105話目
105話目です
誤字・脱字があったら申し訳ありません
なんとなく、辺りの光景に目を向けた。
桜こそ惜しくも間に合わなかったが、空には丁度良いサイズの雲が所々に流れ、春の太陽はその隙間から時おり顔を覗かせては、暖かな空気を街に届けてくれている。
これとほとんど同じ光景を去年の今頃にも見た覚えがあるのだが、どうしてか、見上げた空は全く別の空に見えた。
まぁ実際、違う空なんだけれども。
今日は、卒業式当日。
去年のこの日の記憶で蘇るのは、全く知らない人達が俺に無関係な涙を流し、笑い、そして巣立っていった特別感情も湧かないところなのだが、今年のこの日は、色々な感情が胸の内で複雑に入り交じっていた。
今日が終われば先輩達はもうあの高校の生徒ではなくなる。それが永遠の別れに繋がらないことはきちんと頭で理解している筈なのに、何か整理出来ない部分が生まれる。
自分の卒業式でもないのに随分浮かれた2年生らしい生徒達が正面から歩いてきて、制服を風に靡かせながら横を抜けていく。その際、少し変な目で見られてしまった。
まぁ、それも分かる。本来、俺も彼らの後か前を行かねばならない。だが、今は真逆を行かねばらぬちゃんとした理由がある。
二次試験のあの時同様に、今日も矢波先輩達から電話で呼び出しを喰らったのだ。
通学路を逆走するのはやはり目立つ。これまでは時間的に問題がなかったり、そもそも人がいなかったりだったのだが、今回は大勢人が通る環境にての状態。駅を目指す社会人であれば異物を見る目は指さないが、同じ制服同士のすれ違いは居心地が悪い。
鞄をがさごそしながら帰る、大事なノートを忘れちゃった!急いで帰らなきゃ作戦も今日ばかりは出来ない。というか、これまでしたことがない。
結果、居心地の悪いまま道を行き、緑の葉に枝を隠した木の並んだ公園を抜け、往来の落ち着いた住宅街の道を進んでいく。すると見えてきた、並ぶ矢波先輩と桜丘先輩の家の屋根。わざわざそれを目印にせずともここまで来たらルートは分かる。我が家に帰るときのような正確さで道を行く。
と、玄関が見えたところで何かそこで数人が集まっていた。よく見れば、矢波先輩と桜丘先輩の両親で、桜丘先輩の方の父親が持つ手の先には立派なカメラ。その眼が向く先には二人の家を繋ぐ壁を背中にして立つ制服姿の先輩二人。矢波先輩はノリノリにポーズを決めていたが、桜丘先輩は恥ずかしそうに身体をううっと小さくしていた。
ああいうのって校門で撮るものなんじゃないのと思いながら、声を掛けて割り入っても良いものか悩み、少し離れた所で足を止める。
と、視界の端に写ってしまったのか、矢波先輩が俺に気づいた。
表情明るく、大きく手をぶんぶん振ってきてそれに会釈で応え、近づく。
俺が玄関に近寄る間に先輩は両親に数言何かを話し、言われた二人は桜丘先輩の両親を連れて家の中に入っていった。
「おはよ、灯くん」
「おはようございます。…なんか、その、邪魔してすみません」
「別に気にしなくてもいーよ。いい加減撮りすぎかなって思ってたとこだし。ね、春」
「うん…ちょっと疲れちゃった」
頷いた桜丘先輩の手が、何故か俺の片方の手を優しく掴む。
「だ、だから充電…なん…て?」
恥ずかしそうに下から覗かれてしまえば、振りほどく事なんて出来なくなる。こちらも照れながら「どうぞ…」と差し出すと、掴んでいた力がほんの少し強まった。
「おー、朝から春が大胆」
「そ、それで…あの俺、今日は何のために…」
「一緒に登校するためだけど?」
「それなら駅で待ってれば…」
あそこは良い待ち合わせ場所でもある。
そこならばきっと変な目も無かっただろうし、歩く距離も時間も色々良かったんじゃないかと握られたままの手を気にしながら尋ねてみる。
すると、矢波先輩は若干寂しげを含んだほのかな笑顔で言葉を放った。
「…今日が最後の登校日なんだし、良いでしょ?」
「…まぁ」
不躾な質問をしてしまったと、心内で後悔を呟く。
今日は人生で一回限りの日なのだ。余計で無意味な発言は慎むべきと心に強く言い聞かせて、誤魔化すように自分から話を進ませた。
「それじゃあ…もう行きますか?まだ早いですけど」
卒業式の開会時間までには相当な間があり、全学年が普段よりも遅く登校しても良いことになっている。勿論、先程見かけた生徒みたく普段通りに登校する人もいて、大抵が話題の種が決まった雑談に花を咲かせるのだろう。
矢波先輩と桜丘先輩にそれに続くかどうかを視線で聞く。
桜丘先輩にも向けたが相変わらず、手の温もりはそのまま。俺の指を両手でふにふに押しては幸せそうな微笑みを静かに漏らしていて、やっぱり振りほどけない。
「うん。…と、その前に。灯くん、スマホ出して」
「え、なんでですか」
データ社会の昨今。無闇に人に自分のスマホを渡せば、どんな被害を喰らうか分かったものではない。スマホを渡しただけなのに、みたいな少し前の映画タイトルのような感じにされては困る。
怪訝な表情になった俺を見て、矢波先輩は違う違うと首を横に振る。
「別に変なことなんてしないよ。ただ、写真、撮らないかなって。それともなーにー?灯くんのスマホには見られちゃいけないものでも入ってるのかなー?」
「い、いや、入ってないですけど…というか、写真撮られるの疲れたんじゃ…」
慌てて否定したが明らかに嘘とバレる態度になってしまい、別の話でそれを隠す。
「それはあーいうなんかゴツゴツしたタイプの。折角なら高校生らしいので、一枚ぐらい撮っておきたいでしょ?」
「はあ…まぁ、じゃあどうぞ」
使用不能の右手の代わりに左手でポケットのスマホを掴み、矢波先輩へと渋々渡す。
カメラの起動の為かポチポチ画面を押す矢波先輩を見て、一つ気付く。
「それ…俺のスマホじゃなくても別に良いんじゃないですか」
「まぁね。でも、タダで女子高生の制服姿が手に入るんだからそういうこと余計な事は言わないの。言ってると、止めちゃうよ?」
そうは言うものの、スマホを返す気配は全く窺えず、カメラを起動したのかこっちにとてとて寄ってくる。
「あ、俺、撮りますけど」
「いーよ、僕が撮る。春、そろそろ灯くんの手離してあげて」
「はーい…」
俺の手で遊んでいた桜丘先輩の指が、名残惜しそうな声の後ですっと離れていく。
意識しないようにしていたお陰か、右手には特に汗はついていない。
「それで、やーちゃんどうやって撮るの?」
何故か矢波先輩は俺の隣に立ち、形としては俺が先輩二人に挟まれている状態。これでは写真を撮れないんじゃないかと俺も言われて思い、二人揃って首を傾げる。
そんな俺達に矢波先輩は内カメラを見せた。
「こっちで撮るからだいじょーぶ」
あぁなるほどと二人で納得したが、そこで気づいた。時々そういう撮り方をしている人を見たことはあるが、確かあれ、だいぶお互いの距離が近くなかっただろうか。スマホの画面は誰しもが知るように決して広いものではない。だから必然的に距離が近づく。それこそ肩や、ともすれば頬が触れてしまうぐらいに。
「あの…先輩ちょっと」
この挟まれている状況はもしやマズいんじゃないかと声を掛けるが、先輩の耳に届いていないのかそれとも無視しているのか、俺のスマホは斜めに持ち上げられ、矢波先輩が俺に背中をぽふっと預けてくる。
「ほーら、春。もっとくっつかないと収まらないから」
「う、うん…あ、灯くんごめんね…」
桜丘先輩とも肩が隙間なくっつき、真っ赤な頬が間近で瞳に写る。
気付くのが遅かった。
気付いた頃には身体的にも言葉的にも逃げ道が塞がれていて、身動きとれぬまま二人に挟まれていく。スマホの画面の狭さに矢波先輩の身長の低さが相まって、本当にかなりの距離近づかなければ画面に三人の顔が収まらず、桜丘先輩が小さく動けばその髪が俺の頬をそっと撫でてくる。そのくすぐったさが心臓の鼓動を酷くして、写真に向いた顔なんて出来やしない。
「それじゃ撮るよー。はい、チーズ!」
そんな俺の心境なんか全く意に介さず、矢波先輩は細かくスマホの角度を調整した後、お決まりの言葉と共にパシャッとシャッターを切り、満足そうに画面を見つめて笑うと、それを俺達に見せてきた。
「ほらみてみて、春と灯くん凄い真っ赤」
「先輩…」
「や、やーちゃん…!」
むっと赤い頬を膨らまして桜丘先輩が怒るが、矢波先輩は軽く肩をすくめるだけで反省はしていない。俺のスマホを更に幾つか操作すると、隣で何やらブルブル聞こえ出した。桜丘先輩がその音の元であるスマホを取り出しぽちぽち操作すると、見えたのは今撮ったばかりの、二人が真っ赤に染まり、一人が満面の笑顔をした一枚の写真。
自分の間抜けな顔が他の人のスマホにも残ると思うと、顔に苦が滲む。
矢波先輩も自分のスマホを取り出すと、流れから察するに同じのを受け取ったのだろう。口の端をふっと緩ませていた。
「あ。灯くん、スマホ」
ほいと手にスマホが返ってくる。それをポケットに戻そうかと動いたが、なにか暗転しかけの画面に違和感を感じてその手を引き返す。見れば、いつの間に変更させたのか、壁紙がさっきの写真にすり替わっていた。
「あの…」
矢波先輩にじとりと言ってはみるが、やはり笑みが返ってくる。
「んふふー♪いいでしょ?」
「…」
流石に、自分のお世辞にも良いとは言えない顔をスマホを付ける毎に見るのは気が引ける。ましてや間抜け顔。自意識過剰だとしても、うっかり人に覗かれたなんてのを想像するとこのままではいけないと手が動く。俺の苦い表情と指の動きで壁紙を変える事を先輩は察したらしく、ぶーぶーと口を拗ねたように尖らせて不満をぶつけてくる。
しかし、それもどうやら本気ではないようで、あっさり顔色を戻して仕切り直した。
「…よし。写真も終わったし、そろそろ行く?」
それに俺と桜丘先輩はこくりと首を振り、春の風が遊ぶように抜ける道を三人並んで歩いていった。
校門が近くに見えてくると、長く続いた雑談も終わりが近づいてくる。
「うはー、やっぱり凄い集まってる」
「今日が最後だもんね」
校門傍に立てられた卒業式と文字の入った看板の前には人の塊が出来上がっていて、声と一緒になってシャッターを切る音が定期的に聞こえてくる。それに矢波先輩がほえーと驚いていた。
さっき写真を撮ったとき、あんな道端で良いのかとも思ったが、あの人混みに呑まれながら撮るのよりかは幾分良いだろう。先輩も、その辺を見越していたらしい。巻き込まれないよう人溜まりの脇から校門を抜け玄関へ歩いていくと、見知った顔、二人の山中と眼鏡がカゴを引っ提げて立っていた。
「あ、仁田先輩!」
一が大声で「こっちっす!」と招いてくる。
その隣で鬱陶しそうにしながらも山中がこちらに会釈をし、眼鏡もそれに続いて頭を下げた。
たんたんたんと玄関に続く短い階段を矢波先輩がリズム良く上り、俺と桜丘先輩も特に何かを刻むことなく階段を踏み、三人の元へ寄る。
「…なにしてんの」
手に提げていたカゴみたいなのを覗けば、そこに入っていたのは小さな花。マッチ売り的な感じかとも一瞬思ったが、卒業式にそんなことするわけがない。しかもよく見れば中身は造花。
「これ、卒業生用に配ってるんです」
「あ、じゃあ僕たちの?」
「はい。胸に付けてください」
山中が花の説明をして、先輩二人に一つずつどうぞと渡す。造花の裏にはピンが付いていて、それを制服の胸付近に通すと卒業生っぽく見える。
「どう?灯くん、似合う?」
「まぁ、はい」
下から覗き込まれ、少し胸を跳ねさせながらもそう言うと先輩はにひひと八重歯を覗かせた。
「ふふーん、やった♪」
と、不意に制服の裾が引っ張られる。そちらに身体を向ければ造花を付け終えた桜丘先輩がそれに手をふわりと被せて尋ねてくる。
「私も似合う、かな?」
「…はい」
「ふふっ、ありがとね」
軽いやり取りのつもりだったが、今ここには一の目がある。自惚れであれ彼に何か思わせてしまったんじゃないかと視線を彼に動かしたが、その表情はいつも通り。桜丘先輩を間近にしているのに、慌てたり照れたりする様子のない、俺といる時の、本当にいつも通りの時の表情。
「あ、なんなら先輩も一緒に卒業したらどうっすか?花なら余裕で余ってるっすから」
その違和感の理由を探そうと目を凝らしたが、普段の表情は茶化し顔へと変わり、渡そうとしてきた花を拒むため、原因は掴めず仕舞いで終わってしまう。
「お前…」
「冗談っすよ、じょーだん」
「…でも、確かに良いかもしれませんね。大丈夫です、先輩。冬花ちゃんの事は私が、私だけが責任を持ってきちんと守りますから。気兼ねなく卒業してください」
山中が風で崩れた髪を指で直し、その奥を意地悪そうな微笑みにする。と、話を聞いた矢波先輩がぴこんと何かを閃き、ぐいっと俺の腕を取ってくる。
「それじゃ、灯くんは僕と春が貰ってくねー♪一緒に卒業しようね、灯くーん」
グイグイと力任せに引っ張られ、玄関まで引き込まれる。
「痛いんですけど…」
「いーじゃんいーじゃん。…て、里見」
「あ、みやちゃんも!」
下駄箱の影から不意に栗原先輩と佐登先輩が現れ、おうとあちらも軽く手を上げて挨拶をしてくる。
「もう来てたの?」
すのこに降り、こちらに向かってきた二人に矢波先輩がそう声を掛ける。桜丘先輩と佐登先輩はおはよーと言い合うと、胸の前でお互いの両手をくっつけていた。
「あぁ。最後だし、卒業式前に適当にあちこちフラつこうってみーやが。なんなら、芽野達も来るか?」
「それ良いかも。灯くんはどうする?来る?卒業生だし」
ふふと矢波先輩が笑い混じりに俺をからかうと、可愛らしい挨拶を終えた佐登先輩がえーと目を丸くする。
「君も卒業生なんだ!おめでとー!お花、玄関で配ってるよ?」
今の嘘を素直に信じているらしく、佐登先輩がパチパチと手を叩いてお祝いしてくれる。そんな彼女の頭に、呆れた面持ちの栗原先輩がべしっとチョップを落とした。
「んなわきゃないだろ。こいつまだ二年なんだし、な?」
「…はい」
女子が四人も集まってしまうと俺はもう借りてきた猫状態。居心地悪く隅っこで小さくへったくそな笑みを作る。
「それで灯くん、一緒に回る?」
「…いや、もう教室行ってます」
「そっか。じゃ、次に会うときは僕達がもう三年生じゃなくなったときかな?」
矢波先輩が言うと、桜丘先輩は落ち着いた微笑みで話す。
「そう考えるとちょっと寂しい気もするね」
「だなー。なんやかんやで三年居たし…あー、卒業したくなくなってくる」
「ふふ、それじゃあね灯くん」
「じゃーねー!灯くん!」
桜丘先輩と矢波先輩の笑みにはいと答え、足の先を自分の下駄箱がある方向へ指す。歩き出せば背中に届く声は遠ざかり、最後には喧騒の一部として溶けていった。
せっかく誘ってくれたのはありがたいが、流石に卒業生としての思いで作りの行動に無関係等しい二年が付いてくのもアレだろう。この後の事は卒業生四人でしなければ、思い出としての形が歪になってしまうかもしれない。
玄関の人溜まりには二年もどうやらいるらしく、邪魔の少ない下駄箱周り。靴を履き換え、毎度何故か出来る靴の履く部分のめくれを指で直し顔を上げれば、目の前の廊下を通っていく四人の姿。
その内の二人が一瞬俺に手を振って、壁の奥に去っていった。
ほんの小さく首を下げて返事をしたが、まさか後ろにいた家庭科部の後輩だったりしないだろうか不安で振り返ったが、特に誰がいるわけでもない。ならば、あれは俺に対して間違いはない。
開け放たれた玄関からここまで吹き付ける春の風に止まっていた足を動かしてもらい、三階の教室を目指す。何時もなら教室に溜まる見知らぬ彼ら彼女らだが、今日は何目的か、廊下のあちこちで話を楽しんでいて、少し通るのに苦労が掛かる。
…あぁ、分かった。教室の席を体育館に運んでいるため、教室には今、机しか置かれていないのだ。そんな場所で話すよりもこうしておけば知り合いの三年を見つけられるしでお得。小さな謎を解き終え、満足しながら階段を上っていく。三階まで上り、扉が開けられたままの教室に入ればそこには一人の姿。城戸さんが一人、机に腰掛け窓の外を眺めていた。
「…ああ、みっともない姿を見せましたわね。おはようございますわ」
俺に気付くと机からとんと降りて軽く笑み挨拶をしてくれる。
窓から流れ入ってくる穏やかな風が、微笑む彼女の艶やかな髪とスカートを優しく揺らしていた。
「おはようございます。別に大丈夫ですけど…新崎は?」
「まだみたいですわね。何か用事でもありましたか?」
「いや、そういう訳じゃないんですけど…なんとなく」
言いながら席を無くした自分の机に向かい、空っぽの鞄を横に掛ける。視線を落とすと所々鞄が掛けられている机があり、それと直接机の上に乗せられた鞄を数える限りそこそこもう来ているらしい。ただ新崎は城戸さんの言う通りで、上横どちらにも鞄はない。
机に腰かけるのは知り合いの前では憚られてしまい、特に腰に触れさせる物無く、身体を城戸さんに向ける。
「そう言えば、先輩達と少しぐらい話せましたか?」
「まぁ…一緒に来たんで」
「あら、そうでしたの?ふふ、随分仲が良いみたいですわね」
「そう…なんですかね」
城戸さんから俺の席まではそこそこある。その距離間のまま話すのも変な気がして、教室の後ろの壁辺りに寄る。
「仁田はもっと自信を持ってもいいと思うんですけれど。というか、持った方が良いですわよ」
「…」
やはり、自分から他の人との関係を決めるのには慣れない。自分が作り出した虚像に溺れ、拗らせてしまった事が尾を引いているのだろうが、多分これは端から俺がそういう性格だったのも原因なのだろう。喋る事が苦手で、軽い会話さえ時には失敗したのではないかと思ってしまう場合がある。そうやって友人や特別な関係を決める確証を得られず仕舞いで、昔からそんなんだから今もこうなのだ。自信を持てと言われて持つのは無理だと思う。言葉を詰まらせたのがその証拠だろう。
「…この卒業式が終われば、先輩達もそうですけれど、わたしく達も離れてしまうかもしれませんね」
城戸さんもその辺読んでくれたのか、話題を上手く変えてくれた。
「クラス変えあるんですよね」
「えぇ。また陽斗と同じになれれば良いんですが…それよりどう考えても離れてしまう可能性の方が高いんですわよねー…はぁ…もう…」
まぁ、城戸さんの言う通り、彼とまた連続で同じクラスになるよりも総クラス数的に、別々に引き剥がされる方がどう考えても確率は高い。それだけならまだしも、偶然笠木さんと新崎が同じクラスに、なんて懸念ももしかしたら考えているのかもしれない。漏れたため息からは本当に悩んでいるといった様子が感じられる。が、しかし、そんなほとんど運しか絡まない事に助言は無意味。
教師が決めている以上、その性格や考えの傾向が解れば概ねのあたりを付けることは出来るが、残念ながら俺はここの教師にさして詳しくはない。
結局、助言は言わずにそうですねと相づちを打つと「それに」と話が続く。
「…言っときますけれど、仁田も不安の一つなんですわよ?」
「俺も、ですか?」
予想外の発言に驚いた顔を城戸さんに向ければ、彼女の瞳がじとっと俺を睨んでいた。
「もし仁田が誰も知り合いのいないクラスになったらと考えると…どーにも」
「別にそんな…変な事なんて何もしないですけど…」
「変な事どころか仁田は何もしないじゃないですの。先輩達もいなくなって高校生活一年間一人きり…なんて、そんなの放っておけませんわ」
「……」
真剣な表情と声でそんな事を言われては、返す言葉はそうは簡単に見つからない。
しかし、消えてしまいそうなぐらい小さくだがありがとうございますと何とか呟いた。
「…ま、そこのところはもう実際にその時になってみないと分かりませんね。…て、冬花?」
「え」
城戸さんの視線が俺の後ろに引かれ、一緒になってそっちを見れば教室の扉からふらふら眠そうに歩いてくる冬花ちゃんの姿。瞼をくしくし擦りながら城戸さんの傍に寄ると、お腹辺りにぼふっと顔を埋めた。
「どうしたんですの?教室に行って…」
城戸さんが話しかけると冬花ちゃんは身体をくるっと回し、埋めていた顔を外に出して今度は背中を城戸さんに預けた。
「きょーしつ…二葉もいなくて…暇…だった」
「あー…二葉は玄関にいましたものね…」
「手伝おうとした…けど…きょーしつで待ってて…って」
城戸さんはなるほどと口だけ動かして、暇そうにボーッとする冬花ちゃんのほっぺを両手でむにーっと引っ張り、穏やかな笑みを浮かべる。引っ張られる側もまんざらでもなさそうで、横に伸びた口元は楽しそうにえへへと更に横にほどける。
「仁田も触ってみます?」
伸びたほっぺから手を退けて、城戸さんが俺にほっぺを空けてくれる。
「…いや」
だが、その誘いを首を横に振る事で無下にした。
これまでの俺ならその誘いは一番待ち望んで、飛び付いたのだろうが、どうしてか今はその感情が無かった。いや、冬花ちゃんに対して可愛いとは思ってはいるのだが、昔の時のようなトキメキが薄れていて……自分でも上手く整理が付かない。なんだろうか、とりあえず冬花ちゃんに対する感情の変化はそんなにないのだ。しかし、それを越える何かがいつの間にか胸の内に居座っていて、一番の座がそこに明け渡されていた。一位を強奪したそれを自分自身でもどんなのか分かっているはずなのに分からなくて、多分、無意識が無理に理解するのを拒み、押さえ付けているのだろう。
「灯…」
何時か自覚する事になる一位の存在に少し頭を使い、声を発せずにいると小さな呟きが俺の名前を呼んできた。
床に落ちていた視線を今の声の主、ほっぺを引っ張られ終えた冬花ちゃんに向ければ、彼女は困ったように、言葉に悩むように自分の視線をさ迷わせていて、その珍しい姿に何かと疑問が顔に出る。
「あー…城戸さん?」
何か知っているかと城戸さんを見たが、さぁ?と首を傾けるだけ。また、冬花ちゃんに視線を戻す。
「その……二人、に…おめでと…って」
「二人?…あ、芽野先輩と春先輩…」
合ってるかどうか眼差しで尋ねると、冬花ちゃんはこくりと小さく頭を振った。
あの一件以来、てっきり彼女は先輩二人の事を嫌っているものかと思っていたが、本気で嫌ならこんな事言うだろうか。
「…」
いや、でも本気で嫌いなのかもしれない。
機嫌悪そうにして頬がぷくっと限界まで膨れ、眉もむっと寄ってしまっている。その可愛らしい怒り顔を見て、城戸さんがくすりと表情を崩す。
「ですって」
「…分かりました」
「むー…」
冬花ちゃんは身体をまたくるっと回すと、城戸さんのお腹に二回目の顔埋めをした。
外に出されたもこふわな髪に包まれた頭を、城戸さんは優しくぽふぽふと撫でる。
すると、相変わらず人の増えない教室に静かに響く、冬花ちゃんの唸りも徐々に和らいでいった。
「冬花、冬休みの時に仁田と、それと先輩方とも話したそうですね」
「…まぁ、はい。俺があんまり話せなくて…それで先輩達が助けてくれて」
「結果、冬花には先輩達が自分から仁田を取ったように思った、と」
「…そんなに俺が慕われてるかどうかは分かりませんけど」
ただ単純に話した内容に彼女が気に食わないと思う所があっただけで、俺の有無は関係無かったのかもしれない。
「またそうやって…冬花は、仁田をきちんと友人と思っていますわ。前にも言ったでしょう?」
「そう…ですね」
と、不意に後ろから聞き慣れた声が響いた。
「おー、灯!夏も!お、冬花もいる」
振り向けば、そこには鞄を担いだ新崎が、よっといつもの挨拶を軽くしながら立っていた。
「陽斗、おはようございますわ。やっと来たんですのね」
「あぁ、別に今日は遅く来ても良いしな」
話ながら鞄を机に乗せた彼の後ろ、廊下を通っていく笠木さんと一瞬だけ瞳が合った。
…しかし、俺も彼女も何かする訳でもなく、その瞳はすぐに横に逸れる。
「…悪い」
俺のその小さな行動に気づいた新崎が去っていく笠木さんの背中を見て、大体の状況を把握し、一言謝ってくれる。
「前に言ったろ」
「…そうか。…だな」
「え?何の話ですの?」
「ん、なんでもないんだ」
その話の一方的ながらも結論は少し前に出している。新崎が謝るのは筋違いでしかないと。
はてなを浮かべる城戸さんに、新崎は違和感が無い程度に言葉を幾つか並べて誤魔化しをする。
「そう…ですの?」
「おう。な、そろそろ冬花、送っていった方が良いんじゃないか?」
「…ですわね」
それなりの時間話し込んでいたらしい。時計の針は中々な距離を歩いていて、教室に廊下で溜まっていた人らがぼちぼち流れてきた。卒業生の親辺りが着々と揃い始めて、ここに避難してきたのかもしれない。大人の目は何処か居心地を悪くさせる物である。
城戸さんが冬花ちゃんの肩を叩き、行きますわよと声を掛けて自分のお腹に埋まっていた冬花ちゃんをくるっと回して正面を向かせる。彼女の教室までへのお届けには新崎も付いてくらしい。「じゃあ行ってくるな」と俺に向かって言ってきて、それに分かったと返し、城戸さんと冬花ちゃん、そして新崎の三人は教室からロズウェルスタイルで出ていった。
となると、城戸さんの席付近で突っ立っているのは不審極まりなく、そそくさと自分の机に足を運んだ。