「君だったんですけどー…」
ぷくっと頬を膨らました矢波先輩に俺が睨まれれば、一もやっぱりじゃないっすかと呆れた目をこっちに見せてくる。
「ちょっと…寂しかったね」
そう言って桜丘先輩は自分の両手の指先同士を合わせ、悲しげに笑んだ。
朝、せめて今日だけは余計なことをしない、こんな笑みをさせないと決めていたのに、覆ることのない根の性格が本当に嫌いになってくる。
「…すみません」
「もー…。それで、何してるの?片付け?」
「まぁ」
「もう終わる?」
委員の方も順調でそろそろ終わるんじゃないかと一を見る。が、彼は首を横に振った。
「ステージの方もやらないといけないっすからね…多分、もう少しは」
「俺はステージもやるの…」
「新崎先輩とかいないっすから。仕方なしっす」
さらっと漏らした初耳に不満をぶつけるが、するりと流されそういうことで決定する。
三年の全クラスが写真を撮り終えない限り、ステージの上の片付けは始められない。
つまりはまだかかると一が言うと、矢波先輩はそっかと頷いた。
「じゃ、僕たち写真終わったら玄関で待ってるから。じゃあねー」
「灯くん、山中くん、頑張ってね」
「はい」
「了解っす!」
歩いていく二人に小さく頭を下げ、また椅子へと上った。
待ってくれるらしいが、それでも無駄に遅れないよう早々に作業を再開させようと画鋲をさながらピクミンのようにぽんぽん引っこ抜く。
…やはり、一に変化はなかった。
距離の問題かとも考えはしたが、あそこまでの近距離で何の変化も無いならそれは違う。そもそも、朝も今ぐらいの近さだった。声だって掛けられているのに、今の了解も特別テンションが跳ね上がっている風ではない。
生徒会長うんぬんで手一杯になってしまっている、とも思ったがまだ相当な時間の余裕もあるし、それだけであそこまで、まるで好意を失ったかのように変化を無くすとは考えにくい。
というか…あぁ、二人に卒業おめでとうございますの一言を言っていない。一に気を割き過ぎていた。
追いかける訳にもいかずそれは後々言うことにして、何度も止まってしまう作業をまた再開させた。
…俺の予想ではステージ上に手が伸びるのはまだまだ先だろうと思っていたのだが、思いの外早く全てのクラスの集合写真は撮り終わり、それよりも少し早く終わっていた俺たちは三年生がステージから降りていくのと入れ替わりで上っていく。
他場所も片付けは大抵済んでおり、そのまま余計な事に巻き込まれないように帰る人もいれば、逆に自ら率先して善意で手伝ってくれる人もいた。台やらマイクやらを皆が片付け、俺に回ってきたのは新崎が運んできた卒業証書用のお盆。
「それ運んだらもう帰って良いっすよー先輩」
「んー」
素直に両方に付いている持ち手に手を入れ持とうとしてはみるが、お盆は思ったよりも横が広く上手い具合にはなってくれない。仕方なく本を片手で持つ風に脇で抱えた。
俺が準備の時に持ってきた紅白幕は破れた一枚の代わりに体育館の脇の部屋に入れられることになったらしく、破れた方は捨てるらしい。
と、そこで気付いた。
「一、鍵は」
多分、またあの部屋には鍵がかかっている筈。
また扉の前まで行って開かないとなるのも面倒くさい。
「それなら確か…ってあ、あったっす!先輩これ!」
「うぉ、危な…!」
一がポケットから鍵を取り出したかと思えばこちらにステージの上からぽいっと放り投げてきて、下に降りていたこっちはそれを危なっかしくなりながらも何とかキャッチする。
文句ありげな目を一瞬向けてから、少しバランスを悪くしたお盆を治し、体育館から出ていった。