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モブに慈悲はない…?  作者: いす
101/110

101話目

101話目です

誤字・脱字があったら申し訳ありません

 桜丘先輩の家のインターホンを数秒の間を取ってから鳴らした。

 誰かが階段を駆け降りてくるのを耳に聞かせながら、不安になって一応鞄をもう一度覗く。

 問題なく、俺が作ったチョコが二つ。

 鞄を閉め、視線を上げたのと同時に玄関の扉がギイッと桜丘先輩によって押し開けられる。

 暖かそうな印象を与える服装の先輩の足元には、誰が来たんだと猫が真っ白なしっぽを風を受けた草木のようにゆらゆら揺らしていた。

「どうも」

「いらっしゃい、あがって」

「…お邪魔します」

 桜丘先輩の背中に付いていき、階段をとたとた猫を引き連れて上っていく。

 チョコの事で薄らいでしまっていたが、矢波先輩も俺に話があると言っていた。その内容が皆目見当が付かず、出迎えてくれた桜丘先輩の表情を思い返してみるが重苦しさだったり、何かしらの感情が出ていたような記憶はない。

 受験関係だとしても、二年の俺が役立てる事なんてのはほとんどない。あったとしても、それは矢波先輩達でも解決出来るはず。

 用件を伝えられずに来ることは何回もあったのだが、状況が状況故に不安は肥大化してしまう。

 何も掴めぬまま最後の一段を上り、桜丘先輩の部屋に到着する。

 扉が桜丘先輩の手によって開けられると、炬燵に腰辺りまでを食われていた矢波先輩が音に気付き、顔だけをこちらに運んだ。

「いらっしゃい、灯くん」

「どうも」

「炬燵、座って?」

 いつもの場所に鞄を置き、その上に脱いだマフラーを乗せて横に腰を落とした。

 目の前には閉じられた勉強道具やペンが転がっており、その中にはちょっと前に余ってたからと俺用になった真っ白なカップがあり、そこに桜丘先輩が傍にあったポットで紅茶を注いでくれる。

「はい、どうぞ」

「ありがとうございます」

 渡されたカップに口を付け、外で冷やしてきた身体の芯を暖め溶かしていく。

「あの…それで話って」

 しかし、リラックスすればするほど恐怖というのは存在感を増すもので、それを解消しようと自ら矢波先輩に急いて聞いてしまう。

「んーと、ちょっとした事なんだけどさ」

 わきで丸まって眠ろうとしていた猫に矢波先輩は手をぽしっと乗せて、けれど視線はこちらのまま言葉を続けた。

「最近、君とその…夏ちゃんが、放課後一緒に帰ってるって情報が、家庭科部の後輩ちゃんから来てるんだけど…そこのところ……どう、なのかな?」

「それは…」

 見えない炬燵の下で、ちょんと猫が気まぐれに触れさせてくるしっぽのように、矢波先輩の足の指先らしいのが俺の足に控えめに乗っかってくる。

 それを感じ胸を跳ねさせながらもこの話からチョコに繋げて渡すのが綺麗に話が流れるのではと、そう思い立ち視線を僅かに鞄に下ろす。すると、それが何か俺が隠しているように思われてしまったのか、桜丘先輩が身体を前のめりにして不安げに口を開く。

「やっぱり…私たちがチョコ渡せなかったのとか…関係あったりしちゃう?」

「あ、灯くんがそこまで欲しいって言うなら今からでも…僕たち頑張るし、ね?春」

「う、うんっ!」

「あの…」

 二人して本当に今からで買い物に出掛けてしまいそうな勢いで、慌てて言葉で間に割り込む。

「要望…ある?」

「…そういう事じゃないです。あの…違うんです」 

 流石にここまでの勘違いをされてしまうと、察して貰うとかそういう先輩達に任せた方法は辞めて、俺自身の口で直接伝えるしかなくなる。

 違うと言った以上じゃあ何と、二人の視線がそう尋ねてきて、緊張や不安を張り巡らせてくる心臓を無理矢理意識で押さえつけて、鞄に手を伸ばす。出すべき箱はちゃんとそこにあり、ぷるぷる震える指でそれを掴んで炬燵の上に置く。外気をまだ残してたらしく、箱の外側は俺の体温とは反対に冷たかった。

 当たり前ながら二人の視線は今度は置いたそっちに引かれ、不思議な物を見るように顔を見合わせ首をかしげる。猫もそれを異物と見ているらしく、炬燵に乗ると箱の周りを興味深そうにぐるぐる回り出す。

「…これ、なに?」

 そんな彼女を矢波先輩がぎゅっと首根っこを絞めない程度に捕まえ胸元に抱き寄せる。

「…チョコ、です」

 震えそうな声を強引に正常にして、視線を炬燵の掛け布のデザインにさ迷わせながら言う。

「チョコ…あ。もしかして私たちのために灯くん買ってきてくれたの?」

「…いや」

 しかし、手作りという部分がどうにもこうにも口に出すのを躊躇ってしまい、その間にこのチョコの生まれは何処なのかと二人は箱を持って様々な角度から見始める。

「春、これ結構丁寧にラッピングされてるけど…」

「もしかして夏ちゃん…からのだったりして」

「む、見せびらかしに来たのか灯くん」

「でも、それなら何で二つってなっちゃうね?」

「確かに」

 しばらく会話が続いたのだが答えには辿り着いてくれなかったらしい。はてなに埋もれた二人の瞳が俺を指してくる。

「灯くん、チョコは分かったけど…誰の?」

「………俺の、です」

「灯くんの、チョコ?…え?」

「…………はい。まぁ、あの溶かしたのを固めただけですし…」

 それを手作りと呼んでいいかどうかと、保険の言葉を言うが二人はそれが聞こえていないのか、チョコをジッと見つめたまま動きの一切を止めてしまう。箱と一緒に抱かれていた白いもこもこも不思議に思ったのか、にゃーにゃー鳴き出し始める。

 と、少しして矢波先輩の身体がぴくりと動いた。

「ふ、ふーん…手作り…なんだ。…こ、これって、僕たちのだけしかないの?」

「いや…後は妹にひとつ」

「三つだけ…」

 矢波先輩が箱から視線を外すことなく会話は終わり、また無言の時間が流れる。

 本当の事を言えば場所を貸してくれた城戸さんにも作ろうと計画だけはしていたのだ。しかし、場所が場所ゆえに本人にバレてしまい、別に大丈夫だからとくすくす笑いながら断られてしまった。けれど、今日の事を考えれば無理にでもお礼を作っておくべきだったのかもしれない。単純に食べたくなかったから言ったのならまだしも、主観止まりだがあれは無駄に手間を掛けさせたくないという風に感じられた。

 と、今度は桜丘先輩の身体が静かに動いた。

「灯くん、夏ちゃんと一緒に居たのって…」

「まぁ…この為、です」

「…そっか」

 相変わらず声だけの質問で、喜んでくれているのかなんなのか分からずに居心地がどんどん悪くなっていく。

 叶うのならばさっさと家に帰って荒ぶりたいのだが、そんな話を切り出せるような空気では無い。

 まぁ、飛び上がって喜んでくれるなんて最初から考えてはいない。元々の話、甘いものが役に立ってくれるのではないかと始まったもので、よそよそしくされても勉強の微力に結果なるのであればそれで良し。だが、時間を掛けた過ぎた為に無意識に潜み大きくなっていた期待という感情は厄介で、ついやや下を向いた二人の顔を不審に思われない程度に軽く覗いてしまう。

「~っ…!」

 矢波先輩の口の端は上に上がるか上がらないかの位置でぷるぷる震えていて、多分笑みを堪えているのだろう。口元は確かにギリギリ抑えて入るが、それ以外はもうほとんど笑顔。というか全部笑顔。

「…別に、笑いたいなら笑ってもいいですけど」

 自虐のように言うが、矢波先輩は首を横に振り、寸前に出てきていた笑顔を飲み込む。

「…んーん、違くて、面白かったんじゃなくて嬉しかったの。灯くんが僕たちのためにって考えるとどうしても…ふふ、にやけちゃって」

「…そう、ですか」

「ん、そーなの」

 だからあんまり見ないでと手でぺいっと払われ、やり場を無くした視線は桜丘先輩に自然と流れる。

 変わらず箱を見たままだったが、瞬間、天井からの明かりで艶やかに光る髪の毛の奥、黒の瞳がこちらを捉えるのを、俺の瞳も捉え返す。

「…」

「……」

 数回、パチパチと目瞬(まばた)きがされた後、桜丘先輩の瞳は俺とは反対方向にぷいっと逃げ去ってしまう。

 僅かに見えた朱色の頬も、反対に向いた時に揺れた髪の毛に隠されてしまった。

 今ここでぽろっと乙女だねとか一言言われてしまっていたら、俺は冬の海に入ってゲンシカイキしかねないぐらい危うい、崖一歩手前の状態。今からなら海行きの電車には余裕で間に合う。

 だから、桜丘先輩が無言で終わらせてくれたのは何も感じないわけではないが、それでも他の言葉に比べれば非常にありがたかった。

「ね、これ食べてもいいの?」

「まぁ…チョコですし」

 俺が頷くと、矢波先輩は抱いていた猫を下ろし、やったーと嬉しそうにしゅるりとチョコの箱のラッピングを丁寧にほどいていく。

 箱の外側を取り終えると先輩は、一切として動かない桜丘先輩に声を掛けた。

「春、食べないの?」

「え、あ…うん。食べないとダメ、だよね…」

「ま、確かに取っておきたい気持ちも分かるけどね。でも、折角灯くんが頑張ってくれたんだし、ちゃんと食べないと」

「…うん」

 大事そうに持ってくれていたチョコの箱を桜丘先輩は矢波先輩同様に炬燵に置くと、ラッピングを崩すことなく取り、デザインの付いた一枚の紙と箱に戻す。

 渡す時でさえなのにここからもまだ続くのだから手作りとは末恐ろしい。

 見る場所を固定することが出来ず、結局俺は不機嫌そうに横たわる猫とひたすらに見つめ合っていた。

「おぉ…思ってたより綺麗に出来てるー」

「灯くん、これすぐに作れちゃったの?」

「…いや、二月の最初ぐらいから」

「僕たちのためにそんなに頑張ってくれたんだー…へー…」

 矢波先輩の俺をからかう声音は普段よりも数倍は愉快痛快と弾んでいて、にやにやしながら俺との距離をお尻を擦って近づけてくる。可愛らしい顔ではあるが、俺からすればまるで怪物みたいに恐ろしく感じる。

 そして先輩は生チョコをつまむと、見せびらかすようにして口へと運ぶ。

 その動きに俺が苦い顔を返していると何度か柔らかそうな頬がむぐむぐ動かし、表情を意外そうな物にした。

「…美味しい」

 それを聞いて、桜丘先輩も追うようにチョコの半分を口にする。

「ほんとだ…すっごく美味しい」

 二人のその言葉を耳にして、胸の奥にあった様々な感情が成した重い塊みたいなのが、スッと抜け落ちていく感じがする。

 伸びていた背筋を緩め息を吐き出すと、それを見ていた矢波先輩が俺を覗き上げてくる。

「安心した?」

「…まぁ」

 俺が認めると一層落ち着かせたいのか、それとも真逆か、矢波先輩は次のチョコを一口で食べ、桜丘先輩も残りの半分を食べてごくっと飲み込む。

「やっぱり、手作りを食べてもらうのって緊張しちゃうよね」

「ましてや料理上手の二人に、だもんねー。灯くん、ホワイトデー楽しみにしといてね?受験も終わるし、僕たちのとっておきを見せてあげるから」

「ふふっ。本気で、だね」

「別に、チョコだけですしそんな手の込んだものは…」

 言ってはみるものの、二人は俺の意見を却下の一言で片付け、何を作ろうかと楽しげに作戦会議をし出す。

 やはり、長く時間を掛けて心に押し止めてきた期待という感情は厄介で、二人がチョコで喜ぶ姿を見してしまうと、どうしても胸が暖まり、俺の顔も自覚できるぐらいに笑みが溢れ出して来てしまう。

 力尽くで底に押し潰そうとしても逆にバネのように反発し、どんどん顔が酷くなっていっているかもしれない。

 人の顔色なんていうのは嫌でも見えるくせに自分の顔色は鏡を通さなければ見ることはできない。

 だからバレてないかどうか無性に不安になり、それが動きにも現れてしまっていたらしい。

 矢波先輩が「ん」と声ひとつに気付き、それに釣られたチョコを頬に入れていた桜丘先輩の瞳がこちらを指す。ついでに、いつの間にか側で俺を猫目が見上げていた。

「な、なんですか…」

 聞くと、桜丘先輩は我が子を見るような柔らげな笑顔を見せ、矢波先輩は自分の口の端を俺に教えるように指をとんとんとさせる。

「嬉しかったんだね、灯くん。今すっごい笑顔だよ」

「いや、これは…」

 自覚があった以上、努めて無意識に動こうとする口をねじ伏せていたし、実際多分表には出ていなかったはずなのだが、あっさり二人には見抜かれてしまう。しかし、そのお陰で笑顔は控えめながらも驚きに上塗りされ、やっと静まってくれる。

 俺は何とか笑顔を消せて安心したのだが、二人からあーあとまるでもったいないと言わんばかりに反対の声が上がる。

「灯くん、もう一回今のお願いできないかな?見せてくれるだけでいいから、ね?」

「…」

 そう言う桜丘先輩の手には炬燵の掛け布団に身を半分を隠したスマホががっちり握られており、俺がそれに気付いたのに気付くとしゅっと何処かに消える。しかし、本人はふふふと目を細めるだけで、奥に宿る感情は一切として覗かせてくれなかった。

 と、矢波先輩が急に真横からぬっと姿を現し、手をぐーっと伸ばしてくる。

「もー、良いじゃん笑顔の一つぐらいさー。恥ずかしがらずにほら、にーって、にー」

 しかし、俺が頑なに無表情を徹頭徹尾(てっとうてつび)貫いていると矢波先輩は先輩が言ってるんだぞーと軽く睨んでくる。

 これがパワハラ…。

 言葉では歯向かえなくともせめて態度では歯向かおうと身体を少し外に逃がすと、もーと不満を露にして言いながらも、予想外に早く矢波先輩は折れて元の位置に帰り、そして端から想定していたみたいな流れで別の話題に変える。

 しかし、それの矛先も結局は俺を狙っていた。

「んで、灯くんは今日一日でどれくらい女の子からチョコを貰ったのかな?これぐらいなら答えてくれても良いでしょ?」

 そう言いながら先輩はチョコを一口。閉じた口は桜丘先輩が代わりにと声と共に開ける。

「去年は一個だったんだよね」

「今年も同じ?」

 別にそれぐらいの事ならば軽く言ってしまっても良かったのに、視線が泳ぎ、口を濁らせてしまう。

 それが、何か言えば俺に被害が来るからと躊躇ったものなのか、矢波先輩達に被害を与えてしまうといつかの自惚れがまた再発したのか、二者択一に頭を悩ませてしまうと、より口を濁す時間が増していく。

「…増えたの?」

 その無駄な間の意味に桜丘先輩が一番に気付いた。

「妹のを抜かせば…四つ」

 一のも含めれば合計五つと言えはするのだが、あれは色々違うし、そこでわざわざ性別をねじ曲げてまで見栄を張る意味がない。男の子な以上見栄を張りたいという気持ちが無いわけではないが、いざバレたときの哀れむような目は素直に白状する何倍も心に傷を残していくのだ。

 茶髪ちゃんについてもカウントするのは姑息かと思いもしたが、それをしっかりと判断するまでの余裕を二人からは与えられず、結果加えた数を口にしてしまった。

「つまりは五つ、か」

「…正確に言えば」

 丁度矢波先輩の方の箱もチョコが五つになっていて、その内の一つがまた、先輩の口へぽいっと入れられる。

 桜丘先輩は一個一個を名残惜しそうに食べるため、箱の上には二つ多い七つ。

 砂時計みたくこれが全て無くならない限り、俺は帰らせてもらえないのだろう。

 と、呑気にチョコの数を数えていたのだが、その時間が妙に静寂としていて、下を向かせていた頭を上に運ぶ。

「五つ…」

「やーちゃん…」

「…一応、よかったらで良いんだけど、くれた人が誰か、聞かせてくれない?」

 一応や良かったらという断っても構わないという意味の言葉こそ付いてはいるが、真正面に俺を捉えた瞳に対して断りを言う勇気はない。

 桜丘先輩もいつからか俺との距離を縮めてきていて、逃がさないと伝えるための意思を持っての行動なのか、俺の炬燵の下に置いていた左手にギリギリ気付くぐらいにそっと二つの指の先を乗せてくる。先端だけのはずなのに、手を動かす気にもなれないぐらいそれは重く感じられた。

 …まぁ、隠して渡されたような物は無かったし、全て新崎ついでの義理。茶髪ちゃんは万が一が無くはないかも知れないが、面識がろくに無いところを考えれば万が一どころではない。

 それに、いつかの文化祭では新崎に惚けていたのも記憶に残っている。全員が全員、不必要に隠し立てするような理由はない。

 俺待ちで止まっていた会話を冷めた紅茶で喉を潤してから再開させた。

「あー…城戸さんと、山中、冬花ちゃん。後はあんまり知らないクラスメイトから、で4つ。あと、妹の」

「冬花ちゃん…。て、あんまり知らないクラスメイト?」

 どう伝えるべきか悩んだ挙げ句、あやふやな形の名前を上げてしまい、二人がはてなと首を斜めにする。

「…いや、なんかクラス全員にその人が配って、それで俺も」

「あ、そーいうの」

「…でも、やーちゃん。ちょっと耳かして」

 良いけど…と矢波先輩は分かっていない感じのまま炬燵に身を乗り出し耳を差し出すと、先輩の正面に座る桜丘先輩も身を前にして、ごにょごにょ俺に聞こえない声量でなにかを囁く。

 そして言いたいことを伝え終えたのか、二人して身体を引っ込めると矢波先輩の咳払いがおっほんと響く。

「…そのクラスメイトから貰ったチョコだけどさ、何か他のと変わってたりしなかった?数が一個だけ多かったりとか、あー…形が違ったりとか」

「いや…特には」

 新崎としかしっかり比べていないが、彼のと俺のに特別な差のような物はこれと言ってなく、強いて変化を挙げるならばマスキングテープぐらいだっただろうか。

 けれど、あれは多分全て同じテープじゃつまらないと言うだけで、何の気なしに見た周りのも、個々で色やデザインに細かな差があったのは覚えている。

 とにかく、矢波先輩の言うものに当てはまる、他との明確な違いは無かったと断言できる。

 返事の早さも伴ってか、二人は俺の言葉を信じてくれたらしい。桜丘先輩がホッとしたように吐息を漏らし胸を撫で下ろす。けれど、指は相変わらず俺の手をちょこんと下に敷いていた。

「あの…何故、そんなことを」

「灯くん、ちょっと考えてみ」

「は、はい」

 出し抜けに言われ、戸惑いながらも言われた通り脳内に意識を向ける。

「同じ状況で、もしも灯くんの手に渡ってきたそのチョコが、他の人よりも一個、数が多かったらどうする?周りを見ても、皆一個だけなのに自分だけ二個入り。しかも、翌々見てみると小さな紙が入ってて、中身を見たら『後で感想聞かせて』の文字が」

 そんな場面に実際会ったらどう思う?と、やや下からの視線が質問を投げ掛けてくる。…確かに、一瞬こそ戸惑いはするだろうがそれは瞬く間に期待に形を変え、まさかもしやと心の中で舞い踊ってしまう辺りまで容易く想像が出来た。

 先輩の言いたいことが遅れながらに分かり、自然にあーと納得した声が漏れてしまう。

「でも、灯くんのにはそういう『特別』っていう感じなのは無かったんだよね?」

「……まぁ」

「残念、灯くん♪」

「…」

 まるで俺の恋路が断たれたような話の感じに、少し眉が不機嫌そうに内に寄ってしまっていたのかもしれない。

 矢波先輩は俺のそんな顔を見るとチョコを口に放り、しばらく頬をもぐもぐさせた後、空っぽになった口で不意に聞いてくる。

「特別、欲しいの?」

「…別に」

 言いはするものの、自覚できるぐらい今の俺の言葉は嘘に満ちていた。

 大抵の人間は特別や贔屓(ひいき)を求める欲があって、俺がその大抵の人間である以上、当たり前ながら当てはまる。

 しかし、そういう欲を素直に口にする事を大抵の人間は出来なくて、前述を踏まえれば俺にもそれは難しい。

 素直に物を話す人間が疎まれる理由には、日頃何も言えない人らの羨みも潜んでいるものなのかもしれない。別にそれが分かったところでどうという事もないんだけど。

「やーちゃん」

 ただ、隠した本心を簡単に見抜ける人が傍に居る状況で適当な嘘を付いたのは失敗だった。

 たったの愛称一言使うだけで何かしらが伝わったらしく、嘘を付いたこと隠した本心のこと、それらがバレてしまった事実に面映ゆくなってくる。

 頬をかいて気まずさをとりあえず誤魔化していると、「一つ言っておくけど」と炬燵の上で、先輩は自分の両手の指を意味もなく絡ませた。

「僕も春も、普通に思ってる男の子なら自分の部屋になんて入れないんだからね」

「え」

「だーから、君はもう僕たちから特別をもらってるの。なのに、他の子からもなんて…ちょっと欲張り」

 それにだよねだよねと共感したように桜丘先輩が頭をこくこく振る。

 そうですかと咄嗟にぎこちないながらも返事は出てくれたが、先輩の言葉に頭の中の機能がパッと途切れたように止まる。僅かに動いていた部分は先程自覚したばかりの自惚れに今の言葉を紐付けしようとしてきて、それを冷えた紅茶を飲み干すことで熱冷めをし、熱にやられていた思考も覚ましておく。

 相変わらず使えない左手をそのままに、右手で空いたカップを炬燵に置くと桜丘先輩がすぐにでも「お代わりは?」と聞いてくる。

 汗はなんとか落ち着かせているのに何処か身体中の水分が消えていっているように感じ、それに頷くと左手の指先が離れ、先輩の両手がポットに伸び湯気を生む紅い液体が注がれる。けれど、冷めやらぬ体温を考えれば、間もなくそれを飲むことは出来なかった。

 片や矢波先輩はチョコを居れた頬に腕の杖を付き、俺の顔に視線を固定してくすくす笑顔を咲かせていた。

「照れちゃってもー♪」

「ふふっ、はい灯くんお茶」

「ありがとうございます。…別に、照れても良いじゃないですか」

「うん、良いよ。僕、灯くんの照れた顔結構好きだから」

「…」

 ぶつくさ不満を言うようにしてみるがそれさえも利用され、この人相手に口を使うことは死なんじゃないかとむぐっと今度は口を閉ざしてみる。すると先輩は楽しげに頬に人差し指を勢い良くぷすっと刺してくる。もう助けて…許して…。

 助けを求めて視線と頬を身体を逸らすことで逃がすと、桜丘先輩と視線がぶつかる。しかし、さっきとは違い彼女の瞳は逃げることなく俺をしっかり見つめると、恥ずかしがるように少し俯いた。

「わ、私も…灯くんの照れた顔がね…その、えっと…ね?」

 心をくすぐるように下から覗いてくる瞳。

 まるで最初からの自分の居場所に戻るかのように左手にはまだ先輩の指が触れ、今度は人差し指がきゅっと優しく握られ胸が跳ねる。

 先の言葉を俺に委ねてきたということは俺の考える事それが正解という事で、頭が本格的にこんがらがってくる。

 それこそ主人公であれば鈍感か、慌てた言葉を並べることが出来たのだろうが、会話の技術もない人間はただ息を呑み、視線を彷徨かせ、体温を上げさせる事しか叶わない。

「……」

「…あの、そういうこと…です」

 黙り動きを止めていると、頬を朱に染めた桜丘先輩が途切れ途切れにそう言い、握っていた指をそっと離れさせた。

 今の俺も、多分先輩の鏡のように見事なまでに赤く茹で上がっている事だろう。状態としてはダルマが近い。

 だが、慌てふためく二人をよそに矢波先輩は唯一全く変わらずに平静で、ぐったりと炬燵に倒れてしまった桜丘先輩の頭を腕を伸ばしてぽんぽんと撫でる。

 と、ひたすらにぐでっていた猫が立ち上がると、炬燵と桜丘先輩の前に倒れた身体の隙間にすぽっと収納され、もぞもぞ自分の居場所を作っていた。流石、気まぐれの象徴とも言える猫らしい行動でぼーっと見るだけでもアニマルセラピーが遺憾なく発揮され、完全に収まりはしないが幾らか心が落ち着きを取り戻し始める。

 となれば、することは一つ。

「芽野…先輩、そろそろ帰って良いですか…」

 落ち着いたからと言って長居をする必要はない。

 チョコが砂時計と見立てはしたが、無理矢理の打ちきりだって可能ではある。それに落ち着いている今言わなければ、もしまた焦らせられてしまった時、伝わらないぐらいに帰りの言葉がつっかえつっかえになってしまうかもしれない。

 言えるときに言っておく。

 その精神で言い、少し冷めた紅茶を一気飲みして炬燵から抜け出る。

 後は鞄を担ぎ、矢波先輩から了承の言葉を貰うだけ。

 そう思って先輩に視線を向けると、了承してくれたのか何も言わずににっこり愛らしい笑みを浮かべる。口こそ動いていなかったが、ピンクのツヤのある唇は上に上がり、否定が出る気配はない。

 それじゃあと期待が募り鞄に手を伸ばしたが、それと同時に先輩もポットに手を伸ばす。

 楽しいティーパーティをこれで終わらせる訳がないと、空っぽになった俺用のカップに新しく紅茶が注がれ、柔らげな瞳でさっさと座れと促してくる。

 威圧的なけれど何処か底知れない魅力を秘めた、小さな可愛らしい怪物の視線に誘われるがまま俺は炬燵に足を帰した。

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