第九話 向日葵に口づけを(前編)
短いです。ていうか、今回は話の起承転結が支離滅裂(?)気味です。
七月二十三日木曜日、午前八時四十五分。
瑠南は、自室の鏡の前にて、楽しみと興奮のあまりに、胸の高鳴りを抑えきれずに鼻唄を歌いながら、ヘアアレンジに精を出していた。
「ん~、どんな髪型にしよっかなあ。やっぱ勉強会だし、ポニーテールとかツインテールとか?でも、お団子もなかなか良いかも。あっ、あとハーフアップも捨てがたいけど・・・。あー、迷う!困っちゃう!」
困っちゃう、と言いつつも今の瑠南の顔は、真夏の炎天下の中、真上に昇った太陽にも負けじと輝かんばかりに咲き誇る、大輪の向日葵の花のように綻んでいる。
結局、髪型はポニーテールに落ち着き、前髪は普段通り斜めに流して、前に凜から貰った赤いバラのアメリカピンで留めた。
服装の方は、デニム生地のショートパンツに、少し派手めなデザインの白地のタンクトップと、紫のシンプルな半袖パーカを合わせた装いにした。中学生らしさの中にもどこか少し大人っぽく見える感じにしたくて、ファッションにはやや疎めな瑠南が、昨日の夜から考えて考え抜いたコーディネートである。
(やっぱり、璃華にも相談すればよかったかな。)
璃華は、意外にもファッションには結構詳しい方なので、瑠南は着替えた自らの姿を姿見に映し見て少し躊躇した。
でも、このコーディネートだって悪くはないので、瑠南は上機嫌で身支度を済ませると、階段を早足で降りた。
階段を降りると、そこにちょうど洗濯物を抱えた母がやってきて、
「もう出かけるの?」
と、首をかしげた。
瑠南は、軽く頷いて、淡いピンクのリップクリームを塗った唇を開いた。
「うん。桜の家でも、もう大丈夫だからって。」
瑠南は一応、今日のことは、『桜の家で勉強会をしてくる。』と、昨晩母に伝えていた。
母に対して嘘をついたことについては、確かに瑠南も後ろめたい気持ちが無くはなかった。
だがしかし、瑠南が正直に『凜先生の家で勉強をしてくる。』と言ったところで、母はきっと何かしら不審に思うだろう。そして、瑠南と凜の関係についていよいよ疑いを持ち、瑠南をいろいろと問い詰めるだろう。
母は、同性間での恋愛について悪い事は言わぬと思うが、良くも思わないであろう、と瑠南は悟った。それが我が娘のことであるから、尚更そうだろう。
だから瑠南は、母に対してこうした偽りを話したのである。
一方、そんな事実は微塵も知らぬ母は、先程の瑠南の言葉に少し笑って釘をさした。
「そう。でも、くれぐれも桜ちゃんの家の人たちに迷惑をかけたら、絶対に駄目だよ。」
「わかってる。じゃ、いってきます。」
「いってらっしゃい。気をつけてね。」
「はーい。」
素直に返事をして、瑠南は玄関に行くと、白いリボンがついたお気に入りのグラディエーターを履いて、家を後にした。
(まだかなぁ、瑠南。)
同じ頃、凜は自宅の玄関前にて、瑠南が来るのを今か今かと待ち遠しく立って待っていた。
(なんか、ちっちゃい頃に戻ったみたい。)
昔、友達が家に遊びに来るときはよくこうやって玄関で楽しみに待っていたっけ、と凜は懐かしく思い出し、すいっと目を細めた。
(もうすぐかな?)
そう心で言ったとき、扉の外のインターホンが鳴った。
「はーい!」
(きっと、瑠南だ!)
凜は、昂る気持ちを抑えきれずに、すぐにドアを開けた。
瑠南がインターホンを押すと、ドアがガチャリと開いて、ほのかな睡蓮の香りを纏った笑顔の凜が出迎えてくれた。
「いらっしゃい、瑠南。」
「こんにちは、凜先生。」
瑠南は、軽くお辞儀をした。
凜も、軽くお辞儀を返してから、瑠南に手招きをした。
「外、暑かったでしょう?入って。」
「おじゃまします。うわぁ、綺麗なお部屋。」
瑠南は、凜に続いて彼女の部屋に足を踏み入れた。
凜の部屋は、青系統の色が基調になっていて、エアコンが効いていることもあってかとても快適だ。掃除も隅々まで手を抜いていないことがよくわかり、凜の几帳面さが窺える。
勧められるがままに、白い二人掛けのソファーに腰を下ろして、瑠南は辺りを見回した。
(ウチの部屋とは全然違う・・・。)
瑠南の部屋もしっかり掃除しているので汚くはないが、近頃物が散らかり気味である。掃除のときに片付けてもすぐに小物等が机上に散乱し、結局面倒になって次の掃除までそのままになってしまう。そのため、今いる凜の部屋や、我が家の自室の隣室にある璃華の部屋のような、隅々まで手入れが行き届いている部屋が瑠南は少し羨ましくなった。
(いいなぁ、片付け上手な人って。)
ふーっ、と伏し目がちにため息を吐くと、そこにちょうど凜が、冷たい飲み物とクッキーを持ってやって来た。
「まぁ、私も掃除とか好きではないんだけれど。バレリーナ時代の習慣でね・・・。」
さっきの瑠南の呟きに答えるように、凜はこう言って、テーブルに飲み物とナッツ入りのクッキーを置いた。
「はい、どうぞ。あ、瑠南って、炭酸とか大丈夫?」
飲み物は、瑠南の大好きなレモンサイダーだった。二つの薄青いガラスのコップの中で、サイダーの水泡がパチパチと弾ける音と、コップの面とストローにぶつかる氷の快い涼しげな音を聴いて、瑠南ははっきりと頷いた。
「はい!レモンサイダー、大好きなので。」
「じゃあ、よかった。私もこれ、好きなんだよね。」
凛は、瑠南の隣に腰掛けて、サイダーをコップから直に少し口に含んだ。
それを見て、瑠南もサイダーを一口、ストローから飲んだ。レモンの心がきゅんとする甘酸っぱさと、サイダーの爽やかな冷たさが、炭酸のしゅわしゅわとした音と共に口いっぱいに広がった。
「これ、おいしい!」
サイダーのおいしさに、瑠南が瞳を輝かせると、凜は少し得意気に笑んだ。
「でしょ?このレモンサイダーとクッキー、実は私の手作りなの。」
その言葉に、瑠南は、サイダーとクッキーと凜をそれぞれ一回ずつ見て、目を丸くした。
「へぇ~!凜先生、料理も得意なんですね。」
凜は、クッキーを一口かじってこう答えた。
「んー、得意っていうか、趣味だよ。ただ単に好きなんだよね、料理を作るの。」
「じゃあ、今度ウチに何か教えてください!」
「うーん、・・・フフフっ、考えておくね!」
「やったぁ。」
そう言って瑠南は、サイダーを一口飲んで、テーブルの上に視線を落とした。焦げ茶色の四角いテーブルの上は、やはり小綺麗に整頓されている。
(綺麗な人は、見た目だけじゃなくて内面もすごく綺麗なんだ。)
瑠南が納得してコップをテーブルに置いたとき、彼女の目に、木製の写真立ての中に入った一枚の写真が映った。
写真は家族写真のようで、桜の木を背景に、姉妹であろうよく似た二人の少女と彼女達の両親と見てとれる男性と女性が、四人仲睦まじく笑顔で写っていた。
(凜先生と、その家族?)
気になった瑠南は、サイダーを飲む凜をちらりと一目見た。
─確かに、二人の少女のうち、姉であろう右側の少女に似ている気がする。色白の肌に、頭の下らへんで左右二つのみつあみに結わえた艶やかな黒髪、少しつり目がちな美しい目や高い鼻、すらりと細身で長身の体型、など、よく見れば見るほど思い当たる節や面影がいくつもある。
(じゃあ、やっぱり・・・?)
もとから、気になると止まらない性分の瑠南は、いよいよ気になって凜に尋ねることにした。
「あの、凜先生、」
「ん?何?」
凜がこちらに顔を向けたのを一目確認して、瑠南は、卓上の写真を控えめに指差した。
「こちらの方々って、凜先生と、先生の家族の方ですか?」
その問いに、凜は一瞬、困惑したような表情で端整且つ秀麗な顔をやや曇らせたが、写真を手に取るとすぐに首を縦に振った。
「そうだよ。これは、私が中学校に入学した日のことだったかな。右側の制服の女の子が私で、その後ろに並んでいるのが私の父さんと母さんで、私の左隣にいる女の子が私の三つ年下の妹の茜。」
「へぇ・・・。」
瑠南は、凜の手の中にある写真に暫し見入ってしまった。
桜の花は盛りを迎えているのか満開で、家族は幸せそうに笑っている。あどけなさが残る聡明そうな美少女の凜は、買ったばかりの中学校の制服を身に纏い、笑顔でピースをしていた。その隣では、彼女の妹の茜が、お気に入りの赤いチェックのワンピースに白いカーディガンを羽織って、明るく笑いながら両手でピースをしている。茜も、色白で年の割には背の高い、華奢な体型の美少女だ。そんな二人の後ろでは、彼女達の両親が、娘達同様に幸せそうに微笑んでいた。この二人も、なかなか美しく整った顔立ちや体格をしており、娘達は二人の美点をたくさん受け継いでいるように思える。
「素敵な家族ですね。」
瑠南は、思ったままのことを述べて、凜の横顔を仰ぎ見た。
しかし凜は、悲しく寂しそうな、笑みとも愁いともとれる表情を浮かべて、写真をじっと見つめたまま黙って微動だにしない。気のせいなのかもしれないが瑠南には、凜の黒い円い瞳が若干潤んでいるようにも見えた。
「凜先生・・・?」
とうとう心配になった瑠南は、凜の横顔を見たまま、彼女の華奢な肩に自分の左手を軽く置いてなるべくそっと揺すぶった。
数秒後、凜ははっと我に返ると、その寂しげな儚い笑みのまま、瑠南の頭を弱い力無い指で優しく愛撫した。凜の羽織る紺色のロングカーディガンの袖が、瑠南の瞳に鈍い紺色を映す。
「ごめんね。ついついボーッとしちゃったわ、私。昔のこと、色々思い出してた。」
「昔の、こと・・・?」
瑠南の不意に浮かんだ疑問に、凜はこくりと頷いて、写真をまた卓上へと戻した。
「うん、昔のこと。─まあ、話すと長くなるんだけど、気になる?」
瑠南が素直に頷くと、凜は、白いスキニーを穿いた長い足を組んで、ゆっくりと、一つ一つの記憶をなぞるように、昔のことを語り始めた─。
後編に続きます!