104話目
104話目です
誤字・脱字があったら申し訳ありません
話を強引に打ち切って、俺が紅白幕が一枚入った箱を、新崎が卒業証書用の盆を持って、会話という会話をせず、というより出来ずに通ってきた道を引き返していく。
ぼちぼち体育館の入り口が見えた頃、そこには先程までは全く無かった人の流れがあった。
パイプ椅子やら卒業式うんぬんが書かれた立て看板が運ばれ、中々活発に準備が行われていて、一の編成が決まったということだろうか。俺らも体育館に一緒になって入り、入り口すぐのところできょろきょろと一を探す。
「お、あっちだ灯」
「ん、あぁ」
先に声を発した新崎が指した方を見れば、おおよそ出来上がっていた来賓席の後ろの壁で、彼は数人の手伝いを得ながら紅白幕の準備を熱心にしていた。前生徒会長が見当たらないがそこのところも含め、とりあえずは持ってきたものをどうするのか、彼の元に向かって声を掛けた。
「一、取ってきたけど」
「え…あ、先輩!頼んできたの持ってきてくれたんすね」
「おう!で、この盆は…あっちか?」
新崎が頭をステージの上の台に向けて尋ねると、一はそこっすねと頷く。
「なら、俺もう置いてくるな。灯、一、じゃあな!」
そう言って、茶髪ちゃんや我が担任が装飾に取りかかっていたステージへと新崎は別れの言葉一言に走っていった。
まぁ、ついさっきの事もある。自分の為かはたまた俺の為か分からないが、去ってくれたお陰で少しは心に余裕が持てた。その余裕を使い、気になっていた前生徒会長の行方を聞く。
「生徒会長…あ、前の方の生徒会長って」
「あぁ、それならこっちの準備が終わるまでもう一回書いたの何処かで練り直すとかなんとか言ってたっすよ」
「そうか。で、これ、すぐ使うのか」
持ってきた予備の紅白幕の箱をわずかにがたっと揺らし、今すぐ使うのかどうか一に質問する。答えが帰ってくる間にちらりと覗いたが、新崎はこちらに帰ってくる様子は無く、あっちで装飾の仕事に就くらしい。
新崎に気のあるらしい茶髪ちゃんが嬉しそうにぴょこぴょこ跳ね、何やら作業ついでに話し込んでいた。
「うーん…まずはこっちのから先に使い切った方が良いんじゃないすかね?先輩のはその後で」
「分かった」
「もちろんこれ、最後まで手伝ってくれるっすよね?」
紅白幕設置作業を指して一が当たり前っすよねと俺に聞いてくる。まぁ、流石にこれを運んで即解放、とはならないだろうと予想はしていた。渋々すら見せずに俺は了解と頭を縦に振る。
「よし!それじゃあ完璧に仕上げるっすよ!」
予備紅白幕の入った箱を床に置き、留め具を空いた手に持って、早速彼の指揮下、仕事に取り掛かった。
体育館のおよそ八割近く。ステージを除いたほぼ全ての壁に紅白幕を付けるのは中々時間も体力も食う作業で、結構やっていたつもりなのに未だ半分過ぎといった所。あくまで頼んだ立場ということもあってなのか、一は取り付けの大部分を自分と連れていた生徒会の人だけで行い、俺は押さえてと言われたら押さえ、引っ張ってと言われたら引っ張る、言われた行動をするだけの人間と化していた。あまりそういう人間が役に立たないと知っている以上、手伝う気はあるのだが、如何せん一の取り付けは上手く尚且つ迅速。
かなりの期間、一はバイトをしていたのだ。こういう取り付けや設置のコツと言った根のようなものを掴んでいるのかもしれない。
なら、そのプロの邪魔をしないことが最も効率よく安全な行動で、実際生徒会の人達もそこら辺分かっているのか無闇に率先するようなことはしない。
「せんぱーい、抑えてるんで画鋲良いっすかー!」
「んー」
紅白幕を壁にビタッと張り付け、本来紐を通すところに体育館の脇の部屋に雑に置かれていた椅子に乗って、頭に丸いのを付けた画鋲をぶすぶす刺していく。一曰く、元の使い方に沿って紐を通す案もあったが、今置かれている時間的状況もあって効率重視を選んだらしい。これなら卒業式後の片付けも画鋲を抜いて幕を纏めるだけだし、人手も時間もそう必要ない。そんな理由で生徒会の人や一の所に椅子と画鋲をそれぞれ片手に持って行ったり来たりしていると、ふとコートから制服のポケットに移していたスマホがブルブル震え出した。
時間からして先輩達だろう。
椅子を一旦床に置いて、代わりに振動するスマホを取り出す。
「一、ちょっと」
スマホの震えだけで大方事情は伝わってくれたらしく、良いっすよーと返事が届いてくる。
俺が言うよりも早く私やりますと手を挙げてくれた生徒会の女の子に画鋲係をバトンタッチし、ここ含めて全体の作業の厄介にならぬよう、体育館から出てすぐの入り口の脇に向かう。
ここだと多分、荷物の搬入のために開けっぱなしになっている扉から一や生徒会の人に諸々聞こえてしまいそうな気もするが、断りの電話に人聞きの悪い言葉が出るとも思えない。
予想通り『矢波先輩』と表示されたスマホの画面をポチッと押し耳に当てた。
「あかりくーん、呼び出しでーす。今日、春の方ね」
やはりどう聞いても嘘や空元気とは感じられない明るい声が、俺の名前を校内放送みたくして呼んでくる。
普段であればこれに数言返事をして向かうのだが、今日はそれが出来ない。口から出すのは断りの言葉。
「あー…その。ちょっと今日はいいですか」
「…なにか、忙しいの?そ、それともあれ?映画?やっぱり3本連続はダメ…だった?」
珍しく不安になっているのか、動揺したような声がスマホから聞こえる。
「あ、いや、そうじゃなくてですね…一に言われて卒業式の準備をやることになって、まぁ、それで」
「卒業式準備?」
「…はい」
「春、チェック」
俺の言葉が信用されていないのか、嘘か真か判断するためスマホの奥で大体の今の内容が繰り返された後、電話の相手が嘘発見機でもある桜丘先輩へ変わる。
「えっと、やーちゃん?…うん、分かったけど…。灯くん、本当に卒業式準備してるのかな?」
「してますけど…」
言うと、少しの間、桜丘先輩の声が遠くなりそしてまた近くに帰ってきた。
「うん…やーちゃん、嘘じゃないみたい。…でもそっか、灯くんが準備した卒業式に私たち、出れるんだね。ふふっ」
その微笑みにはほのかな喜びが混じっているような気がして、表情も見えていないのに少し照れくさくなり、つい瞳を横に逸らしていらない事を口にしてしまう。
「そんな重要な部分やってる訳じゃないですし…」
「それでも私は嬉しいよ?ちょっと卒業式が楽しみになってきちゃった」
普段見る両手を合わせ優しく笑むあの姿が声だけなのに見えた気がして、「まぁ…じゃあ頑張ります」と多少意気込んだ事を自然と口が発する。
「うん、頑張ってね。……ね、灯くん、大丈夫?」
「え?だ、大丈夫…ですけど。あの…春先輩、何が?」
何を指したのか分からないその大丈夫に、意味解くこと出来ず戸惑い混じりの声を考えること無く出す。
「ううん、良いの。やーちゃん、交代」
結局今の問いの正しい意図が分からぬまま、電話の相手は矢波先輩へ戻り、桜丘先輩は遠くに消えてしまった。
「灯くん、今の春の『大丈夫』ってなに?怪我でもしたの?」
「いや…俺も分からないです」
すると、矢波先輩はふーんとなにか考え込むような間を一瞬取ったが、すぐに意識を電話口の俺に戻した。
「そっか。まとにかく準備の話は本当っぽいし、今日は特別に免除してしんぜよう」
「ありがとうございます」
「ん。怪我とか気を付けるんだよ?いーい?」
「はい」
「あ。明日、疲れてたら言ってね?僕たちでマッサージしてあげるから。それじゃねー」
軽い別れの言葉の後、ぷつっと音が鳴り、電話が終了を告げてきた。
しかし、桜丘先輩の大丈夫は一体どういう意味だったのだろうか。
真っ暗にした画面に写る顔を悩み顔にして、うーんと唸り答えを導き出そうともしてみるが、全く答えが見つからない。目立ったヒントっぽいのもないのなら、わざわざ考え込むだけで時間を無駄に消費することにしか終わりはならない。
一応、今の俺は仕事を抜け出して電話の時間を取っているのだ。割りといい時間話し込んでしまった気もするし早々に帰るのが最優先だろうと、制服のポケットにスマホをしまい、体育館へと急いで戻る。入り口でざっと全体像を見たところ、考えていた通り僅かながらも準備は進展していて、入り口付近からラストに取り掛かる壁に移っていた一に小走りで駆け寄る。
「悪い、長くなった」
謝りを入れながら近寄ると、一は一旦作業の手を止め、大丈夫っすと首を横に振る。
「それよりも、話の相手春先輩っすか?」
「…聞こえてたか」
「えぇ、ちょー丸聞こえっすよ」
「…そうか」
一とは機能しているか定かではないとしても、一応はライバルという関係ではある。
だから、聞かれていた事にどうにも言葉に出来ない、申し訳なさに似たような感情が出てきて、それを誤魔化すため、預けていた画鋲の入ったプラスチックケースと係を生徒会の女の子に一言言って返してもらい、早速やれるべきところに画鋲をぶすっと刺していく。
…そこから作業が終わるまでの間、一は時々細かい指示のために喋ることはあってもポッと出た雑談に加わることはなく、黙々とただ目の前の仕事だけをこなしていて、その心の底が何を考えているのか俺には全く解らなかった。
「ふ~、完璧っすね~はぁ」
余裕を持って玄関に向かったはずなのに、気づけば長居と言っても過言ではないぐらい体育館の準備を手伝わされ、その結果、去年とほとんど同じ形になったここを見て、一同様に俺も疲れが混じった息が漏れる。
時間にしておよそ3時間。
一が慌てて人手を確保してくれたからこの時間で終わってくれたが、もしそうでなければ明日明後日も巻き込まれていもおかしくはなかった。正直あまり役に立たなかった現生徒会長がこれで三年生も喜んでくれるとかなんとかそれっぽい事話して、場は解散となった。
話す事なんてないのについ目で探してしまった新崎は、見つけた時にはもう体育館から出る直前で、見れたのは彼の背中だけだった。
出来上がった体育館を見て来年は自分達もここでなんだねとか、友達と感慨していた他の生徒もそれを追うように続々去っていき、俺たちも流れに乗って用を無くした体育館から廊下へ足を置いた。
廊下すぐの一ヶ所に山みたく積まれていたコートや鞄はかなり小さくなっていて、そこから自分のを見つけ出し、鞄を拾いコートを羽織って、帰る準備を整える。
と、一がそれを見て「あ」と声を上げた。
「…そうだ、自分の荷物教室に置いてきたままだったんすよ!先輩、ちょ、先玄関行っといてくださいっす!取ってくるっすから!」
まぁ、もうここまで付き合ったのだ。
帰宅ぐらいどうってことないと、分かったと俺が首を下げると、一は、すぐに行きますからと急ぎ足で階段を駆け上がっていた。
その背中を見届け、俺も言われていた通り玄関目指して廊下をとたとた歩いていく。
幸い、卒業式前の早帰りということもあって、窓の外はまだ夜のとばりが下りるには遠い。
しかし、それも時間の問題だろう。この時期はまだ日が短い。
遠くに目映く存在する夕日は、立ち並んだ建物の背後に身を隠しかけていた。
しばらくすれば黒へと変わるオレンジ色に染められた廊下を抜け、やっと玄関へ到着する。
下駄箱に人の影は見えず、見えたとしても丁度校門から出ていく人の物のみ。
並ぶ三人の背中からは濃い黒の影が伸び、そして集まり、大きな暗闇を背後に作って歩き去っていった。
閑古鳥でも鳴いてそうなぐらいにガランとした下駄箱に近寄り、自分の靴を引っ張り出して代わりに内履きを放り入れる。学年が3年に変わればクラス替えが待っている。
となると、この下駄箱を使う回数の残りはそう多くはない。今月一杯でお別れになるのだろう。
別に些細な変化でしかないのにそれが何処か寂しくて、下駄箱をボーッと見つめてしまっていると、一の声が俺の事を呼んできた。
「せんぱーい、なにしてんすかー?」
ひょこっと下駄箱の影から顔を出して、鞄を担いだ一ははてなと首を傾げる。
「ん…いや、何でもない。というか速いな」
「先輩、自分の体育祭の成績を見てなかったんすか?ズバ抜けての一位っすよ、い・ち・い」
ふっふっふっと自慢げに笑い、言葉に合わせ人差し指を振る彼に俺も適当に笑い返し、下駄箱から視線を離す。
俺がぽいっと地に置いた靴を履くと、一も自分の靴を取りに行く。一足先に開け放たれたままの玄関の扉の側で、人気の無い校門を暇潰しに眺める。
「……」
先輩達の卒業の事ばかりをメインにしていて失念してしまっていたが、俺だって来年にはここでの卒業を迎えるのだ。留年だ退学だとそうじゃなくなる可能性も有してはいるが、このまま平穏無事にで行けば多分卒業は出来る。
夢や目標があれば何処に行くのかざっくりとした目安は付けられるのかもしれないが、そうでない人間はどうしても進路を決めるのには時間が掛かる。もちろん進路希望票は書いてはあるのだが、それもあくまで現段階での希望でしかない。
一年という期間が人の考えや環境を変化させるのに十分な時間だというのは、俺が実際に体験済みである。
早めに決めとけば周りも迷惑せずに済むのだろうが、こういうことは目の前に迫ってみなければ明確な答えは出せない。まぁ、学力を高めておくのが一番無難な結論だろう。
長々考え込み、そろそろ靴を履き終えたんじゃないかと一を見れば、丁度俺に向かってきた頃。だが、俺の視線が正面に捉えたのは一ではなく、その後ろ。前生徒会長だった。
「一、後ろ」
「え?…げ」
靴に指を引っかけていた一だったが、俺と同じ人物を見ると、途端に嫌そうな顔になる。
「…先輩、さっさと帰った方が良いっすよ。捕まると、あの人絶対面倒っすから」
口に手を当てこそっと言われ、はあと適当に頷き返す。
しかし、場所が悪かった。
玄関は下駄箱に向かう際ほぼ確実に目に入る場所で、前生徒会長と一の視線がばちっとぶつかる。
「やばっ!先輩早く!」
「あ、お、ちょ!待て、一!何で逃げるんだ!」
俺を置いて全速力でバーッと逃げ出した一を、前生徒会長は慌ただしく靴を履いて追いかける。
前生徒会長は思いの外足が速く、俺の脇を抜けたときに一陣の風がびゅっと吹いた。
一が校門を右に折れると少し遅れて前生徒会長も右に折れ、俺も何となく二人の後をそんなに速くない駆け足で追いかける。
すると、右に少し行ったところで一の首ねっこを前生徒会長が掴んでいて、近づくと、二人共、肩で苦しそうにぜはぜは息をしていた。
「はぁ…何で…逃げるんだお前…」
「だって捕まったら絶対なにかしら文句言って来るじゃないっすかー!仁田先輩助けてくださいっすよー!」
「いや…」
首を掴まれても尚、バタバタ暴れる一が俺に助けを求めてくるが、多分逃がしても今の繰り返しが起きるだけだろう。
無理と表情に出した俺を見て「裏切り者ー!」と一は悲痛そうな声で叫ぶ。
そんな彼に、前生徒会長は落ち着けと呼吸混じりの声を掛けた。
「別にお前に文句を言う気はない。むしろ、誉めに来たんだ」
前生徒会長がはぁと深くため息を吐きながら言うと、訝しみながらもそうなんすか?と彼は首を傾げる。
「そんなこと言って、今日の事ぐちぐちぐちぐち言ってこないっすよね?」
「言わん。あれの原因は元々お前じゃないだろ」
前生徒会長は掴んでいた一の首をパッと離す。
二人ともぼちぼち荒かった息が整ってきたが、流石に二回目のレースをする気はもう無くしたらしい。
「…それで、自分の一体どこを誉める気っすか」
まだ念のために警戒はしているのか前生徒会長から数歩距離を取り、睨むように目を鋭くした一がファイティングポーズで尋ねる。
それに対し前生徒会長は瞳を空に向け、それよりもで返事をした。
「じきに暗くもなるし、ここで立ち話よりも帰り際に話した方が良いだろう。…仁田はどの道だ?」
「あ…俺は駅の方です」
「ふむ、なら三人同じだな。行くぞ」
皆、家の方向は大体一緒らしい。
時間も暗くなるのを念頭に置くぐらいのため、人通りも減って三人で横並びになっても迷惑になるようなことはない。
走った時に少し乱れたのか、コートを直す前生徒会長の後ろを、俺と一は一回顔を見合わせてから付いていった。
…ほんの少し歩くと、前生徒会長は喋る準備を整え終えたようで、黙っていた俺らにんんっと咳払いをして口火を切った。
「…今日、一が決めた配置だが割りと良かったと思うぞ」
前生徒会長が言うと、一は照れくさそうに、そして嬉しそうにもして目丸く頬を指で掻いた。
「そ、そうっすか?あれ、あんまり自信は無かったんすけど…」
「いや、得手不得手も考慮しているように見えた。前から知ってたのか?」
「まぁ…今の生徒会長に頼まれて色々話に行ったりしてたっすから…その時に色々聞いたんすよ。そういうの知っとくと後々役に立つかなーって、適当にっすけど…はは」
狙ってやった訳ではないと言う一。
しかし、偶然であれ、結果役に立ったのであれば少しぐらい、調子に乗らない程度ぐらいなら誇っても良いと思う。
前生徒会長は話を聞くと何故か立ち止まり、腕を組む。
一と俺もそれに気づき、足を止め足の先を反対に向けた。
「ふむ…そうか」
日がかなり沈んできたらしい。さっきまでただの障害物でしかなかった街灯がポッと暖かな明かりを灯し、僅かながら下を向いていた前生徒会長の思案顔をほのかに照らす。
ほんの少し前に似た光景を見たばかりで、一瞬心が震えたが今回呼ばれた名前は俺じゃない。
「…なぁ、一」
「な、なんすか…」
普段よりも一層強い気のする真面目な前生徒会長の声音。
それは時々集会の時なんかに聞いた、全生徒を相手にして話す、生徒会長と言う立場としての迫力のある声。
それが一の名を呼んだ。
「…お前、生徒会長になってみないか」
「…え。き、急に何言ってるんすか…。ていうか、もう生徒会長今居るじゃないっすか」
「それぐらい分かっている。俺が言ってるのは今のが終わった次、来年の生徒会長の話だ」
酷く冷静に一の間違いを咎めると、前生徒会長は止めていた足を動かし、俺らを追い越していく。
目を困惑でぱちぱち叩いていた一だが、すぐに意識を取り戻して、俺と一緒に前生徒会長の隣に戻る。
そして、疑いの眼差しを向けた。
「それ…本気っすか?」
「あぁ。今日の人手の大半はお前が呼んだらしいが、それはつまり人望があるからだろう。普段の仕事の方も、俺や現生徒会長に付き合わされてだいぶ手慣れているだろうしな。十分回ると思う」
「でも…自分っすよ?バイトとかやってたし…」
「別に規則に反したからと言って生徒会長に立候補できない訳ではない。むしろ、なった方が良いかもしれんな」
「なんでっすか?」
「知らないのか?うちの高校の生徒会は他校よりも仕事が多いが、その分、評価も良い。毎年生徒会選挙が熱戦な理由もそこだ。今年も確か…僅差だったろ?」
俺に確認の視線が向けられ、おぼろげながらもそうだったようなと返事をする。
他校の立候補した人の事を詳細に知らないため断言は出来ないが、思えば立候補した誰もがやけに熱心だったような記憶がある。大学への評価が高いと聞けば、その理由も説明できる。
「それぐらい人気があるんだ。生徒会長になっておけばそこのところの取り返しも出来るし、なんならお釣りが来る。…どうする?」
「……」
前生徒会長は決断を迫るが、一はあまり前向きな言葉を発する表情ではない。
「…仁田はどう思う?」
「え、俺ですか?」
「あぁ」
第三者視点ということだろうか。前生徒会長は俺に意見を求めてくる。
…俺個人で言うのなら、正直一に生徒会長という大役は合わない気がする。
生徒会に触れてこなかった、一年になったばかりの頃の彼の印象がどうにも強く、現段階の実力を見る機会がそう多くなかったのがそうなった理由。
だが、前生徒会長がここまで押すということはつまり、必ず見込みがあるからなわけで、根拠も無しに言う筈が無い。
加えて、実際の生徒会長選挙までにはまだ一年近くもある。
「…あの、それって生徒会長は何か手伝うんですか?」
「ん、俺か?」
「あ、すみません」
「いや、前生徒会長と口に出すのも変だしな。…もちろん、俺も最大限助力する。言い出したからには」
「…だったら、まぁ良いんじゃないですかね」
月並みな回答かもしれないが、生徒会長の後押しが最善の答えに思えた。
実際のところは一が生徒会長になろうがなるまいが、時期的に計算すればもう俺は受験で手一杯になっている時だろう。
それは自分にはほとんど関係ないからという無責任な発言の説明にしかならないが、逆にろくに彼の実力をさして知らないまま、彼の将来を好き勝手に無理だと決めつけるのも無責任。なら、良い方向に転ぶかもしれない無責任が、最良の選択なのだと思いたい。
「自分は…」
とは言っても、なるかどうかを決めるのは一本人。
最初のような絶対無理という意思は小さくなったように見えるが、まだ答えは出せないらしい。
…と、そろそろ見慣れた道に出てきた。
駅に着いたらしい。
まだまだここら辺は人通りがあるが、だからと長居すれば卒業式前に余計な面倒を高校にも家にも掛けかねない。
それに前生徒会長も気づき、「別に焦る必要は無い」と答えの保留を薦める。
それに分かったっすと一は頷いた。
「あぁ先輩、この後少し食べてかないっすか?」
そう言って、視線を向けた先は俺。話の流れからして前生徒会長だと思ったが、間違いでもなく明らかに俺を瞳に写していた。
「なんで」
問うと、一はにぱっと笑う。
「良いじゃないっすか!先輩の奢りで!」
「なら行かない」
「えーっ!ドリンクバーだけにするんで!あと、ポテトとライスと…サラダと」
「夕食済ませる気だろ…」
お前…と睨むといやいやーと軽く笑って誤魔化す。
しかし例えドリンクバーだけであれ、卒業式準備でもう体力を使い果たしてしまった。他に寄る気力が本当に無いのだと伝えると、えーと不満そうに一は唸る。
「一、なら俺と行くか?」
話を聞いていた前生徒会長がそれならと立候補するが、一はうげっと嫌な顔を浮かべる。
「いやぁ…じゃあ…良いっす」
それを見て前生徒会長は少し怒った様子で、はははと雑に笑い、一の首根っこをガシッと力強く掴んだ。
「よし、行くぞ。お前に生徒会長のなんたるかを校則ギリギリまで説いてやる」
「あ、ちょ!ホント良いっすから!帰るっすから!離して!あー!先輩助けてー!!」
ギャーと悲鳴を上げ暴れるも一は首をグイグイ引っ張られ、そして無くなることのない人混みの中に紛れていく。聞こえていた声もやがて喧騒に溶け消え、耳に彼の声は届かなくなった。
…まぁ、あれも自業自得
自分にそう言って何の気なく鞄を持ち直した。
時間もそうだが、決してお財布も重い訳ではないのだ。
にしても、一が生徒会長に…。
前から想定していなかった事ではないが、それも万が一というか起こらない前提の元の想定で、こうも現実味が付いてくると違和感というか、不気味にさえ感じてしまう。
山中辺りがこの事を知ったらどういう反応をするのかとか色々気になるが、それは全て彼次第。
疲れた身体を酷使して、とりあえず自宅を目指した。