第十話 向日葵に口づけを(中編)
「ち、中編!?」とびっくりされた方も居られるかも知れませんが、これを後編としてしまうと、とてつもなーく長くなってしまうので一旦区切ります。
あと今回は、ほとんど凜の回想です。
「私は、三十年前の十二月に、速水家の長女として産まれた。
私の家は父さんが外科医だったし、母さんも中学校で先生をしていたから、自分で言うのもあれだけど比較的裕福な家だったと思う。
三年後の秋には妹の茜も産まれて、私はお姉さんになった。その後、幼稚園にも入って、年長さんになったばかりの頃、満三歳だった茜と一緒に夢花バレエでバレエを始めたの。」
「きっかけは?」
「きっかけ?きっかけは、はとこで四つ年上の女の子がバレエをしてて、その子の発表会を、はとこのお母さんと私のお母さんと私で観に行ったのがきっかけ。まぁ、その子の教室は夢花バレエじゃない教室だったけど。
でも、その日のステージの上の世界は、まだ五歳だった私にはまるで絵本から抜け出たおとぎの国に思えてならなかった。これは現実に酷似した夢なんじゃないか、ってあの時、ステージの上で繰り広げられる『くるみ割り人形』を観ながら何回思ったことか知れないわ。そのくらい、幻想的で本当に美しいクラシックバレエの世界に感動と憧れを抱いたんだ。
そして、バレエを始めた。
私は、別に容姿に恵まれていた訳でもないし、飛び抜けてバレエの才能があった訳でもなかったの。でも、私が人一倍負けず嫌いな性格で、真剣にバレエに取り組んでいたことは確かだった。
バレエのある日は、学校でも帰りの会が終わると一番に教室を飛び出してバレエ教室に行ってた。レッスンを終えた後は、普通に家に帰る日もあったけど、私、小一からピアノも習ってたから、そのまままっすぐピアノ教室に行く日もあった。ピアノは中学卒業と同時に辞めちゃったんだけども、こっちもこっちで結構一生懸命やってたよ。一応、コンクールとかにも出てたし、一回だけだけど賞も貰ったことがあるんだ。小さい賞だったけどさ。
・・・ちょっと話逸れたから、戻るね。
バレエの方でも、コンクールには何度か出たことがあるんだ。瑠南も出たことあるでしょ。それに、今年も出るじゃない?あの、四月にある都のやつ。」
瑠南は頷いた。彼女は、今年度もこの東京都内で四月に行われるコンクールに出場して、『エスメラルダ』よりエスメラルダのバリエーションを披露する予定だ。そのため彼女は、今から四月のコンクール本番に向けて、レッスンを強化している。
凜は、瑠南が頷いたのに「そうよね、」と頷き返して、また思い出したように昔の話を続けた。
「そのコンクールでね、私も『エスメラルダ』のダイアナのバリエーションを踊ったんだ。そのダイアナで私ね、都のコンクールで初めての金賞とって、初めて進んだ全国のコンクールでは銅賞とったの。その時は、私も勿論嬉しかったけど、それ以上に家族は喜んでくれてね。
その日の夜、喜んだ母さんは料理が得意だったからお祝いにフルーツケーキを焼いてくれた。茜も自分のことのように飛び上がって喜んでた。それに父さんは普段滅多に泣かないのに、あの日は泣いて喜んでた。だから私も、何倍も嬉しかったの。それで私、『バレリーナになりたい!』って強く思うようになったんだよ。─でも、あの日のあの夜が、父さんにとって家族と過ごした最後の時間になっちゃったんだよね。」
「えっ・・・?」
瑠南は、凜が放った最後の一言に凍り付くような衝撃を受け、驚きの余り目を大きく開いて凜に更に近づいた。そして、真実を確かめたくて、凜の白く細い左の手首に自分の右手をそっと触れた。
凜は、うつむきがちに静かに小さく頷いて、左手で瑠南の右手をそっと握り返した。潤んだ、暗い影を宿す瞳は睫毛を伏せたままに、彼女は続きを語り出す。
「父さん、次の日の朝早くにね、交通事故で死んだの。緊急のオペが入ったから急いで病院に車で向かっていたらしいんだけど、途中で信号無視した大型トラックと正面衝突したんだって。その時、トラックの運転手は複雑骨折、父さんは頭打って首の骨を折って即死だった。
当たり前だけど、私すごく悲しかった。そりゃ、母さんも茜もとても悲しんでたよ。でも私は、前の日に見せた父さんの泣き笑いした喜び顔を思い出して、それがもう二度と戻らないんだと思うと、ただ絶望に泣いた。感情も理性も自分の中にある全ての気持ちも、全部全部壊していくように、大声をあげて泣いた。霊安室に眠ったまま動かない父さんの血がついた冷たい遺体の、青白い、でも少し微笑んでいるような穏やかな死に顔に、とりすがって泣きじゃくった。今思えば、妹である茜よりも号泣して、取り乱してたかも知んない。
でも、いつまでも泣いている訳にはいかなかった。
お葬式とお通夜の日、私はもう泣いちゃいけない気がして、ほんの少ししか涙は流さなかった。父さんが死んだ日にたくさん泣いた分、その時はしっかりしなきゃ、気丈な娘でいなきゃ、って思ってたんだろうね、きっと。それに、喪が明けたらやることも山ほどあったし、私も、未亡人になって女手一つで私たちを育てることになった母さんを、私と茜で一緒に支えなきゃ、って思ったんだ。
父さんが亡き後、お金には割と余裕があった速水家も、一気に普通の家庭になってしまった。父さんの保険金や貯金、葬儀に来てくれた人たちの香典とかも、父さんの仏壇やお墓とか色々と必要なものを買うのにいっぺんに消えた。
そしてしばらくして、そういったことが一応一旦落ち着いた頃、私たち母娘はまた新たな壁にぶち当たったの。
それが、習い事のお金の問題。
私の母さんは教師とはいえ、生活費や私たちの学費もあるのに、私や茜のバレエやピアノ、茜は学習塾にも通っていたからその三つの習い事の月謝や、バレエとピアノの発表会のステージ代やチケット代、衣装代にお花代を一人で負担するのはさすがにきつい、と言うかほとんど無理な話だった。
祖父母や両親の兄弟姉妹にに支えてもらう、という手も普通はあるのだろうけど、速水家の場合はこの話も無理な話だったんだよね
。父方のおじいちゃんとおばあちゃんは二人共当時から数年前に亡くなっていた上、父さんは一人っ子だった。母方のおじいちゃんだって当時から十年くらい前に病気で亡くなっていたし、おばあちゃんも体が弱くて老人ホームに入居してた。母さんのたった一人の妹、つまり私たち姉妹の叔母さんとは頻繁に交流があったけれど、彼女だって山間の田舎の村で小さな助産院を営む助産師とはいえ決して裕福だった訳じゃなかったし、それに叔母さんも当時二年前に旦那さんを亡くして、子供たち、私と茜のいとこたちのお世話と忙しい仕事で手一杯だったから、迷惑かける訳にもいかなかった。・・・結局、それなりにお世話になったんだけどね。
とにかく、生活が苦しくなってしまったわけ。
だから私、中学校卒業と同時にピアノやめたの。高校も、塾に行かないで桐ヶ崎に合格した。
そして桐ヶ崎に合格した私は、入学と同時に部活には入らないでアルバイトを始めたんだ。いろんなバイトしたよ。スーパーとかコンビニとか、アイス屋やパン屋やドーナツ屋でもバイトしたよ。二つ三つ掛け持ちだったからさ、自分的には結構ハードだったかな。
朝は普通に登校して授業受けて、授業終了のチャイムと同時に学校飛び出してバイトして、レッスンのある日はレッスン後すぐにバイトして、家に帰るのは九時十時が当たり前。休日や夏休み冬休みなんかは、朝から夜の七時や八時過ぎまでずっとバイト漬けの毎日よ。レッスンの日は午後までバイトして、二、三時間バレエのレッスンをして、また夜までバイト。丸一日休みの日なんて、年末年始以外滅多になかったよ。余談だけど、体重と体脂肪率はかなり減った。
でも、アルバイトしてたおかげで、自分と茜のバレエの月謝と発表会諸々のお金は、自分でなんとかできた。母さんにも無理させないで済んだし、茜にも大きな苦労をさせずに済んだと思う。その代わり二人には、たくさん心配かけちゃったけど。
そんなこんなで、多忙を極めた高校生活の三年間はあっという間に過ぎていった。高校に友達は居たけど、毎日バイトとレッスンに明け暮れていたから、親友や恋人はできずに終わったの。後悔はないけど、今思い返してみれば部活や恋愛もしてみたかったし、友達とバカなことやってふざけあったり、一緒にいろんなとこに遊びに行きたかったかな、って思う。・・・今更何言ってんの、って感じだけどさぁ。
その後、私は高校卒業後すぐにロシアのバレエ団に入団した。高校卒業の前にバレエ教室の先生の勧めで、たまたま東京で行われたロシアのバレエ団のオーディションを受けていたの。それに運良く私は受かった。一応、日本のバレエ団のオーディションもいくつか受けて二つは受かったけど、私はロシアの方を選んだ。
なんでロシアのバレエ団を選んだのか、今はもう覚えてないな。でも私、ロシアに行ったら変われる気がした。こう、何か自分の手で新しい幸せが掴めそうな気がしたんだ。
ロシアに行く前の日、母さんと茜は、私に御守りのピアスをくれた。小さいけど本物のサファイアのピアスだった。私は青が好きだから青い宝石を、って。今でも大切にしてるんだ。それに母さんは、私に白いロングコートもくれた。ロシアの冬はきっと寒いだろうから、ってまだ冬じゃないのに母さんは何かと早とちりだったからね。でも、そのコートのおかげでロシアの寒い冬を乗りきることができたよ。茜も、私に可愛い感じの小物入れをプレゼントしてくれた。それを見つけるまでに、茜、かなりお店を巡ったって言ってたなぁ。その小物入れは今もまだ使ってる。
そして次の日、私は家族にいってきますをして、単身春のロシアに渡った。空港には金髪碧眼で色白のロシア人がたくさんいて、みんなよく聞き取れないくらい流暢なロシア語を喋ってるから、私、なぜかとんでもなく大きな緊張と不安に駆られて、目眩を起こしそうになったもんよ。いよいよこれから自分一人で異国暮らしをする、っていう現実を見てしまった気がしてね。だって私、当時ロシア語がほとんど話せない状態でロシアに来ちゃったんだもん。だから、その時は自分の心が自分でもよくわかんないくらいにめちゃくちゃ混乱してた。
いろいろと心の整理がつかないまま、私はその日の内にバレエ団で指定されていた場所へ行って、一緒に入団するみんなと講師の方々から説明をうけた後、そのままの足でバレエ団の寮へと向かった。
寮は基本三人部屋だったけど、私の部屋は人数の都合で二人部屋だったんだ。
その時同室だったのが、同期で同い年で親友だったアリーナ。確か前にも瑠南に話したよね?あの、紫の目のロシア人の子。そのアリーナと一緒だった。
初めて彼女に出会ったあの日、アリーナは寮の部屋に入ってすぐのベッドで自分の荷物を整頓してた。でも私に気づくとすぐに、初対面の私にも笑顔で『こんにちは。』って手を振ってくれたの。あ、勿論ロシア語よ。私も、手を振り返して片言のロシア語で挨拶返したけど、うまく伝わってたのかなぁ・・・?
ま、それはいいか。最初は色々とぎこちなかったけど、私がロシア語を話せるようになって二人が上手くコミュニケーションをとれるようになってから、アリーナと私は大の親友になったんだよね。それに、友達だって増えたんだよ。いろんな国出身のみんなとさ、仲良くなったの。
レッスンはハードだったし厳しかったし、ぶっちゃけ心が折れて挫折しそうになっちゃったことも数えきれないくらいあった。夜、寮の部屋に帰ってから、アリーナに心配かけないように、アリーナが寝たのを確認してから自分のベッドに潜って泣いたこともいっぱいあったなぁ。でも、もしかしたら、アリーナは私がこっそり泣いてたことに気づいてたのかもしれない。アリーナは勘が鋭い子だったからさ。
それでも、友達がたくさんいて、夢があったから頑張れた。バレリーナになりたい、って強く思った十五歳の頃の夢があったから、私は絶対諦めたくなくて毎日毎日頑張った。
その甲斐もあってか、二十七歳─ずっとこの年齢で言ってきたけど、正確に言うと満二十七歳で実質まだ二十六歳だったっけね。・・・の頃の、バレエ団で公演する十二月だけの短期公演で私、『白鳥の湖』のオディールの役をもらったんだ。あ、これも前に瑠南に話したっけ?」
「ええ。あの、足を捻った、と言ってましたよね?確か。」
「うん、確かにそう言った。でもね、・・・」
凜は、最後の言葉を濁らせて、今言ったことを後悔したかのように唇を噛んだ。
瑠南は、当時凜に何かがあったのだろうか、と疑問に思ったものの、それは自分から聞いてはいけないような妙に複雑な気持ちになり、視線を自分の膝に伏し目がちに落とした。
そんな瑠南の様子を凜は察したようで、目を細めて控えめに笑うと、瑠南の右手をおもむろに自らの左手で握り、
「その後の話、聞きたい?」
と、尋ねた。
話の続きが気になって仕方無い瑠南は、素直に返事をした。
「はい。」
凜は、少しの間目を閉じて深い呼吸を二、三回すると、また目を開いて、まっすぐな瞳で瑠南の顔をしっかりと見た。
「・・・じゃあ、今から言う話は絶対に人に喋っちゃだめよ?」
「はい。」
瑠南も、しっかりと凜の瞳を見た。
凜は、瑠南の力強い瞳の意思に安心したように頷いた。
「わかった。じゃあ、聞いてね・・・?」
瑠南が静かにはっきりと頷いたのを確かめた後、凜は一息置いて、ゆっくりと糸を紡ぐように、薄い唇から言葉の糸を紡ぎだした。
その紡ぎ出された話の糸は、夢花バレエ教室発表会前夜に凜が三日月に追憶した、彼女自身が己のタブーとして自ら心の奥深くに葬り去りし過去の『罪』の記憶であった─。
凜の年齢を、十二月産まれの満30歳(=29歳)と致します。
そのため、これまでのお話での辻褄が合わない部分等は時間がある時に少し編集したりするかも知れませんが、どうかご理解ください。