第十五話 愛と曖と穢と
かなり久しぶりの投稿です。
今回の内容はちょっとR 15(って程でもないけど)かな、と思います。
あと、ご存じの方もいると思いますが、タイトルの漢字は全て「あい」と読みます。
「今の店、私初めてだったけど、おいしかった。」
凜は幸せそうに、車の助手席に座りながら、今までいた和真おすすめのフレンチレストランを振り返った。
和真も満足気に、
「だろ?だって、俺のおすすめの店だもん。」
と言って、車に乗り込み発車させた。
二人は、そのレストランで長い間色々と語り合いながら夕食を済ませた。現在午後八時を少し過ぎたころ。かれこれ約二時間、彼らは互いの近況を語り合っていた。先程まであれほど和真と出会うことを渋っていた凜は、昔話や自分の近況の話に花を咲かせるうちにすっかり彼と打ち解けた。食事代は、先程の予告通り彼の奢りである。
その上、彼は今、凜を彼女の自宅であるマンションまで送り届けてくれている。
「なんか、色々とありがとうね。寧ろ、ごめん。奢ってもらった上に送ってもらっちゃって。」
凜は、顔と伏しがちな睫毛からの視線を横に座る和真に向けた。和真は、何でもないように言った。
「全然、気にしないで。一緒に食事をした人を送るのは当たり前。女の人なら尚更だし、それに、こんなに暗いのに凜になんかあったらどうすんの。心配じゃん。」
「心配?」
「うん。」
二人がまだ恋人同士だった頃のような会話の中で、彼女は後ろに過ぎていく街並みを横目に何となく見ながら、いつしか昔の日々を思い出していた。
レッスンやデートの帰りは彼がよく寮まで送ってくれていた。あるいは今日のように、レッスンの後そのまま二人で食事に行ったり、次の日レッスンがないときは彼のアパートに泊まったりもした。
二人の出会いは、ごく単純なものだった。
凜がバレエ団に入団したての頃、和真も同じく入団し、都市や県は違えど同じ日本出身ということで仲良くなった。そして、友達として時を過ごしていくうちに、いつしか互いに惹かれ合い恋愛感情を意識するようになり、和真からの告白を期に二人は晴れて恋人同士になったのである。
和真は、凜にとって生まれて初めての彼氏で、今まで生きてきた人生の中でただ一人の彼氏だった。
初めて愛した男性が彼で、初めてキスをした男性も彼。初めて一夜を共にした、純潔を捧げた男性も彼で、初めて恋人との別れを経験したのも彼。だから、凜の男性経験は彼以外には皆無である。
彼女は、彼と別れて三年の月日が経った今でも、離れて暮らす彼の身を案じ、大切に思っていた。恋人だった頃とは違う愛の形で、彼を思っていた。
凜は、街並みに向けていた瞳を一度、右隣に座る彼の端麗な横顔に向けて、またすぐに街並みに目線を戻した。
夜の暗がりの中に見た彼の色白な横顔は、胸が切なくなるくらい優しかった。三つ歳を重ねたといえど、三年前とほとんど何も変わってはいない、と彼女は彼の全てを懐かしく感じた。強いていえば髪型が少し変わったくらいだ、とも。
見慣れた景色からして、そろそろ凜の住むマンションに到着する頃だった。
凜の胸の内に、懐かしさから不意に寂しさが込み上げてきた。久しぶりに、誰かと一緒に食事をしたり懐かしい話を語り合ったということもあるのかもしれない。そして、そのことがとても楽しかったから、なおさらに寂しいのだろう。
今、ここで彼等が別れれば、今度こそ二人は各自自分の人生を生きていく上で、もう二度と互いに会うことはないのだろう。電話番号もメールアドレスも互いに知らない。和真は、明日の午前の飛行機でロシアに帰国してしまう。
凜は、もう少しだけ彼と話がしたかった。食事をした時にできなかった、したい会話が一つ、二つ、とどんどん思い付く。
彼女は、そのうちの一つでも何か話しかけたくて運転中の和真を見た。
「あのさ、和真、」
「ん~?」
初めての道もカーナビに従って特に難なく進みながら、和真は琥珀色の瞳を進行方向から凜に一瞬移して反応した。
しかし、いざ返事を返されると何を話そうか迷うもので、凜は咄嗟に、
「今日泊まるとこはもう予約してるの?」
と思い付いたことを訊ねた。
和真は、首を軽く横に振った。
「ううん、予約とかしたほうがよかったんだろうけど、なんかめんどいから。これからビジネスホテルにでも行って空き探すつもり。」
「だったらさ、」
凜は、和真の話を聞いてあることを思い付いた。
「もしよかったら、家に泊まる?」
この言葉に、和真は驚いたように目を大きく開いて凜を見た後、また視線を前に戻した。
「すごくありがたい話だけど、迷惑じゃない?」
凜は、「全然いいの、」と首を横に振った。
「私、知っての通り独り身だし。お風呂とかも貸すからさ。だって、ホテルじゃいくらビジネスとはいえお金かかるでしょ?それに私、今日和真にいっぱいお世話になったから、せめてものお礼。」
「じゃあ・・・、ごめん、お世話になります。」
風呂から上がった凜は、リビングのソファーで彼女に借りた海外作家のミステリー小説を熱心に読んでいる、一足先に風呂に入っていた和真の少し離れた隣に腰を下ろした。
和真は、凜がソファーに座ると、その小説の読みかけのページに小説に付いている紐状の栞を挟んで、テーブルに小説を置いた。彼もまた小説愛好家である。
「ごめんね。先に一番風呂入っちゃって。」
「ん?ああ、全然いいの。お客さんは一番風呂、それが基本。あくまで、私の考えだけどね。・・・あ、なんか飲む?お酒とかも、一応チューハイかビールくらいなら冷蔵庫に入ってるけど。」
「じゃあ俺、ビール一つ貰おうかな。」
「わかった。ちょっと待ってて。」
凜は、ソファーから腰を上げてキッチンへ向かい、冷蔵庫から缶ビールを二つ取り出した。それを持ってリビングに戻り、「はい、」と和真に一つを手渡す。
「サンキュー。」
彼がプルタブを開けると、プシュッ、という良い音がした。
「良い音。この音好きなのよね、私。」
そう言って、凜も缶のプルタブを開けた。開くと同時に、彼の缶と同様良い音がした。
「やった、私のも良い音した。じゃ、乾杯。」
「乾杯。」
コツン、というアルミ製の缶同士がぶつかり合う音が二人の間に響いた。
二人は、ほぼ同時にぐっと一口酒を煽った。
「あー、うまい!やっぱり、日本のビールうまいなぁ。」
和真は、幸せそうに笑って、ビールが少し付いた口元を右手の甲で拭った。
「でしょ?私はあっちでは飲んだことなかったけど、ロシアのはどう?」
「んー、ロシアのも悪くはないけど、日本には敵わない。やっぱり、ロシアはビールよりも」
「ウォッカ、とか?」
「そう。まぁ、俺も酒は得意じゃないからビールとチューハイ以外ほとんど飲まないけど、前にノリでウォッカ一口飲んだ時は度が強すぎて、本当ヤバかった。」
彼は少し恥ずかしそうに苦笑して、缶の中に残っていたビールを一気に飲み干した。
凜もその様子を見、もう一口を多めに飲み込んだ。
「和真、お酒弱い方だもんね。私も強くないけどさ。」
そう言って、彼女も缶に残っていたビールを一気に飲んだ。数秒もしないうちに、彼女の身体中にアルコールの熱が駆け巡った。少しの熱を覚えた彼女は、両手のひらで顔と首を扇いだ。
「暑い。お酒飲むとなんか暑くなる。」
「それはわかる。」
下戸でありほろ酔いな二人は、それからしばらく他愛もない話を機嫌よく交わした。昔と何も変わっていない会話の雰囲気に、彼女は安堵を覚えた。
いつしか話題は恋愛のことになった。元恋人同士で、しかも別れてから初めての再会ともあればこの話題はタブーな気もするが、酔いが回ってきた二人にとっては、単なる戯言の交わし合いにしかならぬことだった。
「ぶっちゃけ今、好きな人とか付き合ってる人いんの?」
こう切り出したのは、アルコールに頬を朱く染めた凜だ。
和真は、とっくの前に空になったビールの缶をやっとテーブルに置いて、少し曖昧な感じに頷いた。
「うん、一応いる。」
「それは、どっち?」
「ん、付き合ってる人、だね。」
「何よ、その曖昧な感じ。何か訳ありなのかい?」
凜の突っ込みに、和真は、首をかしげて肩を竦めて口を開いた。
「そういうのじゃないけど。・・・でも、まだ付き合って二ヶ月半くらいだし、お互い忙しいからあんまり一緒にいられないし、それにデートもまだ一回しかしたことないから。それに、デートって言っても食事と買い物くらいの本格的じゃないデートだし。」
「でも、それはこれからでいいじゃない。で、その彼女さんはどこの国の人?年下?年上?バレエ団の人?」
凜は、今の彼の恋人のことが気になり、興味津々、という四字熟語を黒い瞳の奥に湛えて隣の和真を見た。
彼は照れたように、
「あんまり食い付かないで。恥ずかしいから。」
と、下唇を左手の人差し指で掻いた後、
「四つ年下のロシア人。バレエ団の子。」
早口に一息に言った。言った後、少し赤くなったのをごまかすように、「ところでさ、」と、顔を上げて右手でぐっと前髪をかき上げた。
「凜は、いるの?」
付き合っている人か好きな人、というのは省略されていたが凜は言葉の意味を自然と理解し、若干ふわふわした快い気分で、
「いるよ。」
と、答えた。
「どっち?」
「ん?・・・ああ、付き合ってる人。」
「どんな人?」
言葉の数こそ少ないが彼もまた、先程の凜と同じような目をちらりと彼女に向け、そのまま目線を膝の前に組んだ手に落とした。
凜は、訊かれて初めて自分が何を言ったのかに気付き、少し酔いが覚めた。思わず右手の手のひらを口に当ててうつむく。
(もしも今─、)
真実を彼に話せば自分は瑠南との約束を破ることになる、と、彼女は考えた。
(瑠南はきっと、今まであの約束を破ったことがないだろう。)
あろうことに、自分の口から交わそうと瑠南に言った約束。自ら言った約束を自ら破るということは、凜にとって心苦しいものがあった。
伏せた目をためらいがちに横に流せば、控えめにこちらを窺う和真と目が合った。すっ、と目を逸らす彼。彼女も、そんな彼から目線を外して、もう一度思考を巡らせた。
(それでも和真は喋ってくれた。)
そもそも、恋愛話に話題を移して恋愛事情を色々と彼に訊き出したのは、紛れもない凜である。当の本人が言わないのは果たして如何なものか、と彼女は内心首を捻った。
葛藤は続く。瑠南との約束は守りたい。でも彼だけに言わせ、自分のことは内緒にするのも凜はどうかと思った。
いつまでも二人の間から消えない沈黙にしびれを切らしたかのように、和真は、
「まぁ、言わなくてもいいけどさ。」
と、端整な顔に苦笑のような、少し残念そうな微笑を浮かべた。
「あのね、」
彼の苦笑を遮るかのように、凜の唇は声を発した。彼も、その声に引かれるように顔を上げ、凜に目を向けた。
「私の恋人はね、・・・女の子なんだ。」
凜の告白に、和真は目を丸くした。そして、困惑したような表情を顔に浮かべた。
「女の子・・・?」
「うん、まだ学生なんだけど、というか、教室の生徒さんなんだけど。美人で明るくて、いい子だよ。」
「凜って、そっちの方の需要もあったの・・・?」
怪訝な表情と声色の和真に、誤解のないよう凜は慌てて首を横に振った。
「違う違う!その、女の人も恋愛対象とか、そういうんじゃないの。かといって、両方とかっていうわけでもないしね。私はただ、その子のことが好きなんだ。」
「ふーん、そうなんだ。」
彼は相変わらず、自分にはよくわからないとでも言いたげな顔で言葉少なに頷いた。
元恋人が同性と、それも自分よりかなり年下の学生と付き合っていると聞いたのだ、無理もないな、と、凜は今更ながら自分の言ったことに後悔した。
「なんか、ごめんね。びっくりさせたよね?」
「うん。そりゃあ、びっくりしましたよ。」
心の整理が少しはついたのか、彼は微笑して、また両手を組み目線をそれに落とした。
二人の間に、また沈黙が流れる。
(やっぱり、あんなこと言っちゃったのがいけなかったのかしら・・・?言わなきゃよかったのかなぁ?)
凜は、自分のせいかもしれない、と気まずく思って長い睫毛を伏せ、目線を自身の白い裸足の爪先に落とした。内心、更に後悔が募る。
少したった後、その沈黙を破るように、「ねぇ、」と、和真が首を少し捻って凜を見た。
「何?」
凜は、やっと沈黙から解放されることに安堵さえ覚えた。
「あのさ、その・・・、同性を好きって、ただ、可愛い、とか、綺麗、とかそう思って憧れたり、ちょっと特別に思ったりすることとは違うの?それって本当に、・・・恋?」
言い終えた和真は、また先程までと同じ格好に戻っていた。
彼の質問に、酔いの覚めない凜は少し怒りにも近い疑問を感じた。彼は一体何を言っているのだろう、なぜ性別の問題だけでこの感情が恋なのかそうではないのかが判別できるのか、判別したところで一体なんだというのか、そうとさえ思った。そして、思ったままのことを口にした。
「好きだから、その気持ちのままなだけだよ。私はこれを恋なんだと思う。私は、あの子が好きだもの。」
少し間の空いた後、
「それじゃあ、」
と和真は口を開き、また少し言うのをためらうように唇を噛んだが、意を決したように、
「その子と、キス以上の関係になりたいと・・・、思う?」
と言い、体を起こして凜を見た。彼の淡色の美しい瞳は、凜の心の内を見透かしてしまいそうなくらい、真っ直ぐに彼女に向いていた。
凜は、その目に一瞬たじろいだが、
「思わない。」
と、即答した。
「私、そうは思わないの。いくらあの子のことが大好きでも。あの子はどう考えるかわからないけど、あの子もきっとそういうのは望まないと思うの。それに、あの子はまだ若い。若すぎる。・・・こう言えば、あの子は怒るかもだけど、あの子はまだ本当の恋とか愛は多分知らない。綺麗な部分しか、知らないんだよ。だからね、いつか私たちがもしも別れて離ればなれになれば、あの子には私以上に、本当に愛する大事な人ができるかもしれない。だから、そんな人に出会えるまで、あの子には綺麗な女の子のままでいてほしい。私、あの子とはプラトニックな恋のままでいいと思う。プラトニック・ラブで、いいと思う。」
和真は、長めの睫毛を伏せて、ただ静かに一度頷いた。それに続けるように、吐息混じりの微かな声で、
「さっきは、ごめん。」
と、自分がしたいくつかの質問を詫びるように言った。
凜は、首を横に振って微笑した。
「いいの。そんな、気にしないで。私も、結構いろんなこと喋っちゃったし。」
それでも、彼は少しの間、睫毛の影が宿る瞳でうつむいたまま、沈んだため息と共に唇を開いた。
「俺、今でもたまに思っちゃうんだ。俺、今ももしかしたら凜のことが好きなのかも知れない、って。」
彼が憂鬱そうに言った言葉をうまく理解できずに、凜は少し首をかしげて、
「私も、和真のことは今でも好きだよ。恋とか、そういうのではないと思うけど好き。」
と言った。
和真は、まだ言いたいことがあるようで、憂いを帯びた表情のまま、また口を開いた。
「この気持ちが何なのかは、俺にはよくわからない。恋なのか、愛なのか、それともまったく違う何かなのか。わからない。・・・でも、やっぱりたまに思っちゃうんだ。今の彼女と付き合うようになってからも、変わらず。あの子のことは確かに今好きなんだけど、・・・それでも。」
彼は尚も何か言いたげだったが、言葉が見つからないのか、それとも言いたいことを自ら言葉にしなかったのか、口をつぐんだ。
「私だって、あの別れ方だもん。和真のこと、忘れるわけないじゃない。」
何かを己の内に抱え込むような和真の姿を見て、凜は自分でも意識しないうちにそう言っていた。
「別れよう、って言ったのは私だけど、私たち嫌い会って別れたんじゃないもの。好きなまま別れただもん。だからあの時は、お互い同じような気持ちだったんじゃないかな?」
その言葉に、和真は一瞬はっとしたように綺麗な目を大きく見開いて、また元の穏やかな表情で合点がいったというように頷いた。
「うん。きっと、そうだ。」
「私だって、和真とおんなじ。貴方は私にとっての特別な人のままだったよ。大事な人を忘れるわけがない。だから、同じ。」
凜は、和真に微笑んだ。一目見れば誰もが見とれ、また見たいと望むであろう、静かで美しい笑み。
彼は、彼女に微笑み返し、彼女の手と肩をそっと自分の方に引き寄せてその細い身体を優しく抱き締めた。
彼の予想外の行動に、凜は、小さく声を上げて身を硬くした。でもすぐに、懐かしい感覚と彼の体温に応じるように、両腕を彼の項と腰にそれぞれ回した。
「いきなり、ごめん。」
凜の耳元で、和真の囁く声がした。彼の発した、消え入りそうな儚い艶を含んだ気だるげな声は、凜の鼓膜を震わせた刹那、彼女の心臓の動きを速めた。
「その笑い方を見たら懐かしくなった。なんか、三年前に戻った気がして・・・。凜、三年前と何も変わってなかったから。変わったのは髪だけ。・・・それ以外、凜は、っていうか俺もだとは思うけど、二人とも変わってないね。・・・戻れるはずはないのにさ、今日凜と会って今まで過ごしてみたら三年前と本当に変わってない気がしてさ。楽しくて。・・・いや、今思いなおせば二人とも変わってないはずはないはずなのに。」
「私も─、」
凜は、彼の腕の中で聴いた彼の声によって紡がれた言葉に、胸が溺れたように、締め付けられるように苦しくなって、声を押し出すように言った。
「私も、同じようなこと思った。今日、何回そんなこと思ったっけな・・・。ずっと思いっぱなしだったかもね。とりあえず、─なんか、泣きたいくらい胸が苦しい。」
「・・・俺も、苦しいよ。こうしていればなおさら。凜の匂いとか、声とか肌とか、近くにあれば昔を思い出して余計に苦しくなる。」
彼も、心苦し気に言うと、凜の身体を少し自分の身体から離して、
「ごめん。」
と一言呟き、彼女の唇を己の唇で奪った。
凜は、驚いて目を丸くしたが、彼に全てを委せるように目を閉じた。目を閉じた途端、彼女の脳裏には瑠南の顔が思い浮かんだ。
(瑠南・・・。)
大切な、純粋で可愛い恋人の姿を思い浮かべた凜。本来、今の自分が瑠南以外とキスすることは、自分を愛してくれる彼女に対する大きな裏切りになるのだ、と凜は悟った。
罪悪感に襲われた凜は、残った理性に懸けてキスを止めようと思ったが、それはすぐに酔いのあいまった本能に負けてしまった。彼女は、己の内にある醜い本能で動く自分がたまらなく恐ろしくなった。
(ごめんなさい。)
そんな簡単な六文字じゃ許されるはずもないのだけれど、凜はそう思いながらも瑠南に心から謝った。謝ってもなお、和真とのキスを止めない自身を、凜は、
(私は、馬鹿だ。自分勝手で、汚らわしい。)
と、最後に残った一片の理性で罵倒し、責めた。
もう瑠南の顔を見てはいけない、彼女に触れる資格さえ自分にはない、凜はそんな気がした。
(それなら、)
堕ちてみようか、と思った。中途半端なままで戻れないのならいっそ堕ちてしまおう、そう思う彼女は曖昧な感覚に酔っていた。
唇が離れたとき、
「立てない。」
と彼女は言った。実際のところ立てるには立てるが、身体にまだ酔いが残っていて一人ではうまく立ち上がれそうにないし、立てても歩くことが難しそうだった。
「寝室まで、運んでくれる?そっちの部屋だから。」
凜の要望に、彼は無言で軽々と彼女を抱き抱え、それに応じた。
「ありがとう。」
凜は、自身の寝室のベッドに横になったまま言った。
「いや、いいよ。」
凜を寝室まで運んだ彼は、ベッドサイドに浅く腰掛けている。
凜は、自分の斜め横にあった彼の右手首を自分の方に引いた。
彼は、少しの間不思議そうな顔で凜の方を見ていたが、それが無言の誘いであることを悟った途端、彼女から目を逸らした。
凜の紅い薄い唇が、綺麗な弧を白肌に描く。誰もが見とれ、場合によっては惑わされる美しい笑み。
今の和真は後者だったようで、しばらく続いた己の理性と本能との葛藤の後、
「本当に、いいの?」
と尋ねた。
凜は無言で頷いて、彼の白い手首に少し力を込めて引いた。
彼の琥珀のような目が、暗い部屋で獣の瞳のように光った。
「いくよ?」
彼の言葉と深い深いキスを合図に、二人はその夜、三年振りに肌を重ね、互いの恋人を裏切るという罪を犯した。
自分でこんな内容を書いておきながら、書いた後にじわじわと恥ずかしさが身体を蝕んでゆく・・・、という謎に最悪な症状が現れそうです(笑)。(というか、今既に現れてきてます。)
(さて、頭冷やす為にお風呂でシャワーの冷水でも被ってこようかな・・・。)